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3.1ビキニデー全国集会に参加してきました
会場いっぱいに集まった、ビキニデー集会参加者挨拶をする、緒方靖男日本共産党副委員長
会場いっぱいに集まった、ビキニデー集会参加者
挨拶をする、緒方靖男日本共産党副委員長
 2月27日から3月1日まで静岡市と焼津市で開催された「3.1ビキニデー全国集会」に参加してきました。この時期は毎年、市議会と重なって、中々参加できず、始めての参加です。

原水爆禁止運動の原点

 ところで、この「3.1ビキニデー」って何か?原水爆禁止協議会の資料によると……
1954年3月1日にアメリカが、マーシャル諸島(ハワイ諸島の南東に位置する)ビキニ環礁で広島型原爆の1000倍もの威力を持つ水爆実験を行いました。その結果マーシャルの島民やたくさんの日本漁船が被災したのです。
静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」もその一つ。放射能を含んだ大量の「死の灰」を浴びた23人の乗組員全員が急性放射能症にかかりました。この年の9月23日に、無線長の久保山愛吉さん(39歳)が「原水爆の被害者はわたしを最後に」と言い遺して亡くなったのです。
 ビキニの被災事件は日本の国民に大きな衝撃を与え、広島、長崎、ビキニと3度にわたる核兵器被害は、日本列島を怒りの渦に巻き込みました。原水爆禁止の署名はわずかな期間に当時の有権者の過半数(3400万)に達したのです。
この力が翌年の第1回原水爆禁止世界大会(1955年8月)に結実し、原水爆禁止運動の原点となりました。
 1954年、私にとっては、まだ産声をあげたばかりで3ヶ月に満たない時でしたが、そのとき平和運動が世界に広がっていくきっかけとなった事件が起きていた。
水爆の犠牲になり、自らの身をもって、その悲惨さを訴え、「二度と繰返すな!」と言ったその言葉を私たちは忘れてはいけないし、無駄にしてはいけない。

核兵器廃絶の動きは新たな段階に 

 今、核兵器廃絶の動きは新たな段階にきています。アメリカのオバマ大統領が「核兵器の無い世界にしよう」と呼びかけ、過去のアメリカの高官、キッシンジャー氏などが、核廃絶と平和の訴えを世界で行っています。
3度の被害を受けた日本の首相などがもっと、声を大にして「核廃絶」を言わなければならないのに、言わない。日本はこの分野でも世界に取り残されていくのではないでしょうか?

 日本原水爆禁止協議会は、来年ニューヨークで開催される「核不拡散条約再検討会議」に向けて、日本の人口の10%、1200万の署名を集めようと、新しい署名「核兵器のない世界を」の活動に取り組みはじめました。
埼玉県の原水協は来年3月末までに85万筆の署名目標を決めました。狭山市でも新たに16000筆の署名に取り組もうと話し合っているところです。

|署名の問合せは狭山市原水爆禁止協議会 пi2954)0402埼玉土建狭山支部|


<2月の主な行動は以下のとおりです>順不同
市議会・新年度の予算議会開始
市議会・議会運営委員会
市議会全員協議会
狭山市新年度予算につての説明会
介護保険制度見直しについての説明会
保健所の狭山移転問題で県議会議員党と意見交換
雇用問題でホンダ技研本社と交渉(塩川衆院議員とともに)
雇用問題緊急シンポジウムへの参加
議会報告、派遣労働問題で駅頭宣伝(早朝・夕方)
ホンダ前で期間工雇い止めを抗議する宣伝
自治体政策セミナー参加
ビキニデー集会(静岡、焼津にて)に参加
平和委員会主催、平和ツァー参加(平和資料館、吉見百穴見学)
春の要求・地域行動に参加
相談活動(市営住宅入居 用水路の除草 生活 交通問題 税金)


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