所沢市の小児医療充実を/24時間対応の病院ぜひ

 やぎした前県議ら知事に要請

 日本共産党のやぎした礼子前県議と所沢市議団は五月二十九日、上田清司知事に対し小児救急医療体制の整備、小児科医師の確保、乳幼児医療費の公費負担制度の改善を申し入れました。

 小児科病院の減少や小児科の廃止が続くなかで、この日とりあげたのは所沢市の現状です。

写真  やぎしたさんは、「市民の多くは隣接の都立清瀬小児病院を利用しているが、二年後の府中小児病院への統合が東京都で計画されていることから、子どもを持つ親の不安はかつてないものになっている」とのべました。都立清瀬小児病院で「子どもの命が救われた」というケースが後を絶たない実情に照らしても、県民の生命と安全を守る県として、二十四時間対応できる小児病院を所沢市に設置してほしいと要望しました。

 乳幼児医療費への公費助成については、所得制限や窓口払いをなくして公費負担による無料化制度の対象を広げ、使いやすくするよう求めたものです。

 やぎしたさんは、所沢市の小児病院設置場所としてパイオニア工場撤退後の跡地利用を検討してほしいと提案しました。対応した中村健二保健医療部長は「清瀬小児病院の移転後の対応については検討の必要がある」と回答。乳幼児医療費の窓口払い撤廃では「少子化対策のなかで自己負担などを考え合わせて研究したい」とのべました。

 所沢市も小児医療の問題で、近く県に要望を申し入れたいとしています。


未来へつなごう子どもの笑顔
公立保育園民営化を考える市民集会

写真 八月に川越で開催される全国保育団体合同研究集会のプレ企画として、五月十四日(日)、明峰小学校体育館で、〜未来へつなごう子どもの笑顔〜公立保育園の民営化を考える市民集会が開かれました。(所沢市では、平成二十一年度から公立保育園を民間委託していく計画があります)保護者や保育士、ビラを見て参加した市民の方、子どもたちを含めて四六〇名が集いました。

 講演で、明星大学の垣内国光氏は「公立保育園は地域の重要無形文化財」と語り、全国の民営化の状況や、民間委託により、人間関係、子育ての共同性、保育の専門性などが壊されている・・・と問題点を話されました。

 保護者や地域の方から、子どもを保育園にあげての実感や、子育て支援事業に参加しての感想などが話され、公立・民間の保育園の保育士からは、これまでの所沢の保育行政をともに築いてきた歴史や現状の報告がありました。

 また、経費削減のためのコスト論だけの民営化は問題であり、所沢の子どもたちの育ちを守るために、より多くの人たちとともに、子どもの笑顔が輝き、子どもたちが安心して育つことができる「街づくりの問題」として考えていかなければならない・・・と話されました。

 後半は、親子で楽しもう!として「みんなのコンサートバンド」による音楽会もあり、フルートやいろいろな楽器の音色に心和むひとときとなりました。(M)


こんにちは
やぎした礼子です
光の園を訪ねて

写真 五月十二日、私は、平井、城下両市議と東狭山ヶ丘の知的障害者の通所施設「光の園」を訪ねました。

 玄関には子どもたちが描いた絵が飾ってあり、その豊かな色彩に子どもの心の温かさが伝わってきました。対応してくださった施設長から「四月一日から障害者自立支援法が始まり、食事代が自己負担になることを説明したら、『もう食べないから・・・』とお弁当を持ってきた子どもがいました。利用するたびに負担が増えると通えない子どもが出てきます。このように休む子が増えると、予想では一年で一二〇〇万円の減収になり不安です」という話があり、びっくりしました。

 施設を見学しましたが、どの子も明るくがんばっていました。すでに、東京都、京都府などでは、独自の軽減措置を実施しています。

 私は、光の園を視察し、その実態にふれて、なんとしても市や県に働きかけ、補助制度を実現したいと思いました。


「黙っていたら所沢も100年先も基地の街」
基地対策協議会に参加して
「所沢市の庭の中に市民が知らない物騒な『機密』があったら平気でいられますか」

 去る五月二十二日、所沢基地対策協議会が開かれました。

 協議会では、所沢市として、四月二十日に米軍所沢通信基地の一部返還要請書を東京防衛局・関東財務局に提出したことと、昨年十一月東京防衛施設局に問い合わせていた「『しんぶん赤旗』掲載記事について」の質問一〇項目についての回答が報告されました。

 米軍所沢通信基地の一部返還(東西連絡道路)については、現在米軍に対し〈施設特別委員会の議題とすること〉を意向照会中であると報告がありました。返還には、防衛施設局、米軍横田基地、施設特別委員会(日米合同委員会)、閣議決定、政府間協議、等々一九にわたる手続きを経なければならず、スケジュールなど全く予測がつかないとのことです。

 「『しんぶん赤旗』記載記事について」の質問一〇項目に対しては、基地内アンテナ二基の取り替えについてと、ディタンクについての三項目のみで、核指令機能についての回答はありませんでした。未回答の理由として米軍側は、「国防総省関連のため横田として回答できない」「軍事上の機密事項であり、運用上のことなので回答できない」と報告されました。今後も所沢市として、疑問点については問い合わせていくそうです。

 今、米軍基地の再編に関連して日本中で基地反対運動が盛り上がっており、所沢通信基地のアンテナ工事も、米軍再編の一環として行われています。一日も早く基地の全面返還に向け、運動していきましょう。 (Y)


松井地区で「九条の会」生まれる
集いに一五五人が参加

 地区在住一〇氏の呼びかけによる「松井九条の会」が、六月三日、松井公民館ホールで「発足の集い」を開き、ほぼ会場いっぱいの一五五人が参加しました。

 「この会の設立を機に、憲法九条のもつ意義を草の根から広めていきたい」との開会挨拶、合唱団「ききゅう」のコーラスに続いて、上安松の彫刻家・田村興造さんが自らの戦争体験をもとに「上官の命令は朕の命令と思え」という狂信的な規律で固められた軍隊の非人間性や理不尽さを今なお湧き起こる怒りをこめて語りました。

 埼玉県弁護士会前会長の田中重仁さんが「自民党新憲法草案がねらう『この国のかたち』」と題して講演し、九条改悪で日本を「戦争する国」にすることが中心だが、それにとどまらない多くの危険な条項を含んでいることを解明しました。

 最後にエッセイストの北川肇さんが、自らが軍国少年に育て上げられた戦前の教育にふれながら「そうした社会に二度とさせないために声を上げていかなければならない」と閉会挨拶を述べ、憲法改悪阻止の決意を強めた「つどい」を終了しました。

 なお、会場での入会が二四人(計一二五人)、五万円を超えるカンパが寄せられました。(関口)


「市民アンケート」 の返信 三〇〇通
切実な声が次々と届く

 日本共産党所沢市委員会は、五月から「日頃、皆さんが願っていることを所沢市政に生かします。」という「市民アンケート」を市内全世帯を対象に配布しています。

 その返信が毎日のように寄せられ、三〇〇通を超えました。「私は年金が二ヶ月で三万円しかありません。また、介護保険料が上がり天引きされます。どうして暮らしていけばいいのでしょうか」「家には障害をもった子どもがおり、入れる施設がありません。私は高齢で、後のことが心配でなりません」等々切迫した言葉がビッシリと書かれており、「今の国・市の政治を変えてほしい」という気持ちがひしひしと伝わってきます。所沢市委員会は、このような市民の願いにどう答えていくか今真剣な対策を考えています。アンケートは八月末が期限です。まだの方々のさらなるお返事をお待ちしております。


教育基本法「改正」案の廃棄のため連日行動
子どもたちの未来と教育を考える会

 自民党と公明党が非公開で協議を続けてきた教育基本法の「改正」案。いつかは国会に出される、それまでに市民の改悪反対の世論を起こさなければと、二年前からネットでの呼びかけに有志が集まって教育基本法や教科書問題の学習会を重ねてきました。それが「子どもたちの未来と教育を考える会」です。

 今年の連休直前、ついに「国を愛する態度を養う」など私たちが懸念していたとおりの改悪法案が電撃的に国会に上程されました。この問題を学習した力とつながりを発揮して、「考える会」は直ちに行動開始。所沢選出の四人の国会議員に要請はがき、メールを送りました。永田町にも出かけて国会議員に考えを問い、国会内外で開かれる集会にもメンバーが参加して状況を報告し合ってきました。

 国会の審議をにらみながら、この所沢で何をしようかと相談、五月後半の二週間つづけて金、土、日とチラシとティッシュ(教育基本法守ろうのメッセージ入り)を配りながらの宣伝をしました。所沢駅、新所沢駅、航空公園駅前広場、小手指駅と所沢高校前・・チラシとティッシュの受け取りは予想以上によくて、改悪反対の世論を少しでも広げる役割りを果たしていると思います。

 会期末まであと数日、なんとしても廃案にしたい。(S)


ところざわ・あくせすぽいんと (14)
石碑「従是(これより)東南北尾張殿鷹場」
ー東狭山ヶ丘1−709・青木家ー

写真 鷹狩りは、飼い慣らした鷹などを使って野鳥を捕獲することで、古来からあった。

 天正18年(1590)8月1日、江戸入りした徳川家康はじめ、江戸時代の将軍・大名たちは好んで鷹狩りをした。

 寛永10年(1633)三代将軍家光のとき、江戸周辺5里(約20キロ)を将軍家、四方の外側10里までの間を御三家の鷹場とした。

 その後、五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」が出され、一時鷹場は廃止されたが、亨保元年(1716)八代将軍吉宗によって復活。

 御三家のうち、尾張家の鷹場は、入間、多摩、新座三郡の20キロ四方の広い範囲にわたり、寛政4年(1792)当時、186ケ村が組み込まれていた。

 鷹場の境界には、当時、83本の境杭(さかいぐい)が打たれた。

 寛永21年(1644)尾張藩主義直が、多摩郡前沢村(東久留米市)に鷹狩りをしたとき、所沢村60人をはじめ、合わせて506人の人足ガ負担している。

 所沢には、林1−187にも「従是東西南尾張殿鷹場」の石碑がある。

(所沢平和委員会 石田道男)

7・2原水爆禁止
国民平和行進
集合:ミューズ西側歩道
時刻:午後3時30分
基地一周のウォークへ
主催:平和行進実行委員会

日本共産党創立84周年記念演説会
市田忠義書記局長がお話しします
“格差”と“痛み”の政治に審判を
「たしかな野党」の出番を語ります。
◆七月十一日(火)午後六時開場・七時開会
◆大宮ソニックシティーホール

困ったときの

生活相談は

日本共産党市議団へ

рQ998−9278

(「新しい所沢」2006年6月18日 No.55から)