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猪股嘉直
没後10年、母のこと(その二)
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 4年目の3月11日を一週間前に迎えました。4年前のその日、私たち家族(妻と長女と私)は、狭山市役所6階の税金申告特設会場で、申告の順番を待っていました。丁度14時40分頃、会場に入り椅子に座っていたのです。その数分後(14時46分)、突然に部屋中が揺れだしました。場所は6階です。半端じゃなかった。妻と長女は慌てて、机の下に潜りました。私は「ばいな」と思いつつ、会場に順番の時間つぶし用に設置してあるテレビの前に行って、ニュース速報を確認しました。東北地方で大地震との速報。少し、安心して妻たちのいるところに戻り、「東北地方だよ」と。
 税務課の職員は、大きな揺れを感じながらも、平静と冷静さを失わず、内心は不明ですが、実務作業に集中していました。
 家に戻って確認したところ、私の家(つつじ野団地・中層棟4階)では、戸棚からガラスのコップが転げ落ちていたのが唯一の被害でした。
 私たち日本共産党の狭山市北部地域の仲間は、その次の日から毎月11日(前後を含む)に「被災者支援カンパ」と「原発ゼロの署名」を訴え続けています。

東北は地震が多い!

 さて、田舎の話に戻りますが、宮城は地震の多いところかもしれません。私が小学3年生の4月、マグニチュード6.5の地震が発生し、私たち子供は、慌てて校庭に出ました。桜の木で囲まれた校庭には深い、そして少し幅のあるヒビが発生したことを今でも覚えています。
 丁度、その日は次兄(中学生)の東京への修学旅行の日だったのですが、延期になりました。私には、東京に出稼ぎに行っている父が、兄に託してグローブを届けてくれるはずだったので、それも延期になってがっかりした記憶もあります。

麦踏み・稲づくりの手伝いにお小遣い


 母と父は溜まらない溜池を二つも造り、また借金を重ねるのですが、それでも農業をやり続けます。水田の他に、大豆、あずき、じゃがいも、麦などをつくっていました。出荷はしてなかったと思いますが、きゅうり、ナス、かぼちゃ、エンドウ、とうもろこし、人参などもありました。
農業の手伝いは、私は末っ子で、4年生までしか宮城にいませんでしたのであまりしなかったと思いますが、少は手伝ってお駄賃をもらいました。
 水田も、なんだかんだ苦労しながらつくっていて、私も麦踏みや、苗植え、秋の収穫の手伝い、刈った稲を干す手伝いをしたことがありました。すると、母から小遣いに5円、いただけるのです。何に使ったか、また使えたか不明ですが、嬉しかったのは、少し記憶にあります。
  豚も1頭か2頭、飼っていて、豚のご飯にじゃがいもの蒸した(ふかした)ものを食べさせていました。それを私たちも食べました。ホクホクのじゃがいもは私たちのオヤツで、とてもうまかった。シンプルですがおふくろの味の一つでした。


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