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没後10年、母のこと(その四)
  虫歯で、一ノ関病院に入院

岩手県の南端、一ノ関は宮城県北端の金成の田舎に住む私たちにとっては都会でした。一関は私たちにとってとても縁の深い街でした。私が生まれるとすぐに、母は結核にかかり、一ノ関の病院に入院。半農半勤め人をしていた父は、一ノ関駅にほど近い旅館兼綿屋(布団屋)さんに勤めていました。私たち、父と私の兄2人、姉は、母が入院する一ノ関に入院期間中の1年半ぐらい、父の務める旅館の敷地の一角にホッタテゴヤを造り住んだそうです。

父を困らせた夜泣き

1歳かそこらの乳飲み子だった私は、夜泣きをして父を相当に困らせたそうです。父をして「自ら命を絶とうか」と考えさせたこともあるようです。
そうした時も何とか無事に過ぎ、母の回復とともに宮城の開墾地に戻るのですが、私が幼稚園に行き始めた時です(幼稚園と言っても、小学校の作法室を1週間に1度だけ借りて臨時の幼稚園を開園するのです。どういう制度か、民間なのか公的なのかも不明ですが、偶然にも、私が一ノ関にいたときに少し通った幼稚園の先生が、出張してくるのです)。その頃、虫歯にやられて痛みがひどく、遊んだ不潔な手で痛い歯をいじりまわして、バイキンをいれてしまったようです。

麻酔をうって口中切開

私のほっぺたはパンパンに腫れ上がり、どうにも一ノ関の歯科医院にもさじを投げらたようです。そこで紹介されたのが一ノ関病院。私は今でも記憶にありますが、白い服を着た医師と看護婦さんに囲まれ、抑えられ、口中にメスを入れられ内側から切られたようです。その時、医師が話していた私の親との会話は謎めいていました。何やら、幼児に使ってはいけないような薬かアルコールのようなものを麻酔のために使うとの内容だったように記憶しています。
私は泣き叫び、「いでくしねでけろ、いでくしねでけろ」と訴えたことを覚えています。とにかく私は、その日から入院ということになり、母を1週間か10日ほど独占したのです。
入院では毎日1本ずつ注射をするのです。でもそれは、薬を注入するのではなく、ほっぺたに溜まった汚れた血液を抜き取る注射でした。注射器が太いのです。それに目一杯の汚れた血が吸われて出てきます。そしてある日、注射器の半分ぐらいしか汚れた血が入ってない時があって、その日はもう一回注射をされて、血が一滴もないことを確認して治療が終わったようです。

兄弟に会うのが恥ずかしい

父や兄弟に1週間も会わないと、何か不思議な感じになります。一ノ関駅から東北本線の一つ南の駅、有壁駅(宮城県の北端)から、自宅までの1里、母に手をつながれて帰るのですが、兄弟に会うのが恥ずかしい気持ち。母に「おしょすなー」と何度か言いながら、家に着きました。もう何ヶ月も家から離れていたような気分になっていました。


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