私は、中学1年生になるとともに、中学校のブラスバンド部に入部しました。キッカケは、いまにして思えば、「人生のイタズラ」としかいいようがありません。
中学1年生の私は、女子も驚く「ボーイズソプラノ」。音楽の時間には、女子と同じパートを歌えるほど。当然、私は、合唱部への入部を希望しました。ところが、合唱部は在籍部員が全員、女子。「恥ずかしい」の思いから、同じ音楽部門のブラスバンド部へ入ってしまったのです。「もったいない」と、今にして思うのですが(何が「もったいない」のかは、このページをご覧になっているあなたと同じ感覚だと思います)。
最初の楽器は、小太鼓。お腹のところに太鼓をぶら下げて、叩くというもの。しかし、私には致命的な欠陥がありました。小太鼓は、右手と左手が交互に太鼓を叩く楽器ですが、叩いているうちに右手と左手が一緒になってしまうのです。つまり、交互にならなくなってしまうのです。
しかし、さすがは顧問の先生。私の致命的な欠陥に適した楽器を用意。それは、シンバル。両手にそれぞれシンバルを持ち、両手が合わさって、はじめて役に立つという楽器。この楽器のおかげで、この地域では、「板倉をおいて、シンバル奏者なし」とまで言われたかどうか・・・。
2年生からは、ホルンに転向。カタツムリに似た格好の楽器。ホルンは中学校卒業まで続きました。なぜ、ホルンになったのかといえば、ホルン奏者が不足していたため。シンバルの方は、新1年生が就任しました。ようするに、だれでもシンバルはつとまるということ。
誰に強要されたわけでもなく、すすんでブラスバンド部に入部し、3年間続いたことは、その後の私の人生に大きな影響を与えたと思っています。