満開の桜咲く
拝啓。みなみなさまへ。3月21日投票で行なわれた小金井市議会議員選挙で、私の後継者を含めた共産党4人全員が当選(定数24人)。得票数・率ともに前回を上回りました。7期・28年の議員生活に終止符を打ち、今後は後継者と二人三脚で活動してまいります。
記
「まだ若い」「なぜ辞めるんだ?」。会う人ごとに言われるなかで迎えた市議会議員選挙。62歳で退く私に、自民党関係者からも「まだ頑張れる」の声がかかる。なぜ辞めるのかの説明からスタートした戦いは、総力をあげての「新人へのバトンタッチ」宣伝によって、準備期間わずか2カ月の後継者を当選させることができた。
「板倉さん。辞めたあとは何をするんですか?」も多く寄せられた。「後片付けをしながら、一カ月ほどは身体を休めようと思う。その後のことは、その時点で考える」と応えている。実際、何も考えていないのである。
地元の自治会・防災会の役員を20数年、続けている。この方面の仕事が増えるのではないだろうか。地域で育てられてきたのだから、恩返しをしなければと思う。
「年金だけでは食べていけない!」とカミさん。妻の奴隷になるのは勘弁である。飲み代くらいは稼がなければ。まずは炊事・洗濯・掃除‥。家の仕事は実に多い。
(2021年3月30日付)
4人の市議団を
マスク姿が1年にも及ぶなどと、誰が想像しただろうか。カラフルな絵柄も出回るようになり、いまやマスクはファッションの域に入ってきている。
ようやくワクチン接種がスタートした。まずは、医療従事者からである。次なる高齢者からは自治体が責任を負う。市内医療機関の40箇所前後で個別接種が行なわれ、貫井北町の保健センターでも集団接種が行なわれる。
しかし課題は多い。保健師や看護師を長期間に渡たり、どこまで確保できるのか。前代未聞の16歳以上の国民へのワクチン接種に、どの自治体でも頭を抱えている。
3月に入った。春の声はそこまで来ている。中旬頃には桜が開くという。この時ばかりはマスクを外して、訪れた春を一人静かに、かいでみたいものである。
同時に、「桜咲く」をなんとしても実現しなければ。四葉のクローバーのように、ほほえましく頼もしい4人の市議団に。最後まで力強いご支援を。
(「しんぶん小金井」2021年3月7日付から)
春一番
観測史上、もっとも早い春一番が4日、東京に吹き荒れた。いっきに春のような季節である。見渡たせば梅が咲き、菜の花もあちらこちらに。細身の我が身には、ありがたいことである。
花粉が飛び始めたという。コロナでマスクをしているのだから大丈夫では?と思うのだが、当事者はそうではないらしい。目の周囲を腫らす人が、私の周りでも出始めている。酷な早春になりそうである。
ワクチン接種が秒読み段階を迎えている。小金井市は集団接種会場に、貫井北町の保健センターを想定。市内医療機関での個別接種も視野に入れている。いずれにせよ、医療機関の協力なしには成しえない。
この医療機関が減収に見舞われている。「減収補てんを」と迫っても、国も東京都も小金井市も、首を縦に振ろうとはしない。一方で、新庁舎建設等には110億円余もつぎ込むという。コスト削減で暮らし・福祉に財源を。いまこそ声を上げるとき。
(「しんぶん小金井」2021年2月14日付から)
寺内だい作さんを後継者に
私・板倉真也は、今期限りで市議会議員を引退します。後継者に、33歳の若者・寺内だい作さんを擁立します。みなさんのご支援・ご協力を心からお願いします。以下は、2021年1月24日付の「しんぶん小金井」に掲載されたものです。
日本共産党北多摩中部地区委員会は、3月の市議会議員選挙予定候補に寺内だい作さんを擁立することを発表しました。また、板倉真也市議が今期限りで引退することを明らかにしました。
[寺内だい作のプロフィール]
●1987年5月14日生まれ。秋田県出身。
●私立大学法学部に入学するも、経済的理由で学業を断念。ビル管理や清掃などの会社を
勤務。日本共産党小金井市議団事務局員。
[ごあいさつ]
仕事や学業でうまくいかなくても自己責任だとされ、生産性や利益の有無で人がはかられる生きづらさを抱えた若い世代。私はまさに、その一人でした。その私に日本共産党から「市政へ挑戦」の要請が。‥悩みました。でも人一倍困難をかかえ、痛みを感じた自分だからこそ、困っている人に寄り添えるのでは‥と思い決断しました。市政改革に全力をあげます。
[「しんぶん小金井」コラム欄の板倉真也の記事]
初めての質問は「野川改修事業は住民合意を前提に」「高齢者住宅のさらなる建設を」。‥あれから28年。鏡に映る自身の姿は、誰が見ても「おっさん」に変貌していた。
この間、阪神淡路大震災や東日本大震災、今回のコロナなど経験したことのない出来事が発生し、右へ左へと走りまわって行った。市民の要望を市政に届ける役割は日常に。解決した事柄もあれば、うまく行かずにお叱りをうけたことも。「28年」には様々な歴史が包み込まれている。
50代の後半から首と腰に違和感を覚え、医者からはヘルニアの診断が。これ以上、職務を担うことはできないと判断し、支える側へ移ることを選択した。
インターネット全盛時代。若い頭脳が議会に求められる。良き後継者が現れ、新たなスタイルで頑張っていけると確信する。
コロナ禍、暮らしも営業も深刻である。市民生活第一に奮闘する共産党市議団を大きく。あなたもぜひエールの輪へ。
(「しんぶん小金井」2021年1月24日付から)
ヘルニア
まだ明けやらぬ寅の刻。何かの拍子で目が覚める。尿意をもよおし、はばかりへ。寝床へ戻り、さあ困った。寝つけない‥。
これまでも、たまにそんなことはあったが、頻繁に起こりはじめた昨年7月頃から、これまでのマッサージに加えて「針」が首や背中、腰に打たれるようになった。それでも、針に慣れてしまうと、またしても「明けやらぬ寅の刻」である。
首や腰に違和感を覚えはじめたのは、14〜15年前あたりから。それでも、寝つけないなどということはなかった。しかし、ここ数年の間に首や腰、なかでも首の違和感にさいなまれ、寝つけない事態が頻繁に起きるようになった。マッサージに通うようになったのは、その頃からである。それでも、最初は月に1回ペース。それが月2回に増え、いまでは週1回へと進展している。
違和感を覚えた頃に病院へ行った。ヘルニアだと言われ、首のほうが悪いと告げられた。いまでは、左手の小指と薬指にシビレが起き、椅子に落ち着いて座っていることが苦痛になっている。とにかく、しんどい。
「なんで!」「そんなふうには見えない」「まだ若い」と、多くの人から言われる。歩くことに支障があるわけではなく、バイクに乗って今日も走りまわっている。「なんで!」と怒られるのは当然であろう。しかし、とにかく、しんどいのである。
議員に選ばれたからには、議会がある時は、しっかりと予習を行ない、ベテランにふさわしい質問へと努力をする。質問を組み立てる際には、現状把握と仕組みをある程度は理解し、この間の担当部局の答弁内容をチェックする。そのうえで、どうすれば部局側が逃げないようにしうるか、どうすれば部局側も納得するか。あるいは、部局側も質問者と同じ意見を持っているが財政当局に予算を削られてしまった、市長の政策と合致しない、などを事前に部局側の意見も聞きながら掌握し、どのような質問へと組み立てていくか。こんなふうに、いまの私は議会に臨んでいる。しかし、それが厳しくなってきたのである。
「引退」は避けられない選択肢である。だれもが、いつかはその時を迎える。私も、その時を迎えたようだ。
一般的に「定年」は60歳。それ以降は、勤務時間や責任の所在がゆるくなる立場へと身を移していく。しかし、議員の活動に「非常勤嘱託」は、ない。走りまわることが求められる。‥この身体では、応えることはムリである。
「いさぎよい」と述べた人もいた。そんなカッコイイものではない。しんどいのである。強いて言えば「余力のあるうちに後継者を」ということか。
風呂から上がり、時間のある時は、柔軟体操を行なうようにしている。少しでもヘルニアの厳しさから逃れるためである。「身体が柔らかいですね」と述べた市職員もいるが、やむにやまれぬ柔軟体操である。他の人と同じ様に、酒をくらっていたいのがホンネである。
コロナ太りなどどこ吹く風か。我が身はこの10年の間、65sから66sの間を行き来している。酒を飲まず、酒のつまみも食卓には並ばず、間食も、あまり摂らない。「飲む」「打つ」「買う」の、男の三つの愉しみとやらに縁がないままに、今日を迎えている。なのに、ヘルニアである。人生は残酷である。
28年間の議員生活に終止符を打つことにした。「なにをやるんですか」と聞かれるが、共産党の活動は死ぬまで続くだろうし、地元の自治会・防災会の卒業通知も来ないだろう。きっと死ぬまで貫井南町の地で、地元の人たちと楽しく走りまわっているんじゃないかな。周囲の人を楽しませることばかり考えながら。みんな、私はいるよ。貫井南町の地元に。
(2021年1月18日付)
紅顔の美少年が厚顔無恥に
34歳で迎えた1993年3月。立候補の挨拶で走りまわった頃の私は、紅顔の美少年と言われていた。ういういしいまでの爽やかな瞳を前に、居並ぶ娘らは心を踊らせたものである。あれから28年。皮膚は垂れ、腹が膨らみ、頭には白いものが目立ちはじめている。どこからみても紅顔の美少年にあらず、誰からも「厚顔無恥」と言われるようになっていた。
60歳を迎える前から通いはじめたマッサージは、昨年7月から針が加わり、しだいしだいに身体に厳しさを覚えるようになってきた。インターネットなどが社会を覆うにつれ増える横文字には、ついていくこと自体に頭が拒否反応を起こす状況となっている。首と腰に違和感を覚え、頭もついていかない‥。「わだ若い」と周囲は言う。けれども思う。余力を持って支える側へ回るべきではないか、と。
党に「引退」を申し出たのは、2019年8月。翌9月には「了承」を得ることができた。引退を聞き及んだ周囲からは、「淋しい」「せめてあと1期は‥」などの声をいただいたが、若い力を議会に送ることこそ、新しい時代をつくるうえでは必要と自分自身に言い聞かせ、今日まできている。
私はどんな存在だったのだろうか。市政でどんな役割を果たせたのだろうか。走りまわる日々の繰り返しのなかで、かえりみる余裕などまったくなく、28年の歳月だけが過ぎていった。
息子も娘も言う。「もうこのへんでいいんじゃない?」。だから、このへんで、おいとまをさせていただくことといたします。
(2021年1月7日付)
私が発行した2021年の年賀状
■安倍首相の後継・菅さん。コロナよりも経済を優先。遅すぎた「GoToトラベル一時停止」で、医療体制薄い年末年始に感染者の急増が襲来。安倍さんは「桜」で失速。菅さんは「コロナ」で終焉か。
■収束見えないのにオリンピックにしがみつく小池都知事。膨れ上がる負担増に誰が責任を負うのか。普通の暮らしさえ奪いさるこの社会。年末年始を派遣村で過ごす若者や失業者にこそ希望を。格差は確実に広がっている。
■市庁舎・福祉会館建設は長年の課題。しかし 110億円もかける必要があるのか。市内の一級建築士が16億円減らせる案を提示。なのに顧みることなく 110億円の建物に突き進む市長。コロナで市税収入が減るというのに。
■これまで記してきた子どもたちの成長記録。「プライバシー侵害だ」と猛抗議を受け、ここにきて絶筆。兄妹ともに自分の足で立っていることを、よしとする。子どもとの距離、カミさんとの距離を痛感した一年であった。
■「3密を避けろ」と政府が言う。密はとっくに消えうせているわと、カミさんの背中を見てつぶやく。所帯をもって33年。言いたいことは山ほどあるが、それを抑えて前のみを向く。それが三行半を防ぐ道‥なれど険しい。
■60歳になる前から通いはじめたマッサージ。昨年7月からは針が加わった。駆けずり回る長年の暮らしで首と腰に違和感が。まだ若いと人は言うが、余力を持って支える側へ。そんな時がやがては来るかと思う今日この頃。
ガースーです
ようやく決断した「GoToトラベル一時停止」。よりによって、歳も押し詰まった28日から。27日までは、一部地域や高齢者等を除いて従来どおりだという。
誰もが思う。決断が遅すぎる!。「医療体制が手薄な年末年始に、それまでに感染した人が集中する」。
一方、来年度予算の軍事費は過去最高額を更新。中小業者の頼みの綱の持続化給付金や家賃支援給付金の申請期限は1月15日に迫り、しかもたった一回かぎりだというのに。
「桜を見る会」前夜祭での安倍前首相後援会の費用補てん疑惑、吉川元農水相の鶏卵業者からの献金疑惑、河井案里参院議員の公選法違反問題、そして菅首相の五人以上での会食やはしご会食。「ガースーです」などと浮かれている場合ではない。あまりの節度のなさに、怒りは増すばかりである。
新年は、コロナとともに自民・公明政治を退陣へ追い込む年に。私も全力で頑張ります。
(2020年12月25日付)
重症患者の増加
恐れていたことが現実味を帯びてきた。重症患者の増加による医療体制の逼迫化である。
政府は“3週間が勝負”と叫ぶ。しかし、一部地域のGoToトラベルは制限をかけるものの、それ以外の手立ては見えてこない。経済優先がこの先、さらなる事態を招くのではないだろうか。
職を失い、生活に困窮する人々が増加している。住居をなくしたり、食べていけなくなる人の急増することを予測し、一人のこらず支援しうる市役所へと、年の瀬を迎え強く求めたい。
夏休みが極端に短縮された小中学生。林間学校も移動教室も、修学旅行さえも新型コロナは奪っていった。 それでも子どもたちは寒空の下、元気いっぱい登下校をしている。いつの日か“あんなこともあったね”と、懐かしく思い出せる日が来ることを信じて。
金曜日の朝、駅頭に立つ。太陽の日差しの、なんとありがたいことか。3カ月後は市議選本番。細身にムチ打ち走ります。
(「しんぶん小金井」2020年12月6日付から)
冬に向けて感染者増
先週の土・日、義父の三回忌のため新幹線に乗車した。3カ月前の旧盆の時は自由席すらガラガラだったものが、今回は指定席も満席。感染が増加傾向にあるにもかかわらず、この光景に違和感を覚える。
北海道で東京を上回る1日あたりの感染者。全国でふたたび、千人を超える事態となった。GoToトラベルが影響していると、多くの指摘。しかし見直しは考えていないという。
冬を迎えるにつれ、感染者は増加するらしい。やがて到来するクリスマスと年末年始。8月の旧盆時のように民族大移動を控えるのか、それともGoToトラベルのように移動を行なうのか。1人ひとりに判断が迫られる。
マスク着用から8カ月余。皮肉にも風邪やインフルエンザが例年を大きく下回っているという。一方で、この人の顔半分はどんなだったっけ?などと思うことしばし。そのため、初めて会った人の顔が覚えられない。4カ月後に市議選がくるというのに。
(「しんぶん小金井」2020年11月15日付から)
横文字は勘弁
水上さん、せるってなんですか?。議会運営委員会を終え、共産党控室で同僚議員に問う。せるっていうのは、エクセルの表のこまのことですよ。困ったものだ‥という顔つきで水上議員が答える。‥‥こまってなんだ?。それ以上は聞けなかった。
近頃、周囲では訳のわからない言葉が飛び交っている。めっせんじゃぁ?‥なんでタイガースのピッチャーが会話のなかに出てくるんだ?。じいめえる?‥気が滅入ることはいっぱいあるんだけどなぁ。りつい〜と?‥いったいなんのことだ。らいん?‥尻に食い込んだパンツ跡のことか?。
横文字が出てきたら注意しろ、何かをごまかすために出てくることが多い、と我が「赤旗」が注意を喚起する。スーパーシティ構想、GoToトラベル、アベノミクス、マイナンバーカード‥。だから、会話のなかに時々登場する横文字を注意して聴く。しかし、なにを言っているのか、想像すら容易ではない。
私はエクセルもワードも使わない。携帯はガラ系である。最初に目にしたSNSも、なんのことかわからず、南北南なのか?と思ったものである。拡散は、広げてくださいという意味なのだろうなとは思うが、どのようにすればいいのかわからない。添付ファイルでQRコードとかいうのが送られてきた。ガラ系でその画面をカメラ撮影してみたが、何も起こらなかった。シェアしてくださいと言われても、なんのことだかちんぷんかんぷん。いいねを押してくださいと言われたが、キーボードのどこを押せばいいのだろうか。そもそも、キーボードに「いいね」などというキーがない。とにもかくにも、わかって当然的な相手側の対応に、私はとにかく腹が立つ。
若いころは単純だった。携帯電話は、今でいうガラ系のみ。メールの文章は画面に少ししか表示されず、添付ファイルなどというものはない。インターネットは普及しはじめたばかり。パソコンでのダウンロードは画像がようやくというところで、映像ははるか先のこと。保存はパソコン内部かフロッピイだった。それでも、すごいなぁと思ったものである。しかし現在は変化が激しく、ついには置いていかれる事態となってしまった。
エクセルもワードも使わずに、何を使っているかって?。20歳の後半あたりから一貫して「オアシス」である。えっ?、オアシスを知らない?。うそでしょう。天下のオアシスですよ。富士通が開発したオアシス。文書入力にもっとも適したソフト。
キーボード入力は、もちろん親指シフト。えっ?、なんのことかって?。‥‥困るなぁ、そんなことじゃぁ。富士通オアシスは、私が利用しはじめた頃は全国の自治体で使用されていたし、東京都もこのソフトを使っていた。なのに、いつのまにかワードだのエクセルだのとアメリカ資本に侵され、いまではワードやエクセルなしでは生きられない人のなんと多いことか。実に嘆かわしい。日本の文化を守ろうではないか。
何かを調べるときには、インターネット。これでいいのだろうか。本棚に置かれている辞書やノウハウ本を開いて、あれこれ考察することこそ必要なのではないだろうか。ネット世界にどっぷりつかり、便利になったと得心している人の実に多いこと。私は、そんな生き方をしたくはない。
カミさんに観劇に誘われ、劇場で落ち合うことになった。カミさんに問う。日生劇場って、どこ?。私も忙しいんだから、自分で調べてよ。怒った声が、隣の部屋から飛んでくる。
やれやれ、自分で調べるのか。え〜と、日生劇場は‥と。あぁ、有楽町駅の近くか。2年前の11月にも、ここへ来たことがあるなぁ。山手線でもいいし、日比谷線や千代田線でもOKか。千代田線の日比谷駅が一番便利かな。
目の前の画面には大写しでカラーの地図が広がり、写真まで付いている。便利な世の中になったものである。地図帳を買わなくとも、ネットで検索できるのだから。インターネットは便利だわい。
(2020年10月29日付)
調布市道路陥没
調布市の住宅街で、道路の陥没が起きた。地下50mあたりで、東京外郭環状道路のトンネル掘削工事が行なわれているという。
掘削工事の最中、陥没が起きた一帯では騒音や振動、コンクリート隆起が発生。掘削工事そのものに、陥没とのつながりが疑われている。工事はただちに中止すべきである。
地下40m以上であれば、地権者に無断で掘ってもよいらしい。小さなトンネルならまだしも、多くの車が走る外環道。そんなものが家の真下に造られたら、たまったものではない。
では、ハケの緑と自然を破壊する都市計画道路3・4・11号線はどうか。
市は、3・4・11号線などの補助幹線道路を「整備し着実にすすめる」と明記した東京都区域マスタープランと、小金井市都市計画マスタープランの「整合性を図る」と言う。西岡市長の「つくらせない」は、どこへ行ってしまったのか。
地上も地下もどちらもダメ。声を上げ続けることが重要である。
(「しんぶん小金井」2020年10月25日付から)
61歳の身体
せ‥先生。それって、針?。針にしては太いような‥。診療台にうつ伏せに横たわる尻に、何かが突き刺さろうとしている。え?、針のほうでよかったんでしたっけ?。背中越しに先生の、のんびりした声が流れる。
針ではないものを突き刺そうとしていた先生が尻から離れ、机の上に手にしていたものをゴロリと置く。せ‥先生!。それって、釘。「針」と「釘」はちょっと違う‥‥などという夢を、診療台の上でウトウトしながら見ていたような。
若い頃の草野球でのムリが祟ったのか、あるいは長年のパソコン作業で積み重なってきたのか、しだいしだいに腰や首に違和感が増してきた。60歳に届く前あたりから通い始めたマッサージは、月日が経つにつれ通う間隔が短くなり、今年7月からは針が加わった。それでもなかなか効き目は現れず、61歳の身体が涙を流している。
議会内を見渡たす。同年代の議員や管理職者もどこかに厳しさがあるのか、歩き方に辛さをかいま見る。支障があるんだろうなと、60歳前後の身体の現実を共有する。
政府は、労働力確保や年金支給総額の削減などを念頭に、労働者の定年を65歳に延長しようとしている。しかし身体の現実は、そう簡単ではない。少なくない人が、どこかに支障を抱えるのである。「65歳まで働け」は、ちょっと酷であろう。
違和感は、腰・首ともに左側にある。長年「左」に属しているからであろう。逆に、自民党や公明党の方々は右側なのかもしれない。いや、右側にあることこそが悦びとなっているに違いない。では、立憲民主党の方々は?。「真ん中よりは、やや左側」と主張するのだろうか。
近頃は物覚えが悪くて‥。頭あたりに打ってもらったらよくなりますかねぇ?。うつ伏せになりながら先生に聞く。そりゃぁ、そうにきまっとる。若いときみたいにはいかんかもしれんが、打たないよりは打った方がいい。ほんの少し、太いものを打つことになるかもしれんが。
背中のあたりから先生のしわがれた声が聞こえる。長年この道を極めてきた先生の言葉に励まされ、私は言った。それじゃぁ、お願いします。
先生が机に向かう。おもむろに光るものを手にした。せっ、先生!。それって、さっきの釘。針じゃない!。‥‥診療台の上で目が覚めた。
(2020年10月7日付)
故中曽根元首相の葬儀
知り合いの訃報の知らせが舞い込む。葬儀の日取りを問うと、決まりごとのように「家族葬」。新型コロナで、最期の見送りも叶わぬ事態となっている。
親父の十三回忌は中止。盆の墓参りもできなかった。さぞかし墓の下で、寂しい思いをしていることだろう。
ところが、お偉い人の場合は、コロナがどうであろうと関係ないらしい。故中曽根元首相の葬儀を、都内の豪華ホテルで行なうという。
驚くのは、多額の費用が国民の税金から充てられること。その額なんと9,643万円。自民党の支出も合わせると、1億9千万円余の葬儀に。
コロナで仕事を奪われた多くの非正規労働者。客足が減り、廃業も検討さぜるを得ない飲食業の方々。舞台関係者やアーティストは、どん底の状態に。医療従事者は、最前線で闘い続けている‥。誰もが思う「高すぎる」。
安倍内閣「継承」の菅内閣。国民との乖離まで「継承」の様子。 (「しんぶん小金井」2020年10月4日付から)
往来手形
その女子(おなご)は、「くノ一」と呼ぶに相応しい容貌をしている。身体が細長く、女忍者のような風体を携えている。阿波踊りの踊り手にでもなれば、きっとサマになるであろうその「くノ一」が、関所破りを繰り返す。
関所とは、毎週金曜日の朝の武蔵小金井駅南口を指す。「しんぶん小金井」を配る私の前を通らずに、他の場所を抜けて職場に向かうのである。他の常連は、あえて私の前を通り、「しんぶん小金井」をしっかりと受け取る。しかし、「くノ一」は平気で抜け道を選ぶのである。
「くノ一」のいる職場に毎週金曜日の朝9時頃に向かう。席に座り、私が「しんぶん小金井」を届けにくるのをちゃっかりと待っている。実に憎たらしい。だから私は言う。「くノ一。関所破りは御法度だと言っているだろうに!」。すると「くノ一」はきまって「アハハハ‥」と笑う。
ある日、フト思った。そうか、「くの一」は関所を通るための往来手形を持っていないんだ。だったら、身元引受人に手形を発行してもらえばよいではないか。
身元引受人は、職場の課長が適任である。だから、課長の前でわざと聞こえるように「往来手形を発行してあげればよいではないか」と言った。しかし課長は、なんのことを言っているのか‥と、不思議なモノでも見るかのように私を眺める。そして、課長の口から返ってきた言葉は「板倉議員。今度の決算委員会の資料なんですけど、こんな具合でどうでしょうか」。
この職場の所掌事務を見る。トップに「交通安全対策に関すること」と記されている。二番目は「交通安全思想の普及及び啓発に関すること」となっている。このことから、この職場が第一に力を注ぐべきことは、人々が安全に通行できるように万全な対策を施すということになる。往来手形の発行は、まさにそれではないか。しかし課長の堀池氏は、あえて話の輪に加わることを避けているように思える。
課長は言う。「資料をお持ちしたいんですが、このあと控室にいらっしゃいますか」。私は言う。「あちこち徘徊しているから、控室にいるかどうかはわからない」。しかし、堀池課長には「徘徊」という言葉が難しかったようである。やむをえず「俳諧」に変更し、句を読んだ。「風呂上がり 妻の背中は 土俵入」。「オスプレイ 迷彩色で コスプレイ」。
課長は笑いながら「板倉さん。ここの若い人には、この句は難しいですよ」。振り返ると、「くノ一」は平然としていた。しかし、貫井南町に住む横綱に一歩手前の人は、笑うのを必死に耐えていた。どうやら横綱に一歩手前の人は、「若い人」には属さないようである。
来年3月の市議会議員選挙まで半年を切った。こんな、他愛のないバカ話に付き合っていただき、ただただ感謝である。早いもので、議員生活28年(7期)。果たして私は真面目だったのだろうか。どんな存在だったのだろうか。そんなことをいま、考え始めている。
(2020年9月22日付)
創作『議会事務局長の一言』
過日、8月上旬に受診した健康診断の結果が議会事務局から渡たされた。恐る恐る封を切る。「再検査」の文字が記されているのではないかと思ったからである。幸いに、このての文字は記されていなかったが、「要観察」の文字がひしめいていた。一歩手前というところであろう。
1年半ほど前に、いままで見たことのない数値を示した体重は、食べたいものを我慢し、酒もじっと耐えしのいでいることから、ようやく目標値内に収まるようになった。油断すればもとのもくあみであるが、なんとかこの数値を維持し続けている。
世間では「コロナ太り」なる言葉が飛び交う。だから、体重を維持しつづける私を、周囲の人々は不思議な目で見る。私は思う。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」決意があるかないかであろう。今夜も、目の前に陣取る肉に目を奪われることなく、メザシと野菜サラダ、大根おろし、豆腐に箸を運んだ。涙ぐましい努力が必要なのである。
そんな私を気づかう人もいる。昼食時に時折お世話になる「セリージュ」のママさんである。カウンター席に座った私にお冷や(水)を運んで一言。「しんちゃん。痩せた?」。「コロナ太り」ではなく、痩せたように見えるらしい。
仕事が忙しくなると、走り回らざるをえなくなる。若いときもそうであったが、いまも時々特急列車が襲ってくる。一目散に個室にかけこむのだが、個室に座りながら、ちょっとムリしすぎたかなぁ、などと後悔する。このことも、体重が維持されている要因なのかもしれない。
副議長に就くと、本会議場で議長の代わりに議長席に座らなければならないときがある。体調がいいときもあれば、そうでないときもある。常任委員会の、とある委員長は「委員長席で腹痛に襲われたことがあり、冷や汗をかきながら議事運営を行なっていた」と言っていたことがある。それとおなじ状況が先日、私を襲った。
時は9月8日(火)午後、本会議一般質問でのこと。この日は朝から、体調があまりよくなかった。明け方まで、カミさんと冷房のリモコン争奪戦が繰り広げられていたからである。スイッチを入れるカミさん、それを途中で切る私。やおら気づいたカミさんがスイッチを入れる。睡眠不足と冷えた腹。明け方には個室にかけこみ、うなっていた。
最初の一時間はなんでもなかった。しかし午後2時を過ぎたあたりから、腹に異様な空気が流れてきた。まずい。典型的な症状ではないか。どうする?。隣に座る議会事務局長に告げた。「腹が痛い」。「どうされますか?」。「議長に隣の部屋で待機してもらっていてほしい」。
急を要する事態はいつやってくるのか。このことが頭を占める。目の前でなんの質疑が行なわれているかは、二の次である。隣の席で議会事務局長が読み上げ用のメモをつくりはじめる。「副議長、体調不良につき、議長に交代します」。その文字を見た途端“これでは孫子の代まで笑い物になる。来年3月の市議会議員選挙では、『板倉副議長、下痢で交代』などというチラシを、どこぞのヤカラが配らんともかぎらぬ。なんとか頑張らねば”。不思議である。腹よりも頭のほうが優位になりはじめた。
「局長。なんとか山を越えました」。2時30分あたりから、回復のきざしがでてきたのである。隣の席で私の言葉を聞いた議会事務局長が、ニコッと笑って言った。「あとは、くだるだけですね」。
うまいことを言うではないか。議会事務局長の北村氏とは、札幌で一緒に蟹を食べたことがあるし、部長職のときは論戦をした仲でもある。ついに北村氏も、板倉ワールドに入ってきた様子。あっぱれである。
(2020年9月17日付)
コロナ禍の大輪の花
貫井神社を北側にのぞむ弁天橋の上で、私は静かに空を見上げている。周囲には私と同じように、その瞬間を待つ人々が、じっとたたずんでいる。自粛・自粛で盆踊りもお祭りも、なにもかもがなくなってしまった。このまま、淋しいだけの日々を送るのは、あまりにも悲しい。本来ならば、今日は年に一度の貫井神社のお祭りのはずだのに。
神社で太鼓が鳴った。それを合図に“ポン”と乾いた音が響く。すると、ハケの樹木の間から光の筋が縦に走り、いきなり夜空に大輪が開いた。パーン!。静寂な初秋の暗闇に華やかな音が鳴り響く。いっせいに歓声が沸き起こった。
例年は30発のところを、今夜はコロナ退散を願って60発にするという。9月12日(土)の夜、打ち上げられるという情報は、限られた人の間でしか知らされてはいない。夜7時30分からというのは、さらに一握りの人にのみ伝わっているくらい。だから、突然始まった大輪の花に、何事かと家から飛び出した人も多かったのではないだろうか。
霧雨が音もなく降り続く。しかし、傘など誰も差してはいない。忘れかけていたものを見るかのように、やわらかく輝く神社の上空を、ただただ見上げていた。
気がつくと、神社に向かう道路上には多くの親子連れが立っていた。はしゃぐ子どもたち。その隣で、我を忘れたかのように見上げる大人たち。弁天橋近くの住宅の2階の窓からは、親子連れが顔をのぞかせていた。
願うように見つめていた。拝むように手を合わせていた。私たちが何をしたというのか。なぜ、こんな目に遭わなければならないのか。大輪の花を前に、私はひたすら問いかけ続けた。
ありがとう。大輪の花よ。ありがとう。関係者の方々。60発はそう長くはなかったけれど、多くの人が元気をいただいたと思います。来年はぜったいに、お祭りを行ないましょう。
(2020年9月15日付)
継承政治に未来なし
「森友」「加計」「桜を見る会」‥。臭いものにフタをかぶせ、消費税は10%に。閣議決定のみで集団的自衛権を「可能」にし、忖度政治が大手を振る。安倍内閣の7年8カ月が、いかに政治を汚してきたことか。
その7年8カ月を「良し」とする人物が、首相の座をこぞって争っている。座に着くまでは聞こえのよい言葉を並べても、着いたとたんに、どこ吹く風。顔が変わっても、国民の不信がなくなるものではない。
医療機関が経営の危機に。保健所職員は疲労困ばい。たらい回しでPCR検査にたどりつけず、感染の不安と背中合わせ。仕事を無くし住まいも無くす。この事態にトップに座ろうとする人物は、どう応えるつもりなのか。
安倍内閣を引き継ぐ政治に未来はない。折しも「桜」疑惑の連続スクープを報じた「赤旗」日曜版が、日本ジャーナリスト会議の大賞を受賞。政治の私物化許さずのうねりが、悪政を追い詰めている。
(「しんぶん小金井」2020年9月13日付から)
束の間の夏休み
「県をまたぐ移動は控えてください」「帰省はご遠慮ください」。この言葉が私たち東京人に重くのしかかる。遠出を控え、盆休みを自宅や近場で過ごした人も多いのではないだろうか。
近くを流れる野川は例年、桜の季節を過ぎるとほとんど見向きもされてこなかった。ところが今年は「自粛」が叫ばれるなかで、この野川が賑わいを見せている。
河川敷にシートや簡易テントを張り、親子連れが午前中から集結。網や籠を抱えた子どもたちが、我先にと虫や魚などを追う。静かなうえに車は来ず、水深が浅いことから幼児も安心。格好の行楽地になっているのである。
しかし、その夏休みも終了。小学校は25日(第三小学校は17日)から、中学校は20日から2学期がスタート。猛暑のなかの授業再開に、子どもたちから悲鳴が上がる。
生き物が次々に採り尽くされる野川。束の間の夏休みを燃焼させようと、今日も子どもたちが野川をめざして駆け抜けている。
(「しんぶん小金井」2020年8月23日付から)
憂う東京人
憧れの花の都・東京に仕事と住まいを得て43年余。周囲から見れば、まぎれもない東京人なのかもしれない。しかし頭の片隅では、幼き頃より仰ぎ見た山河が消えることなく映し出され、なにかにつけて心のよりどころとなっているのが、ほかならぬ郷里である。その郷里がいま、はるか遠くへ追いやられている。
「帰省を予定している人は慎重に判断してほしい」「県をまたぐ移動はご遠慮願いたい」。言っていることは理解できる。けれどもその言葉を受けて、どれだけの人が悩み、もがいていることか。
「お父さん。うちは、おばあちゃんちへ行かないほうがいいみたい」。義母のもとへ一緒に行くことになっていた娘から電話が入る。感染しても無症状もしくは軽症と指摘される世代の葛藤である。お父さんやお母さんは、向こうへ行くの?。夏休みを共に過ごそうと考えていた娘が、恐る恐る聞いてくる。
高齢の母親を一人で郷里に置いているカミさんは、行くか、行くまいか、振り子のように揺れ動く。盆に行くことができなければ、今年いっぱい、もしかするとあと1年くらいは行けないのではないか。もしもそのあいだに何かあったら‥‥。政府は言う「帰省をやめてくださいというものではない」。郷里をもつ東京人には「行くな」としか聞こえては来ない。
5月の連休は、緊急事態宣言の真っ只中。「外出自粛」が叫ばれ、県をまたぐどころか、隣町でさえも人目をしのんで行くほどに。そこへきて今度は「帰省の自粛」。東京を除外したとはいえ、GoToトラベルはなぜ認められるのか。そこにも、東京人の複雑な思いがある。
「大丈夫だよ。お父さんは、あんたを置いては行かないから」。電話の向こうで、娘のホットした顔が見える。花の都・東京は、多くの若者の憧れの地。その東京がいま、日本中から憂いの対象とされている。
(2020年8月6日付)
第二波
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変ですか? |
あっさりと300人の壁を超えた東京都。150人に迫る過去最悪の感染者数を確認した大阪府。それ以外の地域でも、緊急事態宣言時を上回る感染者数をはじきだしている。医療従事者など関係者からは「第二波」の声が聞かれはじめているのに、この国の指導者は、どこ吹く風の知らぬ顔。「経済優先」ありきで、「GoToトラベルキャンペーン」は、東京都を外しただけで前倒しスタート。「感染拡大キャンペーン」と揶揄されるのは当然である。
緊急事態宣言が発令されていた時は、国民の中に強い緊張感があった。外出を控え、テレワークも積極的に行なわれていた。しかし、いまはどうか。過去最悪の感染者数を示しているにもかかわらず、通勤電車は満員。渋谷や新宿に多くの人々が集まっている。
小池都知事は言う。「PCR検査数が増加しているから、感染者数も増えている」。安倍首相も輪をかけて言う。「緊急事態宣言時とは異なり、医療体制は逼迫していない」。この言葉が人々から緊張感を失わせているのではないだろうか。医療体制が逼迫してからでは遅い。感染爆発が起きてしまってからでは遅い。早急に感染防止の手立てを打たなければ、この国は大変なことになる。しかし国や東京都の指導者からは、従来どおりの「3密を避ける」程度の言葉しか聞かれては来ない。
重症化しやすい年齢層は「60歳以上」というパネルが、どの場面でも登場するようになった。61歳の私は、その年齢層に入っているということになる。とにかく困るのは、ウイルスがどこに存在しているのか、皆目つかめないということにある。だから、多くの人が集まる場所は極力避け、電車に乗らなければこなせない用事はできるだけ遠慮するというあたりが、いまできる最大の防御である。
「いや〜ぁ、板倉さんはコロナに一番強いよ」と、同じ年齢の公明党の宮下誠議員が言う。何を根拠にそんなことが言えるのだろうか。たしかに、同じ年齢層の男性よりは腹の出っ張りは目立たないし、髪の毛も多い方である。人よりも、少しばかりは男前だとも思う。しかし、首や腰に痛みが走り、細かい文字は見えづらくなった。耳も、自分の都合のよいことしか聞こえないようになっている。歳相応に、身体は傷んできているのである。コロナにかかったら、間違いなくイチコロである。
感染者の人数に、私たちはマヒしてきているのではないだろうか。緊急事態宣言の最中は、東京都の200人という数字を聞いただけで飛び上がるほどに驚き、家から外に出ることすら慎重になっていたはずである。その人数が、早々に200人以上になり、ついには300人の後半へ。「感染しない、させない行動を」と言いながらも、平然と人前に出ているのではないだろうか。私たちは、感染者の人数に大いに驚くべきである。
小池都知事が「4連休は、できるだけ外出を控えて」と述べたが、当然であろう。東京都の医療体制は、すでに危機的な状況になろうとしているのである。
またしても「自粛太り」になるのだろうか。コロナ感染への不安とともに、その点も気になるところである。
(2020年7月25日付)
遠い郷里
懸念されていたことが起きはじめている。緊急事態宣言が解除され、人の往来が増すなかで、東京の新規感染者数が増加。一日あたり300人に届こうとしている。PCR検査数を増やしたからだと小池都知事は述べるが、落ち着いて聞ける数値ではない。
感染に不安を持つ全ての人が、安価な費用で検査を受けられる体制を確立し、感染防止に本腰を入れていかなければ、深刻な事態を迎えることになる。しかし政府の姿勢からは、危機意識は見えて来ない。
GoToトラベルにしがみつく政府。この時期になぜ?。なぜ東京だけ除外?。打撃を受けた観光業に直接財政支援を行なってこそ、感染拡大防止のうえからも有効だと私は思う。
8月のお盆が近づいてきた。親父の13回忌が取りやめとなり、久しく墓参りもしていない。だが、この東京から出向いて良いのか。周囲の人々はどう思うのか。
5時間で着く郷里・越前が、これほど遠く感じたことはない。
(「しんぶん小金井」2020年7月26日付から)
最後まで戦ってこそ
感染者数が増えてきた。「経済活動を再開するなかでは避けることができない」と専門家が言う。そうであるならば、感染対策は万全にすべきである。
ところが、感染症対応の拠点となっている多摩医療総合センター(旧都立府中病院)は、現都知事のもとで独立採算制を強いる独立行政法人化の対象に。「行革」の名で再編統合されてきた小金井市など6市を管轄する府中保健所は、103三万人もの人口を擁することから電話さえもつながりにくい状況に置かれている。
第2波、第3波は避けられず、ウイルスとの共存は続くという。ならば医療機関や保健所の体制充実は急務である。それを行なうのが政治の役割ではないだろうか。
東京都の年間予算は、スウェーデンの国家予算に匹敵する。駅前開発や道路建設よりも、暮らし・営業・福祉にこそ財源を集中すべきである。最後まで戦ってこそ、そのことを実行しうる東京都へと変えることができる。
(「しんぶん小金井」2020年7月5日付から)
アベノマスク
共産党を熱烈に支持している我が家にも、安倍首相からマスクが届けられた。巷では「アベノマスク」と呼んでいるらしい。同封のお手紙には、「使い捨てではなく、洗剤を使って洗うことで、何度も再利用可能」と記されている。ならばありがたいはずなのに、何故か利用している人は、極めて少ない。
そもそもタイミングが悪い。お手紙には「現下の情勢を踏まえ、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出されました」と明記しているが、我が家に届いたのは緊急事態宣言が解除された5月25日の当日。アベノマスクに頼らなくとも、店頭にはマスクが次々に出現し、お手製のマスクも相当数、見られるのである。
しかもアベノマスクは布製。多くの人が利用している不織布マスクよりも目が荒く、ウイルス遮断の効果は弱いと専門家が異口同音に述べている。それだけではない。日曜日の昼の民放番組で感染症の専門家は、こう述べた。「(アベノマスクは)小さなお子さんやお年寄りは付けないようにしてほしい」。なぜなら、「布製のため、窒息する恐れがあるから」。生放送である。アベノマスクの危険性が全国に知れ渡った。
カミさんと一緒にテレビを見ていた私は、おもわず叫んだ。「コロナで死ぬ前に、アベノマスクで窒息して死んでしまったら、目も当てられない」。コロナの上をゆく、恐るべきアベノマスクである。
6月1日から小金井市議会が始まった。部局側も議員側も、アベノマスクを付けている人は見当たらない。自民党の議員も公明党の議員も、別のマスクを付けている。恐るべきアベノマスク。身内も、その危険性を認識しているのである。
東京アラートが解除された翌日の6月12日(金)朝、2カ月余ぶりに駅頭宣伝を行なった。自粛が緩和されたとはいえ、駅を利用する人数は、ひところの7割程度のように思う。おおかたの人がマスクを着用し、大半は不織布マスクである。顔の半分がマスクで覆われ、目だけが異様に目立つ。
そのマスク姿の中に、周囲のマスクとは明らかに大きさの異なる白いマスクが時折通る。形は、安倍首相の口元に付けられているものと同じである。小さい。とにかく小さい。このアベノマスクを付けている人数よりも、マスクを付けずに歩いている人の方が多いのも、気になるところではあるが。
新しい生活様式なるものが喧伝され、マスクはいまや日常生活必需品と化した。マスク不足は解消され、値段もぐ〜んと下がってきた。だから、一定数のマスクを手元に置くことは可能になったのだが、この間の習性なのか、同じマスクを何日も使い回す状況から抜け出せずにいる。
自分では「レモンの香り」を想像していた。しかし実態は違っていた。勇気を出して深呼吸をする。そしてゆっくりと吐き出す。まぎれもなく、それは「どくだみの匂い」である。自分の吐く息の匂いに気持ちが悪くなるのは、私だけであろうか。
(2020年6月15日付)
迫る都知事選挙
12年前のリーマン・ショック時よりも経済状況は悪くなっているという。国や自治体あげて支援策を講じているが、非正規を中心に雇用は悪化の一途をたどっている。
ところが、資本金10億円以上の大企業の貯め込み金(内部留保)は488兆円に達し、過去最大となっている。下請けや働く人を低賃金・長時間労働で使い捨てているからである。
国や自治体の支援策は、いずれ限界を迎える。「大量の赤字国債のツケは、大増税となって国民に押し寄せるのでは」との声も囁かれる。
政府は「コロナ後」の予算を組むという。しかし、中小企業や下請け、事業者が倒れれば、社会が立ち上がるのは容易ではない。溢れるほどの利益を貯め込んだ大企業にこそ、儲けに則した責任ある対応をとらせるべきではないだろうか。
都知事選挙が目前に控えている。首都・東京でいま、くらしを守れるかどうかが問われている。力を合わせて闘うべし。
(「しんぶん小金井」2020年6月14日付から)
医療・介護の拡充を
保健所が忙殺に追われている。新型コロナウイルスの感染が懸念される場合は、かかりつけ医に相談もしくは「保健所に設けられている窓口に相談を」となっているからである。
かつて貫井北町に、国分寺市と小金井市を管轄する東京都の保健所が置かれていた。しかし「行革」の名で府中市内に移転し、石原都政時代にさらなる統廃合を強行。多摩府中保健所は、小金井市など6つの自治体を管轄する事態に至った。
6つの自治体の合計人口は103万人。100万人余の住民を1箇所の保健所と1箇所の支所で対応。一方、23区は全ての区に保健所が置かれ、最も人口の多い92万人の世田谷区には保健所の他に支所が5箇所設けられている。それでも休みも取れない事態に置かれているのである。
二波、三波は避けられないという。「行革」の名で命を粗末にする社会にしてはならない。いまこそ体制強化を。医療や介護の拡充を。声をあげなければ未来は築けない。
(「しんぶん小金井」2020年5月24日付から)
大丈夫か?
大丈夫か?。不安を抱くのは私だけではないと思う。東京や大阪などの特定警戒区域を除き、緊急事態宣言が解除されるという。「気をゆるめずに」と政府や専門家は言うが、一カ月余におよぶ「自粛生活」を強いられてきた庶民にとって、「解除」は天からの声。ゴールデンウイーク明けからの人の流れが増加傾向にあるなかでの「解除」は、人の流れに拍車をかけるものとなる。新たな感染者が、またぞろ増加しはじめるのではないだろうか。
そうは言っても商売がやっていけない。家賃も給料も払わないといけない。食べていかなければならない、と誰もが言うだろう。「自粛」を国民に求めておきながら、わずかばかりの給付金でやり過ごそうとする国のあり方に、現場から悲鳴が上がるのは当然である。大きな不安を抱きながらも、「解除」にすがるしかないのが庶民の現実である。
「自粛生活」で、家の外に出る機会が減った。自宅で資料を読んだり作成したり、あるいはホームページの文書を考えたりと、私の日常は以前とは様変わりをした。それまでは外食もけっこう多かったが、「自粛」が求められるいまは食材を近くのスーパーで購入し、自宅で調理するようになってきた。蓄えていた産直米の減るスピードがすいぶんと早く、これにテレワーク中のカミさんが加わる。調理内容にあれこれ注文が入る分、なにかと面倒である。
大丈夫か?。またしてもぷっくりとしてきた。5カ月目とまではいかないまでも、目立つことしかり。それを見たカミさんが笑う。「自粛太りだ」と。けれども言いたい。家のなかでは1年余、一滴も酒を口に運んではいない。腹一杯食べたいと脳味噌が訴えていても8分目くらいにじっと我慢し、大好きな煎餅も極力控えている。なのに数値は2キログラム超過だと指摘するのである。
なにをすれば良いのか。散歩?。ジョギング?。体操?‥‥この暑いのに?。以前のように、駆けずり回る日常に早くなってほしいと切に願う。
新型コロナには気をゆるめることなく対処すべし。またしても感染者増加では先がまったく見えなくなるどころか、「自粛太り」でいっそう悲惨な事態に我が腹は至ってしまうであろう。
(2020年5月13日付)
ステイホーム

政府が叫ぶ。「連休中はステイホームを」。事業所によっては12連休にもなるというゴールデンウイークを、在宅で過ごせというのである。叫ぶ側は国会や官邸などに出動して精神的にも肉体的にも能動的な状態になりうるだろうが、欧米諸国と異なり狭い「ウサギ小屋」に住む私たち庶民にとっては、自宅で長い連休を過ごすというのは酷というものである。お子さんのいる家庭であれば、なおさらであろう。
だから、平時はほとんど見向きもされない空き地や小さな公園、川沿いにまで、非常時のいまは多くの家族連れが顔を見せ、狭い自宅で角を突き合わせて過ごす日々の解消にと励むのである。なのに「公園に多くの子どもたちが集まっている。やめさせるべき」などの意見を警察や役所に述べる者がいる。小金井市議会にもそのような人物がいたように思う。家庭でのストレスを理解できない者には、庶民のくらしは理解できないであろう。
カミさんから指令が下った。部屋の後片付けを行なえ、と。指示された部屋は、物置同然となっている場所である。中古の家を購入し移り住んで18年。それまで住んでいたアパートからそっくり運んできたやからが、そのまま置かれている場所であり、使用しなくなったり壊れてしまった電化製品なども積まれている場所である。いったん手を付けはじめると途中で終わることが難しくなるという、いわば「パンドラの箱」ともいうべき部屋である。そこに手を付けろと、テレビの前で高笑いをするカミさんが指令を下すのである。
61歳の身体が訴える。「腰が痛い」「手が疲れた」「暑い」‥。半日こき使われたあげく、ご褒美のアルコールはおろか、甘い物もなし。「終わったの?」の一言のみ。目の前にはノンアルコールビールが1缶置かれただけであった。
このゴールデンウイーク。天気がすこぶる良い(最終日を除き)。なんと残酷なステイホームであろうか。自転車で付近を散策するだけで幕を閉じてしまったのが、今年のゴールデンウイークであった。
(2020年5月6日付)
資源回収にもコロナの影響が
新型コロナ問題は、思わぬ所に波及するものである。古着等の大部分を引き受ける海外市場が、再利用ルートの制限によって受け入れ困難となり、集められた古着等を国内で保管せざるをえなくなったからである。
「感染が続けば保管する場所が満杯になり、場合によっては自治体で行なっている古着等の回収をストップせざるをえなくなる」と市の担当者。他の資源物についても「感染拡大を防ぐために回収業者の人員体制が抑えられており、排出量が多くなると対応しにくくなる」と述べる。
「外出自粛」「在宅勤務」が叫ばれている。溜まるストレスを解消しようと、家の中の雑誌や新聞、古着などを整理し資源回収で出す光景があちらこちらで見られるが、新型コロナはそれさえも「待った」をかけてしまう。
先の見えない戦いは、今が一番大事なとき。感染拡大を防ぐためにも、とにかく「がまん」である。‥しかし疲れる。
(「しんぶん小金井」2020年4月26日付から)
コープとうきょう近くのお姉さま
「自粛」生活がこんなにもキツイとは。家のなかに閉じこもっているわけではないが、緊急事態宣言が発令される前に比べると、外に出る機会は少なくなったように思う。なにより、街全体を覆う「外出自粛」の空気が、気持ちをいっそう重くしているのだと感じる。
ツツジが咲くこの季節は、毎年欠かさず文京区の根津神社へ出かけていた。神社を散策し、周辺に気に入った喫茶店を見つけてコーヒーを注文し藤沢周平の作品を読みふけるのが、何よりの息抜きであった。しかし今年は電車に乗ること自体が重く、この一カ月の間、一度も電車に乗ってはいない。ストレスがいよいよ溜まってきた。こんなときは買い物にでも出かけて、気分をまぎらわすことが必要である。
雨の日の夕方、夕食の材料を買うために、近所のコープとうきょうに足を運んだ。今夜は、うどんにしよう。定番材料は、稲庭風細うどん、かまぼこ、タマネギはんぺん、白菜、肉を入れるというものである。材料を一揃い買物カゴに納め、最後の肉へと向かう。フトコロは潤沢ではない。やむを得ない、今回も鶏肉だ。
肉の棚で鶏肉を探す。量が多くて安価なものがベストである。ん?隣に見たことのある女性がいるではないか。マスクをしているが、かつて市役所第2庁舎の6階に勤務していた、あの女性に違いない。コープとうきょうの近くに住んでいると言っていたように思う。
「あら、こんにちは」と、声をかけてきた。「お元気ですか?」と私も応える。市役所を辞めたあと、いまは大学で事務をしているという。
「なかなか、よいお肉がなくって‥」と彼女。見ると、彼女の立っている位置は、牛肉の棚の前である。今夜は焼き肉にするという。一方、私の立っている位置は、鶏肉の棚の前。しかも、もっとも安い細切れの肉をかき集めた場所に立っている。彼女は、松阪牛や米沢牛に匹敵する肉を探しているようであった。
私の立っている位置を察した彼女は、やさしく言った。「鶏肉って、身体にいいんですってね」。そう言う彼女の口元には、真新しい真っ白なマスクが飾られていた。かたや私の口元には、すでに一週間を経過したヨレヨレのマスクが、なかば朽ち果てる形でぶらさがっていた。
お互い、あいそ笑いを浮かべながら「それじゃ、また」と別れる。牛肉を食べるだけあって、なかなかにたくましい女性である。彼女だったら、コロナにもびくりともしないだろうな、と思う。
一人わびしくうどんを食べる。どんぶりの底に沈んだ細切れの鶏肉は、箸ではさむにはなかなかに骨が折れる代物である。
(2020年4月21日付)
念仏坂
小金井市には「ハケ」と呼ばれる場所がある。今ははるか南側に移動しているが、太古の昔は暴れ川となってとうとうと流れた多摩川が大地を削ってできた北側のヘリを「ハケ」、地図上では国分寺崖線と称している。ようするに、河岸段丘の縁にあたる。
このハケは段差が15m〜20mあるといわれ、多くの坂道がいく筋も見られる。私の住む貫井南町は大半が宅地開発されて段丘途上に戸建て住宅が立ち並んでいるが、その東側の前原町から中町、東町にかけては、樹木の間を縫うようにうねる細い道がいくつか見られる。時間があれば、今日のような新緑のなかを一つ一つたどってみたいと思うところである。
晴れ渡った19日(日)の午前、市政アンケートで対応が求められている念仏坂にやってきた。この念仏坂は「昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので、念仏坂と呼ばれるようになった」(市制施行30周年記念事業「小金井の坂」)と紹介される箇所である。いまでは墓地はなく、街路灯もついているが、「狭く両側から笹や樹木が生い茂る」面影は残している。
坂の中段で西北を仰ぐと、茅葺きの屋根が目に飛び込む。西の方面は斜面上に空き地が広がり、タンポポが群れている。竹藪もあり、見事な竹の子が顔をのぞかせていた。
小金井市には「坂道」がどれくらいあるのだろうか。大抵は舗装され風情が薄れてきているが、坂の途中から南を見れば、かなたに丘陵地帯が広がり、その手前は太陽に照らされた戸建て住宅の屋根の光が一帯をうめている。西の方向に目をやれば、雪化粧の富士山がくっきりと見えるのである。
19日(日)の午前、ツツジが花開く野川沿いには多くの親子連れが集っていた。新緑の季節だからこそ、木々が生い茂る「ハケ」の坂道を歩くのも、小金井市のオススメポイントだと私は思う。
(2020年4月20日付)
地域のコミュニティ確保できず
「政府や東京都は、生活維持に必要なもの以外は自粛を求めている。基本は自宅にいてほしいということなので」。小金井市の担当者は、そう述べる。しかし、あまりにもそれは機械的ではないかと、私は思う。
緊急事態宣言が発令されたとたん、それまでは許されていた公民館や集会施設に置いてある印刷機とコピー機の利用が、いっさい禁止となってしまった。そのため、多くの団体が会員間の連絡文書等の印刷・コピーができずに困ってしまっているのである。
「3つの密を避ける」が叫ばれている。すなわち「換気不十分な密閉空間」「多数の人が集まる密集した場所」「間近で会話や発声をする密接場面」 この一つでも避けてください、というものである。しかるに、印刷やコピーが、この「3つの密」に該当するのか?。複数の人数で行なう場合は該当することもあるだろうが、一人で行なう分には、なんら問題ないはずである。
「生活維持には必要がない」と言う人がいるかもしれない。しかし、外出自粛が叫ばれ、個々のつながりが分断されてきているいま、会員間のコミュニティを結びつける連絡文書や資料等が、生活維持に不必要なものと言えるだろうか。テレビやラジオでは得られない地域の情報、会員間の情報を得ることは、個々が分断されはじめている今だからこそ、いっそう求められていると思うのである。
非常事態宣言の発令は、年度替わりと重なってしまった。多くの団体が新たなスタートを開始する時期とぶつかってしまったのである。そのため、サークルや自治会・町会、防災会、老人会など地域の様々な団体が、新年度をスタートするにあたっての資料を用意できずに右往左往している。
地域のコミュニティが揺らいだら、地域づくりに支障が出るだけでなく、その地域に依拠してきた自治体も困ってくる。現に、ある自治会・防災会では、市役所や消防署などから届く資料を、どう回覧するかで悩んでいる。なぜなら、それまでの回覧体制から新年度の回覧体制に移行するための、会員向けのお知らせ資料を印刷できないからである。その自治会・防災会では、2019年度の役員・班長さんに「新たな体制に移行するまで、いましばらくお待ちください」との案内を3月下旬に発行したっきり、ストップしてしまっているのである。
「一人で印刷やコピーを行なうのであれば構いませんよ。十分に気をつけてください」とのスタンスになるべきではないだろうか。杓子定規になってはいけないと私は思う。どうすれば利用できるか、そのことを考えるべきだと思うのである。
(2020年4月17日付)
危機意識
こんな事態になるとは、正直なところ考えてもいなかった。2月の終わりに安倍首相が「一斉休校」を打ち出したときには、専門家の意見も聞かずに唐突に何を言い出すのかと怒ったものだが、ここまで深刻な事態になってくるとは想像すらできなかった。というよりも、経験したことのない出来事だけに、想像する中身を持ち得なかったということになる。
緊急事態宣言が発令されて最初の週末となる11日(土)は、天気が良く暖かい一日となった。在宅勤務の呼びかけとともに5月6日まで学校が休校となったこともあり、近所の野川には、普段見慣れないほどの親子連れが多数、散策していた。政府も東京都も、生活に必要な食料品の買い出しや近所の散歩は一向にかまわないと述べているからである。
しかし、日増しに感染者が増加している。東京都では11日(土)の感染者が200人に迫る事態となり、この小金井市でも二桁になろうとしている。人との接触を7〜8割程度、減らしてほしいと政府が呼びかけているが、あながち「唐突に何を言っているんだ」とは言えない状況を迎えている。
日本は、これまで経験したことのない事態に直面している。政府を擁護する考えは微塵もないが、政府も専門家も、目の前の出来事・スピードについていくのがやっと、という事態なのではないだろうか。これが今の日本の現実だと私は思う。
テレビに様々な人物が登場し、新型コロナウイルスについて語る。私はそのなかでも、専門家の意見を注視している。専門家の間でも内容に程度の差があり、ときには意見が分かれるものもあるが、ここにきて私は「最悪の事態」を想定した意見に耳を傾けるようになってきている。日増しに増える感染状況が、そうさせているのである。
テレビでは「評論家」が数多く登場する。専門家でもないのに、まことしやかに意見を述べる。しかし、そこは公共放送。そこで述べられる一言一言に、視聴者は大きな影響を受けることになる。「さらに厳しい制限をかけるべき」「ヨーロッパと同じようにロックダウン(都市封鎖)すべき」。叫ぶように述べるその姿は、勇ましくさえ感じる。先々を考えたら、そのほうが正しいのかもしれない。しかし、そう簡単ではない。
テレワークの設備を持たない企業・事業所や、インターネット環境を持たない家庭が多く存在する。その日その日をやっとの思いで暮らしている家庭も多く、職場に行かないと仕事が成り立たない企業や、他の自治体に足を運ばないと成り立たない事業所だってある。家庭においても、家庭内暴力が起きている世帯があり、食事さえも十分に与えられていない児童・生徒もいるのである。
だから、政府も慎重に判断せざるをえないし、小金井市においても、一定のリスクを背負うことを覚悟のうえで、児童・生徒の行き場の確保に力を入れるのである。それを「危機意識がない」と言い切ってよいのだろうか。「対応が手ぬるい」と言ってしまってよいのだろうか。目の前には、行き場を失う多くの人々がいるのである。
小金井市議会は、緊急事態宣言発令中の5月6日までの議会開催を取りやめた。『3密』を防ぐためである。市役所も各部署の職員を2つから3っつのグループに分けて、4月13日(月)から交代で在宅勤務を実施する。職員のなかで感染者が出た場合に、市役所業務停止という事態になるのを防ぐためである。
安倍内閣は、自粛を求めながらも「補償はしない」と言い切る。麻生財務大臣にいたっては、事業所への給付を打ち出した東京都に対して「東京都は金があるんだな」と言い放った。坊ちゃん育ちの安倍内閣には、底辺であえいでいる庶民の暮らしが理解できないのであろう。
恐らく、感染者は増加の一途をたどることになるだろう。オーバーシュート(感染爆発)が到来することも否定はできない。11日(土)は多くの親子連れが野川を散策していたが、一週間後には異なる光景を見せているかもしれない。いまだ私たちが経験したことのないウイルスとの戦い。危機意識が一人ひとりに問われる事態を迎えている。
(2020年4月12日付)
後継者不足
ずいぶん頑張りましたね。相当にくたびれていますよ。でも、まだ頑張ってもらいたいのです。なにしろ後継者不足なので。
その姿は、見るからに厳しいものがあった。容姿はとどめているものの、そう遠くない時期に、大きく崩れていきそうな気配を漂わせている。代わらせてあげたいとつくづく思いつつも、そうもいかない。代わりが不足しているからである。
あれは、3月下旬のお彼岸の連休明けだったと思う。突如「自粛」が打ち出され、週末はなるだけ外出を避けるようにと、お偉いさんが口をそろえて言いはじめたのである。
だから私も、なるだけ外出を控え、外出する際には、あなたを連れて行くようにしました。もちろん、片時も放さずというわけではありません。忘れたときもありますし、うっとおしくて家に置いていったこともあります。でも昨今の感染者急増を前に、さすがに忘れることはなくなりました。それだけに、困っているのです。
日増しに、匂いがきつくなってきました。我ながら、顔をしかめる事態です。後継者がまったくいないというわけではありません。心配なのは、先が見えず、長引くことは必定ということです。だから、代える時期が定まらないのです。
安倍首相が突然いいました。「一世帯につき2枚配る」と。この事態があと少しで終息するなら、わかります。でも半年、もしかすると来年までなどという専門家もいるのです。たった2枚を、しかも世帯によっては家族が多くいるところもあるじゃないですか。2枚配って、いったいなんになるんです。自らの生命を賭しながら頑張っている、医療現場や介護現場にこそ届けるべきではないでしょうか。国内での量産に力を入れ、早朝から並ばずとも買えるようにするのが政治の役割だと思うのです。
どうしようか迷っています。捨てるには勇気がいるし、かといって、くたびれ、しかも匂いがついてきたものを、明日以降も使っていくものかどうか‥‥。これをご覧になっているあなたも、同じ悩みをお持ちなのではないでしょうか。
(2020年4月7日付)
去りゆく君へ
君に聞く。君はこの日のために寒い冬をひたすら耐え、力を蓄えてきたことと思う。君は、君に負けじと美しさを示そうとする他の者にはない、圧倒的な存在感を持っている。なのに今回、君の美しさをどれだけの人が心にとめてくれただろうか。あぁ、きれいだ‥と、どれだけの人が心を躍らせてくれただろうか。
君の美しさに出会った私は思わず立ち止まり、長い間、君を見続けてしまう。手の届くところにいてくれれば、この指でそっと触れてみたくなる。たとえ周囲がこの私を“いい歳をしてなんだ”と思ったとしても、私は一向に構わない。それほどまでに君のその美しさは、何者にもかえがたいと思う。
君は言うだろう。来年も美しく輝くからね、と。それはわかっていたとしても、君の美しさがまもなく消え失せるというのは、やはり寂しい。できうれば、もうしばらくは輝いていてくれればと願う。
暖冬だった今年は、春がとてつもなく早く訪れた。君の周りには、普段ならばもっと遅い時期に顔を見せる者たちが、君の美しさをかすめ取るかのように輝き始めている。もしかしたら、君が輝きを失ったとしても、多くの人はさほど気にもとめないかもしれない。そう思うと、余計に寂しくなる。
私の感じるところでは、君がもっとも華やかに輝いたのは3月25日だと思う。思わず私は、カメラ片手に家を飛び出したものだ。ところが3月29日、事態は急変した。せっかくの日曜日だというのに朝から雪が降り始め、君は寒さのなかで苦しみもがいていた。橋の袂で、私はなすすべもなく立ち尽くすだけだった。
新型コロナウイルスとやらが全世界を襲い、この小金井市にもついに上陸した。それ以前から小池東京都知事は「自粛」を求め、君を楽しみに集まる人々に対して、今年はダメですよと呼びかけてはいた。だから、やむを得ないとは思う。しかし‥‥。
君に聞く。あまりにも少ない桟敷席を見つめ、君は寂しくなかったか。声を上げて泣きたくはなかったか。いつものように、にぎやかな春の日を期待していたのではないのか。それが見慣れた春の日の、本来の姿なのだから。
去りゆく君へ。ありがとう。来年はこれまでになく輝いてほしい。そして、ウイルスに打ち勝った私たちに、満面の笑みを見せてほしい。何の心配もせずに、君の下で生きていることの幸せを全身でかみしめることのできる世の中になっていることを悦びながら。
(2020年4月4日付)
自重のとき
気温25度を記録した翌日は朝から雪が。私たちの暮らしはいま、異常な事態に見舞われている。これは課せられた試練なのか、それとも自然界の摂理なのか。地球をいじくりまわしてきた人類に対して、未知なるウイルスが襲いかかっている。
いま私たちがしなければならないことは何か。感染しやすい場面をつくらず、自身が感染していると想定した行動をとることだと、私は思う。
政府や東京都は「自粛」を呼びかける。けれども損失補償を伴わなければ、実効性は薄くなる。消費税や社会保障の増税で暮らしが破壊されているいま、期限を定めてでも増税をストップすべきではないだろうか。
小金井市は、地元商工業者向けに経営安定化緊急資金を確立した。しかし、貸付利率を課すという。国や東京都の損失補償に対する意識が、小金井市にも影響を与えているのであろう。
来年も花は咲く。体調を管理し、いまは自重すべき時である。
(「しんぶん小金井」2020年4月5日付から)
新型コロナウイルス その2
日本中を激震させた「一斉休校」。9年前の東日本大震災でさえも、こんなことは起き得なかった。次なる激震は「中韓両国からの入国制限」。日本人をも対象とする突然の発表に、留学生や企業の間に大混乱が襲った。いずれも専門家の意見を聞かない安倍首相の独断専行である。
いま日本経済は深刻な事態を迎えている。観光・宿泊業は言うに及ばず、イベント業も製造業においてさえも開店休業や倒産の危機に直面している。政府は財政支援策を打ち出したが、到底及ぶ額ではない。「国民を守る」というのであれば軍事費こそ削減し、暮らしに充てるべきであろう。
安倍首相は、いまだにオリンピックに執念を燃やしている。国内で感染が終息しても、選手や観客を送り出す諸外国で続いていれば開催は到底おぼつかない。「桜」「カジノ」「辺野古」にしがみつく安倍首相ならではの、執念深さである。
まもなく桜が咲く。一人静かに愛でる年となるのであろうか。
(「しんぶん小金井」2020年3月15日付から)
新型コロナウイルス
知人と顔を合わせ最初に出る言葉は、この冬の異常な暖かさ。加えて、新型コロナウイルスである。収束が見えずワクチンも開発されていないことから、不安は高まるばかりとなっている。
感染拡大が広がるなかで、日本経済への影響がクロ−ズアップされてきた。中国に製造や原材料の拠点を置く企業や、中国からの観光客で潤ってきた地域では死活問題に。日本が中国とどれほど密接な関係にあるかが、一目瞭然となった。
加えて、昨年10月から強行された消費税の増税。国内総生産は年率換算でマイナス6.3%に。隣国を粗末に扱い、負担増を強い、自身は桜を見る会を私物化するこの国の責任者に、こまま国の舵取りを続けさせるわけにはいかない。
花粉が飛んでいるという。ウイルスもどこに潜んでいるかわからない。目に見えないものほど怖いものはない。しかし、悪政を進める姿はくっきりと見える。安倍内閣ノ−へ、今こそ声をあげるべし。
(「しんぶん小金井」2020年2月23日付から)
零下2.5℃
氷が張るような寒い日を迎えると、郷里・越前で過ごした頃を思い出す。とは言っても、東京に出てすでに43年。ずいぶん前の記憶にはなるのだが。
小学生の時は3q余の道を徒歩で登校。中学生の時は3qを自転車通学。高校の時はバイクで13qを走った。越前は雪が降る。積雪も少なくはない。自動車の轍(わだち)の上を雪がさらに降り積もり、その上をさらに自動車が走る。除雪車が間に合わない場合は、この轍が、歩行者においても自転車やバイクで走る場合でも、唯一通れる部分となる。しかし轍はデコボコである。自転車やバイクの場合は、転倒の危険が常につきまとう。
除雪されていても危険はつきまとう。アイスバーンになっているからである。自転車やバイクのみならず車の場合でも、カーブを曲がる時やブレーキをかける際には、細心の注意を要する。私も自転車やバイクで転倒した記憶が少なからずあり、ブレーキをかけても止まりきれずに、前の車に接触したことが多々あった。よくぞ無傷でいたものだと、我ながらに感心をする。
辛かったのは雪道をバイクで往復した高校時代。なにしろ片道13q。普段は30分弱で着く道も、雪道となるとそうはいかない。大通りはおおかた除雪されているが、その大通りへ出るまでの道は、車の轍だけが頼りとなる。転倒しないようにと心掛けるだけで疲れがドッと出る。加えて、おおかたは雪が降り続くなかでのバイク運転となる。これが実に厳しい。顔に横殴りの雪がぶつかってくる。冷たいを通り越して「痛い」のである。
どんな服装でバイクを運転していたであろうか。そこが、今となってははっきりしない。雪が降るので雨合羽を上下とも身につけていたのは間違いない。雨合羽の下は、学生服・学生ズボンであったろう。問題は、その下である。いきなりワイシャツではなかっただろう。それでは寒さをしのげないからである。セーターを着ていたのだろうか。それとも、チョッキやベストのようなものを着ていたのだろうか。肌着は長袖シャツ、ラクダのモモヒキであったことは疑いがないのだが。
雨合羽はビショビショになる。ハンドル部分には、雨雪に濡れないようにとカバーが付けられていたが、両手の軍手は徐々に濡れはじめ、靴下も雨合羽の隙間から入り込む雪などで濡れて行く。顔の痛さと両手、両足の冷たさにさいなまれながら、学校と家を往復していたのである。
バイクの後輪にはチェーンを装着していた。という話を上京してから知人にしたところ、えっ?、バイクにチェーンなんてあるの?、と言われた。車にチェーンを着けるのだから、バイクにだって当然に着けるものだと私は思うのだが、そう言われて高校時代を振り返ると、同級生のバイクにチェーンが着いていたかどうかが定かでない。そこまで注意して見ていたわけではないからである。しかし、雪道を走る。アイスバーンだってある。チェーンなしではとても走れたものではない。「全員がバイクにチェーンを着けていた」と私は断言したい。
2月7日(金)の朝はすこぶる寒かった。この冬はじめて氷が張ったのを見た。朝7時からは定例の武蔵小金井駅南口宣伝である。陽が差せば徐々に寒さは薄らいでいくと期待はするものの、3月のような陽気が続いていただけに、急にやってきた本来の寒さが、異常なまでの寒さに感じられた。
えっ!、イタさん、手袋しないの?、と渡辺大三議員に言われた。毎週金曜日の朝7時から8時30分までの武蔵小金井駅南口宣伝を長年続けてきているが、おそらく10数年来、手袋はおろかモモヒキも履かず、ホカロン一つも身につけずに駅頭宣伝を行なっている。不思議なもので、馴れてしまうとそんなに苦にはならないのである。ちなみに、肌着のシャツはタンクトップで一年を通している。「10数年来」と記したが、それ以前は手袋もモモヒキも、もちろんホカロンも身に着けていた。いつからか、今日のスタイルに落ち着いているのである。
なぜ、平気なのだろうか。「やっぱり福井育ちだからだね」と渡辺大三議員は言う。たしかにそれはあると思う。あの頃のほうが辛かった。同じ寒さでも、雪が降らないだけマシだとつくづく思うのである。
2月7日(金)夕方、氷が張ったままの状況を見た。朝は都心で−2.5℃だったと気象庁が言う。ということは、小金井市あたりはさらに低かったことになる。そんななかで手袋もせずに駅頭宣伝を行なっていたことになる。
「福井育ちだから」だけではないぞと思う。以前は、つまりは30代から40代にかけての頃は手袋やモモヒキを身に着け、ホカロンも背中や腹に貼り付けていた。なのに61歳になろうというこの段になっても手袋やモモヒキ、ホカロンなしで駅頭宣伝を行なえるというのは、他に何かあるに違いない。それは何か。
鈍感になったに違いない。寒さに鈍くなったのであろう。恐るべきである。そういえば、カミさんから最近、言われるようになった。「ツラと腹が厚くなった」。歳をとリ贅肉を付けるということは、寒さをしだいに感じなくなるようである。
(2020年2月8日付)
確かな春を
地球温暖化の影響か、それとも豪州森林火災の影響なのか、雪の異常に少ない冬を迎えている。
郷里・越前も雪がなく、これまで経験したことのない事態に。この小金井でも、氷の張った場面を見てはいない。しかしさすがに1年で最も寒い時期。1月終盤には、例年の寒さに見舞われた。
寒いですねと声をかけると、返ってきた言葉は「いずれは陽が差す。けれどもフトコロは、陽が差す気配がまったく見られない」。なるほどと思わず納得。増税・負担増を押し付ける安倍内閣に怒りは増すばかりである。
地方では早くも、梅の便りが聞かれるという。次にはいよいよ桜の出番。名簿廃棄、お友だち優先などルール無視の「桜を見る会」は中止になっても、庶民の楽しみはやっぱり桜。新宿御苑や小金井公園で身銭をきって、堂々と桜を愛でたいものである。
安倍退陣こそが、確かな春を呼び込む道となる。ともに頑張るべし。
(「しんぶん小金井」2020年2月2日付から)
2020年も走る年に
カウントダウンに心踊らせた若き日々は彼方に去り、何の感慨も抱くことなく年が明けた。消費税増税でモノを買う気力がそがれ、大売出しもジングルベルも聞かずにきたのが、一つの要因かと思う。
それでも今年はオリンピック・パラリンピックが開かれる。さぞや賑やかな1年になるのだろうと思った矢先に、トランプ政権が大変なことを仕出かした。しかも国内では「桜を見る会」や「カジノ疑惑」、自衛隊の中東派兵問題など、怒り・不安が目白押し。オリンピック・パラリンピックどころではない事態に。安倍内閣の退陣こそが、何よりの朗報ではなかろうか。
賀状に「慌てずに穏やかに」と記した。還暦を過ぎ、これからの生き方、歩き方を見据えた中での言葉である。しかし、いまを取り巻く事態を見るにつけ、その言葉どおりに生きられるのだろうかと天を仰ぐ。
2020年。今年も大いに走りきる1年になりそう。どのアスリートにも負けない速さで。
(「しんぶん小金井」2020年1月12日付から)
義母
カミさんの母親は80歳台の後半を迎える。背が丸くなり、足の衰えも隠せなくなっている。認知症には至っていないが、モノ忘れが多くなったと嘆く。かつては自家用車を運転していたが、高齢ドライバー事故多発の報を目にした子どもたちから「運転やめて」の声をいっせいに浴び、昨年春、免許証返納を決行した。「この車はまだまだ走れるし、ガソリンも入れたばかりやのに・・・」、カミさんのもとにその日、淋しい声が届いた。
その義母のもとに正月、カミさんとともに帰省した。歩いていける距離にコンビニはあるものの、正月を迎えるだけのモノをコンビニで揃えるにはおよばず、知り合いから車を借りて、私の運転でスーパーマーケットへ買い出しに出かけるところから正月生活は始まった。
長年連れ添った夫は、一昨年の11月に他界。「東京へ来ませんか」と誘ってみたが、近所に知り合いがおり、親戚も市内にいることから、首を縦に振ろうとはしない。離れて暮らす長男夫婦も、自分の家に来ることを求めているが、「ありがとう」の一言で、やり過ごされている。
友だちに誘われて絵手紙サークルに入った。月に1〜2通、カミさんのもとに絵手紙を送ってくる。「私は元気です」の文字がきまって添えられる。そのたどたどしい文字を見るたびに、遠く離れて暮らす独り身の寂しさをかいま見る思いである。
家の風呂にはなるべく入らないようにしているという。知っている人が何人も、風呂場で亡くなっているからだとのこと。そのため、どんなに寒いときでもシャワーで過ごしている。だから、帰省した折には、車で30分程度のところにある温泉施設に出かけ、ゆっくりと温まってもらうようにしている。
私の子どもたちは義母が大好きである。社会人になる前は、一人で義母のもとに遠路はるばる出かけていった。子どもたちの祖母はカミさんの母親と私の母親になるが、私の実家には内孫、つまりは子どもたちの従兄弟がいることから、私の母親は“従兄弟のおばあちゃん”の扱いになる様子。一方、従兄弟が同居していないカミさんの実家の祖母は“自分たちのおばあちゃん”という感覚になるようである。小金井の孫が来ると、義母はうれしくてしょうがない。おもわず小遣いなどをあげてしまう。それを目当てに、おばあちゃん宅に出かけて行っているようにも見えるのだが。
あと何年、元気な姿でいてくれるだろうか。カミさんは母親をせっせと、いろんなところに連れ出そうとしている。昨年の盆のときは私の運転で鳴門や淡路島を案内した。元気なうちに精一杯親孝行をしたい、思い出をつくりたいとの願いが、カミさんからはにじみ出ている。いつまでも元気であってほしい。小金井の地で私たち夫婦はせつに願うばかりである。
(2020年1月12日付)
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