ホームページへもどる 今日は午後から、石川隆文さんをまねいての「講演と対話の集い」です。
90名ほどの参加でした。町会議員さんや区長さんの顔も見えていました。
講師の石川さんは、掘り割りやゴミの資源化を例に大木町の町づくりの経験を語られました。その中で、行政と住民の協働ということを強調されました。
合併問題では、国や県によって進められている合併がいかに大儀のないものであるかを力説しておられました。
参加者からいっぱい質問が出ました。たとえば、「合併しなければ、交付税はこなくなるか」という質問に「そんなことはない」と答えられました。
今日の講演会は、太良の町づくりや合併問題について議論している私たちに大きな励ましになったと思います。出前の方は、10日夜の針牟田に続いて、今朝は中畑の公民館でありました。これで、12カ所になりました。
講演会をめざした活動は一区切りがつきました。次は、活動について計画を練ります。ホームページへもどる 昨日、今日とハンドマイクで講演会の案内をしてまわっています。
針牟田から小田へ行く途中、タマネギの収穫をしていた農家の人5〜6人がちょうど午後3時の休憩時間のようでした。「こんにちは」と声をかけると、「お茶飲んでいきんしゃい」と声がかかりました。
ありがたく、お茶をいただきながら話をしました。農家の若い主人は「おれも合併に反対だ」と語っていました。
宣伝でまわりながら、声をかける・声をかけられる---こんな交流が大事だと思います。ホームページへもどる 瀬戸老人会に出前。ハンドマイクで講演会の案内をする。(4/7)
今日は、瀬戸老人会に出前しました。
会場の公民館には、20人をこえる会員さんが集まって、鍼灸の話を聞いておられました。
いつもの通り、私が30分ほどお話しした後、みなさんから意見や質問を出していただきました。その中で、「合併問題をいう難しい問題は、首長や議会でないと判断できないのではないか。少子高齢化が進んでいる中で、合併は必要でないか」という意見もありました。国や県、合併推進側の宣伝がこんな風に浸透しているということも事実です。「合併すれば、太良は寂れてしまう。絶対に合併すべきでない」という意見ももちろんありました。
住民の間で議論が行われるのが大事だと思います。
出前は、これで10カ所になりました。午後は、ハンドマイクをもって針牟田〜小田〜陣の内〜本町〜北町〜油津〜畑田と講演会の案内をしてまわりました。
タマネギの取り入れの最中なので、針牟田と小田の間のタマネギ畑のまわりでも音を出しました。仕事をしていた男性から「賛成の方か? 反対の方か?」という声がかかりました。「反対です」というと、「がんばれ」という声が帰ってきました。
農家のみなさんは、農協合併で経験済みだからでしょうか、合併反対が圧倒的に多いようです。ホームページへもどる ハンドマイクで講演会の案内をする。高校生の声を聞く。(4/4)
11日の講演会を一週間後にひかえてハンドマイクによる案内を始めることにしました。
午前中は、町の中心部を栄町から本町までハンドマイクをもっと歩きました。午後は、古賀・瀬戸方面をあるきました。あわせて3時間半あるいたので、足が棒のようになりました。今日は、もう一つ、女子高校生4人と話し合うことができました。
町内のいろいろな年齢や階層のみなさんの声を聞くことにつとめていますが、ぐっと若いところで、高校生の声を聞くことしました。集まったのは、中学3年のとき私のところで英語と数学を勉強していたみなさんです。この4月でそれぞれ2年生になりました。
太良のこんなところがいい、こんなところが良くない---みんなの意見を出してもらいました。
その中の一つは、高校生の年頃の若者たちがあつまってダベルことのできる場所が太良にないと言うことでした。確かにその通りです。そのほかにも、いろいろな意見を聞くことができました。その声を大切にしていきたいと思います。ホームページへもどる 2週間ぶりに例会を開きました。
例会では、まず、最近の合併問題をめぐる町内外の動きについて話し合いました。
「合併タイムス」が、私たちのビラに対する反論として言っている内容について議論しあいました。その内容は、順次お知らせしていきたいと思います。
4/11講演会を成功させるために誘いにいっそう力を入れることを申し合わせました。
ホームページへもどる 今日は、朝起きるなりうれしいニュースがありました。
「七山村議会が合併議案を否決」という新聞記事です。七山村議会特別委員会は24日に合併議案を否決しましたが、そのあと合併推進派の猛烈な巻き返しでどうなるかと気をもんでいたところでした。
人口2700人前後の小さな村、七山村が合併でなく、自立した村づくりを進めることを決断したのです。これが、佐賀県内の市町村と県民に与える影響は大きいと思います。合併をごり押ししている古川県政にとって大きな打撃になることは間違いないと思います。
七山村議会の決断に、もう一度大きな拍手を送ります。太良もがんばらなければなりません。
今日は、畑田老人会に出前してきました。会場の畑田公民館には11名ほどの会員さんがあつまっていらっしゃいました。
私が、30分ほどお話しした後、みなさんから意見や質問を出してもらい話し合いました。
太良が鹿島と合併したら、七浦や浜と同じように寂れていくだろうと言うことには、みなさんがその通りだとうなずいておられました。
生まれが浜で、結婚して太良へきたという女性は、鹿島と太良の文化の違いということを強調しておられました。藩政時代以来の住民の意識の違い、文化の違いが今も大きいと言うのです。
そういえば、鹿島は鍋島家を中心にした旧藩が意識としても、支配体制としても今もそのまま残っているのではないかという気がします。
私が、鹿島高校に通っていた頃、「ぼたもち会」というのがありました。その当時は、旧藩主の鍋島家から「ぼた餅」をごちそうになるんだと単純に思っていましたが、今考えると日本の封建制度解体後100年たっても藩主が藩民に振る舞う、藩民はありがたくいただくという意識が残っていると言うことです。
旧藩時代の意識と体制が今なお生きている鹿島、そんな鹿島と合併して、鹿島鍋島藩でなく諫早領だった太良の者の居場所はあるんだろうかと心配になります。合併しても、太良の私たちは、疎外されてしまうだけではないかというような気がします。「文化の違い」という言葉を聞いてそんなことを感じました。
「合併するかどうかは議会が決める。住民投票しても意味がない」と言っている議員がいるという話も出て、そのことで議論になりました。みなさんの結論は、太良町の主権者は町民であること、主権者である町民が下す住民投票の結論を議会が尊重するのは当然だということでした。これで、出前は9カ所になりました。本当に、町民のみなさんと話していると元気が出てきます。古川知事なんかよりは、はるかに年輪をかさねた、大地にしっかりと根をはった人々の声を聞くことができます。
こんな話し合いの場をもっともっと増やしていきたいと思います。
ホームページへもどる 今日は、あわただしい思いをしました。
まず、昼過ぎ、大浦のある区に出前をしました。大浦では初めての出前です。これで、出前は8カ所になりました。あと、4カ所残っています。
会合が始まる前に、20分ほどお話をさせて頂きました。「50年前、大浦のみなさんは、合併の後、役場がなくなって苦労されたでしょう」という話に、中年以上の方がうなずいていらっしゃいました。
みなさんからのお話も聞きたかったのですが、「しおさい館」で開かれている「知事とかたろうかい」に参加したかったので退出しました。「しおさい館」では、古川知事をまねいての「知事とかたろうかい」が開かれている最中でした。
司会者はおかず、進行係も知事自らが担当し、いろいろな資料を知事自らがパソコンを操作してスクリーンに映し出す−−−これまでとは違ったパターンに若い古川知事の意気込みと気負いを感じることができました。
一面では、知事と住民がストレートに話し合うという新鮮さがあります。もう一面では、自己演出過剰・独善につながっていく危険もあるなと思いました。いずれ、このようなやり方は卒業していくでしょうが-----。
私は、途中から参加したので対話の全体を聞くことはできませんでしたが、記録をとっていた県の職員に聞いたら全部で12名が発言したようです。記録を見たら、合併問題, JR長崎本線問題、有明海問題に質問が集中していたようです。学童保育についての要望もあったということでした。太良のみなさんの関心をずばり示していると思いました。合併問題で質問した町民のみなさんは、鋭く知事に迫っていました。私も、2分間という制約でしたが質問しました。
会合が終わって、「しおさい館」を出るとき、ここ数日の疲れがいっぺんに出る思いがしました。
偶然の一致かもしれないけど、古川知事が太良へくる日程があいつぎました。これに呼応するように、しばらく姿を見なかった「合併タイムス」が連打されました。この中に、太良の合併反対運動をふみつぶして、一挙に太良を合併推進の方向にもっていきたいという合併推進勢力の意図を感じ取ることができました。
いかにして、古川知事を迎え撃つか---このことに、この一週間、自分の力とチエを使い切ったような気がします。
町民のみなさんの奮闘で、古川知事の思い通りにはさせなかった、ある部分では古川知事を防戦にまわらせたという気がします。文永の役でフビライの大軍を撃退した時宗の思いでしょう。
しかし、太良の抵抗が思いのほか強いことを自らの目で見た古川知事のもと、太良の合併反対・太良町を残そうの運動をつぶそうとするいろいろな策動がこのあと本格的に実行されると思います。次は、弘安の役です。こんなことを思いながら、小平(コビラ)の谷にたたずみました。
私たち川上家のものが生まれ・育った谷です。ここに座っていると、祖父や父の声が聞こえてくるような気がします。重大な局面に直面したとき、自分自身を奮い立たせねばと思ったとき、私はここに来ることにしています。知事に質問したポイントを紹介します。
知事は、長い目で見なければならないと言うが、長い目で見れば見るほど、合併の弊害は大きいのではないか。
今進められている合併は、当座の財政難をどう乗り切るかと言うことが中心になっている。合併特例債の発行で、とりあえず10年間は息をつけるという、まさに、近視眼的なことばかりが、議論されているではないか。
50年という長い目で見たらどうか。太良の私たちは、合併して50年たった七浦や浜の事実でいやと言うほど見せつけられている。時間がたてば立つほど、周辺部は人口が減り、疲弊していく−−−これは、理屈でなく事実の問題だ。
長期的な視野に立てば立つほど、合併の弊害は大きいのは、はっきりしているのではないか。知事は、合併しなかった市町村にも平等に予算をまわすのは、フェアでないとか公平でないという。これは、「国民は法のもとに平等である」という憲法の精神からいっても、行政の公平という点から言っても、根本的に間違った考えでないか。
事業予算というものは、たとえば道路であれば、交通が渋滞し、あるいは通行が危険であるという客観的な必要度合いによって優先順位が決められるものではないのか。 知事は、事業予算配分の基準を客観的な必要度合いから知事の政策への忠誠度合いにかえるのか。はっきり答えて頂きたい。知事は、現在の合併押しつけを権力的でないという。
しかし、知事が現実にやっていること−−知事の合併推進という政策に従うかどうかを基準に予算配分で差をつけると言うこと自体が、権力的なやり方でないのか。ホームページへもどる 今日は、会員のAさんといっしょに大浦の野崎、道越、竹崎などをポスター貼りにまわりました。
一軒一軒訪ねては、自己紹介をして、ポスターをはらせてくださいとお願いしました。そして、住民投票では、合併反対に○をつけてくださいと訴えました。ほとんどの方が、「合併しないで太良町を残して欲しい」と答えてくれました。
野崎、道越、竹崎とまわって、漁民のみなさんの中では、合併反対の気持ちが強いなと感じ取ることができました。
昨日の「短信」にも書きましたが、今、合併推進派は、古川知事を先頭に合併反対運動をつぶすための総攻撃をかけてきています。これに、うち勝つには、町民のみなさんと深く結びつく以外にはありません。大浦をまわりながらそのことをますます痛感しました。今日も、出前の注文が一つありました。これで配達済みが7カ所、予約が5カ所になりました。
ホームページへもどる 今日は、夜7時半から、自然休養村管理センターで、佐賀県、合併協議会などの主催による対話集会が開かれました。
最初知事が挨拶し、県市町村課課長が県内の合併状況を報告しました。この一両日、厳木町議会と七山村議会の特別委員会で合併案が否決されたということが起きているだけに、迫力のない報告でした。
パネラーの発言では、なんとしても合併を実現させたいという鹿島市・桑原市長と合併の是非は住民投票によって決めるという太良町・百武町長の立場の違いが目立ちました。その後、会場からの発言の時間になり、私は古川知事に質問しました。7分程度の質問メモを用意していきましたが、発言を3分に制限されたため割愛せざるをえませんでした。
知事への質問の第一点は、3/20佐賀新聞の論説にもあるとおり、国の思い通りには合併は進んでいない。これは、今度の合併が自治体や住民の願いにもとづくものでなく、国が権力的に押しつけているのが原因でないか。国にたいして、権力的なやり方はあらためるよう求めるべきでないかということです。
第2点は、町村が合併でなく、収入の減少に見合って支出を削減するなどの方法で町を残すという選択肢も認めるべきでないかということです。
第3点は、最近の知事の発言についてです。その部分は、用意したメモを紹介しましょう。
太良町では、住民投票を前にして、合併するか、太良町を残すかと議論が活発に行われています。区や老人会の会合、三夜待、いろいろなサークルや集まりのなかで合併問題が議論されています。まさに、地方自治・住民自治の実践そのものです。
私の質問にたいして、古川知事は「権力的にはやっていない」「合併するところに財源をまわすのは当然」などと開き直っていました。
わたしは、住民の自治を育てること、ここに県の役割があるし、知事の役割があると思います。
そういう点でみて、私が、大変残念に思うのは、合併しない自治体にたいする知事の発言です。今朝、新聞折り込みではいっていいたチラシには、知事が県内各地で語ったという言葉が紹介してありました。その中身は、これが、県民にたいして責任を負うべき知事の発言か、自治省にいたという知事の発言かと疑うものばかりです。
たとえば、西有田町での発言、「合併しなかった市町村は、そこで起こる将来の結果について、自らの選択について責任をとっていただく必要があると考えています」という発言をみて、ある町民は「これは、脅しじゃないか」と言っています。
と同時に、私はこれらの知事の発言の中に、佐賀新聞の論説が指摘するように、県内でも一年前に46市町村が参加していた合併協議が、現在では27市町村に後退してしまったことにたいする知事の焦りを見ることができます。また、知事の発言は、今回の合併キャンペーンというのが、市町村や住民の要望にはなんの基礎もない、上からの押しつけ合併であることを自ら示しているのではないでしょうか。
そのいい例が、この数日におきていること−−厳木町議会や七山村議会の合併議案の否決です。
国は、合併が思い通りに進まないので、権力的なやり方でごり押ししようとしています。今、古川知事がやるべきことは、国のお先棒をかついで市町村や住民にムチをふるうことでなく、国に対して「無茶なことはやめろ」と迫ることではないでしょうか。
そこで、古川知事に質問します。太良町民は、住民投票で合併問題の結論を出します。住民投票の結果がどうであれ、知事は当然これを尊重すべきであるとおもいますが、どうですか。
また、自らの意志で合併するか・しないかを決めようとする者にたいして、「これは、脅しではないか」と県民に受け止められるような言葉は投げつけるべきではないと思いますが、どうですか。
古川知事は、今月28日にまた太良へやってきて「知事とかたろうかい」を開きます。おそらく、合併反対の動きを封じ込めようというのが大きなねらいの一つでしょう。負けてはならないと思います。会場からの発言では、太良のみなさんがよく頑張っていました。 鹿島のみなさんも、百武町長の発言、会場からの太良の発言を聞いて太良の雰囲気がわかったのではないでしょうか。
ホームページへもどる 今日は、亀の浦・大浦駅前商店街をポスター貼りで訪問しました。
今から約50年ほど前、旧多良村と旧大浦村が合併して現在の太良町になりました。わたしは、多良の出身だったため、大浦地区はほとんど知らないままに育ちました。50年たった今も、多良・大浦という違いは大きいようです。私たちの運動も、つい、多良中心になってしまっていました。
そこで、今日は大浦駅前の商店街をポスター貼りで訪問して、合併問題についての感触をつかむことともあわせてやろうと思ったのです。
とにかく、軒並みに一軒残らず、「ポスターを貼らせてください」と訪ねることにしました。シャッターを下ろしたままのお店がいっぱいあって、大変なことがわかります。
訪問したお店では、2軒を除いてポスターをはらせて頂きました。「合併問題でビラを出している川上です---」というとほとんどの人が、わたしの名前を知っていてくださいました。中には、「ここがいいですよ」とポスターをはる場所を教えて頂くお店もありました。
全体として、私たちのビラがよく読まれていること、私たちの主張に共感が強いことを感じました。
大浦駅前で、10枚ほどのポスターをはることができました。今日は、商工会など町内の団体も訪問しました。
ホームページへもどる 区長さんなどを訪問、4/11講演会への協力をお願い(3/21)
今日は、午前は大浦地区、午後は多良地区の区長さんなどを訪問しました。
4月11日の講演会を成功させようと町内の区長、地区老人会長さんなどに協力のお願いをすることにしました。
今回は、商工会役員、農業委員に加えて、町内の開業医、寺院の住職さん、神社の宮司さんにも案内することにしました。町会議員さんはもちろんです。全部で150ほどの封筒ができましたが、3/19例会で、それぞれが面識のある人に届けることにしました。3分の2ほどの封筒をみなさんに受け持ってもらい、私と妻が残ったところ−−大浦地区の一部と多良地区の周辺部を担当することになたわけです。
80円切手をはってポストに放り込めばそれですむ話ですが、そうしないで手分けして届けるところに意味があります。手渡しで届けることで、それぞれの地区の役員のみなさんの合併問題についての感触をつかむことができます。さらに、合併反対・太良町を残す町民協議会が動いている姿を町民のみなさんに見てもらうという点で大きな意味があります。それに、10人ほどの会員が手分けして案内を届けてまわる−−−運動の発展という点からいえば、その意義ははかりしれないものがあります。
大浦のある地区老人会長さんに、「合併問題でビラをだしている北町の川上です」と自己紹介したら、「川上先生のお子さんでは−−−」という声がかえってきました。これまでにも、何人もの方からこんな声がかかりました。私の父が、昭和10年代に大浦小学校に勤務していたことがありますが(百武町長も父から大浦小学校で習ったということです)、年配の方がそのことを覚えていてくださるのです。「親父に助けてもらっているな」と思いました。
大浦地区で区長さんから出前の注文もいただきました。ホームページへもどる 「国の思い通りには、合併は進んでいない」---佐賀新聞の社説(3/20)
今日の佐賀新聞に「市町村合併」というタイトルで社説が載っていました。
最初の書き出しを紹介すると次の通りです。
「県内も一年前は46市町村が合併協議を進めていた。しかし、現在では27市町村に後退している。全国も似たり寄ったりの状況。3000をこえる市町村を千程度に減らす国のもくろみは大きく外れ、2000程度に落ち着きそう」
国や県がなりふり構わずアメとムチ(最近では「ムチとムチ」)をふるっても、国の思惑通りに合併が進んでいません。なぜなのか。佐賀新聞の社説は、つづいて次のように書いています。
「新庁舎の位置や都市計画、主導権をめぐる対立などが決裂の原因になっている。機が熟した合併話といえないだけに、ある意味では当然の成り行きともいえる」
佐賀新聞の社説のこの下りを読むと、「佐賀新聞は以前にくらべて少し冷めた目で合併を見るようになったな」と変化を感じます。合併協議の裏側もふくめて現場で取材していると、いかに住民や自治体の要求からかけはなれた合併の押しつけかがよくわかるし、自治体や住民の矛盾や抵抗がよくわかるのでしょう。佐賀新聞の認識が、このように少しでも変化してきたのはいいことだと思います。なぜ、国の思い通りに合併が進まないのか。ここで国や県は考え直してみるべきです。そもそも、自治体や住民は合併を望んでいるのか。国のやり方に無理はなかったのか。実態に合わせて、手直しすべきです。
ところが、実際の国のやり方は、1万人以下の町村はなくしてしまうぞとか、財政で日干しにしてしまうぞとか、権力的なやり方が目立ちます。
佐賀新聞の社説もこれから先が問われます。
ところが、社説は 「小さな自治体が生き残るのは相当な覚悟と才覚が求められる」と自治体や住民の側に責任を押しつけるばかりです。権力的な国や県のやり方を批判する態度はあまりありません。むしろ、「にじむ政府の意志」とか「厳しさます財政」という小見出しにあるように、国の政策を容認しているかのごとき態度が見受けられます。
今、佐賀新聞が地方紙としてなすべきことは、国の政策の応援団になることでなく、地方の住民の応援団になることだと思いますがどうでしょうか。佐賀新聞関係者の意見を聞いてみたいと思います。この日は、4/11講演会の案内ポスターの残りをはりました。多良地区の中心部だけですが、100枚近くはったおかげで、かなり目立つようになりました。
夜、大浦のある区の区長さんから出前の注文がありました。ありがたいことです。
ホームページへもどる 今日は、合併反対・太良町を残す町民協議会の例会を開きました。
これまで、月一回の例会にしていましたが、住民投票が近づいてきたので、3月から月2回の例会に増やしました。
まず、町内の合併問題についてのいろいろな動き、町民のなかで合併問題がどのように話し合われているか出し合いました。毎回の例会で、この議論を重視することにしています。
次に、3月25日、古川知事も出席して開かれる「市町村合併を考える対話集会」について話し合いました。古川知事は、そのあと、3月28日も太良へくるようで、一挙に合併推進の動きを作ることが目的と考えられます。いよいよ、本格的なつばぜり合いになってきたことを実感します。
最後に、4月11日の講演会を成功させる取り組みについて相談しました。
合併推進勢力の重圧をひしひしと感じますが、仲間たちと議論すると勇気と知恵がわいてきます。ホームページへもどる 今日は、川原地区老人会へ出前しました。
会場の公民館には30名以上の会員の方が集まっておられました。
私の方から、30分ほどお話しした後、みなさんから意見や質問を出してもらいました。
50年近く前、七浦村が鹿島市と合併した当時のことをよく知っている方が、鹿島市についた飯田地区と太良町へついた伊福地区のその後の違いを語っておられました。「鹿島は、中心部にばかり力を入れて周辺はほったらかしになっている。太良が合併したら、飯田みたいになることは間違いない」と語っておられました。
また、同じ藤津郡なのに、塩田町が、なぜ、鹿島でなく武雄を合併相手に選んだのかが問題になりました。「鹿島には将来性がない。だから、塩田は将来性のない鹿島よりも武雄を選んだのだろう」ということになりました。また、「塩田がけっ飛ばした鹿島となぜ、太良が合併しなければならないんだ」という声もでました。
ここでも、鹿島に住んでいる友達から「鹿島と合併せんがよかばい」と聞いたと言う人がいました。これは、町内のあちこちで聞きます。それほど、鹿島の実態は深刻なことになっていることが想像できます。
みなさんの声が聞けて、勉強になった話し合いでした。
出前は、これで7カ所になりました。
ホームページへもどる 4/11講演会のポスターを100枚ほど手刷りで印刷しました。B4判の小さなものです。
両面テープで裏打ちして、20枚ほどもって、北町、栄町、油津、畑田を一回りしてみました。
ポスターの貼れそうなトタン壁などがある家を見つけては飛び込みです。「合併問題でビラを出している北町の川上です。講演会のポスターを貼らさせてください」とお願いすると、みんな快く「よかよ」と答えていたきました。20枚をすぐに張り終えました。
残ったポスターは、会員さんと一緒に張りにまわることにします。この日は、19日の例会の案内をポスターといっしょに届けてまわりました。
ホームページへもどる 今朝の新聞折り込みに、合併推進派の機関紙「合併タイムス」が入っていました。この一ヶ月来、見なかったので、「どうしたのかな?」と思っていました。
今回から、対話形式になっています。これは、私たちのビラをまねたようです。
中身をみると、合併協議会が発表した「財政シミュレーション」の受け売りでした。
「財政シミュレーション」は、きちんと批判しておかなければなりません。次のビラのために用意していた原稿を変更して、財政シミュレーション批判に的をあてた原稿に切り替えることにしました。それで、一日かかりました。
ホームページへもどる 絵手紙のサークルから、出前の注文がありました。
7人ほどの女性の集まりで、絵の勉強のまえに、30分ほどお話をして、そのあと話し合いになりました。
やっぱり、「太良は住みよい町、こんないい町をなくしてはならない」というのが、皆さんの声でした。
これで、6カ所に出前したことになります。合併問題について、いろいろな職業、年齢層の町民の皆さんの声を聞くことにつとめています。
これまで、中年以上の方の意見はよく聞く機会がありましたが、若い世代の声を聞く機会はあまりありませんでした。会員の方から、子育て中のヤングママさんを紹介いただいたので、お宅に訪問しました。
現在6才になる上の子を鹿島で産み・育て、その後2番目の子供を太良で産み・育てたという方で、鹿島・太良の「子育て支援行政」について聞くにはうってつけの方でした。
「太良は子育てに恵まれている」というのが、その方の意見でした。とくに、大事だと思ったのは、鹿島にいるときには、幼児の予防接種がいつ、どこであるか市の広報で知るしかなかったが、太良へきたら個人宛に案内があったという違いでした。
また、 太良は保健師さんがきちんと配置されていて、町民の健康に気を配っているという安心感があると語っておられました。
今日聞いた内容は、整理をして、ビラでお知らせしたいと思います。
ホームページへもどる 今日は、町議会の一般質問の傍聴に出かけました。
今日は、5人の質問者のうち2人が合併問題についての質問でした。坂口祐樹議員は合併推進の立場からの質問でした。質問と答弁を聞いていて印象に残った点は次の点です。
一つは、私たちがビラをまき、町民の皆さんに訴えていることは、議会の論議にも少なからず、影響を与えているなと思いました。たとえば、坂口議員は住民投票を成功させなければならないといっていました。また、合併する場合と同様に合併しなければどうなるかという点も住民に情報を提供すべきだということも主張していました。
二つめは、坂口議員が、合併にたいする「外圧」を強調しているのが目立ちました。たとえば、3月8日の県議会で古川知事が「合併した市町村も、しなかった市町村も同じに扱えば、逆に不公平になる」と「合併市町村優先」を発言したことを引き合いに出していたことです。これは、合併推進派の戦術として重視しなければならないと思いました。
三つ目は、百武町長が「合併するかしないかは、住民投票の結果による」ということを繰り返し強調したことです。恵崎良司議員の質問は、合併反対の立場からの質問でした。
江崎議員は、質問の冒頭、大都市の都市基盤整備に財源を集中する一方で、農山村・地方の財源を削減している国の政策を厳しく批判しました。合併問題の出発点はここにあるわけで、このことを厳しく批判した江崎議員の主張に思わず拍手をおくりたくなりました。
恵崎議員の質問の一つは、鹿島と太良の基金・債務の比較でした。
江崎議員は、起債残高から交付税措置分を差し引き、さらに基金と相殺した「正味」の基金・債務は太良町がプラス27億円であり、鹿島市はマイナス107億円であることを指摘しました。私たちもビラで、「太良の基金を鹿島の借金返済にあてるための合併でないか」と指摘してきましたが、恵崎議員の指摘も同じです。
江崎議員は、鹿島の大きな財政負担の例として、鹿島の下水道事業を取り上げていました。
具体的な数字をあげ、鹿島が財政的にいかに厳しい状況にあるか、鹿島・太良の合併は結局、鹿島の借金返済を太良町民にもかつがせるものだという点で大変説得力のある質問でした。江崎議員の質問にたいして、助役が歯切れ悪く答弁していたのが印象的でした。「どこの助役か!」とヤジを飛ばしたくなりました。
江崎議員の質疑のなかで出てきた数字は、ノートにメモしてきましたが、役場の財政課で確かめた上で、稿をあらためて紹介したいと思います。
ホームページへもどる 今日、次のようなメールがはいっていました。一部を紹介します。
私は実家が太良です。
このごろ合併のことで、両親と話していましたら、チラシがあって合併反対の活動をされていることを知りました。私も合併反対です。実家を出てはいますがやはり、太良は太良であって欲しいと思います。まして、税金や水道代が上がるなんて年老いてきている両親には負担です。
合併がどうなるのかとても心配でした。住民投票があるとのことで、すこしほっとしましたが、反対票が多かったら合併にはならないのですか?何も出来ないですが、陰ながら応援しています。数日前には、匿名の方からメールも入っていました。
川上様
匿名でゴメンナサイ
時折川上さんのHP拝見させて頂いております。
かつての大政翼賛会的に合併ムードが一部の推進論者と行政によって煽られています。
合併特例債という政府のアメ玉を前面に、今日、窮する地方財政をテコに「非合併組の自治体は残れない」といってはばかりません。
しかし、昭和の合併による遠隔地化した地域の疲弊の教訓がいまだにあるのです。
太良町の独立発展のため5月の住民投票を成功させてください。
私もその立場で頑張ります。昨日は、太良町栄町の女性の方からカンパを添えた励ましのお手紙をいただきました。次のようなメモがついていました。
「何んのお手伝いもできませんが、太良町のためがんばってください。心より応援しています」今日は、ある町民の方が、わざわざ私の家までカンパを届けてくださいました。
このように、町内外の方から励ましのメールやお手紙、カンパをいただいています。
「太良町を残して欲しい」という声が強いことを実感します。
そして、力がわいてきます。
ホームページへもどる 今日は、二つの老人会の例会に、合併問題の出前をしました。
2月末に、町内の区長さん、地区老人会長さん、婦人会支部長さんなどに「合併問題でお話しする機会を作ってください」とお願いしていました。それに答えて、いくつかの老人会などから、「きて欲しい」という返事がありました。会員のEさん、Aさんもいっしょに出かけました。
油津老人会では、50 人ぐらいの会員さんが集まっておられました。郷式では20人ぐらいでした。
私の方で、30分ぐらいお話をしたあと、皆さんからの意見や質問を出してもらいました。
話をするときの皆さんの表情、意見や質問から、多くの皆さんが合併に反対だということがわかりました。
特に大事だと思ったのは、「太良は良い町、住みよい町」と、皆さんが本当に太良を愛しているということです。そして、太良の将来を、みんなの住民投票で決めようということに「その通りだ」とうなずいてくださることです。
皆さんから励まされた二つの老人会でした。
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