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その7「ブラスバンド入部」
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町に一校しかない中学校には、町中の4つの小学校を卒業した生徒が一同に集まってきます。入学した私は合唱クラブに入ろうと思っていました。ところが合唱クラブは全員女性。恥ずかしがり屋の私は入部をあきらめ、同じ音楽部門であるプラスバンドへ入りました。なにしろ、小学校時代はハーモニカ、縦笛をかたときもはなさず、楽器はお手のもの。
入部した私に与えられた楽器は小太鼓・・・。口を使って吹く楽器ではないのです。そしてこの小太鼓によって致命的な欠陥を、発見することになりました。その欠陥とは――。
小太鼓はそれぞれの手にバチと呼ばれる細い棒(ドラムでは「スネア」)を持ち、交互にたたいてリズムをきざみます。ところが、私はこの「交互にたたく」が不得手で、はじめは「交互」になっていても、しだいに「同時」になっていくのです。
この致命的欠陥を知ったクラブの先輩は、「同時」に最も適している楽器、シンバルを持ってきました。「シンバル」って知ってますか?。両手に丸い皿のようなものを持って、それを拍手するように打ち合わせて鳴らす楽器。私はこのシンバルと1年間付き合いました。
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その8「シンガーソングライター」
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中学時代は視界が広がる時期でもありました。その大きな役割を果たしたのがブラスバンドクラブ。毎年、夏休みに入った7月末には、県内の海沿いの小学校を借りて2〜3泊の合宿生活を行ない、秋には県内合奏コンクールにも出場し、たくさんの観客の前で演奏する経験も味わいました。また、クラブ活動を通じて知り合った友だち(女性もいる)の家へも遊びに行き、行動範囲が大きく広がりました。
ブラスバンドを通じて音楽に興味がわいてきた私は、2年生の頃からオリジナルの歌をつくるようになりました。「歌」といっても、人に聴かせられるものではなく、唱歌に似た歌をつくっては五線譜のノートに記して、一人で口ずさんでいました。
歌をつくる際の楽器は縦笛。ギターは高校生になってから手に入れたため、この時期は縦笛が主力でした。ま、一応は作詞・作曲ですから、現代風にいえば「シンガーソングライター」。しかし、縦笛では口がふさがっていて歌えませんでした。
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その9「声変わり」
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歌の大好きな私は、歌をうたいながら自転車で登下校していました。そんな中学2年のある音楽の時間、いままで得意になってうたっていた教科書の歌が、なぜかうたいにくくなりました。「変声期」だったのです。
音楽の先生は「あまりうたうな」と言いました。しかし、うたわないことは私にとっては手錠をはめられたに等しく、そしてまた、うたったらどうなるのかも知らなかったために、先生の忠告もかまわず、あいかわらずうたっていました。
「声変わりをした」ということは、本人にはわからないようです。毎日、自分の声に接しているわけですから、気づきようもないのでしょう。ある日、ひさしぶりに会った友だちから「何だお前の声は!」と、いきなり言われました。何が変なのかさっぱりわからないものの、そういう友だちの声も「何だその声は!」の声だったため、どうやら声が変わったのだと気づきました。そして私の美しい「ボーイズソプラノ」は、「森 進一」になったのでした。
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