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猪股嘉直
日本共産党、96回目の誕生日に
7月15日は日本共産党の誕生日。実に96歳。生まれては消え、消えては生まれる政党が数多くある中で、稀有な存在だと言える。「俺は今 何党かと 秘書に聞き」という川柳が過去に流行った。このように、政策も政治信条もあまり関係なく、離合集散する風潮はまだ一部に残っているように思う。
私が日本共産党に入党したのは19歳。入党に至るにはいろいろな経過があったが、当時の職場(診療所)の所長先生と事務職の上司が推薦をしてくださった。党の仲間に入れていただき、45年になる。人生の7割は日本共産党員として生きてきたことになる。
私の生まれた家族には、政党に所属する人など皆無だった。父は至って平凡な「今の世の中に文句も言わず苦労しながらもついていく」極一般的な人だった。しかし父の人生は苦労が多かった。戦争で負傷し、正座も胡坐もできないようになった。開墾生活に入り、ままならない農作業でも苦労した。開墾で身体を痛めた母が入院し、乳飲み子の私が、父の苦労など知るはずもなく、夜泣きをする。「私を抱いて列車に飛び込もうかと思ったことが何度もあった」との父の話を姉から聞いたこともある。出稼ぎもした。時計部品の町工場に勤め、工場の倒産に遭遇し、失業する事態にもなった。
そうした中でも、「こともあろうに」日本共産党のような政党に関係するなどと言うことは、家族の中に誰一人としていなかった。
私が党に入って、そのことが家族でも周知の事実となっていくと、父、母、次兄はすでに何年も前に亡くなったけど、母、父、次兄の順番に私を理解(黙認かな)してくれた。長兄も遠く九州にいるが、私の仕事にはクレームはつけていないようだ。近くにいる姉もしかり。姉はむしろ「弟だから」という意味もあるのだろうが、私の党を支持してくれている。
今、私は自分のこれまでを振り返って、「私は日本共産党員だよ」と言えることに誇りを持つ。「生まれては消え、消えては生まれる政党」の一員だったら、ましてや、「アメリカと財界、自分のお友達だけを大切にする政党」ならば、堂々となんて絶対言えない。「何やってんの。おまえ」と言われておしまいでしょう。
何故、日本共産党に誇りを持てるのか。党が考えていることは、日本の社会が、「あらゆる場面で良くなること」だけを考えているから。国民の99%の人たちが幸せになれる社会を本気で実現することを求めている政党だから。
そしてさらに世界全体についても同じように考えているから。勿論、今すぐ世界全体までの力などありませんが、しかしすでに海外の政界、学者、運動家をはじめいろいろな分野の人々との交流を持って進めている。
私は声を大にして言う。日本共産党に入って良かった。この道に間違いはなかった、と。
日本共産党、96歳の誕生日に。

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