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71年目の広島を訪問して
8月4日〜6日に開かれた原水爆禁止世界大会(広島大会)には、狭山市から4人が参加しました。日本共産党議員団からは大沢えみ子議員が参加。報告がよせられました。

広島の原爆ドーム
広島の原爆ドーム
 8月6日 午前8時15分。広島から一斉に音が消えます。鎮魂の鐘の音とわななく蝉の声だけが響く中、71年前もこのような日だったのかと思いながら黙祷を捧げてきました。
 原爆投下から71年。私にとっては2回目の広島での原水禁大会は、改めて核兵器の残酷さと核兵器廃絶を求める運動の広がりを実感する大会となりました。
 今回はじめて、娘と一緒に平和資料館を訪れました。たった2枚だけ取られたという原爆投下当日の写真。御幸橋の周辺には身も心もボロボロになりながら逃げてきた人々の様子が写っていました。学徒動員で被曝した女学生のボロボロになった服。遺体が見つからず、ようやく見つかった名前入りの鞄。3人分を合わせて展示してある少年兵の破れた軍服…どの子も13歳、14歳など娘と変わらない年齢に涙が止まらなくなりました。「熱かったろう、苦しかったろう、そしてそんな子どもの様子を見る親の気持ちはどんなに辛かったろう」と。
 資料館では大勢の若者や小学生、中学生が熱心にメモを取りながら展示を見る姿がありました。狭山市では今年から中学生の広島派遣を取りやめましたが、やはり、たとえ数人であっても、直接この資料館をみてほしい、そして大勢の人たちが核兵器や平和について考えているのだということを知ってほしい、これはやはり現地に行かないと感じられない事だと思いました。

歴史を繰り返させてはいけない
 
 オバマ大統領は広島訪問で「空から降ってきた」と表現しましたが、原爆は突然落とされたわけではありません。武力による侵略と、軍事優先の政治。その背景には軍事特需にわく一部の層がいて、さらなる戦争行為へと突き進んでいった。その先に原爆投下があったのです。
 資料館を出たすぐの橋の上では、機動隊に囲まれながら軍服姿の若者が「核武装しましょうよ!10発でも100発でも持てば良いんですよ。そしたら外国から責められない」などと叫んでいました。
 事実を知らせず、物を言わせず、目先の利益に目がくらんだ歴史が、今また繰り返されようとしている気がしてなりません。

平和公園の記念碑
平和公園の記念碑


核兵器廃絶の後押しは世論
 
 原水禁大会には毎回、多くの海外代表が参加します。 
 私は正直、オバマ大統領の広島訪問を手放しでは喜べませんでした。でも、広島市長はオバマ大統領の広島訪問に触れ「為政者には広島・長崎を訪問し、信頼と対話による安全保障のあり方を真摯に模索し、被曝の実相を心に刻んだ対応を望む」という主旨の挨拶をされました。 今回の大会でも、海外で多くの若者が核兵器廃絶に向けて運動している事が報告されました。 様々な思いはありますが、オバマ大統領の広島訪問により、世界で核兵器への関心が強まったことは大きな意味を持つのだと感じました。
 一方、安倍首相は核兵器廃絶どころか、オバマ大統領が核兵器を使用しての先制攻撃を禁止する声明を検討している事に対して反対の立場をとるなど、被爆国の首相とは思えない態度をとっています。
 核兵器廃絶に向けた取り組み、その後押しをするのは、やはり私たち一人一人の行動の積み重ねなのだと痛感しました。
 核兵器廃絶の願いに背を向け、核開発の元となる原発を再稼働し、こともあろうに海外で武力を行使できる法案を強行採決する今の政治をかえるために、署名やひとつひとつの宣伝活動を積み重ねていこうと、決意を新たにした8月でした。           (大沢えみ子)
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