晴天に恵まれた3月25日(火)、我が家の2人の子どものうちの下の子(娘)が、小学校を卒業した。式典会場の体育館の来賓席に座る私からは、我が娘はよく見える。なにしろ、クラスの最前列にいるのだから。思い起こせば6年前の入学式、娘はクラスの先頭を男の子と手をつなぎながら入場。椅子に腰掛けた娘は足が床に届かず、両足をブランブランさせていた。6年後の卒業式ではしっかりと両足を床につけ、キリッとした目つきで前を向いている。しかし、来賓席の私のほうは、けっして見ようとはしない。恥ずかしいからであろう。娘が最前列にいる理由はただ一つ。入学式と同じく、「前へならえ」すると、前に人がいないからだ。ただし、本人の名誉のために述べておくと、卒業式の入場は先頭ではなかった。この6年の間に、先頭の位置を他者に譲ることに成功したからだ。しかし、4列ずつに並ぶ今回の形式では、先頭から2番目の背の低さでは、最前列に位置することとなった。
兄の時と同様に、「旅立ちの日に」が歌われた。この歌なしには卒業式は迎えられないといえるほどに。ただ、私としては、「あおげばとおとし」が登場しないのが寂しい。卒業式となれば、「あおげはとおとし」は定番のイメージなのだから。
兄も娘も、小学校5年・6年の2年間を、西川先生が担任を務めてくれた。兄と娘では性格がずいぶん異なるので、両方を見ていた西川先生は、どのように2人を見比べていただろうか。聞きそびれたままで、卒業式を迎えてしまった。教師は何年かで転任していく。新年度を迎えた時に、西川先生は兄妹が通った小学校に、引き続きいてくれるのだろうか。私が卒業したわけでもないのに、そんなことを考えると、寂しくもある。3月25日、学校の桜は一斉に開きはじめた。
我が家のありふれた年末年始

「民族大移動」とはよく言ったものである。正月を間近に控えた日本列島は、高速道路も列車も飛行機も、日本民族大移動で“すし詰め”状態となる。その中に混ざって我が一家も、正月をカミさんの実家で過ごすために年末に羽田飛行場から飛び立った。
我が一家が飛行機を体験するのは、年末の帰省時のみ。夏は私の実家・福井へ帰省するので、交通手段は東海道新幹線となる。「飛行機は本当は利用したくない」とカミさんは言う。なにしろ一家4人の往復費用が20万円を超えてしまうのだから。「新幹線を利用したい」とカミさんは言うが、子どもたちはノーを突きつける。一つは、新幹線だと時間がかかり、疲れてしまうから。もう一つは、飛行機に乗りたいからである。私はどちらでも良いのだが、新幹線の場合は指定券取得の任務が私に課せられるので、できれば飛行機であってほしい。
カミさんの実家は四国の香川県。とは言っても、徳島の鳴門に近いので、最寄りの空港は徳島空港となる。今回は、夜に到着するという従来のパターンではなく、昼前に徳島空港に降り立った。
「四国は暖かい」というのが、帰省のたびに味わう印象であったが、この年末は違っていた。「ただいまの徳島空港の気温は8℃となっています」との機内アナウンスどおり、徳島空港は寒かった。それでも陽が差し、いくぶんかは暖かい。太陽が高いうちから徳島空港に降り立つことはなかったため、バスで徳島駅に到着後、市内見物となった。最初に向かったのは城山の徳島城跡。しかし、風が吹き、寒かったため、城跡到着後、すぐにUターン。「眉山に行きたい」との息子の要求を受け入れ、駅の反対側の眉山に向かった。標高280mほどの「眉山」は映画の舞台となったらしく、山頂へ向かうロープウェイに乗車した途端、息子は「この場面が映画に出ていた」と自慢。年末だというのに、何組かのカップルや私たちのような家族連れが山頂を訪れていた。
山頂は寒い!。風が強く、雪まで降ってきた。山頂から西の方角は四国の山々。雪国育ちの私にはすぐにわかる「あれは雪雲。雪が降っている」。一方、北東側の徳島市内は陽が差している。山をへだてて、天気が分かれているのだ。お腹が空いたが、山頂のレストランは休館。徳島の「小泉八雲」と呼ばれたポルトガル人を紹介する「モラエス館」も休館。映画「眉山」を紹介した山頂の立て看板も読む気力が失せ、我々は足早にロープウェイで下山となった。ロープウェイ麓(ふもと)の乗車場所は「阿波踊り会館」入口であるが、阿波踊り会館もこの日は休館。踏んだりけったりの眉山であった。
年末といえば紅白歌合戦。しかし毎年思うのだが、知らない歌手や曲が続々登場する。歌番組を見る機会がないといえばそれまでだが、裏を返せば、爆発的に流行る歌が少なくなっていることでもある。子どもたちがこの番組を見るので、私も必然的に全部見ることとなった。今回の紅白歌合戦で最も印象に残ったのは、「コブクロ」の「蕾」。司会役の笑福亭鶴瓶さんのアシストの影響もあるだろうが、曲とその歌唱力には大きな感動をおぼえた。レコード大賞受賞も納得のいくところ。
「紅白」が終われば、いよいよ「初詣」。除夜のカネが鳴り響くなか、我々は歩いて15分ほどの「田ノ口薬師」へ出かけた。帰省時の冷え冷えとした寒さとは異なり、夜中ではあるが思ったほど寒くはなく、吐く息も白くはならない。並ぶことなく、お参りができた。この「田ノ口薬師」は長野の善光寺のように、寺の真下に真っ暗な通路があり、そこを通れば御利益があるということで、お参りした人が次から次へと通路に消えていく。当然に我々も中へと入った。通路の距離は短く、すぐに表に出るのだが、中に入った小さい子などは、不安な声をあげていた。寺の境内を出るときは、カミさんはいつものように夜店でモノを買う。その一口が身を肥やすのである。“身は力”とはよく言ったもの・・・・“知は力”だったっけ?。
寒かった四国も正月に入ると、普段の気候に戻った。カミさんの実家は山にも海岸にも近く、周辺を田んぼや畑が覆い、近くを走る国道11号線に沿ってJR高徳線が高松と徳島を結んでいる。私とカミさんは3泊4日の帰省をのんびり過ごし、子どもだけを残して一足先に仕事が待つ東京に戻った。一方、カミさんの老親は、置いていかれた孫2人の世話に追われる日々となった。前回から、子どもだけで引き続き実家に残るようになっているのである。子どもたちが要求したもので、昨年夏の福井の帰省でも、親が東京に戻ったあとも、子どもは数日、福井に残るようになっている。「もう、たいへんじゃわ」とは、カミさんの老親の後日談。けれども本心は、うれしいようでもある。
正月の楽しみは仕事に追われることなく、ゆったりとテレビを見られることと、昼間でもアルコールを飲めること、そして知人からの年に一度の便りが届くことである。好きなスポーツ番組をテレビに映しながらビールを飲み、年賀状を眺めてあれこれ思いめぐらすのも、この時期ならではのこと。お互いが同じだけの年齢を重ね、それぞれに人生を歩んでいるにもかかわらず、年賀状を眺める脳裏には、共に頑張っていたあの頃の状態のままの友が映し出されている。年賀状はありがたいものだ。その年賀状に一言いいたい。せめて近況くらいは載せてほしいと思う。なかには、子どもの写真だけ載せて、自身の近況は一言も書いてないものもある。受け取る側としては、子どもの写真よりも、自身の写真や近況を知りたいのだ。できればパートナーの顔も見てみたい。
正月明けには毎年、福井の実家から宅急便が届く。中身は餅と猪肉。餅は実家でついており、美味である。猪肉は親父が福井の山中で仕留め、自ら解体し、1sくらいの固まりにして送ってくる。今回はこの肉の固まりが10個も届けられた。冷凍庫に入りきれないので、届けられたその日から里子に出すハメとなった。シシ鍋は肉鍋の王様であるが、たくさん送られても、これまた大変である。我が家ではすでにカレー、肉じゃがに猪肉が登場している。私が福井で暮らしていた子どもの頃は、冬は毎日、猪、ウサギ、きじ、やまどりなどの肉が食卓に登場し、冷凍庫を開けるとそれらの肉の固まりが所狭しと詰まっていた。「うらやましい」と知人は言うが、毎日ではかなわない。そのかわり、私は東京に来るまで一度も、牛肉を食べたことはなかった。
穏やかな正月はあっと言う間に過ぎ、いつものあわただしい日常に舞い戻った。けれども食卓には福井と香川の両方から届いた餅が今日も顔を見せ、猪肉はデンと冷凍庫に居すわっている。当分、食事のほうは日常の状態に戻りそうにない。ただし、アルコールは正月が終わるとともに消え失せた。一方、カミさんの体型は“身は力”となっている。
※写真は、眉山山頂の石碑