偏った歴史観の教科書採択するな

写真 八月二日、日本共産党市議団と柳下礼子県議は中学校の歴史教科書の採択にあたり、佐藤徳一市教育長に申し入れを行いました。文科省が検定し合格とした教科書の中で「太平洋戦争を自存自衛の戦争」と記述し、侵略戦争を美化するものや福島原発事故後に及んでも、原発を推進するような内容などもあります。日本共産党市議団としては過去の誤りと真剣に向き合い、その反省の上にたって平和と民主主義を理念とする平和憲法を学ぶことは、子ども達が主権者として育つために大切なことだと考えます。柳下県議は「これを否定するような教科書採択はしないで欲しい」と強く要請しました。佐藤教育長は「ここの申し入れのとおり、(日本国憲法に基づき)公平公正な立場で採択するつもり」また「県の採択は八月下旬に結果がでるが、9月上旬にはホームページにアップする予定です」という答えでした。

復旧支援はまだまだ続く

写真 私は七月二十一日から二十三日まで、仙台市へ引率者として震災救援ボランティアに行きました。仙台市内のあちこちに「段差注意」の看板、せりあがったマンホールや閉店した店舗、積み上げられたがれき、津波でなぎ倒された金網、津波痕の平地がどこまでも続き、未だに信号が点かない交差点があるなど…被災地の厳しさを実感しました。 カーネーション栽培の農家の温室で、泥、ヘドロ、割れたガラスの撤去作業等を行ったのですが、固く乾いた泥の撤去ははかどらず、中からは写真やぬいぐるみ、絵筆、賞状などが次つぎと出てきました。「津波と一緒にプロパンガスのボンベが火を噴きながら流れて来た時は、本当に恐ろしかった」と話す農家の奥さん。流されながら家の屋根につかまり、無人の二階にストーブがあったことで命が助かった人の話。震災直後は遺体や危険なものだらけで自宅にも入れなかったなど実体験の話は胸に迫ってきました。しかし、農業の再開をあきらめていた家族の皆さんが、ボランティアの支援で「来年は花を植えよう・イチゴを作ろう」と農業を続ける気持ちになったことが本当に嬉しく思いました。 今回の支援はほんの一部分ですが、広大な被災地域を思うと、復興支援はまだまだ長く続くと痛感しました。(矢作)

無料法律・生活相談会

日時:8月20日(土)
午前9時30分〜11時30分
中央公民館 1階学習室1号
担当議員 矢作いづみ
090−2475−7136

改定介護保険法に不安の声

 来年度からの介護保険料改定や所沢市の高齢者支援計画を審議する、「所沢市高齢者福祉計画推進会議」が七月二十九日に開かれました。今回は、二千十年度の事業実績の報告と第五期所沢市高齢者福祉計画・介護保険事業計画についての報告がありました。六月に改定された介護保険法について、詳細は今後国から通知がくる予定との説明がありました。また、地域包括支援センターの運営状況の報告もありました。介護経験者の委員からは「包括支援センターの方は、ケアプラン作成だけでなく、精神を患っている市民の対応もしており大変な状況」また現場の職員からは「現在、四人のスタッフで対応しているが厳しい状況」など発言がありました。市民からは「介護保険法改定による要支援者へのサービスがどうなるのか」「保険料はどうなるのか」などの不安な声もあり、当日は二十人もの市民が熱心に傍聴していました。

(次回の会議は十月です)

『事業仕分け』で市民プール廃止

 市は、三十九年間市民に親しまれてきた小手指の北野公園市民プールが、老朽化と利用者減を理由に今年度で廃止とした「事業仕分け」の結果をそのまま受け入れました。六月議会では与野党会派からも異論の質問がだされ、市民プールは必要だとの認識で一致しています。これで「事業仕分け」がいかに市民要求とかけ離れているかが明らかになりました。

 他会派からは、今後の計画について東部クリーンセンターのゴミ焼却余熱利用の温水プールの提案などがありました。しかしゴミ焼却余熱利用は、熱源のゴミをより多く集めなくてはならず、ゴミ減量リサイクルから逆行すると考えます。日本共産党市議団としては現在の市民プールを改修して、障害児者も利用できるような太陽光発電システム利用の「温水プールの設置」を提案しました。

 市長・担当部長からは、「市民ニーズの把握や類似団体の調査をして提案の内容についても含めて早い時期に関係部署と協議する」との答弁でした。

ここで生きていく原発と祝い島

 七月二十八日、教職員組合主催で「ミツバチの羽音と地球の回転」映画がミューズで上映されました。瀬戸内海の祝島では、漁師やおばあちゃんが「きれいな海を守りたい」と二十八年間も原発に反対しているドキュメンタリー映画です。主人公は島で一番若い働き手の孝くんです。孝くんはひじきを採りびわを島の特産で収入を得て、生活できるようにと東京から島に帰ってきました。孝君のお父さんが原発の反対運動の先頭でがんばる姿に影響されたからでしょうか。中部電力は島民を説得しようと莫大なお金を勝手に振り込んできます。「昨日、中電から5億4千万円振り込んできたが、すぐ送り返した!」とお父さん。中電が建設区域の目印として島民の不意を狙って海にブイを設置する緊迫したシーン。しかしお父さんは「例えブイが設置されてもわしらが拒否している限り原発は作らせない。一日でも二日でも引き延ばしていれば、やがて原発はいらないという日が必ず来る」と断言します。これは09年までの闘いの記録ですが、東日本大震災後、彼らの勝利が近い事を確信しました。