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母3回忌 秋田に帰る

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 この連休中に私は、母の3回忌法要に出席するため、東北道を利用し、秋田県をとんぼ帰りしました。

 開会中の市議会は、審議がすすみ、先週20日は産業建設常任委員会をひらいて審査しました。

 委員会に付託された議案は、2012年度特別会計と企業会計の決算。その内訳は、土地区画整理事業4件、農業集落排水事業、水道事業、下水道事業―以上の7議案。審査が終わったのは、午後3時過ぎでした。

 母の法要は、21日午前10時。当日の出発では、法要の時間に間にあいません。そこで前日には、どうしても、秋田に着いていなければなりません。市議会で委員会の審査を終えた私は、急いで帰宅。午後4時前、加須インターから、東北道を北上しました。

 連休前夜とあって、普段と異なり東北道は、どこも交通量が多くなっていました。私の生家までは、加須市から530キロ辰竜離。到着が、深夜になっても迷惑をかけることから、途中の休憩も程々にして、年齢のことも一時忘れ、ひたすら北上しました。それでも着いたときは、午後10時をまわっていました。

 法要は、午前10時から開始。菩提寺のご住職が懇ろに読経。目を瞑って聞いていた私の脳裏には、優しかった母との思い出が、走馬灯のように流れていきました。

 就学前、小児喘息の発作を繰り返し、両親を心配させた私。母がおんぶすると、足が地面に着くほど、大きく成長した息子。その子をおぶい、雪深い山道をいくつも越えて、診立てのよいお医者さんがいる医院に、衰弱しきった私を連れて行った母親。やっと診察を終え、医院の待合室で母と食べた昼食…、何回になるでしょうか…。
(秋田の霊峰・鳥海山2,236/白い所は雪渓)
(秋田の霊峰・鳥海山2,236/白い所は雪渓)

 通学時、雨の日も、風の日も、そして真冬の吹雪の朝、自宅前で、息子の姿が山影に隠れて見えなくなるまで、毎日、見送っていた母の姿は、今でも忘れられません。

 中学校卒業後、私にとって、人生第二の故郷になる、加須市内の工場に就職するため、夜汽車の集団就職列車で、JR奥羽線・湯沢駅を出発する息子を見送った母親。旅立つ息子が、どんなにか心配だったことでしょう…。いまになって私は、当時の母親の気持がわかる、年齢を重ねました。

 加須市に住んでから、母は必ず故郷の香りがする小包、宅急便を届けてくれました。それには、いつも便せん、ときには広告の裏側に、故郷の出来事がびっしり書き込まれていました。これは、加齢によって、母が出来なくなるまで続きました。遠く離れた故郷から、息子とその家族を励まし、応援するために…。

 また、私が市議選に出るようになってからは、自分が居住するスペースに、いつも息子のポスターを張っていました。母親には、未知の世界だった「市議会」。そこで、仕事をしている息子のことが、あるいは心配だったのかも知れません。

 およそ7年前、母は足が弱って、介護が必要となりました。これを弟夫婦、そして2人の姪、家族の4人が7年間、在宅で介護してきました。姪の1人は、祖母を介護するため、社会福祉士の資格を取得し、祖母の介護を支えてくれました。

 母の要介護度、最後は4でした。弟家族には、本当に心から感謝しています。在宅介護はけっして、“きれい事”ではすみません。そこには、家族であるが故の感情が入り、ときには葛藤も生じます…。弟の家族には、本当に感謝です。

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 父は、4年前に他界しました。
そして母は、その2年後、父の後を追うように、彼岸へと旅立ちました。2人とも、9月市議会の開会直前か、開会中に彼岸へと旅立ちました。

 当時、同僚議員から、「ご両親とも議会中に亡くなられ、議会人である小坂さんの親御さんらしい」と、言われたことを思い出します。それから早いもので、今年が母の3回忌に…。

 あの世で今頃、両親はどうしているのか…。
多分、二人で、子どもや孫たちなどが、楽しく元気に暮らしている姿を、笑顔で見守っていることでしょう。

 本当にありがとう。両親には、改めて感謝!感謝! そして感謝!です。
2013/09/23
 

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