労働総研ニュースNo.333 2017年12月



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地方公立大学での教育を通じて生活保護を考える 柴田 徹平
深刻化する貧困打開と労働組合再活性化の課題  浜岡 政好
常任理事会報告ほか




地方公立大学での教育を通じて生活保護を考える

柴田 徹平

 私は今年の4月から岩手県立大学社会福祉学部で職を得て、大学教育に携わっている。教育に携わる中で感じたことを率直に書きたいと思う。最初に国民が生活保護の正確な知識を得る機会が失われてきているのではないかと感じている。例えば、講義を聞くまで芸能人の生活保護不正受給について、実は不正受給ではないことを知らなかった学生が非常に多かったし、生活保護に様々な扶助があることを学ぶまで知らなかった学生も多い。
 一方生活保護バッシングに関する言説は、メディアやネットで溢れており正確な情報を得るまでそうした言説を信じていた学生も多い。社会福祉学部でさえそうなのだから他学部ではもっと多いと思う。生活保護制度は覚えることも多く運用方法など理解は容易ではない。こうした現状から、貧困や社会的不利を抱えている人に寄り添い支えあっていくという価値観を一人でも多くの人が共有していけるようになるためには、社会保障に関する正確な知識を学ぶ機会がもっと保障されなければならないと思う。ではどうすればよいか。ある学生は、「どの学部でも必修で福祉を学べるようにしてはという」「高卒で社会に出る人もいるから新人研修で学べないのか」や「学んでも忘れてしまうから知りたいときに教えて貰える相談窓口があればいい」という意見もあった。些細なことかもしれないが、福祉に関する議論を学生が行うという営為の積み重ねが日本社会をよりよくしていくのだと信じたい。
 ところで講義の際、学生が目を輝かせて聞き入っていた時があった。それは最低生活費の地域差が実はそれほど大きくなく先進国で最低賃金1000円以上が当たり前、最低賃金の金額を決める際に支払い能力を基準にしているのは日本くらい、の話をした時だ。東北は貧困が身近にある地域であり若年層の流出も進んでいる。東北で生きてきた彼らにとっては展望の持てる話であり目から鱗だったようだ。
 ダーラムからロンドンまでの失業者デモや神奈川の25条共闘の話を講義の中で話した。現在の最低生活費でパチンコにいけるのか、どこまでを健康で文化的な最低限度の生活と考えるのかをグループディスカッションで学生自身に考えさせたいと考えている。したいことはたくさんある。学生が今より少しでも福祉のことを話すようになってくれたら、社会的弱者に対する想像力を働かせてくれたら嬉しい。学生と共に学び成長できる人間であれるようにこれからも精進していきたい。

(しばた てっぺい・理事・岩手県立大学講師)

深刻化する貧困打開と労働組合再活性化の課題
―ナショナル・ミニマム求める公共的存在へ―

浜岡政好

はじめに

 小稿は7月29日に行われた労働総研全国研究交流会での報告の一部を加筆修正したものである。ここでは今日の深刻な貧困状態がなぜもたらされたのか、それを打開するためには何が必要かをナショナル・ミニマム(「国民生活の最低限保障」)と関わらせて述べることにする。そしてその実現の中心的担い手としての労働組合への期待について検討することとする。

1.なぜ、生活の貧困化は大量化し、深刻化したのか

 2017年版『厚生労働白書』は「国民生活基礎調査」による相対的貧困率が2012年まで上昇傾向にあったが、2015年には15.6%となり、2012年より0.5ポイント低下したこと、その背景に「経済の好転、雇用の増加により、現役世代、特に児童のいる世帯の所得が増加したことがある」と述べている。また「全国消費実態調査」による相対的貧困率もゆるやかな上昇傾向が2009年から2014年にかけて10.1%から9.9%に0.2ポイント下がり、子どもの相対的貧困率は9.9%から7.9%へと「改善」しているとしている。
 果たして貧困状態は「改善」されているのであろうか。前記の『厚生労働白書』は、1994年と2014年を比較して、高齢者世帯以外の世帯総所得金額階級別の分布から、世帯総所得400万円未満層が増え、400〜1000万円未満層は変化が少なく、1000万円以上層が減少し、「全体として低い方にシフトした結果、…低所得世帯の割合が増えている」としている。つまり、勤労者世帯の世帯所得全体が下降移動したため、相対的貧困ラインが下がり、これまでの貧困者が相対的貧困者としてカウントされなくなっただけではないかと思われる。
 しかし、下がったとはいえ相対的貧困率は2015年で15.6%と依然として高い。しかも基準になった貧困線は122万円と極めて低いものである。この低い貧困線さえ下回る貧困層が15.6%も存在しているのである。ちなみに2015年の生活保護人員は増えているとはいえ2,163,685人、保護率にしてわずか1.70%である。生活保護を受給していない膨大な貧困者がいるのである。
 このように生活保護から漏れた貧困者が多くなっているだけでなく、勤労者全体の消費生活においても生活苦が進行している。勤労者家計は住宅や教育、老後費用などの長期的な生活課題に私的に対応するために膨張しているが、1998年以降の世帯主収入の低下で、実支出や消費支出を賄えなくなっており、妻の収入や社会保障収入、加えて、「貯金引出」と「月賦・掛買」などの借金で補っている。しかし、「貯金引出」は徐々に減少し、他方で「月賦・掛買」は増大している。
 貧困化は消費生活の場面だけではない。長時間労働は緩和されず、長時間労働を拒否できない「奴隷状態」も解消されていない。こうした長時間労働と長い通勤時間の結果、1976年〜2011年の35年間にフルタイム雇用者の週睡眠時間が週4時間程度減少するという世界にも例のない現象が起こっている。NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」によると、2015年調査では睡眠時間の減少は止まったが、有職者の平日の睡眠時間は6時間56分と低下したままであり、他方で、「会話・交際」の行為者比率、時間量は長期にわたって低下し続けている。つまり、長時間労働が生理的再生産時間や関係性維持時間をそぎ落としてきているのである。
 長時間労働だけでなく、この間の過密労働や労働者間競争の激化は、電通やNHKなどにみられるように「過労死」、「過労自殺」、メンタルクライシスを多発させている。これと併せて今日の「奴隷状態」を象徴しているのは、職場のパワーハラスメントである。厚労省「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」(2012年)では、労働者の4分の1が「上司」「先輩」「正社員」など立場の上の者からハラスメントを日常的に受けている。この「上司」「先輩」「正社員」の背後には有無を言わせぬ資本の専制があり、「部下」「後輩」「正社員以外」者たちはまさに「奴隷状態」に置かれているのである。
 職場の外の社会生活においても貧困は広がっている。社会生活における貧困は、生活主体の社会関係が破壊されたり、その社会関係形成力や維持力が傷つけられたり、またそれが未形成のまま放置される状態という形をとっている。こうした貧困の広がりは社会的課題を集団的に解決する力を殺ぐことにもなる。また社会とのつながる力の破壊は孤立状態を促進し、生活苦や労働苦などの貧困化とも相まって社会的排除を生み出す。こうして特定の「不利な人々」において、極貧化が固定化し、世代的にも再生産されやすくなる。貧困の固定化は、「不利な人々」を社会のメンバーとして異質視する傾向を強め、バッシングの対象にするなど、貧困からの脱出をいっそう困難化させる。
 社会生活における貧困の広がりは、資本主義の下で家族や地域社会などの生活共同体が解体され、生活の個人化が進むことと対応している。1990年代後半以降のワーキングプアの増大は、家族形成期の若い世代での家族の未形成や解体を一段と促進させている。また資本主義の下での産業の目まぐるしい消長などにともなう高移動型生活への転換は、地域生活の維持・再生産を困難化している。その結果、地域における生活インフラの解体、地域互助活動の維持困難、社会的孤立などがさらに進行した。こうした社会生活の貧困は「孤独死」や自殺、各種虐待の多発などとして表出している。
 では、生活の貧困化はなぜ、このように大量化し、深刻化したのであろうか。それはまず第1に、生活の貧困を生み出す資本主義的蓄積に対するさまざまな経済的・社会的規制が撤廃されたからである。1980年代の「臨調行革」以降、今日のアベノミクスに至るまで、経済的規制だけでなく、労働規制、そして医療、福祉、教育等の社会的規制に至るまで「規制緩和」の名で次々と撤廃されてきている。このように勤労国民のいのちと暮らしを守るための諸規制が撤廃され、資本の貪欲な蓄積活動の前に差し出されてきたのである。生活の貧困化はその必然的帰結である。特に1990年代後半以降の労働規制の撤廃は大量のワーキングプアを生み出し、大量貧困の元凶となった。
 第2は、生み出される貧困の抑制・緩和装置としての社会保障・社会福祉などの制度的な生活保障機能が低下させられたからである。第2次橋本内閣以来の長期にわたる社会保障「改革」(給付減と負担増、公的責任の縮減、自助・互助への転嫁)は勤労国民の生活保障機能を低下させ、生活の貧困化を高進させた。すなわち、社会保障制度からの排除、脱落、利用抑制などが進むなかで、制度から排除された人びとは最後のセーフティネットとしての生活保護へと向かい、生活保護の受給者数は急増していった。さらに最後のセーフティネットからも見放された高齢者等は孤独死や自殺、犯罪など社会病理の形をとった貧困へと追い込まれている。
 第3には、資本蓄積による貧困化に歯止めをかけてきた社会的強制力が弱体化したからである。一般に社会的強制力が弱まると、資本の経済活動への規制や社会保障・社会福祉等の負担から逃れる動きが活発化する。社会的規制力の中心を担ってきた労働運動は経済の高度成長による消費主義の浸透の過程でその力を弱めていった。個人的自由を前提にした消費主義が人びとに浸透していくなかで、労働運動においても「連帯的抵抗」が困難化し、「個別労働紛争解決制度」にみられるように集団的な運動を通じてではなく、個別的に問題を解決する志向が高まっていった。
 第4として、前述の第1から第3までの変化を許容する生活意識・生活規範の変容をあげることができる。1980年代後半から90年代にかけて日本社会は「1億総中流社会」から「格差社会」へと大きく舵をきり、格差を受容する社会意識が広がっていった。そこでは社会問題としての生活困難は個人レベルの生活リスクとされ、個人のリスクマネジメントの失敗またはリスクマネジメントの欠落が逆に問題とされる状況となった。こうした個人主義的自助イデオロギーを体現するキーワードの一つが「努力したものが報われる社会」であるが、貧困と格差が誰の目にも露わになった現在においてもこの「努力すれば報われる社会」を良しとする意識は依然として根強く続いている。

2.貧困化の打開とナショナル・ミニマムの構築

 以上のような深刻化した貧困に対応するには何が求められているであろうか。それには、まず第1に、貧困の発生源である資本蓄積に対する諸規制の強化と発生した貧困を抑制・緩和する社会保障・社会福祉制度の拡充が一体となったナショナル・ミニマムの構築が不可欠である。事実、1990年代後半以降、国民生活の危機が深刻化するなかでナショナル・ミニマム構築の必要性についての共通認識が広がっていった。
 こうしたなかで全労連は2000年の第19回定期大会において「21世紀初頭の目標と展望」を発表し、その中で「提言2・国民生活の最低保障(ナショナル・ミニマム)の確立」を打ち出している。その内容は(1)全国一律最低賃金制の確立、(2)社会保障制度の拡充、(3)男女平等の実現と少子化社会の克服、(4)食料自給率の向上と環境保全から成っていた。また2001年にはナショナル・ミニマム各界懇談会(全労連、全商連、全生連、中央社保協、農民連、労働総研など)の成果として、「提言:国民の暮らしを守るルールを確立するために―国民生活の最低保障基準(ナショナル・ミニマム)を確立しよう―ナショナル・ミニマムの提言」がまとめられた。
 労働運動総合研究所においても、2003年〜2006年にかけて「ナショナル・ミニマム問題の理論・政策に関わる整理・検討プロジェクト」を立ち上げ、2006年に報告書をまとめた。(『季刊労働総研クォータリー』No62・63、労働運動総合研究所、2006.12 )このプロジェクト研究においては、2000年代初期におけるナショナル・ミニマムをめぐるイデオロギー状況、国民諸階層の暮らしの実態、所得保障制度の現状、社会運動の状況についてなどナショナル・ミニマムとの関係が幅広く検討されている。しかし、ナショナル・ミニマム政策にとって重要な内容をなす社会サービス保障や労働への規制については取りあげられておらず、今後の検討課題として残されている。
 その後、リーマンショック後の「年越し派遣村」にみられる貧困の噴出に対する社会的関心の高まりを受けて、民主党政権下で「ナショナルミニマム研究会中間報告」(2010.6)が出されたり、同時期に「グローバル化とナショナル・ミニマムに関する研究会」から増田正人・黒川俊雄・小越洋之助・真嶋良孝『国民的最低限保障――貧困と停滞からの脱却』(大月書店、2010年7月)が刊行されたりしている。また、最近ではこれまでナショナル・ミニマムにはなじまないとされてきた社会サービスについてのナショナル・ミニマム研究の成果も出始めた。(国立社会保障・人口問題研究所『社会サービスのナショナル・ミニマム報告書』2014年)
 このように生活の貧困化が深刻さを増すなかで、改めてナショナル・ミニマムの構築が切実な社会的課題として浮上している。今日におけるナショナル・ミニマムは20年以上の長期に及ぶ経済的・社会的規制の撤廃と社会保障・社会福祉の縮減によってもたらされている今日の労働・生活の破壊に歯止めをかけ、反転させるものでなければならないであろう。また労働の場においても、生活の場においても憲法が保障する「健康で文化的な生活」を実現する内容をもつものでなければならない。前述のように2000年以降、ナショナル・ミニマムをめぐってさまざま論議もされ、調査研究も行われ、最賃制や生活保護、生活困窮者支援、最低年金などの運動も進められ、個々の分野では一定の成果も生まれているが、そうしたこの間の経験を踏まえて、今日の状況下での共通の旗印としてのナショナル・ミニマムのなかに何をどう書き込むかが課題となっている。
 前記のナショナル・ミニマム各界懇談会の「提言」では、ナショナル・ミニマムがカバーすべき領域が大きく9つに分けて構成されていた。すなわち、(1)「勤労にともなう最低保障基準」、(2)「社会保障の最低保障基準」、(3)「税制の課税最低基準」、(4)「国民の食糧確保の最低保障基準」、(5)「学校教育の最低基準」、(6)「住宅の最低保障基準」、(7)「文化・体育・スポーツの最低保障基準」、(8)「生活環境の最低保障基準」、(9)「平和的生存権の確保」である。これらはいずれも「健康で文化的な生活」を保障するナショナル・ミニマムの内容としては欠かせないものである。2000年以降の貧困の深刻化、また多発する災害による生活破壊やそれに対する社会運動の経験などを踏まえて上記のナショナル・ミニマムの各項目の内容については修正や補正も必要であろう。
 この「提言」について、伊藤圭一氏は前記「ナショナル・ミニマム問題の理論・政策に関わる整理・検討プロジェクト」報告のなかで、「分野別の個別ミニマムは、主要には、それぞれの分野を専門として取り組んでいる団体によって、実現にむけた運動が追求されることになるが、同時に、構造改革路線が各階層ごとの運動の分断を狙ってくるなかで、団体間・各層間の共同を強化し、それぞれのミニマム確立にむけた戦線を構築することも重要である。」と述べている。この間、個別ミニマムでは一定前進した部分もあるが、総体としての「国民生活」の最低限保障は熾烈な岩盤規制攻撃もあってむしろ後退を余儀なくされている。こうした状況のなかで改めてナショナル・ミニマム各界懇談会の成果を引き継ぐような「団体間・各層間の共同」の再構築によって、前述のような共通の旗印のバージョンアップが求められているように思われる。
 そして第2に、今日の貧困の深刻化の打開において重要な課題は、上述のような制度・政策的対応と併せて、社会生活における貧困を防止するための、人が介在するセーフティネットを強化することである。つまり、資本主義の下で孤立化させられ、貧困に追い込まれる状況から脱するには、諸個人が自覚的につながって「社会」をつくり、また学習によって情報リテラシーを身につけることが欠かせない。ここでは労働組合や協同組合などの互助・連帯組織が大きな役割を担うことになる。労働組合等の行う日常的な組織活動、学習活動、地域でのネットワークづくりなどは、地域における「社会」の形成と維持活動そのものであり、こうした営みを通して人と人のネットワークによる安心・安全な社会をつくることができるのである。
 またこの人が介在するセーフティネットを強化する取り組みは、その内実としては、貧困の拡大を招来した1980年代以降の新自由主義的「構造改革」に「同意」を与え、また「受容」してきた社会のあり方、社会意識のあり方を変革すること、すなわち、ナショナル・ミニマムの社会的担い手をつくりだす課題とも重なっている。この課題は社会運動の衰退や生活意識・規範の変容と深く関わっており、消費主義や個人主義の下で、社会問題に対する集団的な行動様式による解決方法を新たに創造し、進化させることで、新自由主義的政策に「同意」し、「受容」してきた社会意識を変えることである。

3.ナショナル・ミニマムの確立と労働組合の役割

 ナショナル・ミニマムは全ての国民の「生活の最低限保障」であるから、もちろん労働者・労働組合だけの課題ではない。しかし、労働者と労働組合にとってナショナル・ミニマムの確立の課題は、他の国民諸層以上に大きな意味を持ち、重要な役割を果たすことが求められている。それは労働者が国民の多数者を占めているというだけでなく、ナショナル・ミニマムがまさに資本蓄積との熾烈な戦いの結果としてしか実現しないからである。その意味では、ナショナル・ミニマムの実現は労働運動などによる資本蓄積への社会的規制力の回復にかかっているともいえる。
 では、どのようにして労働組合等の社会的規制力を回復させるかであるが、それには社会的規制力を低下させた社会的背景として、前述のような高度成長期以降の勤労諸階級への消費主義、個人主義、私生活主義の浸透を押さえておく必要がある。60年代以降の「消費革命」とも言われる空前の消費ブームを経て、日本社会に定着したライフスタイルは「あらゆる生活手段を個人的に所有」しようとする「個人主義的生活様式」であった。こうした生活の仕方は、デヴィッド・ハーヴェイが言うようにそれまでの社会運動が前提としてきた「個人の欲求やニーズや願望を二の次にする覚悟」を動揺させ、社会の問題を社会運動によって解決するという集団的な行動様式を衰退させ、代わって消費者モデルを援用した個人の行うクレーム活動が中心となっていった。(デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』作品社、2007年)
 このことはNHK「日本人の意識」調査にも示されている。1973年以降の政治に関する「有効性感覚」(選挙、デモ、世論などが影響していると思う人の比率)は1973年が最も高く2000年にかけて低下し、2000年以降は若干上昇している。しかし「投票すること」、「デモや陳情、請願など」、「国民の意見や希望」のいずれをとっても2013年の「有効性感覚」は1973年時点の選挙で73%、デモなどで51%、世論で77%に低下している。(NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造〔第8版〕』2015年)また2014年に実施されたISSP国際比較調査「市民意識」では2004年の調査に比べて日本人の政治的・社会的活動意欲がさらに低下しているという厳しい結果もある。(小林利行「低下する日本人の政治的・社会的活動意欲とその背景」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所 2015.1)
 労働組合をはじめとする社会運動を再活性化させるには、再び政治的「有効感覚」をとりもどし、個々の当事者が抱える個別的困難を社会問題化し、社会的責任で解決するプロセスを、多様で異質な個人のあり方を踏まえた上で再度「集団的な行動様式」に結びつけるという組織文化の刷新が必要であると思われる。上述のNHK調査では、人間関係では、形式的、部分的つきあいを望む人が増えたり、生活目標においても「身近な人たちと、なごやかな毎日を送る」や「その日その日を、自由に楽しく過ごす」などの志向が高まっている。他方で、現実の生活においてはこうした生活目標が危うくされるような実態がある。したがって、この一人ひとりのささやかな慎ましい生活目標をかなえるための、緩やかなつながりづくりが求められており、そうしたつながりづくりが「有効感覚」の回復へと発展していくような取り組みが必要となっている。
 もう一つは、労働運動や社会運動の経済主義、消費者主義から脱却という課題である。高度成長期を経て日本の社会運動の多くは「経済団体」化し、「消費者団体」化していった。このなかで社会的公正の実現運動の色彩を薄め、市場での経済取引を有利にするための交渉活動、基本的人権意識も「消費者としての選択の自由」に傾斜していった。これは社会的公正や基本的人権の実現をめざす社会運動が社会のなかで一定の承認を得るなかで、「共益」追求のウエイトが高まり、社会運動のもつ公共性の追求が弱まっていったことを示している。
 社会運動には孤立する諸個人を社会に組み込み、共同行動によって共同の利益を追求し守って行く側面と、特定の社会集団の利益を超えて「社会」全体の公共的利益を追求する側面がある。前者の「共益」の追求は「社会」をつくっていく運動そのものであり、この運動を通して個々の当事者のかかえる個別的諸困難を社会の問題とし社会の責任で制度的、集団的に解決することを学んでいくことになる。しかし、既に見てきたように新自由主義によって席巻されてきた「社会」のあり方を変えるには、互助・連帯組織の「共益」追求の社会運動を後者の公共的社会運動へと発展させることが求められている。この公共的社会運動は新自由主義下での社会の「常識」を変えて、その新しい「常識」で国家のあり方を変える社会運動でもあり、また国家を制御する、公共を担う主体として自らを変革する運動でもある。
 ナショナル・ミニマムを機能させ、その水準を引き上げることは、一国の労働と生活、そして社会のセーフティネットを機能させ、貧困の拡大を防止するだけでなく、その社会の安全・安心の水準を引き上げることであり、最大級の公共的活動である。労働組合は互助・連帯組織としての「共益」的社会運動を活かしながらも、ナショナル・ミニマムの水準引き上げを追求する担い手にふさわしく自らを公共的存在へと変革しなければならない。このことはナショナル・ミニマムを追求する運動が、単なる便益の「受益客体」からの脱却を促し、「主権者」(公民)としての自覚を醸成する「主権者を育成していくプロセス」であることを示している。こうした主権者の変化を進めることを通して初めてナショナル・ミニマムの引き上げは前進するのである。

(はまおか まさよし・労働総研研究員・佛教大学名誉教授)

2016〜17年度第5回常任理事会報告

 2016〜17年度第5回常任理事会は、全労連会館で、2017年10月21日、小越洋之助代表理事の司会で行われた。
I 報告事項
 前回常任理事会以降の研究活動、企画委員会・事務局活動について藤田宏事務局次長より報告され、承認された。
II 協議事項
1)研究所プロジェクトについて
 藤田実事務局長より、次期の研究所プロジェクトについて、いよいよ深刻化する「働く貧困」について、この間の研究所プロジェクト「現代日本の労働と貧困――その現状・原因・対抗策」の成果を踏まえ、青年労働者の貧困についてその実態をあきらかにするなかで、青年労働者結集の条件を提起することを目的に、テーマ(案)として「『働く貧困』と青年労働者」が提案され、討論をおこなった。
 また、推進体制として、事務局長・事務局次長と若手会員、全労連青年部の代表などで研究所プロジェクト企画推進チームを結成し、その提起を受けて、常任理事会が討議の上、責任をもって推進することが提案され、承認された。
2)研究部会代表者会議について
 2016〜17年度第2回研究部会代表者会議を2018年1月20日に開催し、研究所プロジェクト案の論議、および研究部会活動の交流などをおこなうこととした。

11月の研究活動

11月2日 女性労働研究部会
  9日 国際労働研究部会
  10日 賃金最賃問題研究部会
  25日 大企業問題研究会
  30日 労働組合研究部会

11月の事務局日誌

10月28日 新非正規センター結成祝賀会であいさつ
11月9日 労働法制中央連絡会事務局団体会議
22〜23日 全労連国民春闘討論集会
  26日 生熊茂実さんを励ます会