プロフィール
議会報告
活動日誌
市政報告
エッセイ(随想)
なんでも相談室
地域の活動
子育て奮戦記
趣味のページ
草野球
音楽
リンク集

メール

活動日誌
インデックスページへ

「亜臨界処理」実験プラントを視察

写真 市民の可燃ゴミを焼却していた二枚橋焼却場が昨年3月末で稼動を終え、小金井市は現在、三多摩8箇所の焼却施設で可燃ゴミの処理をお願いしている。しかし、いつまでも他施設での処理を続けるわけにはいかず、小金井市は遅くとも9年後(2017年)には小金井市内で新たな処理施設を稼動させることが求められている。

 新しくつくられる処理施設はどんな施設が良いのか。どのような処理方式であるべきなのか。昨年6月からスタートした「新焼却施設建設場所選定等市民検討委員会」は月2回のペースで会合を開き、処理方式や建設場所の検討を懸命に積み重ねている。しかし、なかなか出口が見えないのも実情である。

 「新焼却施設建設場所選定等市民検討委員会」の議論のなかで、「亜臨界処理」という言葉が飛び交うようになった。固形物を熱と圧力で液体にする技術らしく、「圧力鍋と同じ原理」と称する人もいる。焼却処理ではないことから、焼却による臭気を含む煙やダイオキシン類の発生を防ぐことができ、焼却処理方式よりも施設規模が小さくてすむと、期待が寄せられている。そんなおり、新潟県見附市の実験プラントを調査に行こううとの話が議会内でもちあがり、1月30日(水)、日本共産党小金井市議団を含む7人の小金井市議会議員が見附市を降り立った。

 JR見附駅から車で7分ほどのところに、その実験室はあった。静岡大学工学部と藤村通商株式会社が共同で行なっているもので、床面積150平方メートル、3階建に匹敵する高さのガレージ小屋。建物の脇を上越新幹線の高架が走り、周囲は水田地帯である。外は冷たい小雨が降っているにもかかわらず、臭気を外に逃がすためか、ガレージの扉は開かれていた。

写真 実験プラントは、200kgのゴミを一度に処理できるというもので、最初に、生ゴミの処理を披露してくれた。機器の上部に投入場所があり、そこから生ゴミを入れ、棒でグイグイ押し込む。スタートボタンを押すと機器がうねりをあげ、徐々に処理機内の気圧と温度が上がっていく。最終的に気圧は17気圧になり、温度は200度近くに達した。処理時間は30分間。機器が止まり、圧力用に使用した蒸気が機器から抜かれる。機器の前面の蓋が緩められると、蓋の下部の隙間からは茶色の液体が流れだした。液体が流れ終わったころを見計らって蓋が開けられると、そこには黒っぽい粉末状の固形物がたむろしていた。

 次に、プラスチック容器に入ったままのコンビニ弁当が機器に投入された。投入物がかさばるために、上からの投入ではなく、前面の蓋を開け、そこから中に押し込んだ。生ゴミだけの場合と異なり、機器の上部の投入場所から木屑も入れている。「残さをサラサラ状態にして、粉末燃料にするため」との説明。プラスチックゴミ1、木屑2の割合である。30分後に蓋の前面が開かれると、粉末状の固形物が先程よりもはるかに多くたむろしていた。「粉末状の固形物は燃料にするか埋め立て処理にする」との説明。大量に発生した茶色の液体は、再利用するか、もしくは雑多な菌の寄せ集めである「共生系菌叢(きょうせいけいきんそう)」で処理し、環境基準を充たした状態で下水や河川に流すことが可能だという。

 コンビニ弁当を機器で処理している間に、我々一行は別室で亜臨界処理技術を紹介したDVDを観賞した。6分ほどのもので、大垣市にある「イビデン」という会社がつくったもの。亜臨界処理の利点をアピールしたもので、(1)最終処分場に行く量が10分の1になる、(2)環境にやさしい、(3)経済的、(4)コンパクト、というもの。しかし、あれこれ尋ねてみると欠点も見えてくる。すなわち、(1)金属類はダメ、(2)10分の1に減容された固形残さは菌で処理できない、(3)固形残さは粉末燃料化を考えているが、利用先が少ない、(4)そのため、現状では固形残さは埋め立て処理となる、(5)紙類が多いと液体はゼリー状になり、後処理が難しい、など。ようするに、分別の徹底が必要であり、粉末状の固形残さも、現状では埋め立て処理になるざるをえないということ。私の脳裏には「発生した茶色の液体を、環境基準を充たして下水や河川に流すというが、果たして大丈夫なのか」との思いもよぎってはいるのだが・・・・。いずれにしても現時点では、研究段階の域を出てはいない。実用化には、まだまだ課題が残されていると感じた。後日、名古屋の「フジムラインベント」から、亜臨界処理を紹介したDVDが郵送されてきたが、相手側の熱心さには敬意を評する。

写真 さて、視察ではエピソードがつきものだが、今回も思わぬエピソードが発生した。エピソードは2点。その内容を本題とは離れて、紹介したい。

 今回の視察には、共産党市議団から私と、森戸洋子、水上洋志の3人が参加。残る4人は、民主党から小川和彦、宮崎晴光、村山秀貴の3人。そして議長の篠原ひろし議員である。偶然にも、7人とも同じ新幹線となったが、乗車券は会派ごとに買ったため、車両は別々となっている。エピソードは新幹線に乗る前に起きた。

 最初のエピソードは私である。共産党市議団は新幹線のホームで待ち合わせとなっているため、私は単身、新幹線の改札口を通過すべく切符を改札口に投入した。投入したのは乗車券と特急指定券が一枚にまとめられたもの。ところが「ピンポ〜ン」と鳴り、仕切り板が開かずにとうせんぼ。“切符が不足しているのでは?”と、昨年秋の行財政改革調査特別委員会の岡山視察でのハプニングが脳裏を横切った。近くにいた駅員に訴える。「あの〜、改札口を通れないんですけど・・・・」。切符を見た駅員がすかさず述べた言葉に、己の愚かさを知った。「場所が違いますよ」。そうなのだ。場所が違う!。私は何の疑いもなく、見慣れた新幹線の改札口を通過しようとしていた。しかし、私が通過しようとしていたのは「東海道新幹線」の改札口。新潟は場所が違う。「上越新幹線」でなければならないのだ。年に一度、お盆の帰省のおりに家族連れで福井へ向かう私は、東海道新幹線を利用する。その時の行程に沿って、自然にこの改札口に身体を運ばせてしまったのである。同時に「視察といえば関西方面」の場合が多く、自然と東海道新幹線に向かうように仕向けられてもいるのである。哀れな習慣としかいいようがない。しかし、同僚の議員は笑い転げた。

 もう一つのエピソードは、民主党と議長の一行。この4人の切符に問題が起きた。上越新幹線の下車駅は「長岡駅」である。ところが4人が手にした切符は「越後湯沢駅」下車。なぜなのか?・・・・。ここにも思わぬ“習慣”があった。切符を手配したのは民主党の村山秀貴議員。彼は何の疑問も持たずに「越後湯沢駅」まで購入した。なぜなのか?。それは彼の出身地が越後湯沢だからである。帰省のたびに購入する「越後湯沢駅」下車を、いつものように買ったにすぎない。習慣とは実に恐ろしいものである。あわてて彼は他の3人から切符を取り上げ、東京駅の窓口で「長岡駅」までの切符に変更した。私の場合も彼らの場合も、時間的な余裕をもって東京駅に来たからよかったものの、ギリギリであったならば、乗り遅れていたにちがいない。いつの日か、乗り遅れる事態に遭遇するのではないかと、今から心配である。

(2008年2月12日付)

ページのトップへ インデックスページへ