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エッセイ(随想)



憂う東京人(2020年8月6日付)
第二波(2020年7月25日付)
遠い郷里(「しんぶん小金井」2020年7月26日付から)
最後まで戦ってこそ(「しんぶん小金井」2020年7月5日付から)
アベノマスク(2020年6月15日付から)
迫る都知事選挙(「しんぶん小金井」2020年6月14日付から)
医療・介護の拡充を(「しんぶん小金井」2020年5月24日付から)
大丈夫か?(2020年5月13日付)
ステイホーム(2020年5月6日付)
資源回収にもコロナの影響が(「しんぶん小金井」2020年4月26日付から)
コープとうきょう近くのお姉さま(2020年4月21日付)
念仏坂(2020年4月20日付)
地域のコミュニティ確保できず(2020年4月17日付)
危機意識(2020年4月12日付から)
後継者不足(2020年4月7日付から)
去りゆく君へ(2020年4月4日付から)
自重のとき(「しんぶん小金井」2020年4月5日付から)
新型コロナウイルス その2(「しんぶん小金井」2020年3月15日付から)
新型コロナウイルス(「しんぶん小金井」2020年2月23日付から)
零下2.5℃(2020年2月8日付)
確かな春を(「しんぶん小金井」2020年2月2日付から)
2020年も走る年に(「しんぶん小金井」2020年1月12日付から)
義母(2020年1月12日付)
暮らしにこそ光を(「しんぶん小金井」2019年12月15日付から)
いまこそ「森戸よう子」へ(「しんぶん小金井」2019年11月17日付から)
台風19号(2019年10月20日付)
台風19号が東京直撃(2019年10月13日付)
台風停電(「しんぶん小金井」2019年9月22日付から)
還暦を迎えてから(2019年9月10日付)
今年も猛暑(2019年8月11日付)
参院選挙(2019年7月21日付)
年金だけでは不足(2019年6月23日付)
消費税増税やめよ(2019年5月19日付)
青森紀行(2019年5月9日付)
10連休(2019年4月28日付)
身体の異変(2019年3月28日付)
膨らむ蕾(2019年3月24日付)
南中学校卒業式(2019年3月20日付)
還暦(2019年2月24日付)
もう一度来たくなる街(2019年1月30日付)
5年後の市内小中学校現場(2019年1月27日付)
2019年の年賀状(2019年1月13日付)
義父の四十九日法要(2019年1月8日付)

憂う東京人

 憧れの花の都・東京に仕事と住まいを得て43年余。周囲から見れば、まぎれもない東京人なのかもしれない。しかし頭の片隅では、幼き頃より仰ぎ見た山河が消えることなく映し出され、なにかにつけて心のよりどころとなっているのが、ほかならぬ郷里である。その郷里がいま、はるか遠くへ追いやられている。

 「帰省を予定している人は慎重に判断してほしい」「県をまたぐ移動はご遠慮願いたい」。言っていることは理解できる。けれどもその言葉を受けて、どれだけの人が悩み、もがいていることか。

 「お父さん。うちは、おばあちゃんちへ行かないほうがいいみたい」。義母のもとへ一緒に行くことになっていた娘から電話が入る。感染しても無症状もしくは軽症と指摘される世代の葛藤である。お父さんやお母さんは、向こうへ行くの?。夏休みを共に過ごそうと考えていた娘が、恐る恐る聞いてくる。

 高齢の母親を一人で郷里に置いているカミさんは、行くか、行くまいか、振り子のように揺れ動く。盆に行くことができなければ、今年いっぱい、もしかするとあと1年くらいは行けないのではないか。もしもそのあいだに何かあったら‥‥。政府は言う「帰省をやめてくださいというものではない」。郷里をもつ東京人には「行くな」としか聞こえては来ない。

 5月の連休は、緊急事態宣言の真っ只中。「外出自粛」が叫ばれ、県をまたぐどころか、隣町でさえも人目をしのんで行くほどに。そこへきて今度は「帰省の自粛」。東京を除外したとはいえ、GoToトラベルはなぜ認められるのか。そこにも、東京人の複雑な思いがある。

 「大丈夫だよ。お父さんは、あんたを置いては行かないから」。電話の向こうで、娘のホットした顔が見える。花の都・東京は、多くの若者の憧れの地。その東京がいま、日本中から憂いの対象とされている。

(2020年8月6日付)

第二波

写真
変ですか?

 あっさりと300人の壁を超えた東京都。150人に迫る過去最悪の感染者数を確認した大阪府。それ以外の地域でも、緊急事態宣言時を上回る感染者数をはじきだしている。医療従事者など関係者からは「第二波」の声が聞かれはじめているのに、この国の指導者は、どこ吹く風の知らぬ顔。「経済優先」ありきで、「GoToトラベルキャンペーン」は、東京都を外しただけで前倒しスタート。「感染拡大キャンペーン」と揶揄されるのは当然である。

 緊急事態宣言が発令されていた時は、国民の中に強い緊張感があった。外出を控え、テレワークも積極的に行なわれていた。しかし、いまはどうか。過去最悪の感染者数を示しているにもかかわらず、通勤電車は満員。渋谷や新宿に多くの人々が集まっている。

 小池都知事は言う。「PCR検査数が増加しているから、感染者数も増えている」。安倍首相も輪をかけて言う。「緊急事態宣言時とは異なり、医療体制は逼迫していない」。この言葉が人々から緊張感を失わせているのではないだろうか。医療体制が逼迫してからでは遅い。感染爆発が起きてしまってからでは遅い。早急に感染防止の手立てを打たなければ、この国は大変なことになる。しかし国や東京都の指導者からは、従来どおりの「3密を避ける」程度の言葉しか聞かれては来ない。

 重症化しやすい年齢層は「60歳以上」というパネルが、どの場面でも登場するようになった。61歳の私は、その年齢層に入っているということになる。とにかく困るのは、ウイルスがどこに存在しているのか、皆目つかめないということにある。だから、多くの人が集まる場所は極力避け、電車に乗らなければこなせない用事はできるだけ遠慮するというあたりが、いまできる最大の防御である。

 「いや〜ぁ、板倉さんはコロナに一番強いよ」と、同じ年齢の公明党の宮下誠議員が言う。何を根拠にそんなことが言えるのだろうか。たしかに、同じ年齢層の男性よりは腹の出っ張りは目立たないし、髪の毛も多い方である。人よりも、少しばかりは男前だとも思う。しかし、首や腰に痛みが走り、細かい文字は見えづらくなった。耳も、自分の都合のよいことしか聞こえないようになっている。歳相応に、身体は傷んできているのである。コロナにかかったら、間違いなくイチコロである。

 感染者の人数に、私たちはマヒしてきているのではないだろうか。緊急事態宣言の最中は、東京都の200人という数字を聞いただけで飛び上がるほどに驚き、家から外に出ることすら慎重になっていたはずである。その人数が、早々に200人以上になり、ついには300人の後半へ。「感染しない、させない行動を」と言いながらも、平然と人前に出ているのではないだろうか。私たちは、感染者の人数に大いに驚くべきである。

 小池都知事が「4連休は、できるだけ外出を控えて」と述べたが、当然であろう。東京都の医療体制は、すでに危機的な状況になろうとしているのである。

 またしても「自粛太り」になるのだろうか。コロナ感染への不安とともに、その点も気になるところである。

(2020年7月25日付)

遠い郷里

 懸念されていたことが起きはじめている。緊急事態宣言が解除され、人の往来が増すなかで、東京の新規感染者数が増加。一日あたり300人に届こうとしている。PCR検査数を増やしたからだと小池都知事は述べるが、落ち着いて聞ける数値ではない。

 感染に不安を持つ全ての人が、安価な費用で検査を受けられる体制を確立し、感染防止に本腰を入れていかなければ、深刻な事態を迎えることになる。しかし政府の姿勢からは、危機意識は見えて来ない。

 GoToトラベルにしがみつく政府。この時期になぜ?。なぜ東京だけ除外?。打撃を受けた観光業に直接財政支援を行なってこそ、感染拡大防止のうえからも有効だと私は思う。

 8月のお盆が近づいてきた。親父の13回忌が取りやめとなり、久しく墓参りもしていない。だが、この東京から出向いて良いのか。周囲の人々はどう思うのか。

 5時間で着く郷里・越前が、これほど遠く感じたことはない。

(「しんぶん小金井」2020年7月26日付から)

最後まで戦ってこそ

 感染者数が増えてきた。「経済活動を再開するなかでは避けることができない」と専門家が言う。そうであるならば、感染対策は万全にすべきである。

 ところが、感染症対応の拠点となっている多摩医療総合センター(旧都立府中病院)は、現都知事のもとで独立採算制を強いる独立行政法人化の対象に。「行革」の名で再編統合されてきた小金井市など6市を管轄する府中保健所は、103三万人もの人口を擁することから電話さえもつながりにくい状況に置かれている。

 第2波、第3波は避けられず、ウイルスとの共存は続くという。ならば医療機関や保健所の体制充実は急務である。それを行なうのが政治の役割ではないだろうか。

 東京都の年間予算は、スウェーデンの国家予算に匹敵する。駅前開発や道路建設よりも、暮らし・営業・福祉にこそ財源を集中すべきである。最後まで戦ってこそ、そのことを実行しうる東京都へと変えることができる。

(「しんぶん小金井」2020年7月5日付から)

アベノマスク

写真 共産党を熱烈に支持している我が家にも、安倍首相からマスクが届けられた。巷では「アベノマスク」と呼んでいるらしい。同封のお手紙には、「使い捨てではなく、洗剤を使って洗うことで、何度も再利用可能」と記されている。ならばありがたいはずなのに、何故か利用している人は、極めて少ない。

 そもそもタイミングが悪い。お手紙には「現下の情勢を踏まえ、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出されました」と明記しているが、我が家に届いたのは緊急事態宣言が解除された5月25日の当日。アベノマスクに頼らなくとも、店頭にはマスクが次々に出現し、お手製のマスクも相当数、見られるのである。

 しかもアベノマスクは布製。多くの人が利用している不織布マスクよりも目が荒く、ウイルス遮断の効果は弱いと専門家が異口同音に述べている。それだけではない。日曜日の昼の民放番組で感染症の専門家は、こう述べた。「(アベノマスクは)小さなお子さんやお年寄りは付けないようにしてほしい」。なぜなら、「布製のため、窒息する恐れがあるから」。生放送である。アベノマスクの危険性が全国に知れ渡った。

 カミさんと一緒にテレビを見ていた私は、おもわず叫んだ。「コロナで死ぬ前に、アベノマスクで窒息して死んでしまったら、目も当てられない」。コロナの上をゆく、恐るべきアベノマスクである。

 6月1日から小金井市議会が始まった。部局側も議員側も、アベノマスクを付けている人は見当たらない。自民党の議員も公明党の議員も、別のマスクを付けている。恐るべきアベノマスク。身内も、その危険性を認識しているのである。

 東京アラートが解除された翌日の6月12日(金)朝、2カ月余ぶりに駅頭宣伝を行なった。自粛が緩和されたとはいえ、駅を利用する人数は、ひところの7割程度のように思う。おおかたの人がマスクを着用し、大半は不織布マスクである。顔の半分がマスクで覆われ、目だけが異様に目立つ。

 そのマスク姿の中に、周囲のマスクとは明らかに大きさの異なる白いマスクが時折通る。形は、安倍首相の口元に付けられているものと同じである。小さい。とにかく小さい。このアベノマスクを付けている人数よりも、マスクを付けずに歩いている人の方が多いのも、気になるところではあるが。

 新しい生活様式なるものが喧伝され、マスクはいまや日常生活必需品と化した。マスク不足は解消され、値段もぐ〜んと下がってきた。だから、一定数のマスクを手元に置くことは可能になったのだが、この間の習性なのか、同じマスクを何日も使い回す状況から抜け出せずにいる。

 自分では「レモンの香り」を想像していた。しかし実態は違っていた。勇気を出して深呼吸をする。そしてゆっくりと吐き出す。まぎれもなく、それは「どくだみの匂い」である。自分の吐く息の匂いに気持ちが悪くなるのは、私だけであろうか。

 

(2020年6月15日付)

迫る都知事選挙

 12年前のリーマン・ショック時よりも経済状況は悪くなっているという。国や自治体あげて支援策を講じているが、非正規を中心に雇用は悪化の一途をたどっている。

 ところが、資本金10億円以上の大企業の貯め込み金(内部留保)は488兆円に達し、過去最大となっている。下請けや働く人を低賃金・長時間労働で使い捨てているからである。

 国や自治体の支援策は、いずれ限界を迎える。「大量の赤字国債のツケは、大増税となって国民に押し寄せるのでは」との声も囁かれる。

 政府は「コロナ後」の予算を組むという。しかし、中小企業や下請け、事業者が倒れれば、社会が立ち上がるのは容易ではない。溢れるほどの利益を貯め込んだ大企業にこそ、儲けに則した責任ある対応をとらせるべきではないだろうか。

 都知事選挙が目前に控えている。首都・東京でいま、くらしを守れるかどうかが問われている。力を合わせて闘うべし。

(「しんぶん小金井」2020年6月14日付から)

医療・介護の拡充を

 保健所が忙殺に追われている。新型コロナウイルスの感染が懸念される場合は、かかりつけ医に相談もしくは「保健所に設けられている窓口に相談を」となっているからである。

 かつて貫井北町に、国分寺市と小金井市を管轄する東京都の保健所が置かれていた。しかし「行革」の名で府中市内に移転し、石原都政時代にさらなる統廃合を強行。多摩府中保健所は、小金井市など6つの自治体を管轄する事態に至った。

 6つの自治体の合計人口は103万人。100万人余の住民を1箇所の保健所と1箇所の支所で対応。一方、23区は全ての区に保健所が置かれ、最も人口の多い92万人の世田谷区には保健所の他に支所が5箇所設けられている。それでも休みも取れない事態に置かれているのである。

 二波、三波は避けられないという。「行革」の名で命を粗末にする社会にしてはならない。いまこそ体制強化を。医療や介護の拡充を。声をあげなければ未来は築けない。

(「しんぶん小金井」2020年5月24日付から)

大丈夫か?

 大丈夫か?。不安を抱くのは私だけではないと思う。東京や大阪などの特定警戒区域を除き、緊急事態宣言が解除されるという。「気をゆるめずに」と政府や専門家は言うが、一カ月余におよぶ「自粛生活」を強いられてきた庶民にとって、「解除」は天からの声。ゴールデンウイーク明けからの人の流れが増加傾向にあるなかでの「解除」は、人の流れに拍車をかけるものとなる。新たな感染者が、またぞろ増加しはじめるのではないだろうか。

 そうは言っても商売がやっていけない。家賃も給料も払わないといけない。食べていかなければならない、と誰もが言うだろう。「自粛」を国民に求めておきながら、わずかばかりの給付金でやり過ごそうとする国のあり方に、現場から悲鳴が上がるのは当然である。大きな不安を抱きながらも、「解除」にすがるしかないのが庶民の現実である。

 「自粛生活」で、家の外に出る機会が減った。自宅で資料を読んだり作成したり、あるいはホームページの文書を考えたりと、私の日常は以前とは様変わりをした。それまでは外食もけっこう多かったが、「自粛」が求められるいまは食材を近くのスーパーで購入し、自宅で調理するようになってきた。蓄えていた産直米の減るスピードがすいぶんと早く、これにテレワーク中のカミさんが加わる。調理内容にあれこれ注文が入る分、なにかと面倒である。

 大丈夫か?。またしてもぷっくりとしてきた。5カ月目とまではいかないまでも、目立つことしかり。それを見たカミさんが笑う。「自粛太りだ」と。けれども言いたい。家のなかでは1年余、一滴も酒を口に運んではいない。腹一杯食べたいと脳味噌が訴えていても8分目くらいにじっと我慢し、大好きな煎餅も極力控えている。なのに数値は2キログラム超過だと指摘するのである。

 なにをすれば良いのか。散歩?。ジョギング?。体操?‥‥この暑いのに?。以前のように、駆けずり回る日常に早くなってほしいと切に願う。

 新型コロナには気をゆるめることなく対処すべし。またしても感染者増加では先がまったく見えなくなるどころか、「自粛太り」でいっそう悲惨な事態に我が腹は至ってしまうであろう。

(2020年5月13日付)

ステイホーム

写真

 政府が叫ぶ。「連休中はステイホームを」。事業所によっては12連休にもなるというゴールデンウイークを、在宅で過ごせというのである。叫ぶ側は国会や官邸などに出動して精神的にも肉体的にも能動的な状態になりうるだろうが、欧米諸国と異なり狭い「ウサギ小屋」に住む私たち庶民にとっては、自宅で長い連休を過ごすというのは酷というものである。お子さんのいる家庭であれば、なおさらであろう。

 だから、平時はほとんど見向きもされない空き地や小さな公園、川沿いにまで、非常時のいまは多くの家族連れが顔を見せ、狭い自宅で角を突き合わせて過ごす日々の解消にと励むのである。なのに「公園に多くの子どもたちが集まっている。やめさせるべき」などの意見を警察や役所に述べる者がいる。小金井市議会にもそのような人物がいたように思う。家庭でのストレスを理解できない者には、庶民のくらしは理解できないであろう。

 カミさんから指令が下った。部屋の後片付けを行なえ、と。指示された部屋は、物置同然となっている場所である。中古の家を購入し移り住んで18年。それまで住んでいたアパートからそっくり運んできたやからが、そのまま置かれている場所であり、使用しなくなったり壊れてしまった電化製品なども積まれている場所である。いったん手を付けはじめると途中で終わることが難しくなるという、いわば「パンドラの箱」ともいうべき部屋である。そこに手を付けろと、テレビの前で高笑いをするカミさんが指令を下すのである。

 61歳の身体が訴える。「腰が痛い」「手が疲れた」「暑い」‥。半日こき使われたあげく、ご褒美のアルコールはおろか、甘い物もなし。「終わったの?」の一言のみ。目の前にはノンアルコールビールが1缶置かれただけであった。

 このゴールデンウイーク。天気がすこぶる良い(最終日を除き)。なんと残酷なステイホームであろうか。自転車で付近を散策するだけで幕を閉じてしまったのが、今年のゴールデンウイークであった。

 

(2020年5月6日付)

資源回収にもコロナの影響が

 新型コロナ問題は、思わぬ所に波及するものである。古着等の大部分を引き受ける海外市場が、再利用ルートの制限によって受け入れ困難となり、集められた古着等を国内で保管せざるをえなくなったからである。

 「感染が続けば保管する場所が満杯になり、場合によっては自治体で行なっている古着等の回収をストップせざるをえなくなる」と市の担当者。他の資源物についても「感染拡大を防ぐために回収業者の人員体制が抑えられており、排出量が多くなると対応しにくくなる」と述べる。

 「外出自粛」「在宅勤務」が叫ばれている。溜まるストレスを解消しようと、家の中の雑誌や新聞、古着などを整理し資源回収で出す光景があちらこちらで見られるが、新型コロナはそれさえも「待った」をかけてしまう。

 先の見えない戦いは、今が一番大事なとき。感染拡大を防ぐためにも、とにかく「がまん」である。‥しかし疲れる。

 

(「しんぶん小金井」2020年4月26日付から)

コープとうきょう近くのお姉さま

 「自粛」生活がこんなにもキツイとは。家のなかに閉じこもっているわけではないが、緊急事態宣言が発令される前に比べると、外に出る機会は少なくなったように思う。なにより、街全体を覆う「外出自粛」の空気が、気持ちをいっそう重くしているのだと感じる。

 ツツジが咲くこの季節は、毎年欠かさず文京区の根津神社へ出かけていた。神社を散策し、周辺に気に入った喫茶店を見つけてコーヒーを注文し藤沢周平の作品を読みふけるのが、何よりの息抜きであった。しかし今年は電車に乗ること自体が重く、この一カ月の間、一度も電車に乗ってはいない。ストレスがいよいよ溜まってきた。こんなときは買い物にでも出かけて、気分をまぎらわすことが必要である。

 雨の日の夕方、夕食の材料を買うために、近所のコープとうきょうに足を運んだ。今夜は、うどんにしよう。定番材料は、稲庭風細うどん、かまぼこ、タマネギはんぺん、白菜、肉を入れるというものである。材料を一揃い買物カゴに納め、最後の肉へと向かう。フトコロは潤沢ではない。やむを得ない、今回も鶏肉だ。

 肉の棚で鶏肉を探す。量が多くて安価なものがベストである。ん?隣に見たことのある女性がいるではないか。マスクをしているが、かつて市役所第2庁舎の6階に勤務していた、あの女性に違いない。コープとうきょうの近くに住んでいると言っていたように思う。

 「あら、こんにちは」と、声をかけてきた。「お元気ですか?」と私も応える。市役所を辞めたあと、いまは大学で事務をしているという。

 「なかなか、よいお肉がなくって‥」と彼女。見ると、彼女の立っている位置は、牛肉の棚の前である。今夜は焼き肉にするという。一方、私の立っている位置は、鶏肉の棚の前。しかも、もっとも安い細切れの肉をかき集めた場所に立っている。彼女は、松阪牛や米沢牛に匹敵する肉を探しているようであった。

 私の立っている位置を察した彼女は、やさしく言った。「鶏肉って、身体にいいんですってね」。そう言う彼女の口元には、真新しい真っ白なマスクが飾られていた。かたや私の口元には、すでに一週間を経過したヨレヨレのマスクが、なかば朽ち果てる形でぶらさがっていた。

 お互い、あいそ笑いを浮かべながら「それじゃ、また」と別れる。牛肉を食べるだけあって、なかなかにたくましい女性である。彼女だったら、コロナにもびくりともしないだろうな、と思う。

 一人わびしくうどんを食べる。どんぶりの底に沈んだ細切れの鶏肉は、箸ではさむにはなかなかに骨が折れる代物である。

 

(2020年4月21日付)

念仏坂

 小金井市には「ハケ」と呼ばれる場所がある。今ははるか南側に移動しているが、太古の昔は暴れ川となってとうとうと流れた多摩川が大地を削ってできた北側のヘリを「ハケ」、地図上では国分寺崖線と称している。ようするに、河岸段丘の縁にあたる。

 このハケは段差が15m〜20mあるといわれ、多くの坂道がいく筋も見られる。私の住む貫井南町は大半が宅地開発されて段丘途上に戸建て住宅が立ち並んでいるが、その東側の前原町から中町、東町にかけては、樹木の間を縫うようにうねる細い道がいくつか見られる。時間があれば、今日のような新緑のなかを一つ一つたどってみたいと思うところである。

写真 晴れ渡った19日(日)の午前、市政アンケートで対応が求められている念仏坂にやってきた。この念仏坂は「昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので、念仏坂と呼ばれるようになった」(市制施行30周年記念事業「小金井の坂」)と紹介される箇所である。いまでは墓地はなく、街路灯もついているが、「狭く両側から笹や樹木が生い茂る」面影は残している。

 坂の中段で西北を仰ぐと、茅葺きの屋根が目に飛び込む。西の方面は斜面上に空き地が広がり、タンポポが群れている。竹藪もあり、見事な竹の子が顔をのぞかせていた。

 小金井市には「坂道」がどれくらいあるのだろうか。大抵は舗装され風情が薄れてきているが、坂の途中から南を見れば、かなたに丘陵地帯が広がり、その手前は太陽に照らされた戸建て住宅の屋根の光が一帯をうめている。西の方向に目をやれば、雪化粧の富士山がくっきりと見えるのである。

 19日(日)の午前、ツツジが花開く野川沿いには多くの親子連れが集っていた。新緑の季節だからこそ、木々が生い茂る「ハケ」の坂道を歩くのも、小金井市のオススメポイントだと私は思う。

(2020年4月20日付)

地域のコミュニティ確保できず

 「政府や東京都は、生活維持に必要なもの以外は自粛を求めている。基本は自宅にいてほしいということなので」。小金井市の担当者は、そう述べる。しかし、あまりにもそれは機械的ではないかと、私は思う。

 緊急事態宣言が発令されたとたん、それまでは許されていた公民館や集会施設に置いてある印刷機とコピー機の利用が、いっさい禁止となってしまった。そのため、多くの団体が会員間の連絡文書等の印刷・コピーができずに困ってしまっているのである。

 「3つの密を避ける」が叫ばれている。すなわち「換気不十分な密閉空間」「多数の人が集まる密集した場所」「間近で会話や発声をする密接場面」 この一つでも避けてください、というものである。しかるに、印刷やコピーが、この「3つの密」に該当するのか?。複数の人数で行なう場合は該当することもあるだろうが、一人で行なう分には、なんら問題ないはずである。

 「生活維持には必要がない」と言う人がいるかもしれない。しかし、外出自粛が叫ばれ、個々のつながりが分断されてきているいま、会員間のコミュニティを結びつける連絡文書や資料等が、生活維持に不必要なものと言えるだろうか。テレビやラジオでは得られない地域の情報、会員間の情報を得ることは、個々が分断されはじめている今だからこそ、いっそう求められていると思うのである。

 非常事態宣言の発令は、年度替わりと重なってしまった。多くの団体が新たなスタートを開始する時期とぶつかってしまったのである。そのため、サークルや自治会・町会、防災会、老人会など地域の様々な団体が、新年度をスタートするにあたっての資料を用意できずに右往左往している。

 地域のコミュニティが揺らいだら、地域づくりに支障が出るだけでなく、その地域に依拠してきた自治体も困ってくる。現に、ある自治会・防災会では、市役所や消防署などから届く資料を、どう回覧するかで悩んでいる。なぜなら、それまでの回覧体制から新年度の回覧体制に移行するための、会員向けのお知らせ資料を印刷できないからである。その自治会・防災会では、2019年度の役員・班長さんに「新たな体制に移行するまで、いましばらくお待ちください」との案内を3月下旬に発行したっきり、ストップしてしまっているのである。

 「一人で印刷やコピーを行なうのであれば構いませんよ。十分に気をつけてください」とのスタンスになるべきではないだろうか。杓子定規になってはいけないと私は思う。どうすれば利用できるか、そのことを考えるべきだと思うのである。

(2020年4月17日付)

危機意識

 こんな事態になるとは、正直なところ考えてもいなかった。2月の終わりに安倍首相が「一斉休校」を打ち出したときには、専門家の意見も聞かずに唐突に何を言い出すのかと怒ったものだが、ここまで深刻な事態になってくるとは想像すらできなかった。というよりも、経験したことのない出来事だけに、想像する中身を持ち得なかったということになる。

 緊急事態宣言が発令されて最初の週末となる11日(土)は、天気が良く暖かい一日となった。在宅勤務の呼びかけとともに5月6日まで学校が休校となったこともあり、近所の野川には、普段見慣れないほどの親子連れが多数、散策していた。政府も東京都も、生活に必要な食料品の買い出しや近所の散歩は一向にかまわないと述べているからである。

 しかし、日増しに感染者が増加している。東京都では11日(土)の感染者が200人に迫る事態となり、この小金井市でも二桁になろうとしている。人との接触を7〜8割程度、減らしてほしいと政府が呼びかけているが、あながち「唐突に何を言っているんだ」とは言えない状況を迎えている。

 日本は、これまで経験したことのない事態に直面している。政府を擁護する考えは微塵もないが、政府も専門家も、目の前の出来事・スピードについていくのがやっと、という事態なのではないだろうか。これが今の日本の現実だと私は思う。

 テレビに様々な人物が登場し、新型コロナウイルスについて語る。私はそのなかでも、専門家の意見を注視している。専門家の間でも内容に程度の差があり、ときには意見が分かれるものもあるが、ここにきて私は「最悪の事態」を想定した意見に耳を傾けるようになってきている。日増しに増える感染状況が、そうさせているのである。

 テレビでは「評論家」が数多く登場する。専門家でもないのに、まことしやかに意見を述べる。しかし、そこは公共放送。そこで述べられる一言一言に、視聴者は大きな影響を受けることになる。「さらに厳しい制限をかけるべき」「ヨーロッパと同じようにロックダウン(都市封鎖)すべき」。叫ぶように述べるその姿は、勇ましくさえ感じる。先々を考えたら、そのほうが正しいのかもしれない。しかし、そう簡単ではない。

 テレワークの設備を持たない企業・事業所や、インターネット環境を持たない家庭が多く存在する。その日その日をやっとの思いで暮らしている家庭も多く、職場に行かないと仕事が成り立たない企業や、他の自治体に足を運ばないと成り立たない事業所だってある。家庭においても、家庭内暴力が起きている世帯があり、食事さえも十分に与えられていない児童・生徒もいるのである。

 だから、政府も慎重に判断せざるをえないし、小金井市においても、一定のリスクを背負うことを覚悟のうえで、児童・生徒の行き場の確保に力を入れるのである。それを「危機意識がない」と言い切ってよいのだろうか。「対応が手ぬるい」と言ってしまってよいのだろうか。目の前には、行き場を失う多くの人々がいるのである。

 小金井市議会は、緊急事態宣言発令中の5月6日までの議会開催を取りやめた。『3密』を防ぐためである。市役所も各部署の職員を2つから3っつのグループに分けて、4月13日(月)から交代で在宅勤務を実施する。職員のなかで感染者が出た場合に、市役所業務停止という事態になるのを防ぐためである。

 安倍内閣は、自粛を求めながらも「補償はしない」と言い切る。麻生財務大臣にいたっては、事業所への給付を打ち出した東京都に対して「東京都は金があるんだな」と言い放った。坊ちゃん育ちの安倍内閣には、底辺であえいでいる庶民の暮らしが理解できないのであろう。

 恐らく、感染者は増加の一途をたどることになるだろう。オーバーシュート(感染爆発)が到来することも否定はできない。11日(土)は多くの親子連れが野川を散策していたが、一週間後には異なる光景を見せているかもしれない。いまだ私たちが経験したことのないウイルスとの戦い。危機意識が一人ひとりに問われる事態を迎えている。

(2020年4月12日付)

後継者不足

 ずいぶん頑張りましたね。相当にくたびれていますよ。でも、まだ頑張ってもらいたいのです。なにしろ後継者不足なので。

 その姿は、見るからに厳しいものがあった。容姿はとどめているものの、そう遠くない時期に、大きく崩れていきそうな気配を漂わせている。代わらせてあげたいとつくづく思いつつも、そうもいかない。代わりが不足しているからである。

 あれは、3月下旬のお彼岸の連休明けだったと思う。突如「自粛」が打ち出され、週末はなるだけ外出を避けるようにと、お偉いさんが口をそろえて言いはじめたのである。

 だから私も、なるだけ外出を控え、外出する際には、あなたを連れて行くようにしました。もちろん、片時も放さずというわけではありません。忘れたときもありますし、うっとおしくて家に置いていったこともあります。でも昨今の感染者急増を前に、さすがに忘れることはなくなりました。それだけに、困っているのです。

 日増しに、匂いがきつくなってきました。我ながら、顔をしかめる事態です。後継者がまったくいないというわけではありません。心配なのは、先が見えず、長引くことは必定ということです。だから、代える時期が定まらないのです。

 安倍首相が突然いいました。「一世帯につき2枚配る」と。この事態があと少しで終息するなら、わかります。でも半年、もしかすると来年までなどという専門家もいるのです。たった2枚を、しかも世帯によっては家族が多くいるところもあるじゃないですか。2枚配って、いったいなんになるんです。自らの生命を賭しながら頑張っている、医療現場や介護現場にこそ届けるべきではないでしょうか。国内での量産に力を入れ、早朝から並ばずとも買えるようにするのが政治の役割だと思うのです。

 どうしようか迷っています。捨てるには勇気がいるし、かといって、くたびれ、しかも匂いがついてきたものを、明日以降も使っていくものかどうか‥‥。これをご覧になっているあなたも、同じ悩みをお持ちなのではないでしょうか。

(2020年4月7日付)

去りゆく君へ

写真 君に聞く。君はこの日のために寒い冬をひたすら耐え、力を蓄えてきたことと思う。君は、君に負けじと美しさを示そうとする他の者にはない、圧倒的な存在感を持っている。なのに今回、君の美しさをどれだけの人が心にとめてくれただろうか。あぁ、きれいだ‥と、どれだけの人が心を躍らせてくれただろうか。

 君の美しさに出会った私は思わず立ち止まり、長い間、君を見続けてしまう。手の届くところにいてくれれば、この指でそっと触れてみたくなる。たとえ周囲がこの私を“いい歳をしてなんだ”と思ったとしても、私は一向に構わない。それほどまでに君のその美しさは、何者にもかえがたいと思う。

 君は言うだろう。来年も美しく輝くからね、と。それはわかっていたとしても、君の美しさがまもなく消え失せるというのは、やはり寂しい。できうれば、もうしばらくは輝いていてくれればと願う。

 暖冬だった今年は、春がとてつもなく早く訪れた。君の周りには、普段ならばもっと遅い時期に顔を見せる者たちが、君の美しさをかすめ取るかのように輝き始めている。もしかしたら、君が輝きを失ったとしても、多くの人はさほど気にもとめないかもしれない。そう思うと、余計に寂しくなる。

 私の感じるところでは、君がもっとも華やかに輝いたのは3月25日だと思う。思わず私は、カメラ片手に家を飛び出したものだ。ところが3月29日、事態は急変した。せっかくの日曜日だというのに朝から雪が降り始め、君は寒さのなかで苦しみもがいていた。橋の袂で、私はなすすべもなく立ち尽くすだけだった。

 新型コロナウイルスとやらが全世界を襲い、この小金井市にもついに上陸した。それ以前から小池東京都知事は「自粛」を求め、君を楽しみに集まる人々に対して、今年はダメですよと呼びかけてはいた。だから、やむを得ないとは思う。しかし‥‥。

 君に聞く。あまりにも少ない桟敷席を見つめ、君は寂しくなかったか。声を上げて泣きたくはなかったか。いつものように、にぎやかな春の日を期待していたのではないのか。それが見慣れた春の日の、本来の姿なのだから。

 去りゆく君へ。ありがとう。来年はこれまでになく輝いてほしい。そして、ウイルスに打ち勝った私たちに、満面の笑みを見せてほしい。何の心配もせずに、君の下で生きていることの幸せを全身でかみしめることのできる世の中になっていることを悦びながら。

(2020年4月4日付)

自重のとき

写真 気温25度を記録した翌日は朝から雪が。私たちの暮らしはいま、異常な事態に見舞われている。これは課せられた試練なのか、それとも自然界の摂理なのか。地球をいじくりまわしてきた人類に対して、未知なるウイルスが襲いかかっている。

 いま私たちがしなければならないことは何か。感染しやすい場面をつくらず、自身が感染していると想定した行動をとることだと、私は思う。

 政府や東京都は「自粛」を呼びかける。けれども損失補償を伴わなければ、実効性は薄くなる。消費税や社会保障の増税で暮らしが破壊されているいま、期限を定めてでも増税をストップすべきではないだろうか。

 小金井市は、地元商工業者向けに経営安定化緊急資金を確立した。しかし、貸付利率を課すという。国や東京都の損失補償に対する意識が、小金井市にも影響を与えているのであろう。

 来年も花は咲く。体調を管理し、いまは自重すべき時である。

(「しんぶん小金井」2020年4月5日付から)

新型コロナウイルス その2

 日本中を激震させた「一斉休校」。9年前の東日本大震災でさえも、こんなことは起き得なかった。次なる激震は「中韓両国からの入国制限」。日本人をも対象とする突然の発表に、留学生や企業の間に大混乱が襲った。いずれも専門家の意見を聞かない安倍首相の独断専行である。

 いま日本経済は深刻な事態を迎えている。観光・宿泊業は言うに及ばず、イベント業も製造業においてさえも開店休業や倒産の危機に直面している。政府は財政支援策を打ち出したが、到底及ぶ額ではない。「国民を守る」というのであれば軍事費こそ削減し、暮らしに充てるべきであろう。

 安倍首相は、いまだにオリンピックに執念を燃やしている。国内で感染が終息しても、選手や観客を送り出す諸外国で続いていれば開催は到底おぼつかない。「桜」「カジノ」「辺野古」にしがみつく安倍首相ならではの、執念深さである。

 まもなく桜が咲く。一人静かに愛でる年となるのであろうか。

(「しんぶん小金井」2020年3月15日付から)

新型コロナウイルス

 知人と顔を合わせ最初に出る言葉は、この冬の異常な暖かさ。加えて、新型コロナウイルスである。収束が見えずワクチンも開発されていないことから、不安は高まるばかりとなっている。

 感染拡大が広がるなかで、日本経済への影響がクロ−ズアップされてきた。中国に製造や原材料の拠点を置く企業や、中国からの観光客で潤ってきた地域では死活問題に。日本が中国とどれほど密接な関係にあるかが、一目瞭然となった。

 加えて、昨年10月から強行された消費税の増税。国内総生産は年率換算でマイナス6.3%に。隣国を粗末に扱い、負担増を強い、自身は桜を見る会を私物化するこの国の責任者に、こまま国の舵取りを続けさせるわけにはいかない。

 花粉が飛んでいるという。ウイルスもどこに潜んでいるかわからない。目に見えないものほど怖いものはない。しかし、悪政を進める姿はくっきりと見える。安倍内閣ノ−へ、今こそ声をあげるべし。

(「しんぶん小金井」2020年2月23日付から)

零下2.5℃

 氷が張るような寒い日を迎えると、郷里・越前で過ごした頃を思い出す。とは言っても、東京に出てすでに43年。ずいぶん前の記憶にはなるのだが。

 小学生の時は3q余の道を徒歩で登校。中学生の時は3qを自転車通学。高校の時はバイクで13qを走った。越前は雪が降る。積雪も少なくはない。自動車の轍(わだち)の上を雪がさらに降り積もり、その上をさらに自動車が走る。除雪車が間に合わない場合は、この轍が、歩行者においても自転車やバイクで走る場合でも、唯一通れる部分となる。しかし轍はデコボコである。自転車やバイクの場合は、転倒の危険が常につきまとう。

 除雪されていても危険はつきまとう。アイスバーンになっているからである。自転車やバイクのみならず車の場合でも、カーブを曲がる時やブレーキをかける際には、細心の注意を要する。私も自転車やバイクで転倒した記憶が少なからずあり、ブレーキをかけても止まりきれずに、前の車に接触したことが多々あった。よくぞ無傷でいたものだと、我ながらに感心をする。

 辛かったのは雪道をバイクで往復した高校時代。なにしろ片道13q。普段は30分弱で着く道も、雪道となるとそうはいかない。大通りはおおかた除雪されているが、その大通りへ出るまでの道は、車の轍だけが頼りとなる。転倒しないようにと心掛けるだけで疲れがドッと出る。加えて、おおかたは雪が降り続くなかでのバイク運転となる。これが実に厳しい。顔に横殴りの雪がぶつかってくる。冷たいを通り越して「痛い」のである。

 どんな服装でバイクを運転していたであろうか。そこが、今となってははっきりしない。雪が降るので雨合羽を上下とも身につけていたのは間違いない。雨合羽の下は、学生服・学生ズボンであったろう。問題は、その下である。いきなりワイシャツではなかっただろう。それでは寒さをしのげないからである。セーターを着ていたのだろうか。それとも、チョッキやベストのようなものを着ていたのだろうか。肌着は長袖シャツ、ラクダのモモヒキであったことは疑いがないのだが。

 雨合羽はビショビショになる。ハンドル部分には、雨雪に濡れないようにとカバーが付けられていたが、両手の軍手は徐々に濡れはじめ、靴下も雨合羽の隙間から入り込む雪などで濡れて行く。顔の痛さと両手、両足の冷たさにさいなまれながら、学校と家を往復していたのである。

 バイクの後輪にはチェーンを装着していた。という話を上京してから知人にしたところ、えっ?、バイクにチェーンなんてあるの?、と言われた。車にチェーンを着けるのだから、バイクにだって当然に着けるものだと私は思うのだが、そう言われて高校時代を振り返ると、同級生のバイクにチェーンが着いていたかどうかが定かでない。そこまで注意して見ていたわけではないからである。しかし、雪道を走る。アイスバーンだってある。チェーンなしではとても走れたものではない。「全員がバイクにチェーンを着けていた」と私は断言したい。

 2月7日(金)の朝はすこぶる寒かった。この冬はじめて氷が張ったのを見た。朝7時からは定例の武蔵小金井駅南口宣伝である。陽が差せば徐々に寒さは薄らいでいくと期待はするものの、3月のような陽気が続いていただけに、急にやってきた本来の寒さが、異常なまでの寒さに感じられた。

 えっ!、イタさん、手袋しないの?、と渡辺大三議員に言われた。毎週金曜日の朝7時から8時30分までの武蔵小金井駅南口宣伝を長年続けてきているが、おそらく10数年来、手袋はおろかモモヒキも履かず、ホカロン一つも身につけずに駅頭宣伝を行なっている。不思議なもので、馴れてしまうとそんなに苦にはならないのである。ちなみに、肌着のシャツはタンクトップで一年を通している。「10数年来」と記したが、それ以前は手袋もモモヒキも、もちろんホカロンも身に着けていた。いつからか、今日のスタイルに落ち着いているのである。

 なぜ、平気なのだろうか。「やっぱり福井育ちだからだね」と渡辺大三議員は言う。たしかにそれはあると思う。あの頃のほうが辛かった。同じ寒さでも、雪が降らないだけマシだとつくづく思うのである。

 2月7日(金)夕方、氷が張ったままの状況を見た。朝は都心で−2.5℃だったと気象庁が言う。ということは、小金井市あたりはさらに低かったことになる。そんななかで手袋もせずに駅頭宣伝を行なっていたことになる。

 「福井育ちだから」だけではないぞと思う。以前は、つまりは30代から40代にかけての頃は手袋やモモヒキを身に着け、ホカロンも背中や腹に貼り付けていた。なのに61歳になろうというこの段になっても手袋やモモヒキ、ホカロンなしで駅頭宣伝を行なえるというのは、他に何かあるに違いない。それは何か。

 鈍感になったに違いない。寒さに鈍くなったのであろう。恐るべきである。そういえば、カミさんから最近、言われるようになった。「ツラと腹が厚くなった」。歳をとリ贅肉を付けるということは、寒さをしだいに感じなくなるようである。

(2020年2月8日付)

確かな春を

 地球温暖化の影響か、それとも豪州森林火災の影響なのか、雪の異常に少ない冬を迎えている。

 郷里・越前も雪がなく、これまで経験したことのない事態に。この小金井でも、氷の張った場面を見てはいない。しかしさすがに1年で最も寒い時期。1月終盤には、例年の寒さに見舞われた。

 寒いですねと声をかけると、返ってきた言葉は「いずれは陽が差す。けれどもフトコロは、陽が差す気配がまったく見られない」。なるほどと思わず納得。増税・負担増を押し付ける安倍内閣に怒りは増すばかりである。

 地方では早くも、梅の便りが聞かれるという。次にはいよいよ桜の出番。名簿廃棄、お友だち優先などルール無視の「桜を見る会」は中止になっても、庶民の楽しみはやっぱり桜。新宿御苑や小金井公園で身銭をきって、堂々と桜を愛でたいものである。

 安倍退陣こそが、確かな春を呼び込む道となる。ともに頑張るべし。

(「しんぶん小金井」2020年2月2日付から)

2020年も走る年に

 カウントダウンに心踊らせた若き日々は彼方に去り、何の感慨も抱くことなく年が明けた。消費税増税でモノを買う気力がそがれ、大売出しもジングルベルも聞かずにきたのが、一つの要因かと思う。

 それでも今年はオリンピック・パラリンピックが開かれる。さぞや賑やかな1年になるのだろうと思った矢先に、トランプ政権が大変なことを仕出かした。しかも国内では「桜を見る会」や「カジノ疑惑」、自衛隊の中東派兵問題など、怒り・不安が目白押し。オリンピック・パラリンピックどころではない事態に。安倍内閣の退陣こそが、何よりの朗報ではなかろうか。

 賀状に「慌てずに穏やかに」と記した。還暦を過ぎ、これからの生き方、歩き方を見据えた中での言葉である。しかし、いまを取り巻く事態を見るにつけ、その言葉どおりに生きられるのだろうかと天を仰ぐ。

 2020年。今年も大いに走りきる1年になりそう。どのアスリートにも負けない速さで。

(「しんぶん小金井」2020年1月12日付から)

義母

 カミさんの母親は80歳台の後半を迎える。背が丸くなり、足の衰えも隠せなくなっている。認知症には至っていないが、モノ忘れが多くなったと嘆く。かつては自家用車を運転していたが、高齢ドライバー事故多発の報を目にした子どもたちから「運転やめて」の声をいっせいに浴び、昨年春、免許証返納を決行した。「この車はまだまだ走れるし、ガソリンも入れたばかりやのに・・・」、カミさんのもとにその日、淋しい声が届いた。

 その義母のもとに正月、カミさんとともに帰省した。歩いていける距離にコンビニはあるものの、正月を迎えるだけのモノをコンビニで揃えるにはおよばず、知り合いから車を借りて、私の運転でスーパーマーケットへ買い出しに出かけるところから正月生活は始まった。

 長年連れ添った夫は、一昨年の11月に他界。「東京へ来ませんか」と誘ってみたが、近所に知り合いがおり、親戚も市内にいることから、首を縦に振ろうとはしない。離れて暮らす長男夫婦も、自分の家に来ることを求めているが、「ありがとう」の一言で、やり過ごされている。

 友だちに誘われて絵手紙サークルに入った。月に1〜2通、カミさんのもとに絵手紙を送ってくる。「私は元気です」の文字がきまって添えられる。そのたどたどしい文字を見るたびに、遠く離れて暮らす独り身の寂しさをかいま見る思いである。

 家の風呂にはなるべく入らないようにしているという。知っている人が何人も、風呂場で亡くなっているからだとのこと。そのため、どんなに寒いときでもシャワーで過ごしている。だから、帰省した折には、車で30分程度のところにある温泉施設に出かけ、ゆっくりと温まってもらうようにしている。

 私の子どもたちは義母が大好きである。社会人になる前は、一人で義母のもとに遠路はるばる出かけていった。子どもたちの祖母はカミさんの母親と私の母親になるが、私の実家には内孫、つまりは子どもたちの従兄弟がいることから、私の母親は“従兄弟のおばあちゃん”の扱いになる様子。一方、従兄弟が同居していないカミさんの実家の祖母は“自分たちのおばあちゃん”という感覚になるようである。小金井の孫が来ると、義母はうれしくてしょうがない。おもわず小遣いなどをあげてしまう。それを目当てに、おばあちゃん宅に出かけて行っているようにも見えるのだが。

 あと何年、元気な姿でいてくれるだろうか。カミさんは母親をせっせと、いろんなところに連れ出そうとしている。昨年の盆のときは私の運転で鳴門や淡路島を案内した。元気なうちに精一杯親孝行をしたい、思い出をつくりたいとの願いが、カミさんからはにじみ出ている。いつまでも元気であってほしい。小金井の地で私たち夫婦はせつに願うばかりである。

(2020年1月12日付)

暮らしにこそ光を

 市長選は、投票日1カ月前に市議を辞職しての挑戦。市議補選は、告示日2日前の表明。なのに、自民・公明などの推薦を受けた市長候補と肩を並べ、市議補選では2割の得票。市民と野党の共同が、小金井市でも重要な前進をつくりだした。

 選挙期間中、私は市議補選候補と行動を共にした。折しも国会では「桜を見る会」が連日のように追及され、日本共産党への期待は市議補選候補者への期待となって、ひしひしと伝わってきた。

 消費税が10%になり、物価はジリジリと上昇。なのに安倍夫妻はお友だちを地元から大量に招待し、私たちの税金で接待をする。しかも、参加者名簿は要求されたその日に処分。政治への怒りは、国会が閉幕しても収まることはない。

 選挙を終え、ようやく街を落ち着いて見られるようになった。歳末だというのに、今年も華やかさが見られない。国政でも市政でも暮らしにこそ光をあてるべきである。

(「しんぶん小金井」2019年12月15日付から)

いまこそ「森戸よう子」へ

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 「子育て環境日本一」を掲げながら、子育て世帯への負担増や施策の縮減を行ない、6施設複合化では前代未聞の「市長公約を職員が検証」。公約とはいったいなんなのだろうか。

 小金井市は「財政が厳しい」と言う。しかし、昨年度の一般会計は18億円の黒字。家庭の貯金に該当する財政調整基金も、目標を上回る額に達している。なのに国保税を連続値上げ、税金滞納者には厳しい取り立てを行ない、吸い上げたお金は駅前開発や道路建設につぎ込んでいる。これのどこが「市民の生活をきっちり守る」なのだろうか。

 4年前に非自民の市政が誕生した。しかし「やってきたことは自民・公明市政よりもひどい」と街の声。

 市民の高まる願いに応え、大黒柱の森戸よう子さんを送り出した日本共産党小金井市議団。なんとしても市政転換を勝ち取るべし。

 残り時間は短い。一人ひとりの「市政変えよう」が大きな力となる。あなたの声を力を、いまこそ「森戸よう子」へ。

(「しんぶん小金井」2019年11月17日付から)

台風19号

 

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台風一過の野川

 狩野川台風に匹敵すると、発生直後から叫ばれた台風19号は、東北にかけての広い範囲に甚大な被害をもたらした。テレビに映し出された光景を見て、東日本大震災を思い浮かべた人も少なくはなかったであろう。

 東京全体に初めて「大雨特別警報」が発令され、小金井市を含む多摩の各地に「避難勧告」が出された。避難所の開設も、小金井市では初めてのことである。

 台風がやってくる12日の午前中、近くのスーパーに買い物に出向くと、普段は山のように置かれているパン類が姿を消し、カップ麺も半分程度に。レジ前に並ぶ人のカゴには、ペットボトルがいくつも積まれていた。

 パンを買いそこねた私は帰宅後、すぐに大量のご飯を炊いた。懐中電灯の具合を確かめ、玄関前のガラクタは物置に放り込んだ。

 翌日は見事なまでに台風一過。幸いにも停電は起きず、胸をなでおろす。台所には、前日炊いた大量のご飯が残された。

(「しんぶん小金井」2019年10月20日付から)

台風19号が東京直撃

写真 「1958年の狩野川台風に匹敵する」と、上陸する前から叫ばれていた台風19号が12日(土)夜、伊豆半島に上陸。夜9時頃に首都・東京を襲った。私の住む小金井市は前日の昼前から雨。夕方には風も吹きはじめ、12日の昼過ぎからは強い風雨に。夕方には暴風雨へと化した。

 9月9日未明の台風15号を経験した市民は、千葉県のような事態を迎えるのではないかと、11日の午前中からスーパーなどに食糧の買い出しへ。夕方、「いなげや」に行ったときには、普段は余るほどに並べられている菓子パンや食パンの棚に品物が消え、カップラーメンの棚は普段の半分ほどの品数へと変わっていた。レジで私の前に並んでいる人の買い物カゴには、何本ものペットボトルが。「午前中から、すごい人です」と受付レジの女性は言う。

 伊豆半島に上陸し北北東へと進んでいるとの報道を受けてから、台風は小金井市の上空あたりを通過するのではないかと考えはじめた。となると、台風の目とやらに入ることになるのでは・・・。荒れ狂う家の外を忘れ、あらぬ方向に思いはめぐる。

 夜9時頃、雨風が極端に弱まった。台風の目に入ったか?。外に出る。小降りの雨と弱い風。上空は?・・・と見上げるも雲が覆っている。目ではなさそうである。その後、少々強めの雨風に見舞われたが、それもすぐに終わり、静かな夜半へと入って行った。

 翌13日(日)は台風一過の晴天。道路上に枯れ枝などが散らばってはいるものの、1カ月前の台風15号の時よりは、その数ははるかに少ない。倒木はないかとバイクで駆け回るも、道路沿線や公園にそれらしき状態は見られなかった。我が家の近くを流れる野川も、普段は人の歩くことのできる箇所が川と化してはいるものの、とりたてて問題があるわけではない。今回の台風は、小金井市域においては特段、問題を起こさなかったと考えられる。なお私の知る範囲では、多磨墓地内で墓石の上に木が倒れている箇所や、貫井神社北側の雑木林のなかで倒木が3本ほど見うけられた。

 テレビでは川の氾濫や溢水による被害が報告され、家に土砂が流れ込み生命を落としたなどの痛ましい状況が映し出されている。「1958年の狩野川台風に匹敵する」台風19号は、関東から甲信越、東北へと広範囲に甚大な被害をおよぼした。しかも被害はまだ続くかも知れない。テレビに映し出される光景は、2011年3月11日の東日本大震災の津波被害を見るようであった。

 三多摩各自治体が行なったように、小金井市も「避難準備」「避難勧告」を発令した。避難所には市内四箇所の小学校体育館と二箇所の集会施設があてられた。小金井市では初めてのことである。

 12日(土)の昼過ぎ、市内に設置されている市の防災無線スピーカーから「避難準備情報」が流れた。女性の声に続き、男性の声が続く。市内の特定地域に住む市民に対して「避難準備を行なえ」という指示である。これを聞いて私は違和感をおぼえた。どこへ避難するための準備なのか。しかも外では雨風が吹き荒れはじめている。私は避難準備が指示された対象区域の知人に、すぐさま電話を入れた。知人は開口一番「え?、なんのこと。そんな放送あったっけ?」。

 「避難準備情報」の後には「避難勧告」へと続くことになる。対象区域とされた方々のどれくらいの人が、避難所が確立され、どの場所が避難所になったかを知っているであろうか。しかも、すでに雨風は強く吹き荒れている。「不必要な外出は控えるように」とテレビやラジオでは警鐘を鳴らしているのに「避難準備を行なえ」というのである。

 小金井市のホームページを見る。「避難所には、食事や寝具等の提供はありません」「水、食べ物、懐中電灯など、ご自身で必要と思われるものをご持参ください」と記されている。加えて「車両でのご来校はご遠慮ください」と述べる。外は吹き荒れる雨風。モノが飛び交うかもしれない。しかも足元は滑る。そんななかを、必要と思われるものを持って、徒歩で来なさいというのである。誰もが思う。「外に出るほうが危険だ」。

 市役所の初動が遅いと、私は思う。数十年に一度という巨大な台風であることは、何日も前から指摘されていた。であるならば、あらかじめ、インターネットの環境を持たない人をも含めて、どこどこに避難所が開設され、雨風が強くなる前から入所が可能で、必要と考えられるモノを自身で用意して、徒歩で来てもらう────などを、早々に想定される対象区域に伝えるべきである。雨風が吹き荒れる段階になってから、しかも聞き取りにくい防災無線から流しても、雨風を遮断するために窓を締め切っている家の中では、「え?、なんのこと」となるのである。

 幸いに、小金井市域で大きな被害は起きなかった。しかし、同程度の自然災害はこれからも十分に想定される。市役所の担当課は、今回のことを十分に教訓としていただきたい。もちろん、市議会議員の私にも言えることである。

(2019年10月13日付)

台風停電

 9日未明に首都圏を直撃した台風15号。小金井市内でもフェンスの倒壊や屋根板の剥離被害が発生し、大量の枝葉が道路のいたるところに散乱した。倒木も起きているが、公園が多いことから、実態把握はいまだに完了していない。

 甚大な被害を被ったのは千葉県。10日以上経つというのに、電気の復旧していない家庭が相当数あるという。

 千葉県の状況を見て誰もが思うのは、台風が多摩地域を直撃していたならば、どうなっていただろうか。鉄塔が倒れ、電信柱も根元から折れ曲がる‥。防災の視点を改めさせられる事態となった。

 小金井市内に水を供給する2箇所の浄水場。停電した場合は、72時間対応の発電装置があるという。しかし千葉県の現実は、72時間では到底おぼつかないことを示している。

 秋を迎えた。これからが台風本番の季節。自然を楽しむだけでなく、自然の脅威にも備えて行く日々へと入っていく。

(「しんぶん小金井」2019年9月22日付から)

還暦を迎えてから

 あと何年生きられるだろうか。還暦を迎えたあたりから、そんなことを考えるようになった。子どもが小さかった時のことなどをやたらに思い出すようになったのも、還暦を迎えたあたりからである。それはもしかすると子どもが社会人となり、家を出てしまったからなのか、あるいは、一人で過ごす時間が多くなり、過ぎ去ったことや、この先のことを思いめぐるゆとりが出てきたからなのかと思う。

 子どもが親元を離れて暮らすようになってから、カミさんが「おはよう」とか「ただいま」とか「おやすみ」とかを必ず言うようになった。夫婦だけの生活となり、カミさんなりに夫婦のこれからの在り方を考えているのであろう。最初はなかなか応じることができなかったが、いまでは私も「おはよう」とか「おかえり」とか「おやすみ」とか言うようになっている。

 還暦を迎えたあたりから、穏やかな人間でありたいと思うようになってきた。それ以前は、相手を論破することや目立つことが重要と考えてきたが、大きな声を出さなくとも、詰め寄らなくとも、理を尽くして接していけば道は静かに開けてくると考えるようになってきた。「お前は甘い!」「声が大きいほうが勝つ」と言われるかもしれないが、そんな生き方が近頃は嫌いになってきた。しかも私の周囲の魅力的と感じる人の多くは、実に穏やかなのである。そんな人間の一人になりたいと私は思う。

 還暦を迎えた翌月に、私の腹は5カ月目を彷彿させる事態におちいった。食べたいものは遠慮なく食べる、飲みたいものは大いに飲むの日常生活が、60年の人生のなかで見たことのない数値を体重計に見たのである。

 翌日から食生活は一変した。真っ先に心がけたのは、腹一杯にはけっして食べないこと。コープとうきょうに行っても、大好物の刺身の前には近づかないようにする。肉は鶏肉、魚はメザシ。お腹がもうちょっと食べたいと訴えても、おかわりはしない。じっと我慢する。第二に、家のなかでは酒は飲まない。外での付き合い酒のみとする。冷蔵庫のなかの十分に冷えきった缶ビールが目に飛び込んできても、同じ色をしたノンアルコール缶で耐え忍ぶ。ジュースも避ける。たゆ久貴議員が愛用する炭酸水に切り替える。第三に、間食はできるだけ摂らない。「できるだけ」としたのは、タバコを吸わない分、唇が寂しさを訴えており、お煎餅くらいは食べたいと思うからである。

 その甲斐あってか、あれから半年、体重が5s減り、以前の体重に戻ることができた。哀れなのは、冷蔵庫のなかでギンギンに冷えきったいくつかの缶ビールと、冷蔵庫の傍らに置かれた焼酎瓶。飲んでくれる主人を失ったまま、秋を迎えようとしている。

 還暦を迎えて以降、ものごとを静かに考えるようになった。親父が生きた歳まであと17年。少なくともそこまではと思うこの頃である。

(2019年9月10日付)

今年も猛暑

 昨年よりも1カ月近く梅雨明けが遅れた東京は、遅れた分を挽回するかのように連日、猛暑が襲っている。「プールサイドが暑いために水泳授業が中止になった」との話も聞かれ、35℃近くにもなる日中は、生命の危険さえも感じる。

 猛暑はもはや当たり前。にもかかわらず、来年7月24日から8月9日まで、東京でオリンピックが開かれる。炎天下を避けるために、マラソンのスタート時刻を早朝にするというが、「早朝」時点ですでに30℃になっていると指摘する専門家もいる。

 選手の体調や健康管理よりも、アメリカのテレビ局を最優先するオリンピック。寝苦しい夜を過ごした私たちの中に、早朝からテレビの前に坐る人がどれだけいるだろうか。

 8月は、ふるさとを想う。年老いた母親のもとに顔を見せてあげたいと願うが、今年はままならず。東京の地で、ふるさと越前に手を合わせる。8月は猛暑のなかにも静けさが漂う季節である。

(「しんぶん小金井」2019年8月11日付から)

参院選挙

 東京は記録的な日照不足に見舞われている。くる日もくる日も雨ばかり。7月前半の日照時間は平年の1割弱。1961年に統計をとり始めて以降、最も少ない状況だという。

 農作物への影響が指摘され、体調管理など健康面への影響も。梅雨はいつになったら明けるのだろうか。

 くらしを左右する政治の上にも、どんよりとした雨雲が立ち込めている。安倍政権下で消費購買力がどんどん低下し、社会保障や医療費の負担は増えるばかり。挙げ句の果てには「年金だけでは暮らせないから貯蓄せよ」と突き放す。

 秋には消費税を10%に引き上げるという。それを待たずに我が家の食卓からは、おかずが一品減り、酒はとうに姿を消した。「ダイエット」は聞こえは良いが、食費節約のなにものでもない。

 安倍政権を早々に葬り、くらしも政治も一点の曇りのない快晴の日本に。週末の日曜日には政治を変え、いっきに梅雨明けを迎えるべし。

(「しんぶん小金井」2019年7月21日付から)

年金だけでは不足

 「100年安心の年金」どころか、「2千万円用意しないと年金だけでは暮らせない」。政府の審議会が提出した報告書に、国民の怒りが沸騰している。

 平均所得世帯で「2千万円必要」だという。2千万円用意できない人や低年金者、無年金者はどうなるのか。しかも政府は年金支給額を年々減額し、支給年齢の先送りさえ言いはじめている。ようするに、「年金に頼らずに死ぬまで働け」ということ。自民・公明政権は、「老後」すらもやってこない悲惨な生活を国民に強いようとしている。

 子どもを産み育てる給料や環境を保障することなく「少子高齢化」を問題視し、「3人産め」と言い放つ大臣経験者。その一方で、1機116億円もするアメリカの戦闘機を105機も追加購入するという。この政治が続く限り、くらしの不安が消えることはない。

 定数1の選挙区全てで野党統一候補が決定。7月の参院選は安倍政権退陣へののろしをあげる大きな闘いとなる。

(「しんぶん小金井」2019年6月23日付から)

消費税増税やめよ

 「景気が悪化している」と内閣府が発表した。米中の貿易摩擦や中国経済の減速もさることながら、国民のモノを買う力そのものが奪われているなかでは、当然の帰結である。

 アベノミクスが声だかに叫ばれてひさしい。しかし「うちの店にはアベノミクスは来ていない。関所を通れずに、手前で足踏みしている」などの言葉が以前から語られている。庶民はとっくに景気悪化を実感しているのである。

 なのに安倍内閣は、10月からの消費税増税をやめようとはしない。このまま安倍内閣の暴走を許していたら、国民生活も日本経済も奈落の底に引きずりこまれてしまう。

 消費税増税を財源とする「無償化」のポスターが街なかに登場した。無償化の対象期間を過ぎたら、増税だけが全身を襲う。たまったものではない。

 「腹が出てきたね」とカミさんに言われ、酒を絶つこと2カ月。鏡に映る我が腹は、前にもまして負担増状態である。

(「しんぶん小金井」2019年5月19日付から)

青森紀行

写真
陸奥湾の彼方の岩木山

 青森駅から「青い森鉄道」に乗る。ほどなく建物の切れ間から東に八甲田山、西には岩木山が雪の勇士をあらわにする。前面には田植え前の田んぼや広々とした農地が。住宅は線路に沿って群がるように集まっている。しだいに岩木山は車窓のかなたへ、八甲田山は全容がさらに広がっていく。振り返ると、陸奥湾の青々とした景色が飛び込み、両翼には下北半島と津軽半島が。ここ青森は、自然に囲まれた実に静かな場所である。

 青森は本州最北の地。一昔前までは列車で何時間もかけなければ辿り着くことのできない、はるか彼方の地であったが、いまでは東京駅から新幹線で3時間30分。東京駅から岡山駅へ向かうくらいの距離に様変わりしている。この青森に、昨年に引き続き足を踏み入れた。

 県庁所在地の青森市は、人口29万人余。それなりの人口を抱えながらも行政面積が広大なために、駅前の人影は、そう多くはない。加えて、新幹線停車駅の新青森駅は、ここから西に4q先。乗降客の分散化も加わって、青森駅前の賑わいが失せているように思う。

 代表的な観光スポットは、弘前城公園。桜の頃になると必ずテレビで放映される全国に誇る青森の名勝地である。では、その次はどこか。下北半島の恐山?、それとも雪を頂く八甲田山?、はたまた十和田湖なのか?。

 「10連休」と世間が喚く5月の初め、私は寒風吹きすさぶ龍飛崎の展望台に立っていた。昨年は弘前城公園だったので今年は龍飛岬だと、カミさんは理解不能な理由を述べて私をこの地に引っ張っていったのである。

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三厩駅ホーム

 龍飛岬へ行くには、青森駅から各駅停車で津軽線をひたすら北上。蟹田駅までは海岸沿いを、蟹田駅で電車を乗り換えると線路は津軽半島の山中へと入る。行き着いたのは、津軽半島最北の「三厩駅」。しかし線路はここで行き止まり。ここからは町営マイクロバスに乗って龍飛岬へと向かう。青森駅から実に2時間。ようやく辿り着いたのが、「津軽海峡冬景色」の歌謡碑が立つ龍飛崎であった。

 眼前には津軽海峡の青い色が、その先には北海道の大地が横たわっている。西を見るとそこにも海が。こちらの海は日本海になる。とにかく風がすさまじい。岬を横切るように日本海側から津軽海峡へと、服も髪も乱れ飛ぶほどに荒れ狂う。歌謡碑のスピーカーからは「ご覧、あれが龍飛岬、北の外れと〜」と石川さゆりの声が流れてくるが、とてもゆるりと景色を見るどころではない。逃げるように展望台を後にした。

 津軽線は本数が少ない。一日5往復しかない。電車が出てしまうと、次の電車が来るまでに2時間、場合によっては3時間も待たなければならない。そのため、逃げるように展望台を後にし、津軽線の三厩駅に町営バスで戻ってきたものの、次の電車が来るまでには1時間30分も時間があるという状況であった。しかも、その便が最終電車だという。発車時刻は午後5時46分。最終電車にしては十分すぎるほどに明るい時刻である。この最終電車が出るまでの1時間30分、自然のみが豊富な津軽半島の北端で、私とカミさんを含む乗客8人は、ひたすら時間が過ぎるのを待ち続けた。

 青森の5月初旬は、一カ月近く季節が東京と異なる。なかでも津軽半島は新緑にはほど遠く、桜が咲き、ふきのとうが残る。半島の山々には雪がみられ、山あいの湿地帯には群れをなした水芭蕉が。津軽線乗り換え駅の蟹田駅前では、厚い雪の固まりが私たちを出迎えてくれた。自然の中に置き去りにされたような本州北端のこの地は、他とはくらべようもないくらいに静かな時間が流れているようである。

 今回の青森紀行。東京に戻ってもなお、稜線豊かな八甲田山や陸奥湾の彼方にそびえる岩木山の勇士が鮮やかによみがえり、津軽線の車窓から眺めた津軽半島の山並みが私の心を満たし続けている。もう一度この地に行くことがあるならば、電車やバスを乗り継いでいく青森紀行を今一度、味わってみたいものだと思うところである。

(2019年5月9日付)

10連休

 カレンダーに載っていない、降って湧いた10連休。上を下へのキャンペーンが繰り広げられるが、どれくらいの人が歓迎しているのだろうか。

 時事通信の世論調査では「うれしい」が36.5%、「うれしくない」が41.0%。「うれしくない」理由は、「仕事を休めそうにない」「仕事に支障がある」「家事などの負担が増える」など。自営業者も非正規雇用の人も、長期休業は暮らしに響く重大問題となる。

 小金井市役所は休日窓口が2日間、設けられるが、基本は10連休となる。市報4月15日号に概要が掲載された。それを見て私はハテ?となった。保育園や学童保育所が、いっさい記載されていないからである。

 担当課からは「学童保育所は開設せず」「保育園も休み」との回答。休めない親御さんがいることへの対応を施すべきであろう。
季節は新緑へ。自然をゆっくり楽しめるだけのゆとりを政府は確立すべきである。消費税増税はもってのほかである。

(「しんぶん小金井」2019年4月28日付から)

身体の異変

 自覚症状があるわけではない。あるとすれば、「腰が痛い」とか「肩や首が辛い」などの歳相応のものくらいである。しかし事態は「還暦」の声を聞いたあたりから一気に襲ってきたように思う。

 ショックである。まさか、この私が‥‥。知人は言い放つ。「あらがいようがない。その歳になれば諦めるしかない」。しかし、まだ還暦を迎えたばかりである。

 鏡に映る我が身は、くっきりと異常を示している。往年の状況ではない。知人は言う。「食事制限をすべき。アルコールを控えよ」と。言われてみれば、ここ1年くらいの間にアルコールの量は確実に増えてきた。美味しいものを遠慮せずに、腹一杯たべてきたように思う。その結果が、この事態になったのだと推測できる。

 「異変」という表現が適していると私は思う。しかし知人は言う。「突然にやってくるものではなく、徐々にやってくるのだ」と。しかし、私には「突然」としか思えないほどに異常な事態なのである。

 あれは3月の初め頃ではなかったか。夕食を終え、風呂に入った。念入りに身体を洗い、風呂の鏡に全身を映し出したその時である。‥‥やや子ができた。そこには5カ月目くらいを彷彿させる見事な腹が映し出されていた。

 恐る恐る体重計に乗る。見事なほどに驚異的な数値を示していた。なにかの間違いではないのか。体重計のすみずみを調べる。気を取り直してもう一度乗ってみた。数値は先程と同じ、これまで見たことのない大台を示していた。愕然とした。ウソだろ‥‥。

 知人は自身の腹を撫で、俺も板倉さんの歳の頃にはすでにこうなっていたと、破水寸前の肉厚を、誇らしげにたたいた。いやだ、俺はこんな腹にはなりたくない。

 ご飯の量を、これまでの半分くらいに制限しろ。アルコールの量も当然に減らす。今日くらいは大丈夫だろうと次々に口に入れていくと、俺のようになる。運動をしろ、体操もいいぞ。と知人は言う。目の前の失敗例が、にやにやしながら忠告する。

 板倉さん、議員になっても、あんなふうな身体になったらダメよ。と市議選に立候補する26年前に、周囲の女性陣からこもごも言われてきた。これまではなんとか「あんなふうな身体」を防いできたにもかかわらず、還暦を迎えるだんになって、ついに我が肉体が「あんなふうな身体」に押し切られてしまったのである。

 体操をしなければ。腹一杯たべるのも我慢しなければ。むむむむむ、至難の業である。とりあえず今夜は酒を飲むのを我慢しよう。とりあえず今夜は。

(2019年3月28日付)

膨らむ蕾

 近年、卒業式の頃に桜が開花している。市立中学校の卒業式が行なわれた20日は、校庭の桜も野川沿いの桜も、膨らんだ蕾の先から、いまにもピンクが飛び出しそう。涙を浮かべて門を出て行く卒業生に、「頑張れ」と背中を押しているかのように。

 例年、4月の最初の土日に桜まつりを行なっている観光まちおこし協会は、今年は3月最後の土日に前倒し。読みが的中し、満開の桜まつりに期待膨らむ。

 一方、市民の暮らしは、蕾の膨らむ気配なし。国保税がまたもや上がり、下水道料金も値上げ。消費増税は10月のはずなのに、すでにモノが上がりはじめた。財布のひもは開くどころか固くなるばかりである。

 景気が後退傾向に入ったと、政府自身が認めはじめた。増税などとんでもない。いまこそ増税ストップの大きなうねりをあげるとき。

 カミさんが、風呂上がりの私を見て言葉を発した。「腹が出てきたね」。こちらは開花せずに膨らむいっぽうである。

(「しんぶん小金井」2019年3月24日付から)

南中学校卒業式

 3月下旬とは思えない暖かく穏やかな日差しが降り注ぐ20日(水)午前、小金井市立南中学校の卒業式が行なわれた。私は来賓席のかたわらで卒業していく彼らを見つめながら、今は離れてくらす子ども二人の中学生の頃を思い浮かべるとともに、私自身のその頃を思い出そうとしていた。

 自分をもてあますのが中学生の頃ではないだろうか。1年生の時は子ども心を多く抱え、2年生になると周囲や異性を気にするようになり、3年生になると喜怒哀楽が激しくなる────そんな季節を送ってきたように思う。だから、目の前の彼らは、そんななかで
卒業式を迎えたのではないだろうかと思うのである。

 息子も娘も、この南中学校が母校である。息子の卒業式も娘の卒業式も、議会があったために出席してはいない。だから、目の前で繰り広げられている卒業式と比較することができないのが残念である。

 卒業式は、例年と同じような内容でしゅくしゅくとすすめられていった。壇上で一人ひとりが校長先生から卒業証書を受け取り、卒業生が歌い、在校生が歌い、そして全員合唱へ。これが、来賓席で長年見つめてきた南中学校の卒業式のパターンである。ところが今回、これまでにはないものが加わった。

 卒業式の終盤に入り、各クラスの卒業生代表者がマイクの前でお礼の言葉を述べる。と、その時、その中の男子が目の前のワイヤレスマイクを手にとり、「学級委員は前へ」と言った。その言葉を合図に幾人かの生徒が降壇、7人が横一列に並んだ。そして、先頭の生徒がマイクを握り担任の先生方のいる方に向かって言葉を発した。「○○先生、いままでありがとうございました」。そう切り出した後に、その先生の印象と思い出がわずかな時間ではあったものの語られた。当の先生は予想もしなかったのであろう。その生徒をじっと見ながら、こみあげる涙にとまどっていた。

 一言も聞き逃すまいと静まり返った体育館。生徒が発する言葉、真正面から受け取る先生。会場の目が生徒と先生のもとに集まった。担任の先生は全員、副担任も名が呼ばれたのではないだろうか。最後に名指しされた3年4組の男性教諭が椅子から立ち上がった。生徒が発する一言一言に静かに頷く。顔が大きくゆがんだ。

 冒頭の男子がマイクを握った。「卒業生。先生方の方に向かって、礼!」。そして言った。「今回のサプライズを許してくれた校長先生、ありがとうございました」。

 「これをやられたら先生はつらいよ」「うれしいけれど、つらいよな」。来賓席の面々は思わぬ展開への驚きと先生方の心情をはかりつつ、感激の渦にただただ浸り続けていた。校庭の桜は、いまにもほころびそうなほどに蕾を膨らませていた。

(2019年3月20日付)

還暦

 「しんぶん赤旗」日曜版が3月1日で創刊60年を迎える。政党の機関紙でありながら、日本最大の発行部数を持つ週刊紙へと発展し、60年を数えるまでに成長した今日の姿は、ますます輝きを増している。

 「60年」は人間でいえば「還暦」に相当する。人間の場合は、人生における一区切りの意味合いを持ち、赤いちゃんちゃんこや頭巾が贈られたり、還暦祝いなどが定着している。しかし「しんぶん赤旗」日曜版の場合は、還暦祝いをする時間などはなく、安倍内閣のひどさ加減を社会に発信するために走り続けなければならない。

 「しんぶん赤旗」日曜版が創刊される10日程前に、雪国の片田舎で産声をあげた私は、第1回定例会初日に還暦を迎えた。しかし、赤いちゃんちゃんこはおろか、還暦祝いなどという言葉さえも家族からは一切聞かれず、カミさんは一心不乱に仕事に邁進していた。日曜版と同じく、私も走らなければならないのだと改めて悟った。

(「しんぶん小金井」2019年2月24日付から)

もう一度来たくなる街

 巷では「ラグビーワールドカップ」だとか「来年夏は東京オリンピック」だとか、果ては「平成最後」とかで賑わいがやってくるぞと浮かれ調子でいるけれど、仮にラグビーやオリンピックで外国から大勢の観戦者がやってきたにしても、その人たちがリピーターとなって、この小金井という街にどれくらい来てもらえるだろうか。「だから、来てもらえる街にするんだ」と述べる人もいる。では、どうやって?。

 いま、武蔵小金井駅南口では、東京オリンピックが開かれる年の5月竣工めざして、商業施設を入れ込んだ高層ビル2棟を配置する再開発事業がすすめられている。「他自治体から人を呼び込み、賑わいのある街にする」と市長は述べる。たぶん、賑わいはやってくるだろう。でも、長続きするだろうか。

 10年前に武蔵小金井駅南口の開発が行なわれ、イトーヨーカドーが誘致された。開業当初は、開店時間前の入口に行列ができるほどの賑わいをみせていたが、当時の隆盛をいま見ることはない。なぜだろうか。

 どの駅前も開発が行なわれている。高層ビルが建ち、商業施設がどこでも入り込んでいる。どの駅を降りても同じような景色。これでは、わざわざ小金井市に足を運ぶ必要はない。武蔵小金井駅南口のイトーヨーカドーの当初の賑わいも、いま建てられようとしている南口の新たな高層ビルの賑わいも、大半は、物珍しさに誘われた周辺住民の集まりで終わってしまう。しかも、ほんの一時でしかない。リピーターを増やすためには、どうあるべきだろうか。

 上野の西側に根津という地域がある。根津神社が知られており、私はこの地域に何度も足を運んでいる。根津神社に行くのが一番の目的ではあるが、それだけではなく、根津の街のたたずまいが、私を誘っているのである。隣接して谷中、千駄木という、根津を合わせた通称「谷根千」と呼ばれる一帯も魅力的で、下町情緒あふれた風情がここには流れている。商業施設を入れ込んだ高層ビルがあるから人々が集まるのではなく、他にはないものがあるから、人々はやってくるのである。

 では、小金井市。駅前開発以外に人を呼び込むすべはないのだろうか。小金井公園やその中につくられた江戸東京たてもの園はどうだろうか。桜の頃に多くの人が心奪われる野川沿いはどうだろうか。小金井神社や貫井神社、ハケの森美術館周辺などは、人を呼び込む魅力がないと言えるだろうか。

 私は思う。歩いてそこへ辿り着くまでの道すがらに、魅力的な個店とか何かを配置できないか、と。目的地に着くまでの道中がステキだったならば、きっと、もう一度来てみたくなるのではないだろうか。私の脳裏には、吉祥寺駅から井の頭公園までの石畳の風景が浮かんでいる。

 1月29日(火)夜の小金井市商工会青年部・小金井MID倶楽部の賀詞交歓会の席上で、私はそんなことを考えながら、主催者や来賓の方々の挨拶を聞いていた。

(2019年1月30日付)

5年後の市内小中学校現場

 昨年秋、東京都教育委員会が都内各自治体の公立小中学校の今後5年間の児童生徒数の推計を公表した。小金井市立小学校の児童数は増加率が三多摩で最も高く、中学校の生徒数増加率も4番目に高いという。その時、学校現場はどんな事態を迎えるのだろうか。

 昨年6月、市教育委員会は市内小中学校にアンケートを実施。第二小学校では「体育館での全校集会・朝会に全校児童が入りきれない」、第三小学校では「教室不足、給食設備不足、職員室スペース不足」、緑中学校では「校庭での体育会実施が困難に。体育館で全校で行なう行事に、保護者や地域の方が入れない状況に」など深刻な事態が浮かび上がってきた。ところが西岡市長は、駅前開発で他自治体からさらに小金井市に呼び込むと言い放つ。

 事態の深刻さをかえりみず、ひたすら開発に突き進む西岡市長。武蔵小金井駅南口では、戸数716を擁するマンションが進行中。今日も学校現場の悲痛な声が響いている。

(「しんぶん小金井」2019年1月27日付から)

2019年の年賀状

 年が改まり、穏やかな正月を過ごしたのも束の間、9日(水)夜あたりから東京地方は急激に冷え込み、12日(土)昼には、この冬初めて雪が舞い降りた。昨冬よりも12日遅い初雪だという。雪は僅かに舞っただけで、すぐに雨に変わり、その雨もほどなくやみ、後には寒さだけが残った。それでも、この冬は例年ほどには寒くないと感じるのである。

 季節のなかでもっとも苦手なのは冬である。少しばかり細身であるがゆえに防寒用の肉厚が薄く、骨身に沁みる寒さが全身を覆うのである。しかし、身動きを妨げるまでには至っていないことから、いまのところ例年ほどではないと思うのである。

 正月2日からカミさんの実家へ出かけた。瀬戸内海に面したその町は、東京ほどには寒くなく、店舗やスーパー、病院、介護施設等が充たされていれば、とても過ごしやすい地域だと感じる。加えて、私の好きな神社仏閣がこの地には多く、この仕事を引退後は、お遍路巡りも悪くはないと夢を膨らませる。西に向かえば、金比羅さんや善通寺があり、カミさんの実家近くにも、紅葉が映える古刹がたたずんでいる。実家近くのスーパーには、高松や鳴門で水揚げされた魚介類が豊富に並び、ご当地ならではの、お一人さま用即席讃岐うどんが売り場の一角を占めていた。魚介類や肉類は、小金井市よりは2割程度、安いのではないかと品定めをする。この地の刺身は、実に美味であった。

 留守をしていた我が家に、友人・知人からの年賀状が舞い込んだ。遠く離れている旧知からのものは、心温まるものを感じる。ついに、おばあちゃんになったのか、大家族で大変そうだなぁ、我が家と同じ夫婦二人暮らしになったのか、あの頃よりも痩せたんじゃないのか、等々。一方、通り一遍の挨拶文だけのものも見うけられ、少なくとも近況くらいは記してほしいと願わずにはいられない。できれば、いまの自身を映した写真も刷り込んでほしいと思う。

今年の私の年賀状

写真
昨年5月の弘前城
[表面]
■旧年中は大変お世話になりました。高卒で上京し、小金井市に住んで42年。都心も小金井市も様変わりしました。どの駅を降りても高層ビルが建ち並ぶ有り様に、街の魅力が失われてしまったと思うのは私だけでしょうか。街の姿は変わっても、地域の絆は育てたい。だから、今年も元気一杯走ります。
[裏面]
■南北首脳会談、史上初の米朝首脳会談が行なわれた2018年。対立から対話へと朝鮮半島に新たなページが。一方、空母まで持とうとするこの国は、「森友・加計」「南スーダン部隊」など、公文書の破棄・改ざん・隠蔽が横行。野党共闘で安倍政権に終止符を。
■公約を破り豊洲市場に突き進んだ都民ファースト。暮れの西東京市議選では議席ゼロに。2020年夏の東京オリンピックを口実に道路建設や再開発が狙われる首都・東京。いずれは人口減になるというのに、あいかわらずのゼネコン政治。大震災から8年の被災地は置き去りに。
■「都市間競争に勝つため」と、民間が行なう駅南口開発に15億円も投入。一方で国保税や介護保険料の値上げ、ガン検診の有料化を強行。この4月からは市民課窓口の民間委託まで。これが西岡市長の「行財政改革」の実態。
■社会人になり家を飛び出した娘は、不動産業界の荒波に揉まれながらも青春真っ只中。帰省どころか、メールさえも滞る。社会人3年目の息子は、東北の寒さに震えながら取材に駆け回る。ときおり載る息子の記事に、成長のきざしをかいまみる。兄妹よ元気であれと親は願う。
■気がつけば還暦。鏡に映る白髪の数や腹のたるみに、過ぎ去りし日々のあわただしさを思う。往年の美少年は、普通のおっさんに変身していた。年末に妻は、独り暮らしの実母のもとに駆け足で帰省。残された我が身は、腰の痛みに耐えながらの大掃除。いつまで続く?この夫婦。

(2019年1月13日付)

義父の四十九日法要

写真 カミさんの父親が昨年11月20日に死去した。享年89歳である。義父はガンを患い、体力が低下したことから、入所していた特養ホームから病院へと移され、いくばくかの月日を過ごして天国へと旅たった。11月22日に通夜を、23日に告別式を行ない、年が明けた今月5日に四十九日法要が行なわれた。

 義父の死は、ある程度、想定はしていたものの、その日が来るのはもう少し後のことだと思っていた。11月20日のその日、私はカミさんに誘われて、大竹しのぶ主演の「ピアフ」を日比谷で観劇。上演が終了し、日比谷駅近くで食事をしている最中に、カミさんの携帯に母親から危篤の知らせが舞い込み、電車で帰宅途中にカミさんの兄から「死去」の報が入った。カミさんは寝耳に水だったようで、悲しむ余裕もなく、とりあえずの荷物をまとめ、翌日、バタバタと小金井を後にした。

 正月明けの5日(土)に四十九日法要が行なわれることから、カミさんは年末の御用納め翌日に実家へと新幹線に飛び乗り、私は正月2日に向かった。

 小金井の我が家は、基本的に大掃除は私が担うこととなっている。なぜなら、カミさんは毎年、御用納め翌日には実家へと帰省するからである。そのため、大晦日まで大掃除に追われた私は、元旦のみが唯一の休息となり、カミさんの実家へ向かった正月2日からは、四十九日法要の準備へと移っていった。

 義母は独り暮らしである。八十歳台の半ばになろうとする身体は衰えを隠せず、築50年を過ぎた家屋も、あちらこちらに傷みが生じている。夫の位牌の前で手を合わせる義母の後ろ姿は、あまりにも小さい。風呂に入ることも、この頃はしんどいとつぶやく。

 実家からさほど離れていないホテルで行なわれた法要には、大阪で暮らす義兄一家全員と東京で暮らす板倉家からは青森で働く息子以外が参列。10人余の近親者も加わった。

法要を終え、カミさんの実家に戻った義兄一家と板倉家の面々は、それぞれに翌日からの予定を抱えていることから、一斉に帰路の準備にとりかかる。それを見ていた義母が一言発した。「みんな帰るんか」。

 カミさんに手をつながれて歩く義母の歩みはとても遅い。背が前かがみになり、それでも頑張って歩こうとする姿に、心が痛む。「みんな帰るんか」の言葉が、脳裏に焼きつく。「東京に来ませんか」と私は問う。「ありがとう」と義母は応えたが、この地以外で暮らす意思のないことをわかっていながら問う己の言葉に、一人で残してしまう申し訳なささと、それをわかっていながら東京へと戻っていかなければならない自責の念が複雑に絡み合う。私は思う。義母にとって「東京に来ませんか」の問いは、ひとかけらの気休めにもなっていないのではないだろうか。

 カミさんは何も語ろうとはしない。昨年11月の葬儀のあと、カミさんに「東京に来てもらってもかまわないよ」と言ったときに、「ほんとにいいの?」と言ったきりである。自分の生まれ育った地を離れたくないことを最もわかっているのは、カミさんなのであろう。今夜もカミさんは、一人で暮らす母親の声を聞くために電話をかけている。

(2019年1月8日付)

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