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市立南中学校創立40周年記念式典

 季節はずれの底冷えする11月2日、小金井市立南中学校の創立40周年記念式典が南中学校体育館で挙行された。全校生徒と教職員、市長、教育長、教育関係者、市議会、地域の方々など多数の来賓を迎えての式典である。市長、教育長、市議会議長からは南中学校の歴史が語られ、校長先生からは開校に至る経過やエピソードが紹介された。一口に「40年」、しかしその40年の間には、言い尽くせない苦労や熱い思いもあったことであろうと、来賓席で私はあれこれ思いめぐらしていた。

 南中学校が開校を迎えた1977年は、私にとっても記念すべき年である。開校日の4月1日からさかのぼること9日の3月23日、私は福井の片田舎から上京し、その夜には小金井市内の居室にころがりこんでいる。つまり、南中学校の歴史は私の東京での、そして小金井市での歴史と重なるのである。ただし、最初に住んだのは梶野町。南中学校は地理的には中央線をまたいだ対角線の方角にあり、貫井南町に越してくるまでは校舎を目にすることもなかったというのが実情である。

 式典では生徒の合唱に続いて、吹奏楽部の演奏が行なわれた。曲目はエルガーの「威風堂々」。中学生段階で演奏するにはなかなか手ごわい曲である。しかし東京都大会で銀賞をとった腕前は観客を魅了させ、演奏終了と同時に喝采を浴びた。「威風堂々」の見事な演奏に聴き惚れながらも、中学、高校とブラスバンド部に所属していた私は、この音はトランペット、これはクラリネット、主旋律を奏でているこの音はホルンなどと、音色を聴きながら思い当たる楽器を描いていた。

 南中学校は、我が息子と娘の母校である。貫井南町在住の他の議員も、子どもは南中学校を卒業しているという。毎年の南中学校の入学式や卒業式に出席させていただいている貫井南町在住の4人の議員は、南中学校の校歌が歌える。歌詞を見ないでとまではいかないものの、メロディはしっかりと頭にきざまれている。だから、貫井南町在住の議員は、式典最後の校歌合唱では大声で歌った。「国歌斉唱」では口を閉ざしていた私も、「校歌合唱」では自慢の喉を披露。一番から三番まで高らかに歌った。

 歌い終わった後、一抹の不安がよぎった。忌まわしい子どもの頃の記憶である。小学校の時、私は先生と仲がよく、お友だちが先に帰った後も、教室の隅っこで先生を前に机に座り、教科書とにらめっこをしていた。私はそれを「独自の勉強」と称していたが、周囲の友だちは「居残り」と声だかにあざけり笑っていた。帰りはいつも一人。学校から自宅までは子どもの足で1時間くらい。夕日を背に一人、川の堤防や田んぼの畦道をトボトボと歩き、一人ではつまらないので、学校で習ったばかりの文部省唱歌を歌いながら帰っていた。

 当時の私は、女の子もうらやむボーイ・ソプラノ。音楽の時間などは、私の美声に教室中がうんざり、いやちがう、うっとりしたほどである。そのボーイ・ソプラノが夕日を背に受けながら、田んぼの畦道を歌いながら歩いている。歌っている本人は、もちろん美声に酔いしれていた。・・・ところがなぜか秋、村は不作に見舞われてしまった。

 あの時の記憶がいま、よみがえる。もしかしたら、目の前の子どもたちは今夜、食事がノドを通らないのではあるまいか。夜中にうなされているのではあるまいか・・・。それは板倉さんの思い過ごしですよと、優しいあなたは言ってくれるかもしれない。しかし、私が気持ちよく歌っている最中に、前の席の来賓の方々の顔が歪んだのを私はしっかりと見てしまった。

(2016年11月3日付)

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