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大竹しのぶさんと平和・芝居の一方的つながり
2月21日付のしんぶん赤旗・日曜版の1面と2面を俳優の「大竹 しのぶさん」が、占拠しました。エッセー集「まあいいか」を朝日新聞社から発行し、その内容を紹介しています。
大竹さんは、安保法案が自民・公明の安倍内閣によって強行されていくとき、国会前の抗議集会に参加したことや、「平和のために今うごかなきゃ」「ずっと戦後でいいじゃない」の想いをつづってきたと語っています。
私は、大竹 しのぶさんの芝居が好きで、過去にも観に行き、また先日はエディット・ピアフ生誕100年のミュージカル「ピアフ」を家内と観ました。大竹さんの渾身の演技と声量、ピアフの歌に対する情熱とその真面目さゆえの荒れた生活の表現。胸のすく思いでした。
エディット・ピアフはフランスでもっとも愛されている歌手で、反ナチスのレジスタンス運動の支援者でもありました。フランスばかりではなく、第二次世界大戦後はアメリカにもわたり公演活動を続け、絶賛をあびます。ピアフは自動車事故にあい、その後モルヒネの中毒になります。それでも歌い続けるのですが、1963年に亡くなりました。
やはりフランス出身のシンガーソングライターで俳優のシャルル・アズナブールは、エディット・ピアフの葬儀には4万人以上のファンが路上で葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表し休業し、喪に服したと。第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述べたと言われています。それは、芝居「ピアフ」の中でも語られていました。

話は飛びますが、私はよく芝居を観に行きます。それが私の楽しみの一つです。
数少ない体験ですが、演じることも好きでした。思い起こせば、東北の小学校時代、セリフのやたら多い演劇(?)の台本をもらい、その日のうちに全部覚えてしまうぐらいに好きでした。
中学、高校ではなかなか演劇部というところに入る勇気はなく(部員が女生徒ばかり)、過ぎていきましたが、高校の3年時に有志での演劇の話が持ち上がり、食いつきました。たった一度でしたが高校3年の文化祭で、「風と共に去りぬ」を上演しました。私は、気弱で優しい男性のアシュレー・ウイルクスというスカーレット・オハラに最初は好かれる役を演じました。みんなノリノリで、2日間の上演でしたが、1日目の評判が伝わり、2日目は体育館が満杯になりました。
今思えばとても残念なことですが、大竹しのぶさんにはこの芝居を観てもらっていないことです。私が3年間過ごした高校は東京都立小岩高校という江戸川区にある新しい高校で、私は7期生。大竹さんは11期生でしたので、もう2つ年齢が近ければ、同時に1年だけ同じ高校に通え、「あわよくば私のつたない芝居も観てもらえたかもしれない」などと思っていました。
今でも、大竹さんには全然わからない、私だけの思い出です。


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