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日本共産党復興支援ボランティア報告 
 
地震・津波・放射能の三重苦で

7月11〜13日に実施した日本共産党震災ボランティアin福島・南相馬に参加した埼玉土建狭山支部の加藤武美さんから報告が届きましたので紹介します

7月11日から3日間、第31回目となる日本共産党復興支援ボランティアに参加してきました。 2011年3月11日午後14時46分。東北地方は震度6弱の地震、その50分後に高さ20・3メートルの大津波に襲われました。そして福島県の浜通りは、福島第一原子力発電所の爆発による放射能の三重苦を強いられています。
 今回のボランティア活動は、第一は仮設住宅への各戸訪問対話と要求聞き取り、第二は放射能汚染によっていまだに居住が禁止されている区域の現状視察でした。
 参加者は私を含めて5人。11日の午後に日本共産党ボランティアセンターに到着しました。
 このセンターを立ち上げてから、ボランティア参加者はのべ9518人にもなるそうです。 出迎えてくれた責任者の宮前さんからは、2011年12月の政府が出した原発事故の「収束宣言」を受けて、大手マスコミが原発事故をほとんど報道しなくなったこと、「原発事故は収束したのだから」と、東電が賠償を打ち切る方向へ動いていることなどが話されました。
 南相馬の現状については、「原発の20キロ以内は環境省直轄事業、20キロ以上は市の事業となっている。公共施設や学校以外の除染がやっと始まったが、必要とされる件数14728件に対して、実施されたのはわずか393件。田畑は『調整中』として、計画すら発表されていない」とのことでした。

国と東電の対応に怒り

2日目は仮設住宅の訪問をし、要求を聞き取りました。ボランティアのメンバーが2人1組となって大野台第7、第8仮設住宅を訪ねました。
 一軒一軒に支援物資(お米、水、洗剤など)を届けながら、仮設住宅の中に入れてもらい、暮らし向きを聞いてきました。
 1室が4畳半の1DKに夫婦で暮らしている方や、寝たきりの親と障害を持つ妹の3人で暮らしている方が、狭く息が詰まる毎日を送っていることを、涙ながらに初対面の我々に話してくれました。国や東電の無責任さに怒りが湧いてきました。 
 対話の中で共通していたのは「仮設住宅を出たい」「いつまでこのような生活が続くのか、先が見えない」との声、そして国や東電への不満と怒りの声でした。
 3日目は現状視察でした。車で市内を案内してもらいましたが、大津波の甚大な被害の傷跡に言葉が出ませんでした。
 一刻も早く国と東電に責任を取らせる運動の必要性を痛感しました。

生き残った牛は「生き証人」

 視察の中でもう一つ感動したのが浪江町の吉沢牧場です。
 入口には「「東電・国はつぐなえ!」「決死救命を、団結!」の大看板、牧場内のタンクには「3・12浪江町無念」「原発爆発14キロ地点」「治外法権」「原発一揆」とスプレーで書かれていました。
 吉沢さんは言います。「深い深い絶望の先に、希望が見えるかも知れない。震災と原発事故の惨禍を生き延びた300頭以上の牛を無意味に死なせるのではなく、活かす道を考えています。原子力政策を推し進めてきた国と、それに乗じて安全対策を怠り、住民たちに大きな被害を与えた東電、空と大地を汚す放射能からも声なき『命』を守るために闘い続けていきます。今ここに生き残っている牛たちは原発事故の生きた証人です」。 60歳の吉沢さんの「牛たちと最後まで闘っていきます。ともに闘っていきましょう」との熱いメッセージに、燃えるものが身体全体に走りました。
 
 短い3日間のボランティア活動でした。まだまだ書き足りないことがあります。
 毎月取り組んでいるこのボランティア活動。地元の人たちは「共産党の人たちがいつも支援に来てくれてありがたい。私たちも頑張って生きていきます」と言ってくれました。共産党への期待が大きいことを感じます。 また時間を作り、行ってみようと思いました。ぜひみなさんも参加して、福島の方々と共に闘いましょう! (加藤武美)
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