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原水爆禁止世界大会in広島に参加して
8月4日から6日まで開かれた原水爆禁止世界大会(広島大会)に、埼玉代表団の一人として参加した大沢えみ子議員から報告が寄せられましたので紹介します。

2012年の原水爆禁止世界大会
2012年の原水爆禁止世界大会
 広島で開かれた原水爆禁止世界大会に、高校1年と中学1年の子どもたちと参加させていただきました。
 昨年の東日本大震災を受け、原発から再生可能な自然エネルギーへの転換を求める声は世界的に高まっており、開会式では各国の代表から、自国での「脱原発」の取り組みなどが紹介されました。
 世界各国からの報告を聞いた娘は「世界でこんなにたくさんの国が核兵器をなくそう、原発をなくそうとしているのに、日本は遅れてるね」と話していました。

アメリカ 軍備の押し付け

 アメリカの軍備押し付けは日本のみならず、お隣の韓国でもそのひどさが際立っています。
 済州島にある農村では、住民に説明もなく、突然に海軍基地が建設されることになり、村人は役所に行って毎日1000回のお辞儀をして建設反対を訴えましたが、工事が強行されることになり、髪の毛をそって丸坊主にして抗議したとの発言がありました。
 日本でも、事故続きのオスプレイが地元の反対を押し切って強行配備されましたが、抗議行動を続けている山口から、「上陸は許したが、飛ばすことは決して許さない。錆びつかせ、そのままアメリカへ持って帰ってもらうまで続ける」と、決意を込めた発言がありました。
 若い子育て中のお母さんからは、震災と原発事故以来、放射性物質への関心が高まるなかで新日本婦人の会と出会って、「真剣に考えている人がこんなにたくさんいるんだ」と感動。放射線測定や署名など、様々な活動に取り組んできたという発言があり、これまでにない、新しい運動の広がりを感じました。

被爆列車に乗って
67年前に実際に走っていた車両に乗りました
67年前に実際に走っていた車両に乗りました


 分科会では「被爆列車に乗って」という親子交流の分科会に参加してきました。
 教職員組合と被爆医師の会の皆さんが企画されたもので、アニメーションや折り鶴づくり、歌やゲームなどで交流した後、チンチン電車として有名な広島市内を走る路面電車に乗車してきました。
 今回乗車した列車は、機械設備こそ新しくなっていますが、67年前の8月6日に、当時の最新車両として走っていたものだそうです。
 戦争も末期になり、男子のほとんどが兵隊にとられる中で、電車の運転手も不足しました。 私も今回初めて知ったのですが、不足した運転手・車掌を補うために学校が作られ、そこでは14歳から15歳の少女らが、運転技術を学び、実際に車両を運行していたのだそうです。
 原爆が投下された8時15分は通勤ラッシュで、最も大勢が乗降していた時間帯です。
 中心地にあった車両は熱線で車体がねじ曲がり、爆風で打ちつけられた遺体の跡が天井に残っていたと、当時車掌をしていた二本松さんという方が話して下さいました。
 原爆投下により、広島電鉄は大打撃を受けましたが、とにかく何をするにもまずは運搬経路の確保が必要だということで、原爆投下から3日後の8月9日には(一部区間ですが)電車が運行され、人々を勇気づけたといいます。被爆地広島の新たな一面を見た気がしました。
 最終日は広島市主催の記念式典に参加し、8時15分に黙とうをささげてきました。
 広島市では、高齢化する被爆者の方々の思いをなんとか後世に引き継ごうと、「語り部」の育成事業を始めたと、松井市長が挨拶で述べていました。
 いつか本当にこれが「物語」になるように、私たちの世代が次へ引き継いでいかなくては、との思いを新たにしました。
 そうした意味で、今回子どもたちと一緒に参加させていただけたのは本当にありがたいと思います。多くの皆さんから頂いた参加カンパへの御礼を込めて、報告とさせていただきます。      【大沢 えみ子】
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