2013
2013年 狭山平和行進
核兵器のない平和で公正な世界をめざして
平和のシュプレヒコールをしながら、狭山市駅から狭山台に行進する参加者。
広島、長崎に原爆を投下されてから68年目の夏が来ます。
今年も全国各地から被爆地広島、長崎へと核兵器のない世界を目指しての国民平和大行進が始まりました。
埼玉での平和行進は毎年、西コース(狭山市を起点)と東コース(新座市を起点)とに分かれ、今年は6月30日に出発しました。
120人余の市民が参加
狭山市の平和行進出発式は、昨年に続き狭山市駅前市民広場で開催され、120人余りの市民が参加しました。
オープニングは新日本婦人の会狭山支部のコーラスグループ「ポケット」のみなさんによる、平和の歌の合唱です。
市長、塩川議員らがメッセージと挨拶
連帯の挨拶をする塩川氏
主催者の狭山原水爆禁止協議会(以下「原水協」)会長・鶴見隆氏の開会挨拶で式はスタートしました。仲川狭山市長から寄せられたメッセージを総合政策部次長(兼・基地対策課長)が代読されました。
来賓では埼玉県原水協事務局長と日本共産党の衆議院議員・塩川哲也氏から連帯の挨拶がありました。
世界大会に狭山から3人の代表
今年の原水爆禁止世界大会は8月3日から9日まで被爆地の広島と長崎で開催されます。狭山市からも長崎大会に3人の参加者(新日本婦人の会狭山支部、狭山民主商工会、医療生協狭山市支部)がきまっており、それぞれ参加にあたっての決意を述べました。
最後に集会アピール(核兵器のない世界・憲法9条と「非核三原則」の輝く日本へ)が提案され、満場の拍手で確認しあいました。
狭山市駅から狭山台に向け行進
集会後参加者は、狭山市駅西口エミオ前から狭山台に向けて元気に平和のシュプレヒコールを繰り返しながら行進しました。
商店街では店の中から出てきてくれる方や、団地などでは窓から大きく連帯の手が振られていました。
国民平和大行進とは
1958年6月、原水爆禁止を訴えながら被爆地広島から東京に向けて歩き始めた行進は、「歩く」という素朴な行動が市民の共感を広げ、数万人が行進に加わりました。それ以来55年、雨の日も風の日も夏の暑さの中も休むことなく全国で毎年続けられるこの行動は、世界にも類をみません。
今日では全都道府県の8割を超える自治体を通り、毎年約10万人が参加しています。「核兵器のない平和で公正な世界を」願う人なら、誰もが参加できます。
(原水爆禁止日本協議会発行のパンフより)
集会アピール
核兵器のない世界・憲法9条と「非核三原則」の輝く日本へ
広島・長崎の被爆から68年目の夏を迎えようとしています。
核兵器のない世界の実現を求める声が世界を動かし、今年4月にスイスで開かれたNPT再検討会議準備委員会には、スイスなど74ヵ国から「核兵器の非人道性に関する共同声明」が提出され、「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」としています。核兵器を持つわずかな国が決断すれば、核兵器禁止条約の交渉を開始できるのに、日本政府は「いかなる状況下でも」という一文にこだわり、この声明への賛同を拒否しました。
福島の原発事故が、収束していないにもかかわらず、安倍首相はトルコやアラブ諸国を訪問し、原発の輸出にのりだしました。核兵器の非人道性を自らの体験として語ることのできる被爆国の政府としては、核兵器の廃絶と核の拡散防止のためにこそ力を注ぐべきではないでしょうか。
核兵器の廃絶は、紛争の平和的解決とともに圧倒的多数の声です。これを推し進めるのは、世界の草の根の声、とりわけ唯一の被爆国日本国民の声と行動です。日本国民が誇りとする憲法9条と「非核三原則」を守り、非核平和の日本を実現するために、今年も平和行進がスタートしました。
今年の平和行進は、核兵器全面禁止を共同の目標とし、それらにつらなる原発ゼロ、放射線被害の一掃とエネルギー政策の転換、オスプレイの配備反対・普天間基地など危険な米軍基地の撤去、憲法96条改悪反対など、平和な日本と安心できる国民の暮らしを求めて運動していきます。
2013年6月30日 原水爆禁止国民平和大行進 狭山集会