
私は十代の時、詩人の高田敏子に師事するため神奈川県・三浦市・三崎町から上京しました。その後、関東学院大学の英文科(2部)に入学しました。英語の教師になるつもりでしたが、突然役者になろうと思い立ち、ある劇団に入団しました。その時、はじめて踏んだ舞台が「蟹工船」で、「小林多喜二」や日本共産党と知り合うきっかけとなったのです。
結婚して子どもが生まれ保育園に入れたことで、保護者会の役員なども引き受け、保育料の値上げ問題や施設の整備などに取り組みました。そういう時、いつも献身的に頑張っていたのが日本共産党員の父母で、私を無意識のうちに成長させてくれたのです。
「学童クラブで春を探しに山へ行ったら、お母さんの写真がいっぱいあった」とびっくりした小学2年の長男も成人し、長女は私の5回の選挙のうち3回目からはアナウンサーを務め、頼もしい存在になりました。

さて、私は日舞が大好き。劇団時代から師匠について「花柳志真帆」という名前もあるのですが、忙しくて稽古に通えないのがとても残念です。最近は、自分の半生を振り返ってみようと詩とエッセイをまとめた第二詩集「舞う」を30年ぶりに出版しました。
一度きりの人生、残る時間を議員として、又ひとりの女性としても精一杯生きたいと思います。