戦後80年 戦没者追悼平和祈念式典 開催 被爆者の想い「核兵器は【悪】兵器」
10月17日、狭山市市民交流センターコミュニティホールで、『戦後80年 狭山市戦没者追悼平和祈念式典』が開催されました。
第一部では、戦没者遺族会の方などを招いて献花を行い、戦争によって犠牲になった方への追悼の意を示し、二度と戦争を繰り返さないと誓いました。 日本共産党狭山議員団も3名の議員がそろって参列しました。
6年生での被爆体験
第二部では、市内在住の被爆者である、中島寿々江さんによる平和記念講演会が行われました。この講演会については、入間川東小学校の6年生が会場で直接参加したほか、他の市内小学校の6年生がオンラインで参加できるよう映像が配信されました。
中島さんは、国民学校の6年生の時に広島で、原子力爆弾の被害にあいました。「8月6日は、良く晴れて暑い朝だった。突然家の中に太陽が落ちたかと思うような光、その次にドーン!と大きな音が、その後ものすごい爆風が起こった。少し煙が落ち着いたら見えたのは、頭から血にまみれたお父さんの姿だった」と、昨日のことのように語る中島さんの話に会場の人々は引き込まれました。
「その日の朝は晴れていたのに、見る見るうちに後に『きのこ雲』と呼ばれる入道雲のような雲がモクモクとあがってきた。当時住んでいた家は傾き、窓は全て吹っ飛んだのでもう住めないと、立派な防空壕のある叔父さんの家に避難した。避難先では、被ばくによって顔も体も真っ黒になり、性別も分からない、わかめのように焼けただれた皮膚が爪に引っかかっている人が歩いてくる姿を見た」と語った中島さん。
以前、一緒に住んでいた祖母は、自宅で炭のようになり、叔母は建物疎開に行った先で被爆し、8月18日に亡くなったと後に知ったとのことでした。
また、叔父の家には6歳と9歳のいとこが同じように避難しており、怪我もなく1週間から10日くらいは元気に走り回っていのに、急に苦しみだして、あっという間に亡くなってしまったと。
「くやしい。なんでこんなむごい殺され方をしなくちゃいけないのか。おばあちゃんを返せ。おばさんも、いとこも核兵器のせいで亡くなった。核兵器じゃなくて【悪兵器】だ。人間は何でも作るが、核兵器は作らないこともできる」と中島さんは、参加者の小学生に訴えました。
平和な世の中を作るには
中島さんは「同級生とも二度と会えなくなり、どうしているかと心配で、80年経っても頭から離れない。子どもや女性が犠牲になる。そんな世の中になっていはいけない。平和な世の中をつくるには、武力に訴えないで話し合いで解決する。自分を愛するように、相手を愛せばいい。自分も含めて相手も幸せであることを望めば平和な世の中は作れる」と締めくくりました。
参加した日本共産党議員団は、「やはり被爆者の生の声を直接聞くことは大きな経験になる。かつて実施していた、中学生の広島派遣の再会を改めて強く要望していきたい」と語りました。