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伊藤淳先生のこと
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埼玉西協同病院(所沢市にある「医療生協さいたま」の病院)が今月21日に設立60周年の式典を行います。私にも参加のご案内がきました。
 私が、大学受験に2年続けて失敗し、葛飾区水元(柴又の近く)から狭山市に移り住んだ19歳の時、赤旗新聞を読みたくて、探し歩いたところ「市議会議員・飯島邦男」の連絡先と赤旗新聞のポスターがありました。早速、お邪魔して新聞を依頼し、用が終わると、飯島氏が「何をしているんだ?」と。「仕事を探している」と答えました。それじゃ、「ここに行ったら」と案内をしてくれたのが、埼玉西協同病院の前身、富岡診療所でした。
 所沢市下富という茶畑に囲まれた一画に、古ぼけた木造の診療所。どう見ても、ハイカラではなく、汚いボロの診療所。けれどその当時、下富には医療機関はそこだけ。地域の信頼は本当に、本当に厚いものがありました。

朝から夜中までの医療

 それは、伊藤淳先生という所長先生の、朝から晩までではなく、夜中まで地域の住民の健康を守る先頭に立つ医療活動の賜物でした。伊藤先生は、そのボロの診療所にはあまり似合わない、慶応大学出身の医師でした。無医村だった富岡の農家の人たちが、先生が勤務していた東京の労働者クラブ生協におしかけ、拝み倒して連れてきたのです。
無床診療所(ベッドの無い診療所)でしたから、午前の診療のあとは往診です。私が入職するずっと前のことだったのですが、屋根から落下して大怪我をした農家の方の治療活動を、毎日午前の診療の後に往診して完治させた話は、よく先輩から聞かされました。

「猪股の対応は悪い。患者は働く仲間」と

 私自身は、「患者さんには良い対応をする」と伊藤先生から評価されていた職員でしたが、あるとき、受付時間を過ぎて来所した患者さんへの対応が悪かったのです。伊藤先生にしっかり確認されました。伊藤先生は、午前の診療を終えて、疲れはてていたのに嫌な顔ひとつせず、その患者さんの「カルテを準備しなさい」と私に言って、診察しました。
 後日の所内会議。伊藤先生は、患者さんへの対応の問題がテーマだったとき、「猪股のあの時の対応はよくない。同じ働く仲間が、病にかかって診療所にくるんだ。そのことを忘れてはダメだ」と。職員全員の前で指摘され、私は本当に恥ずかしく、そしてその場所にいることが辛く、どうしていいか分からなかったことを思い出します。今から、35年以上前のことですが、今では先生への感謝の思いで忘れられません。
 伊藤先生はクラシックと絵画をかく事が大好きな芸術家でした。私にも当直があって、夜中などよく先生を呼びに行きました。実は先生の自宅は診療所に廊下で続く、畳が波うった家でした。およそ医師が住むとは思えない(一般的には)家で、先生は深夜でもカルテ整理をしながらクラシック音楽を聴いていました。
 伊藤先生は、地域の患者さんにとっても好かれました。よく、「赤ひげ先生」と言われていました。「あんな神様のような先生はいない。共産党じゃなければもっといい」とも言っていました。共産党の先生だから、あそこまで出来たのだと私は思っています。
 先生は私が19歳で日本共産党に入党するとき、推薦をしてくださいました。
先生は10月19日、85歳で亡くなられました。埼玉西協同病院の60周年には参加できませんでした。

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