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わたしの「おいたち」シリーズ

その1「板倉真也誕生」
 私の生まれ育った福井県今立郡今立町は福井県の真ん中に位置し、平野と山地との境目にある人口1万5千人前後の町で、たんぼと畑が町の大半を占め、その間を家々が群がっている静かなたたずまいの町です。
 私が生まれたのは雪の降る寒い朝だったそうです(1959年2月20日)。父・武雄、母・博美の最初の子として生まれ、日本共産党員だった父の願いを込めて「真也」と命名。しかし、生まれた時の体重が2400グラムしかなかったため、両親ともこのまま大きく育つかどうか心配だったそうです。
 2歳になると集団生活に慣れるためにということで、近くの保育所に入りました。5歳になって幼稚園に通い、そして小学校へ。小学校は家から3kmもあり、部落の小学生全員で集団登校していました。
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その2「ボーイズソプラノ」
 小学生になった私は、科目の中で音楽が一番好きになりました。信じられないでしょうが、小学生時代の私は女の子顔負けの「ボーイズソプラノ」で、高い音程の歌をそれこそ先生もうっとりするくらい、美しくうたっていたとのことです。
 とくに好んでうたったものは文部省唱歌(音楽の時間に習うから)。高学年になるとこれに「りんごの歌」や「支那の夜」「二人は若い」など、テレビの「思いでのメロディ」の影響が加わりました。
 歌のレパートリーが増えるのにともない、大事な勉強のレパートリーは反比例し、しょっちゅう居残りさせられました
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その3「子どもの頃の遊び」
 子どもの頃の遊びで真っ先に思い出すのは野球。そしてかくれんぼ。部落の真ん中にお寺があり、その境内には広場が設けられていて、私たちは学校から帰ってくると宿題なんのその、ランドセルを投げ出して、夕方、母親が呼びにくるまで遊びほうけていました。
 けれどいまはファミコンというテレビゲームが流行し、部落の子どもたちの元気な声は境内に響かなくなってしまいました。
 自然に恵まれているというのは、とてもステキなことです。夏は川で泳ぎ、山にもしょっちゅう登りました。「山」といっても部落そのものが山に隣接しているため、ウラ山に遊びに行くという感じで、30分もすれば頂上に。3〜4人で登っては『探検』したり、遠くの街や高い山々を眺めては『あの向こうには何があるんだろう』なんて思ったりしたものです。
 くだものも多く、柿や栗、いちじくなどは買うものではなく、自然になっているため、勝手に取って食べるものでした。
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