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猪股嘉直
震災で、故郷の友達は……
宮城の幼馴染は

震災後3日たった14日、仙台市太白区に住む「みよこ ちゃん」に恐る恐る電話をしました。電話は3回ほどコールすると出ました。「みよこ ちゃん」の声です。
私は1953年(昭和28年)宮城県栗原郡金成町字藤野という村の生まれです。小学校4年までその村で生活し、歩いて1里の町立萩野第2小学校に通いました。「みよこ ちゃん」はその時の幼馴染です。1度だけ「みよこ ちゃん」の家に遊びに行ったことがありました。
「みよこ ちゃん」の家は、小学校から私の家とは逆のほうに1里ほど離れたところにあります。ある日曜日、おそらく4年生だったと思うのですが、小学校で待ち合わせ、彼女の家に遊びに行きました。行ってなにをして遊んだのかは全然覚えていないのですが、今考えると、これは私にとって初めてのデートだったのかもしれません。
「みよこ ちゃん」は、私が「みよこ ちゃん?」というと、すぐに「よしなお 君?」と聞きました。お互い57歳です。
「みよこ ちゃん」の娘夫婦はお孫さんと一緒に気仙沼にいるとのこと。間一髪助かり無事だったと喜ばれていました。明日、ガソリンがないのに、迎えにいくと言っておりました。


 家内の友人の実家、陸前高田では  うちの奥さんは埼玉県鳩山の出身ですが、国立埼玉病院看護学校(和光市)でたくさんの東北の友達と一緒に勉強も仕事もしました。結婚が看護学校仲間では1〜2番目に早かったので、私たちの新婚のアパートが看護婦(当時はそう言いました)のたまり場になりました。今でも数年に1度はみんなが忘年会をしに来ます。
その中には岩手県陸前高田市の友達もおります。陸前高田は海に近く三陸リアス式の素晴らしい町。数年前になりますが、陸前高田市立のオートキャンプ場に、うちの奥さんと行きました。本当に正直に思ったのですが、これまで何カ所もキャンプ場に行きましたが、「これほど素晴らしいところは無い」と真剣に思ったキャンプ場です。陸前高田の友達の実家のお兄さんから、新鮮な野菜をしこたまいただき、キャンプ場に持ち帰り、おいしいサラダを食べました。そのお兄さんとの連絡が、「今でも取れないと」、奥さんの友達は言っているのです。<3月16日頃、全員無事を確認>

 
原発を一つずつ、なくそう!

 一体、私たちに何ができるのでしょう?自然が行うことには、きっと逆らえないのでしょう。だけど、その自然が行うことに対して、人の力で防げることは防ぎたい。自然が100のことをしたなら、少なくとも100以上にはならないように。それを150や200にさせないように。福島原発は500にも1000にもしていると思うのです。
もちろん、今の日本が原発頼みなってしまっているというのはわかります。私たちは「恩恵」を結果として受けていますが、それを望んだのではありません。でも、そんなことを今言っても仕方がない。私は何年かかけても、原発を一つずつ減らし、その代わりのエネルギーを一ずつ増やしていくことが必要だと思います。


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