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狭山市平和委員会が第5回「平和ツァー」
茨城県百里基地・初午祭りに参加
百里基地のど真ん中に位置する平和公園。狭山平和委員会を代表して挨拶をする飯島邦男氏(こちら向き)。
百里基地のど真ん中に位置する平和公園。狭山平和委員会を代表して挨拶をする飯島邦男氏(こちら向き)。
 狭山市平和委員会は、好天の2月11日に、第5回平和ツァー・「茨城県百里基地の初午祭りへの参加、百里基地裁判闘争を学び、なかみなとのお魚市場を楽しむ旅」を実施しました。バス一杯の45人が参加しました。
 茨城県百里基地(小美玉市)の平和公園で毎年2月11日に開催する「初午祭」(約50年続いています)が行われることから、この行事に参加する形で平和ツァーが企画されました。
 初午祭りは、基地の飛行機誘導路をくの字のように遮る一坪運動の土地「平和公園」を会場に、開催されています。
 狭山平和委員会の一行は、会場の平和公園に着くと、すぐに茨城県平和委員会の担当者から、「百里基地反対闘争」「百里裁判」「初午祭りの由来」等について説明を聞きました。

平和公園には500人
国防軍、とんでもない!


 会場はすでに茨城県内、県外から集まった500人の参加者で一杯になっていました。狭山の参加者も用意されたブルーシートに腰を下ろし、無料で振舞われたお赤飯とお神酒に舌づつみを打ちながら、平和の歌声などを楽しみました。
 祭りのセレモニーでは現地の平和団体、民主団体、日本共産党などの革新政党の代表とともに、県外から参加した団体からも挨拶と平和を守る決意が語られました。
 特に、自民・公明の安倍新権が国防軍の必要性を説くなど、危険な動きがあると指摘し、異口同音に「平和運動の強化を!」との発言がありました。




 百里基地の初午祭り

 満州などからの引揚者や地元の土地のない人々が開拓した百里ヶ原に、1956年基地建設計画が持ち上がりました。国の圧力で多くの開拓民は土地を売り渡しましたが、その年に百里基地反対期成同盟が結成され、反対運動が広がっていきました。
 防衛庁が基地建設を開始し、地元農民と警官隊が衝突する事件も勃発。防衛庁は農民達に懐柔工作を行い、64年には滑走路予定地の土地はすべて買収しました。
反対同盟は飛行機の誘導路を「くの字」に曲げることになった基地内に残った土地を、全国の人々に一坪ずつ持ってもらうという一坪運動で反対闘争を全国的なものに発展させました。
 防衛庁の土地横取り事件が裁判になり(百里裁判)、管制塔の真正面に位置する約2ヘクタールの土地の所有権をめぐって、基地反対派の農民と国が争いました。農民側は、国が基地用地のために土地を買収することは、戦争放棄、戦力不保持を定めた憲法9条に照らし、憲法違反であると主張しました。
 1989年、最高裁は国側の主張を支持し農民側の請求を退ける判決を下しました。最高裁の考えは「国が自衛隊の基地のために農民から土地を購入するのは、市民の間の通常の土地売買と同じことだから、憲法は関係ない」というもので、自衛隊の憲法判断を避けました。自衛隊を公式に認めることができなかったわけです。
 裁判は終わりましたが、百里基地撤去をめざす運動は今も続いています。地元百里の人達でつくる反対同盟を中心に、党派をこえてつくられている百里基地反対連絡協議会に茨城県内の民主団体が参加し、基地撤去をめざす運動を続けています。
 毎年2月11日に行われる「初午まつり」には全国から500人をこえる人々が集い、ごちそうを食べ、御神酒を酌み交わしながら、基地反対のたたかいの決意を新たにしています。基地の真ん中にある平和公園に鎮座する百里稲荷を囲んでの賑やかなお祭りです。誰でも自由に参加できるお祭りです。


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