第60回自治体学校in福岡 熊本地震から2年〜益城町の現状
傾いたままになっている地蔵尊
7月21日〜23日まで開催された第60回自治体学校in福岡に参加した日本共産党の大沢えみ子議員の報告を紹介します。
西日本豪雨災害など、全国各地で大きな災害が起きている中、震災後の復興の現状を知りたいと思い、今年の自治体学校では、現地分科会「熊本地震災害の現地と復興の現状・課題を考える」に参加しました。
2016年4月14日と16日、最大震度7の激震が2度も襲った熊本地震から2年。最も被害が大きかった益城町では、熊本地震で直接亡くなられた50人のうち20人が益城町の住人とのことで、歯抜けのような街並みが当時の傷跡の大きさを物語っていました。
ほとんどの家屋は撤去されていましたが、道端の地蔵尊が今でも傾いたまま残っています。 こうした地蔵尊などは自治会管理のため、行政でも手を付けられないでいますが、自治会の再建ができるほど地区住民が戻ってきていない現実があり、地区再建の課題が見えていました。
大型開発で元の生活に戻れない
崩落した阿蘇大橋
現在、益城町では県知事が打ち出した「創造的復興」の名のもとに、熊本空港の大空港化(アクセス強化のための4車線化)、区画整理事業(約10%の減歩による開発)が進められており、開発規制がかけられる中で、住民が元の生活に戻れない事態となっていることが元町議から説明されました。
益城町では、いまだに町民の5分の1にあたる約6000人が仮設住宅等での避難生活を余儀なくされています。仮説住宅の入居期限は2年。「ここで期限が切れ、退去を迫られているが行き先がなく、延長を申請する例も多い」との説明がありました。
南阿蘇村では、4月16日の本震で、立野地区の斜面で長さ約700m、幅約200mにわたって山が崩落するという大規模な土砂災害が発生した現場を視察しました。
この土砂崩れで、阿蘇への玄関口となる阿蘇大橋が崩落。東海大学農学部のキャンパスでは学生寮が土砂に巻き込まれ、学生が亡くなったとの説明に、被害の大きさと、いつどこで災害が発生してもおかしくないのだと改めて感じました。
復興のあり方についても事前の想定が必要
視察を終え、災害発生時の様々な困難を経てなお、復興の難しさを痛感しました。新しい街づくりを望む声もありますが、「元の生活に戻りたい」という、地域住民のあたりまえの願いが、大型開発の中で踏みにじられている気がしてなりませんでした。
災害への対応と同時に、その後の復興のあり方について、どのように住民合意を図っていくのか、事前の想定が必要だと感じました。 (大沢)