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楽しく過ごした少年時代

(故郷・秋田県の霊峰・鳥海山2236叩
(故郷・秋田県の霊峰・鳥海山2236叩
 私は1950年、秋田県内の農家で、5人兄弟の長男として生まれました。

 小学生の頃、田植えの時期になると「田植え休み」があり、学校が4〜5日休みになるのです。

 私の家では、その休みよりも少し遅れて田植えが始まり、その時には学校を休んで田植えを手伝いました。

 農家の長男なので、小・中学校時代に農作業を手伝うのは当たり前。早春に行われる田んぼへ「そり」による堆肥運搬、鍬での田起し、苗とり、田植え、田の草取り、稲刈りなど、すべてを行いました。農繁期に、子どもは貴重な労働力だったのです。当時は、殆どが手作業なので子どもには大変な重労働でした(勿論大人も…)。

(今は亡き父親との記念写真)
(今は亡き父親との記念写真)

 しかし、秋の収穫作業は、里山一面の鮮やかな紅葉、アケビや山葡萄、真っ青な秋空を飛ぶ赤とんぼの群れ…、豊かな自然のなかで手伝う農作業でした。いずれも楽しかった少年時代の懐かしい思い出となっています。

 中学校3年生のとき、自分の将来のこと、進路のことではとても悩みました。果たして農業を継いで、将来生活していけるのだろうか。両親のことも心配で、少年の心に悶々とする日が続きました。

 級友は、就職、進学と進路が決まっていきました。私はどうするのか、どうしたらよいのか…、本人の悩みは勿論のこと、担任の先生も困惑の状況でした。

 年が明けて、卒業する3月が近づいてきます。最終的に、少年の意志に基づき就職に決めました。しかし、卒業がせまり、既に就職先で残っているのは数社。

(中学2年)
(中学2年)

 そのなかで、定時制高校に通学できる、加須市にある埼玉ゴム工業蠅暴⊃Δ垢襪海箸魴茲瓩燭里任后これが、私と加須市を結ぶ契機になりました。

 当時、「金のたまご」と騒がれた中学生が、関東地方に就職する交通手段は集団就職列車。

 1965年3月下旬、故郷にはまだ雪が残り、雪焼けした15歳の少年は、不安と希望を胸に、夕闇せまる奥羽線湯沢駅を発っていきました。その列車を母が見送っていたのです…(2007/08/17)。

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