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大震災から4年余の大船渡市、陸前高田市

写真 東北の太平洋沿岸部はリアス式海岸が翼を広げ、青い海が入り江の奥深くにまで入り込む景色豊かな場所である。けれども、海岸線の低地に近づくにつれて街は様変わり。ショベルカーやトラックが騒がしく走り回り、土をうずたかく積み上げている。大津波から4年4カ月を経た大船渡市と陸前高田市のもとへ、小金井市議会建設環境委員会は視察に出向いた。

 今回の視察、集合時間がやたらに早い。朝7時に武蔵小金井駅である。視察先が岩手県の沿岸部だからということだけではなく、鉄道網が完全には復旧していないという現実がそこにはあった。そのため、東北新幹線で一ノ関駅まで向かった一行は、そこから路線バスに乗り換え、ひたすら東へと走った。窓の外は7月の終わりの夏真っ盛りである。東北の田んぼや畑、民家、山並みが窓越しに流れる、ほのぼのとした風景である。しかし朝7時集合のうえに、一ノ関から目的地の大船渡までは2時間30分もの路線バス。景色を楽しむよりも夢をむさぼる方が多い状況となった。

写真 路線バスが沿岸部へと入ってきた。沿岸部の最初は宮城県気仙沼である。津波の爪痕がいまなお消えず、窓や扉がなく、がらんどうと化した建物があちこちに散見される。次に陸前高田である。「壊滅」とさえ言われたこの街は、津波におおかたの家屋が押し流され、かつて街があった場所は、土地の嵩上げ工事の真っ只中である。近場の山を削り、パイプラインのベルトコンベヤーで土砂を運び込む嵩上げ工事のど真ん中をバスは走る。奇跡の一本松も車窓から見ることができた。仮設の商店街が嵩上げ工事の区域の中で商魂たくましく頑張る姿に、人間の力強さを見る思いであった。

 大船渡は青い海が入り江奥深くに入り込む、美しい港町である。バスが走る一帯は特段変わりのない普通の街だが、沿岸部は陸前高田と同様に、嵩上げ工事の真っ只中である。道路沿いの郊外にチェーン店がいくつも見られた。震災前は沿岸部に店を構え、津波で被害を受けたのであろう。郊外のチェーン店は全てが仮設店舗であった。

写真 大船渡市役所は高台にある。そのため津波被害に遭うことはなかった。一方、陸前高田市役所は低地にあったために、15.8mの大津波に飲み込まれてしまった。陸前高田市役所は現在、プレハブ庁舎が丘の上に建てられている。

写真 宿泊先のホテルは大船渡市郊外にある。このホテルも津波の被害に遭い、一昨年9月に現在地に建てられたという。周囲は田んぼと民家、後ろには青い山がそびえている。店は見えない。500m先にコンビニがあるだけで、繁華街までは4qかかるという。そのため一行は静かな夜をすごした。2階にあてがわれた部屋の窓を開けると、隣家の2階が目の前に。外灯と民家の明かりのみが暗闇に映し出されていた。

 東北の沿岸部を襲った大津波から4年4カ月。陸前高田、大船渡、気仙沼をバスで駆け回ったが、被害の甚大さと復興に向けた気の遠くなるような「街づくり」に圧倒される思いであった。もし小金井市を直下型地震が襲ったらどうなるだろうか。避難所は?、仮設住宅は?、復興住宅は?等々、多くの課題を与えられた視察となった。
以下に、市議会事務局に提出した視察感想文を掲載します。 

(2015年8月11日付)

大震災から4年余の大船渡市、陸前高田市

[両市の被害状況]
 大船渡市、陸前高田市ともに、2011年3月11日の東日本大震災では想像を絶する津波被害を受けている。当時の総務省資料によると、大船渡市は人口の1.1%にあたる452人が死亡もしくは行方不明とされ、陸前高田市は1,951人が死亡もしくは行方不明に。これは人口の8.4%にのぼっている。建物の被害も甚大で、全壊・半壊の住宅は大船渡市で3,629棟(24,5%)、陸前高田市では3,341棟(42.9%)に達し、家屋の7〜8割が水没した陸前高田市のマスコミ報道は「街はほぼ崩壊状態」となっている(数字は2011年9月9日時点)。この両市の震災から今日までの復興に至る経過や教訓を学ぶためにやってきたのだが、もし直下型大震災が東京を直撃したらどのような光景になるのか、避難生活は確立できるのかと、思案せざるをえないものとなった。

[小金井市の被害想定]
 多摩地域の小金井市は、津波被害を想定することは必要ないであろう。想定すべきことは、家屋の倒壊と避難生活である。では小金井市における被害はどの程度になるのか。東京都防災会議が3年前の4月に示した被害想定によると、マグニチュード7.3の多摩直下地震が冬の午後6時に襲った場合、市域の32.6%が震度6弱、残りの67.4%の地域が震度6強となり、建物全壊が725棟、半壊は2,515棟になるという。夜6時という時間設定であることから夕食準備に入っている家庭を想定し、地震火災は1,974棟、焼失率は7.7%に達するとしている。地震発生直後から避難生活が始まる。東京都防災会議の試算では、小金井市の避難人口は30,495人、住民の25.7%が避難を余儀なくされる。この「25.7%が避難生活を余儀なくされる」事態をいかに混乱なく、やりくりしていくのかが、今回の両市の経験から学ぶべきことである。

[小金井市で想定される光景]
 大震災が発生し建物に甚大な被害が起きれば、住民は市が指定した小中学校や地域の公共施設に集まってくる。大船渡市や陸前高田市でも同様な事態となっている。しかし両市と小金井市とでの大きな違いは、小金井市は人口が多いということである。前述のように小金井市では30,495人が避難生活を余儀なくされる。しかし、市内の小中学校にどれくらいの人数が寝泊まりできるというのであろうか。7月18日の午後、市内の第四小学校体育館で避難所開設訓練が催されたが、4人家族が2畳分を確保し、歩くための通路を設けた場合、実に36世帯(144人)しか体育館には収容されないとの結果が出たという。この144人を避難生活を余儀なくされるという30,495人に当てはめた場合、第四小学校体育館規模の施設が212施設必要となる。教室などの活用も考えられるが、到底、全員が避難所で寝泊まりできる数値ではない。

 次に、仮設住宅の建設である。陸前高田市では遅くとも5カ月後には全員分の仮設住宅の完成に至ったが、建設場所は小中学校の校庭や公共敷地である。では、小金井市内で仮設住宅を建てられる校庭や公共敷地はどれくらいあるというのだろうか。校庭に建てられる数はごくわずかとなる。市営グランドも広くはない。あとは、野川公園や武蔵野公園、小金井公園へと目は移るが、近隣自治体も考えることは同じなので小金井市だけが都立公園を独占できるわけではない。結局、仮設住宅入居者は限られてしまい、避難所生活が長期化することになるのではないだろうか。そうなるとあとは「縁故疎開」に頼ることになる。

[復興公営住宅の課題]
 仮設住宅の長期化は避けるべきである。仮設住宅は応急措置であることから、夏は暑く冬は寒い、自然と一体の建物である。建物の劣化も著しく、「床や土台部分が痛んできている」と大船渡市の職員は述べる。そのことから大船渡市も陸前高田市も復興公営住宅の建設が急ピッチですすめられており、入居も順次、始まってきている。ところがいくつかの点で問題が発生しているという。第1に、家賃が発生するということである。仮設住宅は家賃がゼロであったのに対して復興公営住宅は家賃が発生し、入居を断念する事態が起きているという。第2に、地域コミュニティの問題である。仮設住宅が長期化するなかで仮設住宅のなかで地域コミュニティが培われてきたが、復興公営住宅への入居となると、仮設住宅で培われたコミュニティが失われることになる。そのことから、復興公営住宅への入居を拒む高齢者も多いという。第3は、交通の便である。復興公営住宅は津波被害が起きない街外れに設けられていることから、買い物や病院へ行くには不便な地域になっている。足腰の弱い高齢者には敬遠されているという。

 この3つの問題について小金井市ではどうであろうか。家賃やコミュニティ、交通の便を言うよりも前に、復興公営住宅を建てる敷地はあるのだろうか。都立公園をつぶす以外に道はないのではないだろうか。あるいは自分の土地に家を建て替えるという選択もあるかも知れないが、若い人ならいざ知らず、高齢者に融資をしてくれる金融機関などあるだろうか。大船渡市も陸前高田市も、「自立再建を諦めて、復興公営住宅入居を選択する人が増えている」という。

[高台移転と市街地の嵩上げ]
 大船渡市も陸前高田市も、津波被害に遭わないために、住民の高台移転や市街地の嵩上げをすすめている。「高台移転」とは言うものの平らな丘があるわけではなく、山や斜面を削って移転できる高台を形成する。「市街地の嵩上げ」は津波被害を軽減できるように、山から土砂を持ち込んで地面を高くするというものである。いずれも「街」そのものを一から造り直す壮大な取り組みであり、目の前で繰り広げられている工事は、気の遠くなるような光景であった。

 道路や公園を確保するために区画整理事業の手法が取り入れられている。つまり「減歩」が発生する。しかしこの手法は被災者には実に厳しい。財産が流され身内も亡くなるなどした被災者に、今度は区画整理の「減歩」で土地を提供せよというのである。「だから買収方式となる防災集団移転事業も併用している」とのことではあるが、1件1件の移転交渉に時間がかかっているのが実態だという。

 両市の復興事業計画表を見せていただいたが、事業の多さに目が眩む思いである。市の職員ではとても対応しきれないために、両市ともに事業をURに委託していた。事業計画表には事業完了予定期日が記されていたが、視察に同行した小金井市の部長は「とてもこの期日では終わらないでしょう」と述べる。ちなみに、復興に要する費用はほとんど国からの復興交付金でまかなえているとのことであった。

[両市の今後に対する懸念]
 視察に訪れる5日前の7月24日、JR東日本は、東日本大震災で被災したJR大船渡線の気仙沼〜盛間の復旧を断念する方針を表明した。このことで最も深刻な状態に陥るのは陸前高田市である。大船渡市は大船渡線の他に南リアス線が盛駅まで来ているが、陸前高田市は大船渡線の他には鉄路はなく、バスや自家用車を利用する以外に陸前高田市に入るすべはなくなる。陸前高田市の復興事業は大船渡線の復旧を前提としており、「いずれ計画の見直しが必要になります」と陸前高田市の担当者は述べていたが、胸の内は複雑であろう。人口減少に拍車がかからなければよいがと願わずにはいられなかった。

[いまなお爪痕残る]
 大震災から4年4カ月余を経過したにもかかわらず、両市ともに津波に襲われたままの建物があちこちに残っている。帰路は気仙沼駅から鉄道を利用したが、気仙沼駅周辺にもそのような建物が見られ、仮設で営業活動をしている店舗も見受けられた。津波が広範囲に襲い、被害が甚大であったということはいなめないが、経済大国と呼ばれるこの国で、いまだに仮設暮らしや仮設店舗を強いられる光景は納得できるものではない。5年後のオリンピックがどうのこうのというよりも、目の前の実態こそ直視すべきである。


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