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エッセイ(随想)



真の立役者は阪神園芸(2017年11月21日付)
まさかの我が横浜DeNA(2017年11月7日付)
小金井市が人口12万人(「しんぶん小金井」2017年11月5日付から)
日本共産党を大きく(「しんぶん小金井」2017年10月8日付から)
あなたの知らない世界(2017年9月13日付)
束の間の盆休み(2017年8月15日付)
お盆(「しんぶん小金井」2017年8月13日付から)
東京の夏 続編(「しんぶん小金井」2017年7月26日付から)
東京の夏(「しんぶん小金井」2017年7月16日付から)
ハケ上遺跡(2017年6月4日付)
ひよっこ(2017年5月11日付)
段また段を成して(「しんぶん小金井」2017年4月30日付から)
読めない・・・続編(2017年4月17日付)
読めない・・・(2017年4月12日付)
市議選終える(2017年4月2日付)
くらしに春を(2017年2月12日付)
生活破壊(2017年1月22日付)
家族それぞれの年末年始(2017年1月12日付)
黙っていたら二枚目(2016年12月19日付)
今年も残り半月(2016年12月18日付)
師走(2016年12月7日付)
朝霧(2016年11月20日付)
来年度から南中学校が制服一新(2016年11月20日付)
1959年2月20日(2016年10月25日付)
小金井市のイメージキャラクター(2016年10月23日付)
我が横浜DeNA(2016年10月4日付)
台風(2016年9月25日付から)
避難準備情報(2016年8月28日付から)
都政を変えられるのは誰か(2016年7月24日付から)
バトンタッチ(2016年7月13日付から)
奨学金破産(「しんぶん小金井」2016年7月3日付から)
寿命(2016年6月25日付)
細身はつらいよ(2016年6月21日付)
舛添都知事の感覚(「しんぶん小金井」2016年6月5日付から)
活断層(2016年5月1日付)
立川断層帯と小金井市の被害想定(2016年4月22日付)
生活困窮に追い込む経済大国・日本(2016年4月14日付)
明日は我が身(2016年4月8日付)
桜咲く?(2016年4月3日付)
大震災から5年(2016年3月6日付)
『対話』の公約は重い(2016年2月7日付)
雪に悲鳴をあげる都会(2016年1月19日付)
今年は申年(2016年1月10日付)
2016年の正月(2016年1月4日付)

真の立役者は阪神園芸

 我が横浜DeNAを日本シリーズに送り込んだ立役者は誰か?。私は「阪神タイガース」だと確信をもって述べてきた。ところがこれに異を唱え、「阪神園芸」だと主張する者が現れた。しかもその人物は、こともあろうに自称「役所のなかで一番の熱血タイガースファン」と述べる前原町在住の市職員である。

 彼は言う。「雨天中止が続けば、規定により阪神タイガースがファイナルステージ進出となっていた。しかしプールみたいなグランドを整備し、試合ができるようにしたのは阪神園芸。その結果、横浜DeNAが勝利し、ファイナルステージ進出を果たすことができた。だから真の立役者は阪神園芸」。私の脳裏には、当時の新聞記事の見出しがかけめぐる。そういわれてみれば、たしかに阪神園芸の仕事ぶりをたたえる文字が踊っていたような・・・。彼は続ける。「横浜DeNAがファイナルステージ進出を果たしたのは“阪神園芸のおかげ”というのは、阪神ファンの共通の認識」だと。

 インターネットで「阪神園芸」を検索する。すると真っ先に登場するのは「さすが阪神園芸さん 匠の技! CS熱戦を演出」という日刊スポーツの見出し。阪神タイガースファンでなくても、野球評論家やプロ野球ファンの多くが「阪神園芸のおかげ」だと見ていることが想像できる。

 だとすると、阪神タイガースの縁の下の力持ちであるはずの阪神園芸さんは、敵に塩を送ったことになるのではないか。「この状態では、さすがにどうにもなりまへんな」とプールのようなグランドを前に、整備不可能の一言を審判団に伝えればすむのである。誰もが「試合不可能」だと思ったに違いないのだから。いやいや、阪神園芸にもプロとしの意地がございますと主張するかもしれない。しかしその結果が、ファイナルステージ進出どころか日本シリーズ進出を我が横浜DeNAに与えたのである。食い倒れの街で事業を営んでいるとは思えないような阪神園芸さんの対応ぶりである。

 自称「役所のなかで一番の熱血タイガースファン」がいる職場の分館長はかつて、ホークスが好きだったとのこと。しかしソフトバンクになってからは気持ちが離れ、現在は「しいて言えば日本ハム。栗山監督が好きだから」と述べる。一方、「カミサンは西武」だという。めずらしいですね、夫婦そろってパ・リーグとは・・・と私が言いかけているときに、かたわらにいる自称「役所のなかで一番の熱血タイガースファン」が口をはさむ。「ホークスに千賀がいるから嫌いになったんじゃないの」。分館長の口元に笑みが浮かんだのを、私はしっかりと見届けた。

(2017年11月21日付)

小金井市が人口12万人

 先月10日に、小金井市の人口が12万人に達した。59年前の市制施行時からは3倍に膨れ上がっている。10万人から11万人へ達するのに25年を要したのに対して、11万人から12万人へは、わずか15年6ヶ月という短さである。

 人口が増えれば、それに沿った施策が迫られる。保育所や学童保育所、小中学校の整備が求められ、児童館や集会施設なども必要となる。同時に、高齢者も増えるなかで、高齢者施設の増設や福祉・医療の体制整備も求められる。しかしそれらは、後手に回っているのが実情である。

 一方、市の計画でも、6年後の2023年からは、今度は人口減少に向かうという。いま以上に空き家や空き室が増え、マンションでさえも同様な状況になるといわれる。

 人口は減っていくと自ら述べながら、なおも駅前開発をすすめる小金井市。駅周辺だけが栄え、離れるにつれ寂しくなる小金井市になっていくのではないだろうか。いま一度、立ち止まって考えるべきである。

(「しんぶん小金井」2017年11月5日付から)

まさかの我が横浜DeNA

 我が横浜DeNAがセ・リーグのクライマックスシリーズを勝ち上がり、まさかの日本シリーズ進出に沸くあたりを、私は多忙をきわめていた。原因はなんといっても解散総選挙である。10月5日に小金井市の9月定例市議会が終わり、翌日からは総選挙の体制に。10月22日の投票日を迎えるまでの間、テレビで野球観戦をする余裕はなかったのである。だから、リーグ3位の我が横浜DeNAが阪神を下し、広島を投げ飛ばす痛快な場面を、私は夜遅くのスポーツニュースで拝見するという具合であった。

 我が横浜DeNAを日本シリーズに送り込んだ立役者は誰であろうか。監督のラミレスか?、それともロペス、筒香、宮崎といったセ・リーグを代表する打撃陣か?、あるいは抑え投手の山崎か?、たしかにそのように見る人もいる。しかし私の見るところの真の立役者は「阪神タイガース」である。なぜか?。

 阪神タイガースはペナントレースで、我が横浜DeNAに追いすがる読売ジャイアンツを蹴倒し、クライマックスシリーズでは光り輝くセ・リーグ2位でありながら、阪神タイガースのお力添えで3位の座にいさせていただいている我が横浜DeNAに、あっさりと勝ちを譲ってくれたのである。阪神タイガース様が我が横浜DeNAに手加減をしてくださったおかげで、我が横浜DeNAは雲上のチーム・広島カープを下す体力を温存することができたのである。だから真の立役者はどこからみても「阪神タイガース様」である。

 地元の公民館貫井南分館には、自称「役所のなかで一番の熱血タイガースファン」と述べる前原町在住の職員がいる。夏場に公民館事業で力仕事をしている際には「HOUJOU」と書かれたTシャツを着込み、横浜DeNAを支持する私を哀れむように見るのである。その彼も、私が「真の立役者は阪神タイガース」と述べると、素直に頷いてくれた。また、市役所第二庁舎の3階で待機児問題で頭を抱える某課長も、私が同じように述べると「そのとおりですよ」と熱く語った。「私の奥方も議員と同じく横浜ファンです」と述べる彼は、横浜DeNAが勝った夜は、奥方は機嫌がいいという。

 10月28日から始まった日本シリーズで、我が横浜DeNAは破竹の3連敗。なにしろ相手は、ペナントレースを突っ走っていた楽天イーグルスを、あっという間に追い抜き、最後は余裕を持ってリーグ優勝を飾ったソフトバンクである。「1勝もせずに、あっさりと終わりますよ」と私は周囲に語っていたが、まさにそのとおりにことは進んできた。だからそのあとに連勝したときには「もしかすると」などという淡い期待を持ったものである。しかし2勝止まり。最後は力尽きてしまった。

 日本一への道が去った夜、青森に出かけているカミさんから、哀れみのメールが届いた。しかし私は思う。「我が横浜DeNAはよくぞここまで頑張った」と。そもそも、リーグ3位になれたこと自体、奇跡といえるものであり、クライマックスシリーズをどういうわけか勝ち上がり、気がつけば日本シリーズに。リーグ3位のチームが、完成度が飛躍的に高いソフトバンクに2勝するなどということは、夢にも思わなかったところである。大学4年の娘も言う「頑張ったじゃないの」。

 前身の横浜ベイスターズ以来19年ぶりの日本シリーズ進出とはいうものの、ペナントレース3位のチームを見続けてきた者としては、どうもしっくりこない。そもそも、リーグ優勝をしていないチームが日本シリーズに行くことができるというこの仕組み自体が、私には理解できない。リーグ優勝したチームだからこそ、日本シリーズに行く権利が与えられるとなるべきである。だから、来年はリーグ優勝をして、我が横浜DeNAには日本シリーズに行ってもらいたい。

 リーグ優勝をするからには自らの力で、にっくき読売ジャイアンツを倒し、時には手加減してくださる阪神タイガースに隙を与えず、5月を過ぎても鯉のぼりをあげ続ける広島カープを引きずりおろさなければならない。もちろん、中日ドラゴンズやヤクルトスワローズも油断は禁物である。今年のドラフトで強力な戦力を得たからである。とくにヤクルトスワローズは気をつけなければならない。実力で勝てないと知ったヤクルトスワローズは、別の手法で切り崩しにかかるからである。その最たるものが、ヤクルトレディである。議会があるたびに控室にやってきて、1本108円ですよ〜などと、甘い言葉を投げかけてくるのである。危ない危ない。甘い言葉にはウラがあるというではないか。

 市役所の環境部長は、我が横浜DeNAのリーグ3位が確定した翌日に私と目が合ったとたん、作り笑顔を向けてきた。私も笑顔で返しては見たが、環境部長の内心を思うと心が痛んだ。なにしろ読売ジャイアンツは各球団から優れた選手を集め、我が横浜DeNAからも三塁手の村田や主力投手の山口を奪っていったのである。なのに我が横浜DeNAの下に甘んじなければならなくなったその心境はいかほどであったろうか。心なしか、環境部長の議会答弁が弱々しく感じたのは私だけであろうか。

 我が横浜DeNAは若手が育ってきた。だから、これからが楽しみである。広島カープを実力で引きずり下ろし、温情に甘んじることなく阪神タイガースに打ち勝ち、読売ジャイアンツは相手にもせず、堂々のリーグ優勝をする日がそう遠くなくやってくるのではないだろうか。環境部長が作り笑顔すらできない事態に陥る日は、もしかすると来年かもしれない。来年が楽しみである。

(2017年11月7日付)

小金井市が人口12万人

 先月10日に、小金井市の人口が12万人に達した。59年前の市制施行時からは3倍に膨れ上がっている。10万人から11万人へ達するのに25年を要したのに対して、11万人から12万人へは、わずか15年6ヶ月という短さである。

 人口が増えれば、それに沿った施策が迫られる。保育所や学童保育所、小中学校の整備が求められ、児童館や集会施設なども必要となる。同時に、高齢者も増えるなかで、高齢者施設の増設や福祉・医療の体制整備も求められる。しかしそれらは、後手に回っているのが実情である。

 一方、市の計画でも、6年後の2023年からは、今度は人口減少に向かうという。いま以上に空き家や空き室が増え、マンションでさえも同様な状況になるといわれる。

 人口は減っていくと自ら述べながら、なおも駅前開発をすすめる小金井市。駅周辺だけが栄え、離れるにつれ寂しくなる小金井市になっていくのではないだろうか。いま一度、立ち止まって考えるべきである。

(「しんぶん小金井」2017年11月5日付から)

日本共産党を大きく

  「二度と戦争をしてはならない」。9年前に他界した父親がことあるごとに述べていた言葉。兄を戦場で亡くし、自身も福井県敦賀市で米軍艦載機の機銃掃射を浴び負傷している。父母の涙、家族の落胆をその目で見てきた重い言葉である。

 「希望」の名を付けた政党が、集団的自衛権行使の安保法制と9条改憲を踏み絵にして候補者を選別している。その先には、異論を許さない翼賛政治下の72年前までの日本が見え隠れする。

 衆院選投票日前日の10月21日は、74年前に神宮外苑で学徒出陣壮行会が行なわれた日。この日を境に、ペンや本を持つ手に銃が渡たされ、多くの学生が戦場で散っていった。10月22日の結果が、かつて日本が歩んだ道にならないと、果たして言い切れるだろうか。

 だから私たちは立ち上がる。憲法9条を守れ、安保法制廃止!と。市民と野党の共闘を追求し続ける日本共産党を、いまこそ大きく伸ばすべし。

(「しんぶん小金井」2017年10月8日付から)

あなたの知らない世界

 涼しすぎた夏が終わろうとしている。時期を逸したセミが、いまのうちにと鳴くものの、振り向こうとする人もいない初秋へと季節は移っている。一昨日には、彼岸花を近所で見つけた。それ以降、短すぎた今年の夏に何かを忘れてきたような、そんな思いにとらわれている。

 昼間はまだクーラーを必要とする。けれども夜ともなれば開け放たれた窓から秋の風が忍び込み、静かな時間を私に投げかけてくる。そんなステキな夜を与えさせまいと、娘が夏の間に溜め込んだ「怖い番組」を一緒に見てと、声をかけてくる。

 怖い番組は、たとえ夏がどんなに涼しくとも放映される。作り話や撮影トリックと思えるような、視聴者だましの番組もあるが、おもわず背筋が凍るような本当に怖い番組もなかにはある。だから一人では見られない娘が、私を誘うのである。

 私が初めて、その手の状況に出くわしたのは小学校4年生の夏の午前中。場所は、私の郷里である。私が生まれ育った町は、のどかな農村地帯。太平洋戦争中は、敵機をはるか上空でしか見ることのない静かな場所であるにもかかわらず、何故か防空壕が山裾にいくつもつくられている。この防空壕を、私を含めた悪ガキ3人が探検を行なっている最中に、それは起きた。

 一つ年下の男の子が、先頭を歩く。10mほど遅れて、私ともう一人の男の子が続く。防空壕は崩れやすくなっているために、入口をロープでとおせんぼして、入らせないようにしている。けれども、外から中をうかがうことができるので、それだけでも探検に来た感は十分にある。

 いくつかの防空壕を外から眺め、次の場所へと移る矢先であった。左手は山裾。つまり防空壕のある場所。右手はと思い、目をやると、右下に墓地が広がっていた。雑木林の中に墓地があったのである。「あ、お墓だ」と私が言った。「お墓」が怖かったのであろう。先頭の男の子が「早く来いや」と私たちの方を向いて叫んだ。と、その時、先頭の男の子の行く前面に、ボ〜と白い布のような人の形が現れた。私ともう一人の男の子は「お化けだ」と叫び、いま来た道を逆方向に一目散。逃げる私たちの後を「待ってくれ〜!」と叫びながら、先頭にいた男の子も後を追いかけてきた。「あれはなんだったんだ」と私ともう一人の男の子は、逃げ帰った保育園の園庭で不思議がる状況であった。

 次の記憶は中学生の頃の夏の夜。8時頃、かやぶき屋根の我が家の寝間で、私は一人、漫画雑誌を見ていた。隣の居間では親父がテレビを見ている。漫画雑誌を見ている最中に、ん?となった。お経を読む声が聴こえてきたのである。なんだろう、どこからだろう。テレビかな?と思い、親父のいる居間に顔を出した。しかしテレビではなかった。そして、お経の声は聴こえなくなっていた。あれはなんだったのだろうか。

 金縛りはしょっちゅうあった。上京してからも、結婚してからも、時々起きた。金縛りは科学的に証明されてはいるが、その原因を知ったからといって、怖さがなくなるわけではなかった。結婚して2年ほど経った午前中のことである。印刷会社に務める私は、この日は午後からの出勤であるため、まだ布団の中で寝入っていた。その時、金縛りが起きた。首だけが動く状態である。困ったなぁ、金縛りかよと思っている時に、寝間と居間の境を仕切っていたフスマが音もなく開いた。マジかよ。何が出てくるんだ・・・。

 なにも出てこず、しばらくして金縛りは解けた。開いたはずのフスマは閉まっていた。しかし、この時の金縛りほど、慌てさせられたことはなかった。

 教会だった建物を購入し、リフォームして住居につくりなおした現在の我が家。この我が家では時々、不思議なことが起きる。それは「音」である。すでに、このホームページ上で「座敷わらし」を二度にわたって記してきたが、いまだにそれは続いている。

 玄関の隣の部屋でストレッチ体操をしていた夜、玄関を開けて入ってくる音がする。カミさんが帰って来たのかと思って玄関を覗いてみたが、誰もそこにはいなかった。風呂に入っていた夜、2階へと階段をかけ上がる足音がする。風呂から上がって「帰って来たのか」と2階に声をかけたが、帰ってきた者はいなかった・・・。これはこの2年足らずの出来事である。やはりいるのだろうか。座敷わらしが。

 「あなたの知らない世界」は、どこにでも存在する。一般質問を組み立てるために、夜になってパソコンの前に坐る。テレビでは、私の好きな旅番組を映し出している。昼間の疲れが出てきたのであろう。だんだんに目が重くなってきた。フト気がつくと、時計の針が夜中を指していた。いつの間にか眠ってしまったのである。テレビに目をやる。と、そこに「あなたの知らない世界」が映し出されていた。

 微分、積分、ベクトル・・・ずいぶん前に習ったような、習わなかったような。大学の講師みたいな男性が、テレビの中で黒板に向かってなにやら難しい単語、記号を書きながら説明している。しかし、私にはチンプンカンプン。私だけでなく、きっとみなさんも知らない世界なのではないだろうか。そこは紛れもなく「あなたの知らない世界」であった。

(2017年9月13日付)

束の間の盆休み

写真
東京都慰霊堂

 あの猛暑はどこへ行ったのかと季節を疑うほどに、8月に入ってからの東京は涼しい日々を迎えている。梅雨を想起させるような空が続き、「水不足」を叫んでいた気象庁のオエライさんはどこかへ行ってしまった。それでも木々の間からはセミの声が漏れ聞こえ、夏であることに疑いはないと納得する。しかし、あまりにも違和感のある今夏の東京である。

 例年であれば、8月のお盆の時期は郷里で迎える。しかし今年は娘が就職活動とアルバイトに走り回っているために、東京に残ることとなった。一方、カミさんは老々介護の実家へと帰省。そのために、娘と私だけの我が家となってしまった。とはいっても、午前中に家を出た娘が帰宅するのは夜遅く。私一人が家に取り残されたような気分である。

 せっかくの盆休み。気分転換を兼ねて、梅雨の合間のような晴れ間の日に、小金井を離れた。とくに目的地を決めたわけではない。前夜から、ガイドブックとにらめっこしながらも決められず、とりあえず電車に飛び乗った。降り立ったのは両国。電車の中では他の場所がよぎったのだが、小説を読んでいるうちにその駅を降り忘れ、行きなれた両国に行き着いたというのが実情である。

 季節はお盆。回向院では線香の匂いが漂い、手を合わせる年配の御夫婦がかいま見える。力士慰霊の力塚を眺め、回向院の案内板を読み、両国国技館を右にみながら、旧安田庭園を突き抜けて横網町公園へと入る。横網町公園には、関東大震災や東京大空襲で犠牲となった人々の霊を慰めるための東京都慰霊堂がある。慰霊堂の前で手を合わせ、線香の漂う建物内で関東大震災を撮影した写真パネルを見る。建物内にいるのは私一人。静かなひとときである。

 この地まで来ると、決まって足が向くのが浅草。隅田川の対岸へ出れば、蔵前、そして浅草へと続く。東京を代表する観光地・浅草は、川向こうの両国とは異なり、とにかく人の出がすごい。しかも、そのうちの半分くらいは日本語を話さない。あまりにもにぎやかすぎて、疲れてしまった。58歳の肉体は、早く小金井に帰りたいと叫んでいた。

 息子は今年の4月から東北の地に赴任している。最初に赴任した九州からは、うってかわっての東北である。昨年は7月の終盤に帰省したが、今年はまったく音沙汰がない。九州の支局よりも職場の人数が少ないということもあるが、入社2年目ということから責任の範囲が広がっていることも背景にあるようだ。

 その息子。8月初めから甲子園に仕事場が移った。毎日のように赴任地の甲子園出場校の記事を書いている。その出場校の試合が14日に行なわれた。テレビでその試合を見ながら、“いまこの場所にアイツがいるんだなぁ”“大変な仕事だなぁ”などと思う。勝利監督インタビューのテレビ画面では、もしかしたら取材陣の中に息子がいるんじゃないかなどと、テレビ画面に食い入る。おろかなことではあるが・・・。赴任地の出場校が勝利したことから、甲子園での仕事はさらに続くようである。

 そんな親の思いを尻目に、娘は盆休みを利用して、泊まり掛けの旅行へと出かけて行った。何人でいくのか、誰といくのかといった野暮なことは聞かない。無事に帰ってきてくれさえすればそれでいいと私は思う。

 束の間の盆休み。58歳の肉体は、もう外に出たくないと叫んでいる。高校野球をテレビで見るだけで、今年の盆休みは過ぎていくのかもしれない。

(2017年8月15日付)

お盆

 居を構える貫井南町4丁目の近辺には、文化遺産が点在している。寛政6年の庚申塔、天保6年の閻魔王坐像、200年ほど前に立てられたお地蔵様、家康の江戸入府と歴史を同じくする貫井神社、天保年間に伝えられた貫井囃子など。7月末から9月中旬にかけて、この地は独特の雰囲気をかもしだす。

 かつて養蚕が盛んだった貫井南町では、「お盆」は7月末日から8月2日とされている。閻魔王坐像が置かれている貫井共同墓地では線香が絶えず、お地蔵様の前では手を合わせるお年寄りの姿が。8月初旬の土・日は盆踊りが開かれ、今年も盛会のうちに終わった。9月中旬には貫井神社の祭礼が待っている。

 郷里の「お盆」は8月の旧盆。毎年「民族の大移動」に加わっているが、今年は墓の下で眠る父親に、東京の地で手を合わせることになりそう。

 子どもが社会人へと巣立つなかで、郷里は次第に遠のいていく。8月は、親を慕う季節なのかもしれない。

(「しんぶん小金井」2017年8月13日付から)

東京の夏 続編

 夏本番を迎えている。夏を迎える前の「梅雨」は、どれくらい降ったのか記憶にのぼらないほどに雨が少なく、「とにかく暑い」が合言葉のように交わされていた。もう梅雨は明けているのではと誰もが思うほどに猛暑が続き、気象庁は梅雨明け宣言のタイミングを逸した格好で7月は流れていった。

 7月18日は午後から急激な雷雨に見舞われた。光ったと思うまもなく「ガシャーン!」と落雷の音。しかもヒョウまで降ってきた。屋根やガラスを高音でたたきつけるヒョウ。都内では5pもの大きさだったというが、我が家あたりでは1.5cm程度だったかと思う。ちなみに、所沢あたりではライオンが、大阪ではトラが、横浜ではクジラが降ったそうな・・・。翌日は一転、猛暑。気象庁はこれ幸いにと梅雨明け宣言を行なった。

 40年前に郷里・越前から上京した私は、東京の最初の夏を小金井市の梶野町で迎えた。木造住宅の2階である。東京の夏でとにかくまいったのは「高温多湿」。郷里・越前は35度くらいになっても湿気は東京ほどではなく、朝夕は涼しい風が吹いてくる。ところが東京は違う。暑いうえに湿度が多く、夜を徹して熱風が漂う。当時の梶野町は雑木林や植木畑が多く、窓を開ければ風は入ってくるのだが、越前とは風の質が違っていた。しかも開け放たれた窓からは、雑木林に潜む蚊までもが網戸の隙間などから熱風とともに入り込む。地獄の梶野町であった。

 3年後に市内の東町に移った。こちらも木造住宅の2階である。梶野町の2階の窓にあった網戸が、この部屋にはない。しかも住宅街のために梶野町を上回る熱風が漂う。仕事は交代制勤務である。夜勤の日は昼も寝ている。その昼がとにかく暑い。ご丁寧なことに借りている部屋は東南角。朝日がのぼると急激に部屋の温度が上昇する。網戸がないために窓を開けておくことはできない。布団は敷かない。畳の上にじかに寝る。もちろんパンツ一枚しか身につけていない。エアコンも扇風機もない。金がない。

 部屋は2部屋ある。1部屋は寝ている畳の部屋。もう1部屋は台所で、ここは板敷き。猛暑の夏。昼過ぎに目が覚めた私は、寝ていたはずの畳の部屋ではなく、板敷きの台所にいた。知らないうちに、板敷きの台所にころがっていたのである。高温多湿。汗だくの身体中に、板敷きにつもったホコリがこびりついていた。東町の夏も地獄であった。

 所帯を持ち、我が家にもエアコンが入った。やれやれ、これで地獄の東京の夏はオサラバかと思いきや、そうではなかった。熾烈なカミさんとのエアコン操作の主導権争いが待っていた。

 カミさんは、それ相応の体型をしている。一方、私は誰もが認める細身の体。冷房を真正面から浴びなければ満足できないカミさんと、その隣で寒さに震える洗濯板の私。耐えきれずにエアコンのスイッチを切ると、暑さで目が覚めたカミさんがやおら立ち上がり、スイッチを入れる。娘もギンギンに冷えた部屋が好みと見えて、カミさんに加勢する。かくして私は、今夜も地獄の夏を過ごしている。

 私は金曜日の朝、仲間とともに駅頭宣伝を行なっている。7月に入ると日差しはきつくなり、ふうふう言いながらの宣伝となる。先日の朝、いつもチラシを受け取ってくれる男性が私に言った。「わざわざ日差しの当たる場所で配らなくてもいいんじゃない。この柱の影の上で配れば少しは楽になるよ」と。たしかに柱の影に立てば、直射日光を避けることはできるかもしれない。しかしそこには、日本共産党の一員として受け入れがたい現実が横たわっていた。柱の影は「動く」という事実である。太陽がのぼるにつれて、影も場所を変えるのである。

 7月2日投票で行なわれた東京都議会議員選挙で、日本共産党は議席を伸ばすことができた。どんなに逆風が吹こうと、第三の勢力がもてはやされようとも、まっすぐに前を見て政策を訴え続ける姿に、多くの都民が共感してくれたからにほかならない。もう、おわかりであろう。日本共産党は“ブレない政党”なのである。だから、時間とともに移りゆく柱の影ごときに身を任せるわけにはいかないのである。“ブレない政党”の一員は、日影に頼ることなく、真正面から夏の太陽を浴びなければならないのである。たとえ細身が干からびようとも。しかし、真夏の朝の駅頭も地獄である。

(2017年7月26日付)

東京の夏

 九州北部の豪雨被害は、自然の恐怖をまざまざと見せつけている。地球温暖化が影響しているらしい。一方、関東地方は極端に雨量が少なく、取水制限の地域も起きている。早くも、この夏の水不足が懸念されはじめている。

 高卒で上京した40年前、東京の夏を初めて体験した。郷里の越前とは異なり、高温多湿。夜中でも熱風が漂うありさまは、いくら細身の私であろうと無事に過ごせるものではない。部屋の窓を全開して寝たところ、蚊が全身に襲来し、一睡もできずに職場へ出かけていった。東京の夏は悲惨である。

 過日の土曜日、地元の防災訓練に参加した。おりしも気温34度。終了時にはヘトヘトになったが、九州北部の豪雨のように、災害は季節や気候を選ばない。「猛暑の訓練を体験した人は、どんな災害も乗り越えられる」と主催者側。仮にそうであったにしても、34度はさすがにキツイ。

 ゲリラ豪雨が襲う東京。九州豪雨は「遠い出来事」ではない。

(「しんぶん小金井」2017年7月16日付から)

ハケ上遺跡

写真
発掘調査中の第2庁舎北側区域

 ハケと呼ばれる国分寺崖線は、当時の多摩川によってつくられた地形だといわれる。いつ頃からか人間が住みはじめ、周囲にはいくつもの遺構が記されている。

 ハケ上の、連雀通りを挟んだ市役所第2庁舎の北側の地も例外ではない。縄文時代から江戸、昭和初期にかけての遺物が出土し、発掘調査の真っ最中である。

 素人の目からは、どれくらい珍しいものや貴重なものが出てくるのかが関心の的となるが、専門家は「小金井の歴史を発掘するという視点に立つので、年代に関係なく大切にしたい」と述べる。

 文化財保護法では、相当に貴重な遺構でないかぎりは保存の対象とはならない。だから、この地も活字などで記録されるにとどまり、いずれは記憶にものぼらない状態になるのであろう。

 多くの遺構を抱える国分寺崖線。都市計画道路がつくられれば、「ハケとよばれる場所が、かつてこの地にあった」となる日がくるかもしれない。破壊は一瞬である。

(「しんぶん小金井」2017年6月4日付から)

ひよっこ

 NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」がおもしろい。ストーリーもさることながら、主人公が心の内を語る東北弁が実におもしろい。主役の有村架純に間延びした役どころを演じさせていることも、味を引き出しているのではないだろうか。状況を解説するナレーションのセリフも、見逃せない存在となっている。

 時代背景は、中学を卒業した十代の若者が東京へと集団就職していった1960年代の前半。親元を遠く離れて、大都会・東京で慣れない仕事に追われながらも青春を謳歌する姿にスポットがあてられている。私の年代からは十数年さかのぼる時代ではあるが、単身で東京に出てきた私にとっても共通する部分がそこここに見受けられる。この番組は、私の二十歳前後の頃と見比べるものともなっている。

 5月9日の放送では、主人公が郷里に近況を伝える場面が登場した。主役はハガキである。電話を持たないアパート暮らしの当時の私も、ハガキや手紙は近況を伝える有効な手段であった。ただし、私の年代になると公衆電話があちらこちらに存在し、主役は公衆電話に移っていたように思う。いまでは一人ひとりが所持する携帯電話やスマートフォンが主役の座を射止め、メールやラインなど、当時は想像すらできないものが大手を振っている。ちなみに、私の親の世代は「ひよっこ」と同じくハガキと手紙。その前の世代も、おそらくハガキや手紙。そして、その前は「のろし」かな?。

 5月10日の放送では、職場コーラスが登場した。歌われたのはロシア民謡の「トロイカ」。ナレーションに合わせて、当時の歌声喫茶の映像も映し出された。とたんによみがえる二十歳前後の頃。職場の先輩に誘われて、新宿の「どん底」や吉祥寺の「ともしび」に通ったことを。ロシア民謡も労働歌も、この歌声喫茶で覚えたのである。「『トロイカ』を知っているか」と一緒にテレビを見ていた娘に聞いたところ、「知らない。平成生まれだから」。知る機会を得ることすらないのが、いまの若者なのかもしれない。ナレーションは言う。「喫茶店でみんなで歌うなんて信じられないですよね。いまはカラオケですよね」。時代は大きく様変わりしてしまった。

 私の時代よりはいくぶん昔の話。しかし、どこか懐かしく、あの頃の淡い記憶をよみがえらせてくれる心暖まる世界。目が離すことのできない番組にひさびさに出会ったなと、録画したものを毎夜見ている私である。

(2017年5月11日付)

段また段を成して

 過日、全日本ろうあ連盟創立70周年記念のドキュメンタリー映画「段また段を成して」を観る機会を得た。耳が不自由というだけで不当な差別・扱いを受け、長年の運動のなかで人権を獲得したきた歴史が45分間の映像に記されていた。

 障がい者の社会参加を促し、障害の有無で分け隔てされず、ともに生きることのできる社会の実現をめざした障害者差別解消法が施行されて1年余。現実はどうであろうか。

 上映会で主催者は訴える。「手話通訳者は聴こえない人の『いる』『いない』にかかわらず配置すべき。それが障害者差別解消法の趣旨」。しかし小金井市役所の福祉担当窓口に、手話通訳者は配置されていない。

 3年前の9月議会で「手話言語法制定を求める意見書」を可決した小金井市議会。法制定を求めるだけでなく、足元の取り組みが求められると痛切に感じる。新たな4年の任期。いっそう頑張る決意を誓う上映会であった。

(「しんぶん小金井」2017年4月30日付から)

読めない・・・続編

 「読めない・・・」をホームページに掲載したところ、戸籍関係に明るい友人からメールが届いた。冒頭、彼は次のように述べる。「子の名の読み方は、出生届けに記載する欄はありますが、住民票の記載の参考にするためで、戸籍には載りません。昔は戸籍に傍訓(ふりがな)をつけることが可能でしたが、今は認められなくなりました。氏の読み方も同じ考えで、戸籍に読み方は載ってないので、読み方に制限はありません」。

 そして彼は述べる。氏名に使われている漢字に対して、市民課の窓口で「今日から、このように読みます」と届け出すれば、住民票で読み方は変わる。極端な読み方に変更したければ、届け出を行なうだけで可能。読み方は親が決めるのではなく、自分できめることができる、と言うのである。

 ということは、「板倉真也」を「くさかりまさお」あるいは「おーどりーへっぷばーん」と読みますよ、と市民課窓口に届け出さえすれば、受理された以降は、私のことを「くさかりまさおさん」あるいは「おーどりーへっぷばーんさん」と呼ぶように強要しても、文句は言われないと解することができる。口が裂けてもそんなふうに呼びたくはないという、かたくなな人々を除いては。

 どんな光景になるだろうか。例えば、住民票の交付を求めて市役所の市民課の待合所で待っていたら、市民課の職員が私の名を呼ぶ。「くさかりまさおさん」。待合所で待っている人々は一斉に周囲を見渡す。くさかりまさおが来ているのか!、どこだどこだ、と。「おーどりーへっぷばーんさん」ともなれば、大変である。外国人も一斉に周囲を見渡すことになる。理屈からいえば、これもありうるということになるのではないか。ホントにこれってアリ?、と首をかしげたくはなるのだが。

 友人は「ついでに」と述べて、以下の文字を付け加えた。「出生届は14日以内にすることになっていますが、それまでに名が決まらないときは、名の欄を空欄で出すことができます」。専門書には「名未定の子は未定のまま届け出させる。この場合は、『その他』欄に『命名前につき子の名未定』と記入しなければならない」と記載されているという。

 名前は、その人に一生付き添うものである。けれども、読み方は変更できる。自分の名前がしっくりこない、あるいは変えてみたいというあなたへ。読み方を変えてみてはいかがかしら。「板倉真也」を「くさかりまさお」にすることも可能だというのだから。

(2017年4月17日付)

読めない・・・

 この漢字はどう読めばいいのだろうか・・・。渡たされた新入生の氏名一覧表とにらめっこをしながら、来賓控室の片隅で腕を組む。向かい側の斎藤康夫議員や隣席の宮下誠議員も「う〜ん・・・」と唸る。一覧表にはフリガナがふってあるので読み方はわかるのだが、その箇所を隠して漢字のみに直面すると、名前の読み方のわからない生徒が実に多い。名前を付けた人は様々な思いを抱いてその漢字を当てたのだろうが、中高年域にとっくに達した我々にはさっぱり読めない。

 それだけではない。男性なのか女性なのかもわからない名前が出てくる。一覧表には性別の記載があるので、それを見ればわかるのだが、その記載に頼らないと性別がつかめない名前もある。

 やはりテレビの影響かねぇ、と問う。そうでしょうね、と宮下誠議員が応じる。出生届を出すとき当て字は認められるのでしょうか、と問うと、出生届にフリガナの欄はないでしょう、と別の方角から声がかかる。だから、途中で読み方を変える場合も出てくるんじゃないの、と冗談とも思えない声がどこからともなく飛んでくる。歳をとってからではこの名前はちょっと恥ずかしいんじゃないかな、と誰かが問うと、周囲も同じような名前だから、なんともないんじゃないでしょうか、と東自治会の天野達彦会長が首を出す。その言葉を受けて再度、目の前の一覧表を眺め回す。とにもかくにも、いまではこのような名前が普通らしい。

 満開の桜の中で迎えた中学校の入学式。時代とともに変わりゆく名前を前に、白髪が増えた面々は勝手放題、言い放つ。このような光景は、いつの時代もきっとあったに違いないと思いつつも。ところで後日、市役所に問い合わせたところ、出生届用紙の名前の記入欄にはフリガナを記す欄があるとのこと。ということは、名前の読み方に制限はないのだろうか・・・、ちと気になるところである。

(2017年4月12日付)

市議選終える

 新聞等で当選が報じられた投票日の翌朝、自宅電話や携帯電話に祝福の声が次々と寄せられた。結果を知るスベを持たない知人からは、問いあわせの電話も。わがことのように喜ぶ声、感極まって声を詰まらせる人など、みんなで当選をつかみ取った思いがひしひしと伝わるものとなった。

 負担増をすすめる国の悪政が、暮らしを年々追い詰めている。せめて小金井市だけでも生活を支えてくれたらと始まった市議会議員選挙。黒字が5億円にもなる国保税を引き下げ、黒字会計の下水道は値上げ中止に、「子育て環境日本一」を言うのならば保育料の値上げストップを、毎年10億円前後の繰越金は暮らしを支えるために使うべき‥‥。自民党は1人落選、公明党も得票大幅減など、負担増をすすめる勢力に厳しい審判が下された。

 6月下旬からは都議選がスタート、年内には総選挙も。暮らし守る政治実現や豊洲・森友の真相解明など、共産党の奮闘に期待が高まっている。

(「しんぶん小金井」2017年4月2日付から)

PDFファイル「小金井市議会議員選挙の投票所ごとの投票者数と投票率」

くらしに春を

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 寒い日もあれば、極端に暖かな日もある今年の冬。昨年はどうだったろうかと記憶を探るも、曖昧な光景しか浮かばない。

 ふと見上げると、紅梅が咲き誇り、白梅も負けじと花開く。季節の変わり目を知り尽くした木々は、もうすぐ春ですよと私に呼びかける。

 季節は春へ向かおうというのに、フトコロは寒風吹きすさぶ厳冬のなかにある。安倍内閣は医療費や介護利用料、入院経費の負担増でさらなる冷気を庶民に浴びせ、寒さをしのぐ上着さえも年金削減で買うことを許さない。庶民は凍え死ねといわんばかりである。

 くらしに春を迎えるためには、税金の使い方を変えるべし。大企業や大金持ちを肥え太らせる政治から、庶民のくらしを支える政治へ。ブレない政党・日本共産党を伸ばしてこそ、早く春を迎えることができる。

 庶民の声に押され、東京の政治は少しずつ変わろうとしている。次は小金井市。3月下旬の満開めざし、今日も私は駆け抜ける。

(「しんぶん小金井」2017年2月12日付から)

生活破壊

 経済的に深刻な老後を強いられる「下流老人」が社会問題となっている。年金や資産などで、それなりに暮らせると思っていたのに、年金縮減、社会保障の負担増・サービス切り下げで、生活設計が狂わされているからである。

 一方で、富の格差は広がるばかり。世界の超富豪8人の持つ富が、極度に貧しい36億人の持つ富と等しい状況をつくりだしているという。日本でも同じことが起きているのではないだろうか。

 築地市場の豊洲移転や東京オリンピックの巨大開発構想では、巨額の税金が投入される。一方で、庶民の暮らしはどんどん悪くなるばかり。声を上げなければ、さらなる生活破壊が押し寄せてくる。

 足元の小金井市。「財政が厳しい」といいながら、小金井市だけでも15億円を投入する駅前開発に突き進もうとしている。小金井市のあり方も、ゆがんでいるのではないだろうか。この市政を変えることが強く求められる。

(「しんぶん小金井」2017年1月22日付から)

家族それぞれの年末年始

 今回の年末年始も小金井市で過ごした。カミさんの実家で正月を過ごしたのはいつ頃までだったかと、さかのぼって年月を思い起こすことさえおっくうになるほどに過去のものになった。

 カミさんは暮れの29日まで仕事に駆けずり回り、翌30日には実家へ里帰り。娘は遊びほうけ、夜中にならないと帰宅せず。朝帰りすらあるというていたらく。社会人となった息子は、熊本の地で休みなしに走り回っている・・・。子どもが成長し、手がかからなくなってきたことはありがたいことではあるが、逆に言えば、家族それぞれが独自の世界に身を移すということでもある。家族そろってカミさんの実家に里帰りしていた頃が、懐かしく思い出される。

 息子が1月2日に帰省するというので、ポツンと残された私の背に、埃まみれの我が家の大掃除が任された。他にもやることがあるために、一日一部屋がやっとという状況である。年末から押し寄せた大掃除は、年が明けても終わることを知らず、正月2日も私の手にはホウキと雑巾が握られ、物干し竿には洗濯物、ベランダには布団が並ぶ事態となった。おかげで腰は痛み、疲労こんぱいになった。とんだ正月である。

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 今年も、友人・知人から多くの年賀状が届いた。型通りのあいさつ文だけというのもあれば、写真をいくつも組み入れて、近況をくわしく知らせるものもあった。受け取る側としては、自身の顔や姿はぜひとも年賀状に印刷しておいてほしいものである。“太ったなぁ”とか“頭の前面が広がってきたなぁ”とか“この人は、あの頃は美人だったのになぁ”とか・・・。会うことができない友人・知人の“いま”を知りたいのである。

 私も年末に、多くの友人・知人に賀状を送った。「いつも、楽しい年賀状をありがとうございます」「板倉さんの年賀状を毎回、楽しみにしています」などの返信が舞い込んできているが、みなさんはどう感じられるであろうか。以下が、私が送った賀状である。

■経済大国でありながら若者の半数は非正規雇用、長時間労働で過労死・自殺が後を絶たず。医療や介護の負担は増加、なのに大企業はお金を貯め込み、減税でさらに利益を増やす。この政治を変えなければ明日はこない。
■私とのお出かけを避ける子どもに代わり、カミさんが私のお供をするようになった。歩幅と体型が異なるために、カミさんのスピードに合わせるのは大変。葛飾柴又の寅さん像の前で「男はつらいよ」と吐息付く。
■昨年4月、息子が社会人になり震災直後の熊本へ。南阿蘇や益城町など、ペンとカメラを携えて連日駆けずり回る。かたや大学3年の娘、目前に迫る就活戦線の厳しさを知ろうともせずに、毎週友人と遊びほうける。
■議員の仕事と地域の活動で駆けずり回り、57歳の身体はどこから見ても中年そのもの。まちなかに貼られた我が顔は皮膚がたるみ、白髪が乱れ散る。老老介護の実家へ早々に帰省した妻に指示され、大掃除に追われし年末。誇り高き男のはずが、ほこりまみれのオヤジになった。

(2017年1月12日付)

黙っていたら二枚目

 紅顔の美少年と呼ばれし若かりし頃、同世代の女性陣によく言われたものである。「板倉さんは、黙っていたら二枚目ね」。ようするに“しゃべらなければステキな男”というわけである。たしかに鏡に映る我が顔は、あの親からは、どうしてこのようなハンサムな男ができたかねぇ、と唸るほど。しかし私は、その「黙る」ことが大の苦手。し〜んとした空気が、しんぼうできないタチなのである。だから、この世界に入る前まで15年余働いていた職場では、「職場のドアを開けたときに、板倉がいるかどうかがすぐわかる。いるとうるさいし、いないと寂しい。なんとかならないか」と言われてきた。自分では、そんなににぎやかな人間だとは思っていないのだが。

 初めて市議会議員選挙に立候補したときのことを、いまでもよく覚えている。選挙戦初日の出発直前の候補者カー内での出来事である。初日というのは独特の雰囲気を持ち、運転手もアナウンサーの女性も緊張感に包まれている。そのし〜んとした空気ただよう車内に、初めて市議選に挑む若かりし私がいた。車内の空気はすこぶるよくない。極端に静かすぎる。前も横も、ピリピリ顔が身を寄せていた。まずい、もっとも苦手とする空気ではないか。

 性分というのは、場所や時を選ばないらしい。この空気をなんとかしなければと、私の根っからの性分がにわかに沸き上がった。気がつけば、私の口からは、二十歳の頃の体験談が泉のごとく語られていた。「『くさかりまさお』との出会い」(当ホームページ「エッセイ(随想)」2015年11月18日付参照)の一コマである。候補者カーの車内は大爆笑。運転手もアナウンサーの女性2人も、口に手を当てることすら忘れて、涙を流しながら笑いころげてしまった。

 緊張は完全に解きほぐれた。私の勝利である。しかし、問題が起きた。アナウンサーのマイクのスイッチが入っていたのである。候補者カー上部のスピーカーから、アナウンサーと運転手の大爆笑がそこいらじゅうに響きわたり、選対メンバーからは「板倉、勝つ気はあるのか」と叱られる事態となった。性分というのは、恐ろしいものである。

 「板倉さん、頭の中が忙しいでしょう?」と国分寺市議の幸野おさむクンが言う。人と話をしているあいだじゅう、私の頭の中は、この人の場合はどの引き出しを開けたらいいだろうかと、たえずうごめいている。相手がたとえ女性であっても、それはおかまいなしである。

 5年ほど前の小金井消防署東側の、今はなくなってしまったうどん屋でのこと。昼食を終えて席を立ち振り向いたら、顔見知りの女性4人が食事をしていた。おもわず口から出た言葉が「あら、どちらのお嬢様かと思ったら・・・・・・お嬢様じゃなかった」。弁解するつもりはないが、頭では、女性陣が好むセリフを言ってあげなければと思っている。しかし、口が「ウソをついてはいけない」と叫ぶのである。

 最近もこんな出来事があった。私と同年代くらいの女性から、「板倉さん、私は大丈夫でしょうか」と尋ねられた。この会話に至るまでのあいだに、芸能界で美人と称される女性が、ガンや白血病などで若くして亡くなるケースが後を絶たないという、いわゆる「美人薄命」の話題がしきりとされていたのである。そして私に問う。「私は大丈夫でしょうか」。

 じっ・・・と相手の顔を見る。やおら「ウソをついてはいけない」と叫ぶ私の口が、私の意思に反して言葉を発した。「ご安心ください。間違いなく長生きできますから」。

(2016年12月19日付)

今年も残り半月

 今年も残り半月。慌ただしい1年だったと振り返るまでもなく思う。

 12月は心踊るものだと39年前に上京してから思い続けてきた。駅前の商店街は歳末大売出しで人を集め、クリスマスのイルミネーションが街に活気を与えていたからである。

 しかしいまはどうか。「商店街の歳末大売出しは2箇所(京王通り商店会と武蔵小金井駅前商店会)、クリスマスにちなんだ取り組みも東小金井駅南側の1箇所(東小金井南口商店会)のみ」と小金井市は言う。いつからこのように寂しくなってしまったのか。駅前開発で商店街の体力を奪い、負担増や非正規雇用増がモノを買う力を奪ったからである。

 西岡市政になって1年。稲葉市政とは異なる、くらし第一の市政へと期待を寄せた人も多いはず。しかしやっていることは負担増、有料化、事業委託のオンパレード。稲葉市政となんら変わるところはない。

 来年は3月に市議会議員選挙、夏には都議会議員選挙。くらし第一の政治へ、57歳の身体が師走の街を走り抜ける。

(「しんぶん小金井」2016年12月18日付から)

師走

 12月の初旬を過ぎ、もはや「晩秋」とは呼べぬ季節を迎えようとしている。11月24日に東京では54年ぶりの初雪をおぼえ、統計史上、例のない積雪まで記録したことを思えば、いまの気温は12月にしては上出来というところである。

 年末を間近にひかえたいまの時期は、本来であれば、街はにぎやかな季節を迎える。しかし今年も街は暗い。華やかなイルミネーションはなく、商店街の歳末大売出しは絶滅状態。アベノミクスはどこの世界かと、誰もが首をすくめて足早に過ぎる。

 今年の年末・年始も東京で過ごすことになる。カミさんの実家に里帰りしたのはいつ頃までだったかと、記憶を呼び覚ます事さえおっくうになってきた。除夜の鐘は鳴らず、初めて耳にするカタカナグループばかりが登場するNHK紅白も見る気にはならず、静まり返った大晦日に一人ぽつりと蕎麦をすするのである。

 しかし一人ですごす年末・年始も、考え方次第では、それなりに楽しい。第一に、寝坊ができる。「あんた、何時まで寝てんのよ!」と怒鳴るカミさんがいない。新婚の頃は唇で起こしにきたものだが、子どもができてからは、足の爪先で起こしにくる。近頃は、爪先が近づくだけで、その恐るべき臭いで目が覚める。第二に、昼間から酒が飲める。元旦早々からテレビは浅草や上野、新宿の寄席を放映し、大好きな落語や漫才で酒宴をあげることができる。もちろんこの日ばかりは純米酒である。第三に、台所に立たなくてすむ。仕事に追われるカミさんを尻目に台所に立つのが日課になっているが、コープとうきょうで買っておいたオセチ料理で正月くらいは楽をする。雑煮くらいはつくらないでもないが。

 そんな日々を想像するだけで、一日一日と近づく年末・年始が実に待ち遠しい・・・などと記している矢先に、いつもより早くカミさんが帰って来た。まずい、はやくこの欄を書き終えないと。何を言われるかわかったものではない。

 来年3月は、市議会議員選挙である。だから今年の年末・年始は、三つの楽しみはお取り上げ。細身に突き刺す寒風のなかをバイクや自転車で走り回り、オセチ料理は買うにしても、純米酒はおろか焼酎もビールもない。落語や漫才どころか、お尻に火がついた状態で、笑っている状況ではなくなる。うん、きっとそうなるであろう。おそらく、そうなるだろう。そうなるに違いない。おそらく、たぶん・・・。まずい、階段を上がってくるカミさんの足音が、すぐそこまで来ている。

(2016年12月7日付)

朝霧

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 普段見慣れた街が、幻想的な色彩を帯びている。前日に降った雨が、しずくとなって地表をただよい、今朝の暖かい空気のなかで蒸気となって街中を包んでいる。これをおそらく「霧」と呼ぶのであろう。ひさしぶりの光景におもわずカメラを取り出した。

 実家のある越前の片田舎では、晩秋になると濃霧に包まれる日が多い。山と山に囲まれた盆地全体が、白色のなかにすっぽりと沈み込んでしまうのである。ただし、今朝の小金井市のような暖かな霧ではなく、コートやジャンパーを着なければ震え上がるような冷え冷えとした霧である。けれども古老は言う。「霧がでた日は、すっきりと晴れ上がる」。

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 早朝の野川沿いをカメラを片手に歩く。同じようにカメラを手にした人が、幻想的な光景をシャッターに収めている。貫井南町の野川沿いは桜の名所。すっかり赤や黄色に染まった葉が、レンズの前で淡いキャンパスを広げている。視界は50m程度であろうか。霧のなかに遠ざかっていく自転車がなんともいえぬ情景を映し出す。1年のうちに、このような景色をどれくらい見ることができるだろうか。朝早く目が覚めたことに感謝である。

 霧がでた日は、すっきりと晴れ上がる、という古老の言葉どおりに、とても良い天気となった。しかも暖かい。加えて日曜日。テレビやラジオでは紅葉シーズン到来を告げ、いまが見頃ですよと私をいざなう。今年こそは紅葉の時期に遠出をしてみようと思いながらも、ついには出かけることなく、今年も12月の声を聞くことになるのであろう。

 カメラに収めた朝霧の景色を見つめながら、遠く記憶のなかにしまいこんでいた郷里の晩秋を思い描く、今日の私である。

(2016年11月20日付)

来年度から南中学校が制服一新

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 創立40周年を迎えた南中学校は、来年4月の新1年生からオリジナルの制服に切り替わる。過日の記念式典では、生徒による新しい制服のファッションショーが行なわれ、来賓、生徒から万雷の拍手・歓声が沸き起こった。しかし、手放しでは悦べない。現行の制服よりも数千円高くなるという。

 今年度から就学援助の認定基準見直しを強行した小金井市。生活保護基準「1.8倍」を、3年かけて「1.5倍」に引き下げるという。対象外となった家庭は新しい制服を買うことができるのか。たとえ就学援助の支給世帯であっても、入学に必要な援助費は3年間で3千円しかアップされない。そのうえ、支給日は7月下旬。保護者が建て替えなければならないのである。

 小金井市でも、児童・生徒の10人に1人が就学援助を受けている。歓声をあげてファッションショーを楽しむ生徒を前に、複雑な思いになったのは私だけではないだろう。

(「しんぶん小金井」2016年11月20日付から)

1959年2月20日

 稲田朋美という政治家がいる。安倍内閣の防衛大臣を務める“タカ派”の女性国会議員である。「駆けつけ警護」の新任務が付与された自衛隊が今秋にも送り出されようとするアフリカの南スーダンに、「現地は安全」と説明しながら、わずか7時間、しかも重装備の鋼鉄製車両に守られたなかで訪問し、さっさと帰国。政治資金収支報告書には、同僚の国会議員の政治資金パーティ出席の際に白紙の領収書をもらって、自分の事務所の人間に金額を記入させて提出している、お偉いさんである。

 稲田朋美氏の選挙区は衆院福井1区。私の実家がある越前市が「福井2区」なので、隣の選挙区ということになる。いずれにしても我が郷里・福井県選出の国会議員で、なにかと物議をかもし、しかも“タカ派”ということから、いぶかしげに私は眺め続けているのである。

 3年ほど前、この稲田朋美衆院議員の経歴を調べていたカミさんが、稲田氏の経歴に記されている数字を見て、立ち止まってしまった。「この数字、どこかで見たことがある」。「1959年2月20日生まれ」・・・どこで見たんだろう?。少しの時を置いて、カミさんは「あっ!」と声を上げた。ダンナと同じ生年月日だ。

 ダンナ、つまり私・板倉真也も「1959年2月20日生まれ」。稲田朋美氏と同じ日に生まれたのである。それだけではない、さらに驚くべきことが判明した。稲田朋美氏の出身地は「福井県今立郡今立町」、現在の「越前市」であり、私・板倉真也の出身地も「福井県今立郡今立町」なのである。

 一方は自民党の“タカ派”国会議員、もう一方は共産党の“穏健派”市議会議員。同じ日に同じ町で生まれた人間が、どういういきさつでこんなふうに分かれてしまったのであろうか。

 稲田朋美氏は、中学生頃に福井県から転出し、京都の府立高校を卒業後、早稲田大学の法学部へ入学。かたや板倉真也は、福井県内の県立高校を卒業後、大学にはいっさい目もくれずに東京都内の印刷会社に入社。板倉真也が政治の世界に入ったのは、1993年3月の小金井市議選に立候補してから。一方の稲田朋美氏は、2005年9月の衆院選挙に立候補してからである。

 テレビ画面に映る稲田朋美氏は、冷たい目をしている。いかにも“タカ派”という感がただよう。一方の板倉真也。市議会事務局の女性職員は、私とでくわすとなぜか笑う。いかにも“吉本興業”だというふうに。私はその女性職員に言いたい。「稲田朋美氏の前でも笑っていただきたい」と。ちなみに、その女性職員も「2月20日生まれ」だそうな。

(2016年10月25日付)

小金井市のイメージキャラクター

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人気急上昇「くるカメくん」

 好天に恵まれた今年の市民まつり。2日間でのべ7万人が秋の小金井公園を楽しんだ。

 会場で子どもたちの人気を集めている一つに、イメージキャラクターがある。市を代表するのは「こきんちゃん」。介助者なしでは歩けなかったが、筋力アップのトレーニングで自力歩行が可能となった。負けずと頑張るのがごみ対策課の「くるカメくん」。こちらは飛び跳ねることができる筋力を誇る。そしてもう一つ、子どもたちとの記念写真に忙しいのが「アースくん」。都の下水道局からやってきたアースくんは、くるカメくん以上に動きが達者。日ごろの鍛え方が違うのであろう。

 市民まつりでは毎回、医療生協の健康チェックコーナーに出向く。「適度の運動を定期的に続ける」という欄に△が記された。運動不足!というわけである。

 定期検診を受けるたびに腹の幅が広がる。こきんちゃんやくるカメくんのような体型になるのではと、焦るこの頃。

(「しんぶん小金井」2016年10月23日付から)

我が横浜DeNA

 我が横浜DeNAのクライマックス進出が決まった。クライマックス方式が採用されて以降、一度もお呼びがかからなかった我が横浜DeNAに、ようやくお声がかかった。めでたい、実にめでたい。欲の多いやからは、巨人を倒し、広島を血祭りにあげて、日本シリーズに参戦だ!と息巻いているが、私はクライマックスに進出しただけで満足である。
 思い起こせば18年前。横浜ベイスターズと呼ばれていた時代に、下馬評をくつがえしてセリーグを制覇し、パリーグの覇者・西武を、これまた大方の予想に反して4勝2敗で下して日本一に。そのまま浜風にのって走り続けるかと思いきや、2〜3年後からは万年Bクラス。同僚のヤクルトとともに最下位戦線をひたすら歩んできた。

 しかも気がつけば、「横浜ベイスターズ」はいつのまにか「横浜DeNA」に。名は変われどもDNAは変わらず、あいもかわらず最下位戦線異常なし。しかも途中からは外国人が監督に就任。日本語すら理解できないチームに、外国人の監督ではなおさら無理だと多くのファンは頭を抱えたに違いない。その横浜DeNAが、どういうはずみかクライマックス進出へ。それだけでも大いに満足すべきであろう。

 昨年は悲惨であった。最下位戦線を共有していたヤクルトが、いつのまにか大部屋生活から離脱し、特別室まで与えられる光り輝くトップの座に登りつめてしまった。お友達がいなくなった我が横浜DeNAは、世間の冷たい風とさげすむ視線に、ひたすら耐え忍ぶほかはなかったのである。

 昨年のちょうど今頃。市役所第二庁舎6階の情報システム課ではヤクルトファンの女性が狂喜乱舞し、ヤクルト優勝が決まった翌日、職場内のあらゆる面々にヤクルトを大量に配っていた。かたや、同じ情報システム課の熱狂的なタイガース支持者は風邪をこじらせ、タイガーマスクならぬ白マスクをつけて議会答弁に四苦八苦していた。そのヤクルトやタイガースよりも高い位置に就けただけでも、私は満足なのである。

 週に一度、私は市役所第二庁舎6階の情報システム課に足を運ぶ。しかし、昨年その場にいた熱狂的なタイガース支持者は他の職場に移動となり、ヤクルトレディーもどこかへ消え失せた。代わりにやってきた課長さんは野球の話しはチンプンカンプン。だから、私が心の奥底にためている喜びを語る相手がそこにはいない。ようやく見つけた相手は、巨人の熱狂的支持者だと自負する環境部長である。しかし巨人は横浜DeNAの上にいる。しかもクライマックスシリーズに突入すれば、真っ先に対戦するのが、その巨人である。正直、あまり楽しくない。

 我が横浜DeNA。来年はどの位置にいるのだろうか。筒香がセリーグを代表するスラッガーに成長し、山口が安定感あるピッチングを披露。投手陣の抑えは山崎を筆頭に看板がそろい、今年以上に期待できるのではないか。と、18年前も同じことを考えていたような・・・。

 環境部長と楽しく野球談議できる日が、我が横浜DeNA支持者に到来する日は果たしてくるのであろうか。もし、環境部長が私との「楽しい野球談議」を切望するのであれば、まずは目の前のクライマックスシリーズで、我が横浜DeNAに勝ちをゆずる気配りを見せるべきであろう。

(2016年10月4日付)

台風

 台風が過ぎたらまた台風がやってくる。8月の盆明けから1カ月の間に、6個もの台風が日本列島に上陸する事態となった。

 目を覆いたくなるのは、5年前の大震災で大打撃を受けた東北の被災地や、4月に2度の直下地震に襲われた熊本地方の惨状。立ち直ろうとする住民に追い打ちをかける自然の猛威に、やるせない怒りを覚えるのは私だけではないだろう。

 1年に6個の台風が上陸したのは、観測史上最多となる10個の台風が上陸した2004年に次ぐものだという。しかし、まだ9月下旬。さらなる上陸への恐れはぬぐえない。

 それにしても、1カ月で6個の上陸とは異常である。日本列島へのレールが敷かれているのではないかと疑いたくなる。

 豪雨に見舞われると、市内の小中学校や公民館ではバケツが用意される。雨漏りが起きるからである。駅前開発に多額の財源を投入する前に、目の前の建物の現状に目を向けるべきであろう。

(「しんぶん小金井」2016年9月25日付から)

避難準備情報

 台風9号が関東に上陸した22日、小金井市役所は対応に追われた。川の溢水や道路の冠水、土砂災害が都内各地で発生し、小金井市域においても準備に迫られたからである。

 午後3時40分、小金井市は市政史上初となる「避難準備情報」を発令した。市内四箇所の「急傾斜地崩壊危険箇所」が対象。いずれも国分寺崖線区域の傾斜地である。幸い、被害は発生せず、道路冠水なども起きなかった。しかし、テレビにテロップが流れ、安全安心メールでも発信されたことから、街の中はこの話題でもちきりとなった。

 「避難準備情報」は、気象庁の「土砂災害警戒情報」の発令を受け、総雨量や河川の水量を見て、自治体判断で発令するという。当該住民には「家族等との連絡、非常用持出品の準備等、近くの避難場所へ避難する準備を開始してください」が指示されることから、発令する側も勇気が必要となる。

 備えあれば憂いなし。被害を最小限に抑える対応は必須である。

(「しんぶん小金井」2016年8月28日付から)

都政を変えられるのは誰か

 「老・老介護をなくす」をうたい文句にスタートした介護保険制度。なのに、特養ホームに入れないお年寄りが小金井市では300人も。一方で、介護保険料はどんどん上がり、サービスは年々低下。

 共働きしなければ食べていけない社会にしておきながら、保育園に入れない待機児童が小金井市では154人。これでどうやって、「一億総活躍」しろというのか。

 保育園や特養ホームを増やしたいと願うのはどの自治体も同じ。だから、自治体の負担を減らすために、国や東京都が財政面で支援することが求められる。

 東京都は、オリンピックに名をかりた巨大開発や幹線道路建設をすすめ、国分寺崖線を分断・破壊する都市計画道路もすすめるという。福祉や社会保障は「財源がない」を理由に後回し。しかし、巨大開発や都市計画道路は借金をしてでもすすめようとしている。

 この都政を変えられるのは誰か。そのことがいま問われている。

(「しんぶん小金井」2016年7月24日付から)

バトンタッチ

 7月10日投票の参院選挙は、私が思い描いていたほどには議席が伸びなかったが、東京選挙区で日本共産党は31歳の弁護士・山添拓(やまぞえたく)氏が4位当選。前回(2013年)の吉良よし子氏に続いて、30歳前半の有能な若者が国政へと羽ばたくこととなった。

 今回の参院選挙で当選した121人の平均年齢は54.9歳。最年長は、おおさか維新の片山虎之助氏(比例)の80歳で、最年少は日本共産党の山添拓氏(東京)の31歳である。当選者の政党別平均年齢は、おおさか維新がもっとも高く60.3歳、もっとも若いのは日本共産党の48.3歳となっている。ちなみに、社民党は60.0歳、民進党は56.7歳、自民党は55.2歳、生活の党は50.0歳、公明党は48.9歳である。

 若い世代へのバトンタッチは、組織を維持し、活力あるものにしていくためには不可欠となる。当然に、日本共産党小金井市議団も例外ではない。徐々に若い世代にバトンタッチしていくことが求められる。なお、現在の市議団4人の平均年齢は57.8歳(まもなく58.0歳)。一番若くて56歳、一番年上は60歳という、あしかけ5年の隙間に4人がひしめく状態となっている。誰が56歳で、誰が60歳かは、ご想像にお任せしたい。ちなみに私は57歳である。

 参院選挙が終わっても休まることはない。目の前には都知事選挙が控えている。7月14日告示・31日投票という、まさに息つく暇もない日程である。

 参院選挙に突入してまもなく、長年連れ添ってきたバイクが息を引き取った。そのため、参院選期間中の大部分を自転車で走り回るハメとなり、貫井や前原の国分寺崖線の坂を、変則ギアがなく電動式でもない自転車で、ヒイヒイいいながら駆け上がらざるをえない事態となった。しかも灼熱の日々があり、57歳の肉体には実に酷な選挙となった。次は、真夏のなかの都知事選挙がくるという。

 7月11日、ようやく新たなバイクがきた。中古ではあるが、最新の形式を備えている。22年余連れ添ってきたバイクとは、外見も機能もずいぶんと進化してきている。貫井の坂をスイスイと駆け上がるさまは、今回当選した山添拓氏を見るおもいである。

 バイクの世代交代、バトンタッチといえば華やかに見えるが、フトコロは実に厳しい。17万円もの出費を、私のヘソクリから工面しなければならないからである。おまけに同じ日(7月11日)の夜、これまた長年愛用している車に不具合が生じた。ブレーキランプがエンジンを切っても消えないのである。すぐさま近くの修理工場へと駆け込んだが、新たな出費に頭を抱えなければならなくなっている。車だけはバトンタッチはかんべんしてもらいたいものである。

 気がつけば57歳。往年の姿形は、そこにはない。大学3年の娘は口をきくことを嫌がり、熊本に行っている息子は私からのメールに返信することなく、カミさんさえも私との間に距離を置く。テレビのワイドショーでは「熟年離婚」なるものを連日のように報道し、テレビの前のあなた、あなたも気をつけなさいよ、と男どもに注意を喚起する。もしかして、私もバトンタッチ?。カミさんの一言が怖い。

(2016年7月13日付)

奨学金破産

 学生の半数が貸付型の奨学金を受給し、卒業と同時に返済に追われていく。しかし、社会人になっても少なくない人たちが非正規雇用に。低賃金のために返済が滞り、自己破産せざるをえない若者が1万人に達するという。

 本人が自己破産すると、連帯保証人となっている親に負債が回ってくる。しかし、親も低賃金であったり余裕がない場合が多く、親までが自己破産に追い込まれるケースが起きていると、NHK「クローズアップ現代」で述べていた。

 知人の専門学校生も卒業するまでの期間、奨学金を借り続けるという。「家にお金がないから、しかたがない」と言うが、希望ある若者の将来に不安を背負わせるこの国は、おかしいと思う。その知人、「アルバイト先はブラック企業」とのこと。残業代を十分に出してもらえないと憤る。

 経済大国と呼ばれるこの日本。しかし格差は広がり、ルールさえも無視されている。こんな国でいいのか!。いまそのことが真剣に問われている。

(「しんぶん小金井」2016年7月3日付から)

寿命

 もうダメでしょうか。あと何日、もつでしょうか・・・。私は必死に懇願する。しかしその人は冷たく私を突き放した。「もう、あきませんね。諦めてください」。

 私といつも行動をともにしてきた相棒が、いま息を引き取ろうとしている。寿命といえばそれまでである。しかし、こんなにもあっさりとその日がやってくるとは思いもしなかった。

 異変に気付いたのは3日前のことである。いつものような快活さがない。やっとのおもいで貫井の坂をのぼる。しかし、いまにも息が途絶えそう。

 以前にも、同じようなことはあった。けれども2〜3日もすれば調子を取り戻し、私の呼びかけに根気よく応えてくれていた。しかし、今回は違った。いつ途絶えてもおかしくない気配を漂わせている。

 異変に気付いた3日前の6月22日は、親父の命日である。福井の実家から急を告げる電話が鳴った8年前のことを、いまでもはっきりと覚えている。一睡もせずに新幹線に飛び乗り駆け付けたときには、白い布が顔にかぶせられていた。同じ6月22日。これは運命なのかもしれない。

 こいつに出会ったのは、22年前の1月。市議会議員になった翌年である。以来、今日まで私と行動をともにし、雨の日も雪の日も、灼熱の真夏であっても、私の傍らにはいつもこいつがいた。だから、もう少し、あと少しだけでも、こいつには頑張ってもらいたいのである。しかし、油まみれの服を着たその人は無表情に言う。「ムリですね」。そこをなんとか・・・と、私はすがる。しかしその人は言う。「どうにもならんのは、ならんのです。よく、ここまで走ったものですよ」。

 さまざまな手続きや整備費含めて17万円近くかかるという。おこづかいが、あまりないんです・・・と訴えたが、まけてはもらえなかった。今度もホンダのカブを選んだ。新車だと24万円くらいするらしい。運良く店先にはホンダカブの中古の原付が飾られており、金額がほとんど違わないスクーターの新車には目もくれず、「これをください」と即答した。2週間ほどで私の手元に届くという。あとは、カネをカミさんからいかに出させるかである。  

(2016年6月25日付)

細身はつらいよ

 夏へと近づいてきた。東京の夏は蒸し暑く、窓を開けても生ぬるい風が吹くのみで、とても眠れたものではない。扇風機は熱風をかき回し、頼りのエアコンは、細身の身体には厳しすぎる。かくして寝不足のまま、朝を迎えるのが常である。よく言われる。「板倉さん、身体が細いから夏場は強いでしょ?」。・・・とんでもない。細身の実態を知らない人の、いかに多いことか。

 七輪というのを御存知だろうか。炭火や豆炭を中に入れ、その上に網を置いて、魚などを焼いたり煮たりする土製のコンロのことを。この七輪の網に置かれたスルメを想像していただきたい。スルメは熱で焼かれて反り返り、やがて丸くなる。あの光景に、細身の身体は実に似ている。端的に言えば、干からびるのである。

 一方、冬も細身の身体には酷である。冷気がじかに骨に突き刺さる。肉という緩衝帯が薄いことから、保温力に乏しい。必然的に動きが鈍くなる。冬も夏も、細身はつらいのである。

 夏場に入ると、私の寝る場所が変わる。それまでの寝場所は灼熱地獄となるので、エアコンのある場所に移る。しかしそこには先住民がおり、エアコンをガンガンに効かしている。その先住民は緩衝帯を十分に備えた肉体を持つことから、平気な顔つきでエアコンがフル稼働する部屋で爆睡する。一方、緩衝帯が薄い私は震え上がり、エアコンのスイッチを切る。それも束の間。エアコンが作動していないことを察知した先住民は、やおら起き上がりスイッチを入れる。夏場になると我が家では、新住民と先住民のエアコン争奪戦が毎晩、展開されるのである。

 干からびるわけにはいかない。だからやむを得ず、細身の身体を水分で充たすために、今夜も泡の出るものを手にする。しかし、緩衝帯が十分に備わっている先住民は、私の手にした泡の出るものをいぶかしげに睨む。私は訴える。「飲みたいから飲むわけではない。精気を養うために、やむを得ず飲んでいるのだ!」。すると先住民は言う。「だったら、泡が出るものでなくてもいいのでは」。気がつけば冷蔵庫には、ビールの味がするビールとは似て非なる「オールフリー」なるものが置かれていた。明日からは、これを手にしなければならない雰囲気が部屋中に漂う。

 高校を卒業して39年余。この間、体重は7〜8キロほどしか増えていない。一方、先住民は横に広がる一方である。ある晩、見なくてもよい光景を見てしまった。風呂上がりの先住民の湯気の立つ背中である。そこで浮かんだ次の一句。「風呂上がり、妻の背中は、土俵入り」。引退した朝青龍の背中を見る思いである。

(2016年6月21日付)

舛添都知事の感覚

 弁護士は依頼主の求めに応じ、依頼主の側に立って仕事に励む。だから、依頼主の不利益になることは表に出ないように最大限努力をする。しかし、舛添都知事はそうは思わないらしい。

 ホテル宿泊代や回転寿司での飲食費、美術品購入費など、政治資金の私的流用を追及された舛添都知事は、自身が雇った弁護士に使途の是非を調査してもらうと述べ、調査結果が出るまではコメントは控えると言う。都民は納得するわけがない。これのどこが「第三者の公正で厳しい目で調査」だというのか!。

 政務活動費というものがある。兵庫県議の号泣会見で有名になったが、小金井市議会でも各会派に支給されている。年度末には出納簿や領収証の提出が求められ、細部にわたってチェックを受ける。公金である以上、一点の曇りも許されないからである。しかし、舛添都知事にはその感覚が失せている。このような人物が首都東京の「顔」であることが嘆かわしい。

(「しんぶん小金井」2016年6月5日付から)

活断層

 余震が続く九州北部は、断層帯が幾重にも伸びている。全国で2000以上存在する活断層を、今回ほど意識したことはないのではないだろうか。

 都内では唯一「立川断層帯」の存在が認められており、熊本地震以降、「大丈夫なのか。小金井市にどれくらいの影響が出るのか」の質問が寄せられるようになった。

 東京都のホームページによると、立川断層帯は5000年程度の間隔で活動し、直近では「1400年前から1800年前あたりに活動したと考えられている」と記す。そのうえで「近い将来に動く可能性は小さいと考えられます」と述べている。

 しかし相手は「自然」。いつキバをむくかはわからない。日常的な備えと住宅の耐震化は不可欠である。

 「6施設複合化」で先が見えない市庁舎建設。小金井市の災害対策本部機能がある築50年の市役所本庁舎は、未耐震のままである。

(「しんぶん小金井」2016年5月1日付から)

  ※PDFファイルで「小金井市の備蓄と消防水利等の状況」掲載

立川断層帯と小金井市の被害想定

 4月14日夜に発生した熊本地震は、16日未明にマグニチュード7.3の「本震」を引き起こし、いまなお震度4以上の余震が断続的に続いている。東日本大震災の記憶はいまなお深く刻まれ、一カ月前にはテレビや新聞紙上で「大震災から5年」の報道企画が展開されていた矢先のことである。

 14日の夜、私は娘と我が家にいた。9時前に東京23区内を震源地とする震度2程度の直下地震があり、「東京都での地震はひさしぶり」と言いながら、NHKのニュース番組を見ていた。

 9時30分になろうかという時である。 テレビでいきなり緊急地震速報が流れた。画面の3分の1くらいの大きさで九州の地図が現れ、やがて赤丸で「7」が点滅した。脳裏によぎったのは阪神淡路大震災と東日本大震災の光景である。震源地は熊本。NHKはそのまま地震報道に移行した。他のテレビ局はどうかと片っ端からチャンネルを切り換える。通常の番組を放映しながら、画面の隅っこに九州の地震状況を伝えるカコミがあるくらいであった。まさかあのような被害が起きていようとは、テレビ局の多くが考えていなかったのであろう。しかし、現地からの情報が刻々と入ってくるなかで、BS以外は地震報道に切り換わっていった。

 今回の地震でなによりも怖いのは、「直下型」ということと「震源地が活断層に沿って動いている」ということである。九州北部を斜めに走る断層帯がすべての箇所において震源地になっていくという恐ろしさである。震度5前後が断続的に直下地震となって人々や建物を突き上げる。耐震性があるとされる建物でも、これだけ直下型が襲えば壊れていくのは当然であろう。被災地の人々の恐怖ははかり知れない。

 食糧や水、着替え用の下着、アレルギー対応の食べものなどが不足しているという。この国は何回地震を経験しなければ、被災地救援の教訓・経験を活かすことができないというのであろうか。地元からの悲痛な声に、この国の対応の未熟さへの怒りを覚える。

 「活断層」が今回の地震では注目を集めている。全国無数に活断層があるというが、東京ではどうであろうか。東京都のホームページによると、立川市内を縦断する「立川断層帯」が現時点では、明らかとなっているという。

 小金井市から西に7キロ程度の所を南北に走る「立川断層帯」。5千年間隔で活動を繰り返し、直近では1400年ほど前に活断層が動いたという。一方で政府の中央防災会議は「首都直下地震は30年以内に70%の確率でやってくる」と述べる。今回の熊本地震は、直下型地震の怖さと活断層の恐ろしさをまざまざと見せつけるものとなっている。

  ※PDFファイルで「立川断層帯と小金井市の被害想定」を掲載します

(2016年4月22日付)

生活困窮に追い込む経済大国・日本

 経済大国と呼ばれる日本。しかしその現実は、多くの生活困窮者をフトコロに抱き、いまはなんとか暮らしていても、いつなんどき生活困窮者に陥るかはわからない数多くの民を抱えている。

 最近、私に相談されてきた高齢の女性は、昨年秋、おつれあいが重い病気にかかり、いまでは介護度5、寝たきり状態となり、日常生活を自身では送れずに全介助状態となっている。自宅に戻ってきても全介助では対応しきれず、施設から施設へと渡り歩かなければならない。しかし受入れ施設が見つからずに、退院期限を迎えても、病院に居続けざるをえない状況となっている。

 頼みの綱の特別養護老人ホームや老健施設、療養型病床施設は満室状態。特養ホームにいたっては、入所待機者であふれている。運良く入所できても、介護保険制度の改悪で負担は増える一方。高齢のその女性は連日のように入院先を訪問し、ケアマネージャーと相談しながらの不安な日々を送っている。

 生活費も深刻となっている。この家は高齢夫婦世帯。子どもは結婚や諸事情で別居している。生活費の糧は、おつれあいの厚生年金と高齢女性のわずかばかりの国民年金。収入の中心をになっていた厚生年金は、おつれあいの入院費に充てられ、手元にはその残額と国民年金のみである。しかし、特別養護老人ホームや老健施設に入所すると、厚生年金が一定額をほんのすこし超えているからとの理由で、介護保険の利用料は2割負担になる。とたんに生活費に充てる年金が底を突き、生活ができなくなってしまう。「どうすればいいでしょうか」と、その女性は不安いっぱいに訴える。世帯分離を行ない、生活保護を受けるしかないというのが結論であるが、このようなケースは多いのではないだろうか。

 その女性は、まさか自身が生活保護の該当者になるとは、夢にも思っていなかったに違いない。おつれあいが病気にならなければ、それ相応の日常生活を送り、たまには旅行に行くことだってできたはずである。しかし、日本の政治はそれを許さない。ひとたび家族のだれかが倒れれば、とたんに生活困窮状態にひきづりこむのが、経済大国と呼ばれるこの国の現実である。

 この春、社会人となった息子が私に問う。「お父さんの給料だけでは、オレやモエを大学へ入れることはできなかったのか」。私は答える。「お父さんも、お母さんも、病気や怪我をせずに健康で働けているから、2人を私立の大学に入れることができた。けれども、どちらかが病気になっていたら、それはできなかっただろう」。きっと、みなさんのご家庭も同じなのではないだろうか。

 先程の高齢女性から相談を受ける半月程前に、この春、地方から上京してきた18歳の娘さんから相談が持ち込まれた。小金井市内の専門学校でこの春から学ぶ予定だが、奨学金が支給されるまでの当座の生活費がない、どうしたらよいか、というものである。

 母親と弟の3人家族。母親と弟は地方の低所得者向け住宅で生活保護を受けながら暮らしており、到底、援助してもらえる状況ではない。専門学校の寮に入居し、無利子と有利子の両方の奨学金を受けることができたので、寮費と入学金、授業料を月々の奨学金でまかない、日常生活費も奨学金の残額でなんとか対応できるという。しかし、最初の奨学金が支給されるのは5月の下旬。寮費、入学金、授業料は支払い延期願いの申請を学校に行ない、奨学金が支給されてから上乗せで支払っていくことになるが、5月下旬までの生活費が手元にはないという。小金井市役所や社会福祉協議会と掛け合い、とりあえず4月はやりくりできることになったが、5月はこれから検討せざるをえない状況である。

 なぜ、この専門学校に入ることにしたのか?。娘さんは言う「CDやビデオをつくる仕事に就きたい。インターネットで調べたら、東京の小金井市というところに、そのことを学べる専門学校があることがわかった。小さいときから私の家は生活保護だった。でも、私は自分の力で生活できるようになりたい。だから、無利子の奨学金が受けられるように、高校時代は一所懸命勉強した」。けなげで前向きな生き方である。市役所の地域福祉課から袋いっぱいの乾パンをもらってよろこぶ姿を見ると、なんとかこの娘さんを専門学校で学び続けられるようにしてあげたいと、願わずにはいられない。

 奨学金を限度額いっぱいまで借りるという。無事に専門学校を卒業し、希望する仕事に就けたとしても、一生かかって返済せざるをえないくらいの奨学金の借金を背負うことになるのではないだろうか。一人親家庭に育ち、生活保護世帯のなかで多感な時期をおくってきた娘さんが夢見たものは、自分のやりたい仕事に就き、自分の足で社会に立つことであったろう。しかし社会へ巣立ったとたん、背中にはズシリと借金を背負うのである。「負の連鎖」という言葉がある。日本社会の現実は、連鎖を断ち切る仕組みをもっていないように思う。これが「経済大国・日本」の政治の実態である。こんな社会の仕組みは、なんとしても変えなければならないと、切に思う。

 目前に参院選挙が待ち構えている。企業や団体から一円もお金を受け取らず、国からの政党助成金も一切受け取らない日本共産党が伸びてこそ、「負の連鎖」を断ち切る確かな力になると、私は確信する。

(2016年4月14日付)

明日は我が身

写真 今年の桜は愛でるゆとりがなく、気がつけば桜吹雪が舞い、地面に花びらを敷きつめる頃となった。近所の野川では去りゆく桜を惜しむように、多くの人が散歩に興じ、カメラにおさめる光景があちこちで見られる。

 地面に落ちた花びらは、道路脇の排水口へと花びらの道をつくっている。昨日降った雨が下水道へと導いたのであろう。薄いピンクの細い道が夕日に照らされ、桜の季節の終わりを寂しげに告げていた。

 排水口に群がる花びらを見ていると、どうしても我が家の風呂場を思い出す。身体を洗い、髭をそり、シャンプーをして、湯船にどっぷりとつかり、風呂上がりのビールにわくわくしながら、さっそうと湯船を立ち上がる・・・。

 ふと目に止まる風呂場の排水口。なんと、黒々とした髪の毛が群がっているではないか。あ!、あれは私の分身、貴重な髪の毛!。恐る恐る覗き込む目の前の鏡。気のせいか、前髪の生えぎわが上の方へと移動しているような・・・。他の部分はどうか。手鏡を取り寄せ、頭のすみずみを丹念にチェック。

 この歳になると、もしかしたら私も?と不安になる。議場の席から見渡す景色のなかには、見事なまでに光り輝く人もおれば、天井部分が薄くなっている人もいる。多くが、私と同年代である。私の父親は光り輝かずに白く変化していったが、だからといって、その子どもも同じ道を歩むとは言い切れぬ。突然変異もないとは言えないのである。

 桜吹雪の頃になると、風呂場の排水口に群がる髪の毛を想起するのは私だけであろうか。それとも、そのことを気にする歳になったということであろうか。手鏡を取り寄せ頭のすみずみをチェックした結果は、とりあえずは「セーフ」であった。しかし、油断はできない。排水口の花びらの光景は、「明日は我が身」の警鐘である。

(2016年4月8日付)

桜咲く?

 土・日の小金井市の桜まつりに合わせるかのように、春分の日を皮切りに花開いた市内の桜が満開を迎えようとしている。

 市内では小金井公園が名所で知られているが、玉川上水や野川も趣があり、坂下地域に住む私はまずは貫井南地域のソメイヨシノを、4月中旬には前原地域のしだれ桜に心を奪われる。車や人混みを避けたい人には多磨墓地をおすすめしたい。著名人の名前を横目に愛でる桜は風情がある。

 入学や就職を迎えた人は文字通り「桜咲く」。我が息子も社会人となり、新たな道を歩みはじめる。

 小金井市政は「桜咲く」にはほど遠く、「6施設複合化」方針で蕾を固く閉ざしたまま。福祉会館の建て替えにいたっては、いつ花開くかもまったく見えず。代替施設もないままに、3月末に閉館を迎えた。

 「対話」を掲げる新市長。「対話」をせずに議会を終えた。

(「しんぶん小金井」2016年4月3日付から)

大震災から5年

 「あの日」から5年が経とうとしている。くしくも同じ金曜日。3・11の声を聞くたびに、「あの日」を昨日のことのように思いだす。

 被災地では「復興」の名のもとに大型事業がおしすすめられ、地域のつながりが次々と消えていく。収束のメドさえ見えない原発事故は、いまだに避難生活を余儀なくさせ、震災関連死も後を絶たない。なのに政府は、原発の再稼働を次々とうちだしている。

 再稼働させたばかりの福井県・高浜原発4号機が3日後に緊急停止した。「過電流」が原因だという。冷却水漏れに続くトラブルである。なのに原子力規制委員会は、1、2号機の「基準適合」を了承。1月末に再稼働させた3号機含めて、高浜原発はすべてが再稼働の道を歩むことになる。

 「あの日」以降、全国で節電の取り組みがすすめられた。「計画停電」という名の節電も。なのに今は「節電」の言葉すら聞かれない。原発再稼働を行なわせるかのように。

(「しんぶん小金井」2016年3月6日付から)

『対話』の公約は重い

 「基本は対話、市民との対話、議会との対話を大切にすること」 ―――これは「市報」に掲載された西岡市長の言葉。しかし実際はどうであろうか。

 前市長が強行した学童保育所の委託化で問題が生じ、受託事業者が1年で撤退する事態に。なのに、なぜ問題が起きたのか、委託自体がどうだったのかなどの検証がされずに、別の事業者に委託替えしようとする。しかも保護者の理解を得ないなかで。

 市民は自民・公明市政からの転換を求め、新たな市政を誕生させた。しかし、旧態依然であれば転換させた意味は失せ、失望と怒りを生み出す。西岡市長は、このような事態を望むとでもいうのであろうか。

 8日には、福祉会館建替え問題での市議会全員協議会が開かれる。新たな福祉会館はいつ誕生するのか、財源の裏付けはあるのか、市長の方策で可能なのかなど、市民の関心は高い。

 「対話」の公約は重い。西岡市長は前市長とどう違うのかが問われている。

(「しんぶん小金井」2016年2月7日付から)

雪に悲鳴をあげる都会

 18日(月)未明に降り出した雪は、朝には雨に変わった。しかし小金井市内でも10cmほどの雪を積もらせ、どの鉄道路線でも電車は大幅遅れ。乗り切れない乗客は駅構内はもとより、駅入口にもあふれ出た。電車が遅れることを危ぶんだ娘は、いつもよりも1時間早く家を出る。しかし駅に着くと駅構内は人・人・人。寒い中、電車に乗るのに1時間も待ったと憤る。

 鉄道事業者は、電車の追突事故を防ぐために電車の間引き運転と徐行運転を行なったという。しかし、乗客にすれば「なんとかならないのか」と文句を言いたくもなる。我が郷里・福井では、一晩で50〜60cmの積雪はザラである。電車の本数や乗客数は到底比較にならないが、50〜60cmの積雪であっても遅れを出さないようにふんばっている。

 素人目に思うのは、除雪車両の導入やレールに電気を流して融雪する仕組みはとれないのかということ。「年に1〜2度のために設備導入はできない」との答えが返ってくるかもしれない。たしかにそうではあろう。しかし、社会的な影響や経済的損失の面から考えるならば、国が補助してでもすべての路線に導入すべきではないかと思う。

 小金井市議会も雪の直撃を受けた。この日、市議会の資源循環型社会推進調査特別委員会は宿泊を伴う視察が組まれており、一行は早朝、武蔵小金井駅の改札口前に集合。しかしすでに駅構内は人であふれ、中央線に乗るまでに1時間待つ事態となった。ようやく電車に乗ったものの、のろのろ運転。東京駅には当初の計画よりも2時間近く遅れて到着。指定席を確保していた新幹線には間に合わず、「のぞみ」の自由席になだれこむ。幸いにして全員が座ることができ、予定していた午後2時からの視察を4時からに変更してもらって、なんとか任務を果たすことができた。しかしこの一件で、特別委員会の前途を危ぶむ声もちらりほらり・・・。

 19日(火)は一転、快晴となった。ところどころに凍った雪塊がこびりつく道をバイクで走る。表通りや幹線道路は車両の通行が多く、太陽の日差しもあたることから、路面に雪は残っておらず乾いている。しかしひとたび脇の道や路地の通りに入ると雪が路面を覆い、バイクのタイヤが滑りはじめる。路地によっては路面にほとんど雪が残っていない箇所もあることから、除雪の体力のある地域と、除雪の体力のない地域があることに気付く。少子高齢化の波は都心に近い小金井市にも、ひたひたと押し寄せている。

(2016年1月19日付)

今年は申年

 例年になく暖かい新年を迎えた。3日続けて15℃以上になったのは、1979年以来とのこと。細身の身体には実にありがたいものである。

 届いた年賀状には、今年を「戦争法廃止の国民連合政府樹立の年に」と願うものがいくつも見られた。7月の参院選は文字通り、歴史的な選挙戦にしていかなければならない。

 そのためには、教科書に登場するようなセリフではなく、自分の言葉で、生きた言葉で、日本共産党が目指している道をいかに多くの人に伝えて行けるかがカギとなる。この文書も、そんな思いで私は記している。

 今年は申年。年賀状では「見ざる、言わざる、聞かざる」を模した猿のイラストを載せているものもあったが、それでは安倍首相の思うつぼ。真正面から「見る、言う、聞く」にならなければ、暴走政治を断ち切ることはできない。

 これから寒くなるという。熱き戦いで暮らしに春を呼び込もう。

(「しんぶん小金井」2016年1月10日付から)

2016年の正月

 年末年始を今年も東京で過ごした。カミさんは仕事納めの翌日から実家へ、息子は30日にサークルの宿泊行事から帰宅すると、翌日にはカミさんの実家へ、娘は初日の出を外出先で迎えた翌日にカミさんの実家へと出かけていった。つまり、私だけが東京に置き去りにされたのである。

 「一人はいいぞ。朝から夜中まで、酒飲みながらテレビを見ても、誰からも怒られない。至福の時じゃ」と弟にはメールしたものの、年末は大掃除と洗濯、加えて正月の食料の買い出しに追われ、せっかく買ったビールも手つかず状態。テレビを見る暇もないほどに家の中はホコリまみれであった。

 東京の年末年始は、おだやかな好天に恵まれた。会う人会う人が「暖かいですね」「よい天気ですね」と声をかけあっている。何年も正月を東京で迎えている私の記憶のなかでも、今回の年末年始ほど、過ごしやすい陽気はなかったように思われる。このまま暖冬でいくのか、はたまた、寒気到来で震え上がらせるのか、正念場の2月に注目したいところである。いずれにしても、まことに過ごしやすい。おかげさまで洗濯物が良く乾く。布団まで干してしまった。ありがたいことである。

 正月三が日ともに家にいるのはチト退屈である。仕事や掃除は年末のうちにほぼ終えているので、洗濯と食事の用意以外は基本的にやることがなく、正真正銘「朝から夜中まで、酒飲みながらテレビを見ても、誰からも怒られない」日々になるわけではあるが、しかしこれが意外と退屈なのである。なによりも、興味あるテレビ番組が少ない。加えて、酒を飲むと寝てしまうのである。鬼がいないせっかくの三が日、しかも抜群の陽気。昼間から寝てしまうことほどもったいないことはない。ということで、今年も元旦の翌日にぶらぶらと両国から浅草方面へと出向いた。

 正月を迎えると年賀状が届く。今年も旧友から忘れ去られることなく届いたが、通り一遍の時候あいさつで筆を置くものも見受けられ、物足りなさをそこには感じる。年に一度のあいさつであれば、少なくとも近況くらいは記してもらいたいのである。せめて「腹がでた」とか「禿げた」とか、「細かい文字が見えなくなった」とか「カミさんに捨てられた」とか。そうすれば「おぉ・・・、おぬしも苦労しているのぅ」と過ぎた月日を思い出し、感慨深げになるのである。年賀状とはそうあるべきではないだろうか。

 さて、今年の私の年賀状を以下に紹介するが、年賀状を受け取った知人からは「真ん中の男性は、板倉さんのお父さんですか」の質問が寄せられた。文中に「楢葉町の早川住職」を入れておいたのだが、丁寧さを欠いたと反省している。また、その知人は「右端の女性は娘さんですか」などとも聞いてきた。その段階ではっきりしたのは、「この知人は眼鏡をかけるべきだ」ということである。この点では、文章上の反省などありえない。

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私が知人に送った年賀状

■5月と10月に福島の浜通りを訪問。収束のメド見えぬ被災地に呆然と立ち尽くす。「若者が帰還しないこの町はいずれ消えゆく」。楢葉町の早川住職の言葉が重くのしかかる。川内原発、高浜原発の再稼働の動きに、強い怒りを覚える。戦争法強行の安倍内閣は即刻倒すべし。
■12月の市長選挙は「くらしにこそ目を向けてほしい」の市民の願いが、自民・公明市政に終止符を打つ。新市長には、くらしの実態に即した市政運営を強く望む。
■大学4年の息子は今春から社会人。ジャーナリストの卵となって親元を離れゆく。春には大学3年となる娘は学業よりも遊びに夢中。福祉の仕事を目指すというが、労多く幸薄いブラック業種ではちと不安。
■議員の仕事と地域の活動で走り回り、気がつけば56歳。鏡に映し出された姿は、どこから見ても中年そのもの。子どもに相手にされずカミさんも近寄らず。しかし捨てられては大変と、今日もスーパーで夕飯の支度。置き去りにされた家の片隅で、一人ポツンと賀状をつくる。

(2016年1月4日付)

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