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被災地・石巻支援ボランティア報告記
 今月8日から10日まで出かけて行った、宮城県石巻市への震災支援ボランティアの報告をする機会が23日(日)の午後、小金井市内で設けられた。参加者は被災地に行ったことのない人ばかりで、パソコンを使ってのパワーポイント画面を食い入るように眺め、私のつたない説明に耳を傾けてくれた。

写真 石巻市は震災でどれくらいの被害が起きたのであろうか。総務省統計局や石巻市のホームページでまとめてみると、死者と行方不明者あわせて3,979人(10月12日現在)となっており、東日本大震災の犠牲者の2割を占めていることがわかる。家屋の被害は、一部損壊をあわせると3万2,775棟となり、この中には事務所や倉庫、店舗も含まれているので単純にはいえないが、石巻市の5万7,871世帯の半数以上が被害を受けていると思われる。津波による浸水被害を受けた区域にいたっては、石巻市の人口の69.9%、世帯数では72.9%という驚くべき状態である。

 私は、総務省統計局のホームページをもとに、100人以上の犠牲者(死者・行方不明者)があった自治体を拾い上げてみた。一番犠牲者の多かったのは「石巻市」の3,979人、次いで岩手県「陸前高田市」の1,951人、その次が「気仙沼市」の1,405人となっている。しかしそれぞれの自治体の人口比で見ると、一番犠牲者の割合が高いのが宮城県「女川町」で9.58%。住民の1割が犠牲になっている。次いで岩手県「大槌町」で9.15%。その次が岩手県「陸前高田市」の8.37%である。浸水の被害に遭遇した割合は、石巻市が69.9%。しかし、浸水被害の人口割合が一番多いのは宮城県「南三陸町」の82.5%で、次いで「女川町」の80.1%、その次が宮城県「東松島市」の79.3%となっている。このことをまとめたレジュメに、参加者は釘付けになっていた。

写真 石巻市に東京から行くには、自動車か鉄道でいくことになる。しかし自動車で行くには平均で7時間、渋滞にまきこまれれば最低でも8時間は覚悟しなければならない。しかし私は、そう若くはない。自動車の狭い空間で7〜8時間も揺られるのはかなわない。「よし、新幹線にしよう!」ということで、私は東京駅から東北新幹線の「はやぶさ号」で行くことにした。「はやぶさ号」は東京駅を出発したら「大宮」に止まり、その次はノンストップで「仙台」まで来てしまうというスグレモノ。実に1時間36分で「仙台駅」に来てしまうのである。

 ところで、新幹線「はやぶさ号」は、他の新幹線と異なるところがある。「はやぶさ号」は青森まで3時間余りで行ってしまうという驚くべきスピードだが、実は「自由席」がない。「全席指定」。石巻のボランティアセンターの集合時間が決まっているので、この「はやぶさ号」に乗らなければならないのである。私は、指定席が満席であっても、少し早めに行って自由席に座れるようにホームで並べばよいと思っていた。が、全席指定。しかも満席。そのことを、当日の武蔵小金井駅で知った。武蔵小金井駅の新幹線の自動券売機から出てきた切符は、この「はやぶさ号」の「禁煙席1号車の『立席』券」。つまり、全席指定なのだが、立つことを条件に乗車を認めるという切符。仙台駅までの1時間36分、私は自分のバッグに腰掛けて、新幹線に揺られた。

 さて、仙台駅。「仙台」から「石巻」まではJR「仙石線」が走っているが、一部区間が依然として開通していない。一部とはいっても、仙台駅から石巻駅までの区間の実に4割に相当する区間が開通していないのである。開通していない区間は代行バスが走っているが、電車とバスとの乗り換えが必要になり、かえって時間がかかる。私は事前に調べて、仙台駅から石巻駅までの直通の高速バスがあることを把握していた。仙台駅前から55人乗りバスに乗って1時間20分、運賃800円で無事、石巻駅前に到着することができた。

写真 バスのなかで、携帯ラジオを聞いていた。仙台放送局の番組で、「震災で亡くなった人の葬祭経費の補助がある」ことや、浄水場が被災したことから「節水」を呼びかけるものがあった。被災地に来たという思いが強くなった。

 現地は、自動車がないとどうにもならない。車は唯一の移動手段となるのである。そんななか、現地で我々一行は、重大な事態に直面した。「我々」というのは、小金井・国分寺・国立から参加したボランティアメンバーのこと。初日(8日)に参加したのは7名。しかしこの7名、それぞれに異なる交通手段で来ている。私ともう一人は新幹線。あとの5人は自動車である。しかし、自動車できた5人は、自家用車に3人、小金井市貫井北町の共産党事務所を朝8時30分に出発した支援物資を乗せた2トントラックに2人である。この2トントラックは夕方、支援物資を下ろしたあと、すぐに引き返してしまった。あとに残ったのは自家用車1台と7人である。自家用車には最大でも5人しか乗れない。しかし荷物があるため4人でも窮屈。さてどうするか?。

 結論は、食事と風呂のある「上品の郷(じょうぼんのさと)」まで1台の車でピストン輸送するということ。つまり、「上品の郷」がある「河北」インターまでの片道20分を往復してもらうということである。70歳前の運転手は見事にその任務をやりきった。

 しかし、それだけでは終わらない。今度は「上品の郷」から宿泊施設までの片道40分を往復するという重大な役目が残っている。さすがに、これには一同が頭を抱えた。往復では実に80分を超えることが確実だからである。

写真 ところが、救う神がいた。一日はやく宮城県議選の選挙ボランティアで来ていた知人が、「上品の郷」で食事をしていたのである。その知人か、宿泊場所の方角が近いということで、便乗させてくれるというのである。かくして、片道40分、往復80分のピストン輸送は避けられることとなった。ただし、この知人の車含めた我々一行の2台は、高速道路を下りてから道に迷う事態となったのである。幸いにして、地元の親切な女性が通りがかりに我々を発見し道順を教えてくれたので、車内で野宿せずにすんだ。東北の地は車なしでは大変な目に遭うが、車があっても、右往左往するのである。

 なお、2日目(9日)朝の宿泊施設から石巻市のボランティアセンターまでは、宿泊施設に宿泊した他のグループの車に便乗させてもらうことができた。また、2日目(9日)は国分寺市議会議員の2人が乗ってきた自家用車があったので、それで対応することが可能となった。

 以上のことを説明のなかに織りまぜながら、20人の参加者の中で行なわれた「被災地・石巻支援ボランティア報告」は無事、終了した。なお、この時に使用したレジュメをPDFファイルで掲載するので、ご参照いただきたい。

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