労働総研ニュース:No.240 2010年3月



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新潟で様々な立ち上げに関わった1年
「10年版 経営労働政策委員会報告」からなにを読みとるか




新潟で様々な立ち上げに関わった1年

小澤  薫

 新潟に来て丸5年。今年度、これまで所属していた女子短期大学が四年制の県立大学に改組し、法人化しました。それにあわせて、私たちは2009年3月31日に教職員組合を、過半数組合として立ち上げることができました。有志の教職員が力を合わせて、「ウイングの広い組合」を合言葉に、勉強会を重ねました。他の公立大学の教職員組合を参考に、「全国公立大学教職員組合連合会(公大連)」から教えを受けながらやってきました。そのなかで上部団体への加入に抵抗感が強いことや、比較的年齢の高い層で組合に対するイメージがよくないことがわかりました。私は、呼びかけ人の1人として、同僚と一緒にほぼ全員の研究室を回って、組合の必要性を話しました。それぞれの思いの違いを知り、同時にこうした機会を得たことで、学内の教職員とつながることができるようになりました。そして組合がそれぞれの間をつなぐ重要な役割を担っていると実感しました。

 これまで労働総研の会員としていろいろなプロジェクトに参加しながら、労働組合の活動の現状に触れてきましたが、自分自身が組合員となって活動した経験はありませんでした。そのため、いまもわからないことばかりのなかで活動しています。ただ現状は、県の財政状況に大きく左右され、経営側のトップダウンが強く打ち出されています。特に、弱いところへのしわ寄せが行われるようになりました。そのなかで交渉は続けていますが、法人側と十分なコミュニケーションがとれているとは言えません。それでも組合を作ってよかったと強く思います。大学としてよりよい方向に進んでいけるように、情報の共有化を目指し、いまは4月の36協定の締結に向けて準備をしています。

 大学では、学生たちが豊かな学生生活を目指して自主的に学生自治会を設立しました。一学年240人の小さな大学ですが、設立総会には書面出席もあわせて98%を超える出席がありました。設立承認の拍手が会場に鳴り響いたときには胸が熱くなりました。これからも学生たちの積極的な活動を支えていきたいと思っています。

 また、県の職員の呼びかけで「にいがた公的扶助研究会」が立ち上がりました。福祉事務所職員、地域包括支援センター職員、支援団体スタッフ、弁護士・司法書士がメンバーで、福祉の向上を目指すものです。このようなつながりを活かして、新潟における生活保護の実態に触れ、生活保護世帯の児童の進路状況や高齢者の生活状況について調査を踏まえて検討しています。

 学生を大切にして、人とつながり、地域とつながっていきたいと思っています。そして地元と関わった研究をすすめていきたいと考えています。

(おざわ かおる・会員・新潟県立大学)

「10年版 経営労働政策委員会報告」
からなにを読みとるか

小林 宏康

1.破綻した「構造改革」路線にしがみつく財界、それは弱さの表れ

 「2010年版経営労働政策委員会報告(以下、経労委報告又は報告と略す)」の発表が1カ月ほど遅れたため、春闘真っただ中での本稿となった。

 10年春闘は国内的にも国際的にも歴史的変化の可能性を内包した新しい情勢のもとでたたかわれている。財界・大企業はこの新たな情勢をどう認識しいかに対応しようとしているのか。経労委報告には、大局的視点から情勢をとらえる余裕を失い、破綻した「構造改革」路線にしがみつくこの国の財界の姿がよくあらわれている。春闘をたたかう実践的視角から報告をどう読んだかの結論を3点に要約し、以下、紙数の許す限り報告の記述にそって結論にいたる根拠を示すことにしたい。

 1)10年春闘は「百年に一度」ともいわれた世界的経済危機から、いかに抜け出すかが引き続き課題とされる情勢下での春闘である。危機の性格、原因、責任を明確にすることなしに打開策は出てこない。

 私たちはこう主張してきた。新自由主義に基づくアメリカ型資本主義(カジノ資本主義、株主資本主義)の破綻がその本質である。日本でも構造改革の名でアメリカ型資本主義が導入された。労働者の賃金や国民の所得を強奪して大企業と株主の利益は幾倍にもなったが1(図、『しんぶん赤旗』09.1.30)、その対極では非正規労働者が急増し貧困と格差が劇的に広がった。内需が弱く外需に依存する日本経済の歪みは一層深刻化し、アメリカの「バブル需要」の崩壊とともに、日本経済は発信源のアメリカを上回る大きな落ち込みに見舞われた。

図

 だとすれば、日本経済の再建は疲弊した内需の回復抜きにはあり得ない。労働者・国民を犠牲に倍増した大企業の巨額の内部留保を、労働者・国民の雇用と仕事、賃金・所得の改善に還元させることが必要である―と。

 経労委報告には、深刻な経済破綻を引き起こし労働者・国民をいまも苦しめている、財界・政府の構造改革政策に対する反省も、社会的責任についての自覚も全くみられない。反省がないどころか、いまも構造改革路線にしがみつき、一層の推進を求めている。目前の利益に汲々とする個別資本の利害を離れ、中長期の視点で大所高所から判断すべき立場の財界の文書としては、牧野富夫氏も指摘する通り実にお粗末である(『しんぶん赤旗』2010.1.27)。日本の財界が統治勢力としての能力を失いつつあることの表れだろう。

 2)国内的には戦後初めての、国民の投票による「政権交代」下の初春闘である。構造改革の十数年に対する不満と怒りが自公政権を政権の座から引き下ろし、民主党中心の政権が生まれた。政権交代は国民の要求と運動が政治を動かす可能性を生み出したが、新政権が自民党型政治の継続に終わる可能性も現にある2。鳩山政権は、アメリカと日本の財界・大企業の要求と、労働者・国民の要求との狭間で「ブレ」ている。

 10年版経労委報告が、「雇用の安定・創出に向けた取り組み」の章を起こし全体の4割近くを割いたのは、新政権の誕生とその背景にある国民の不満や怒りを考慮してのことだろう。しかしその中身は看板を偽るものである。企業は雇用確保に最大限努力していると強弁し、新たな「雇用調整(リストラ)」の予告にさえ及ぶ。提示される「雇用の安定・創出」政策は、「賃金減額」による「日本型ワークシェアリング」と政府の政策(税金、結局は消費税増税)による「セーフティーネット等の構築」のみである。非正規を急増させた「雇用の多様化」政策の維持・推進をうたい、大企業に新たな負担や規制を課す措置はかたくなに拒む。労働者をモノ扱いし、中小企業を痛めつけてきたことへの反省はない。国民の批判は気になるのか、数字のトリックや詭弁を弄して、責任逃れに躍起となっているが、そこには彼らの弱さこそが示されている。

 3)このような情勢下でたたかわれる10年春闘では、「賃金より雇用」か「賃上げも雇用も」かが大きな争点となりつつある。経労委報告の春闘指針部分・第4章は、最初に「総額人件費管理の徹底」を宣言する。人件費は、雇用・賃金・労働時間の積だが、これを、売上―利益の中期的な予想に応じて、自在に増減できる経営・労務管理(「新時代の『日本的経営』」)の徹底がその中身である。そのうえで「賃金より雇用を重視」する交渉・協議が提起されるわけだが、私たちがそこで読まされるのは「雇用」を人質に「賃下げ甘受」を求める身勝手な言い分である。全国紙の春闘社説には、「労働力の流動化を促す賃金制度を探ろう」(日経)と財界の肩をもつものもあるが、さすがに「経労委報告」に手放しで同調するものは少ない。「定昇凍結なら景気失速」(東京)と財界をたしなめ、あるいは「雇用確保の道筋示せ」(毎日)と注文をつける。「働く人すべてが当事者だ」(朝日)と非正規労働者の問題重視を指摘する社説もある。

 労働側はどうか。全労連はもちろん「賃金も雇用も」の立場である。企業の社会的責任を問い、大企業の巨額の内部留保を社会に還元せよと迫る。連合は賃上げの「統一要求」を見送り「賃金より雇用」の流れに棹差しつつ、「定昇の維持」「賃金の底上げ」を目標に掲げて踏みとどまろうとするかに見える。経労委報告の身勝手すぎる主張には「連合見解と反論」で反発している(内部留保の還元や今春闘最大の焦点の一つ労働者派遣法の大穴に触れていないのは問題だが)。「連合春闘」といってもその内部には矛盾があり、画一的固定的にみるべきではない。

 問題は職場にも「賃金より雇用」の気分があることだが、雇用の安定はもとより、大幅賃上げは非正規労働者だけでなく一時金の大幅減額、残業代削減で100万円単位の減収に苦しむ大企業正規労働者にとっても切実な要求である。報告はこうした労働者の苛酷な生活の現実に全く触れようとしない。そこに「賃金より雇用重視」論の弱点がある。「賃金も雇用も」は、労働者の生活からみて正当なだけでなく、国民経済の土台である内需を強めるという大義を持った要求である。企業ごとの「雇用をめぐる春討」に陥らず、政治の変化を生かし、国民的要求と固く結んで大きな構えでたたかえば、要求実現へ大きく道を開き、新政権の誕生を財界・アメリカ優先の政治から国民本位の政治に変える一歩を切り開けるだろう。


1 この十数年、短期の株主利益極大化が大企業の企業統治の基本とされ、人件費の変動費化(非正規の活用、「成果」主義賃金の導入)による労働者に対する搾取と中小企業への収奪は格段に強まった。98年〜08年の10年で企業の内部留保は210兆円から429兆円に倍増したが、労働者の賃金は年間42万円も削られた。
2 アメリカでは下院の公聴会で、グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)前議長が、金融危機を招いたことへの自らの“過失”を認めたが、日本の議会でこのような場面は見られなかった。危機打開への対応でも、オバマ大統領の「ウォールストリートからメインストリートへ」、すなわち「巨大銀行や財界」から「小企業、一般庶民」へという政策転換に比べ(『経済』10年3月号 p8〜9)、鳩山内閣の「コンクリートから人へ」の表現には、自公政権の財界・大企業の利益優先政策からの転換という意思をみることはできない。

2.構造改革の一層の推進と責任逃れに終始する報告の現状・課題認識

 報告は、御手洗会長の序文や第1章を一読すれば分かるとおり、今日の経済危機の現実と原因を直視できず、自らの責任を回避しなんらの反省もないまま、構造改革路線に固執しその一層の推進を求めている。

 〈1.グローバル化の加速度的な進展と国際競争の激化〉の内容は、中国やインドなど「新興国経済の力強い発展」という要素の強調を除けば、「新時代の『日本的経営』」政策(これが雇用破壊・生活破壊の直接要因)へ、経営・労働政策の転換を根拠づけた理屈(メガコンペティション)と全く変わらない。

 報告の現実を直視する能力の欠如、無責任・無反省ぶりは〈序文〉や〈2.国内外の情勢〉に明らかである。〈欧米各国の景気回復も進まないなかで、我が国も…〉と外需頼みの姿勢を露呈する(序文)。個人消費の落ち込み、35兆円にのぼる需給ギャップなどの指摘はあり、内需の弱さが回復を困難にしているという事実認識はあるが、構造改革政策が、国民経済の土台である内需を痛めつけたことへの反省も、景気の回復に向けて、内需、特に労働者・国民の賃金・所得を増やす政策への転換が必要だとの認識はまったく示されない。

 こうした現状認識から報告は、危機克服の方向をこう提起する。〈企業活力を高めるための政策を推進することで、持続的な経済成長が実現し、新たな雇用の創出や国民の将来に対する安心感〉が醸成されると。だがこの十数年、大企業応援のあらゆる政策が「改革」の名で強行され、大企業にとっては「いざなぎ景気」を超える好景気が続いたが、創出されたのは膨大な非正規雇用・ワーキングプアであり、「醸成」されたのは国民の安心どころか深刻な将来不安だった。「大企業が儲かれば、その利益がやがて労働者や中小企業、家計にも滴り落ちてくる」というトリクルダウン論の破綻は、すでに実証済みである。

 報告が早急に取り組みを求める政府の政策を、かっこ内に注記を添えて引く。報告は〈FTAやEPAの促進、規制改革(規制緩和)、税制改革、資源の安定的な供給ルートの確保(海外派兵の正当化・「改憲」)、イノベーションの創出〉が必要と書く。〈国民の安心に資する…税・財政・社会保障の一体改革〉のカナメは〈安定財源の確保(=消費税増税)〉とし、〈法人実効税率引き下げ〉を内外の投資促進の視点から強調する(p10〜11)。「構造改革」の言葉はないが、新自由主義的改革の一層の推進を求める報告の立場は明白である。

3.責任回避の「雇用の安定・創出」施策。「リストラ」予告宣言も

 報告が〈雇用の安定・創出に向けた取り組み〉3を前面に押し出したのは、連合の弱点を利用して、新政権の政策、10年春闘の流れを「我が田に引こう」とする意図だろう。しかし、そこで主張されるのは標題を全く裏切る内容であり、90年代後半以降の賃金・雇用・労働時間破壊政策の継続・強化である。〈第4章 今次労使交渉・協議に対する経営側の基本姿勢〉と併せて読めば、「雇用」を人質に「賃下げ」を押しつけようとする報告の意図が浮き彫りになる。連合がおいそれと同調はできず反論を出したのは当然である。

 雇用重視の看板をその中身が裏切る論理はこうである。〈雇用の安定・創出〉に〈企業はすでに最大限努力〉している⇒低迷が続けば「雇用調整」も余儀なくされる⇒これを避けるには、(1)企業の実態にそった「日本型ワークシェアリング」プラス(2)セーフティーネット等の政府の施策が重要である。ただし大企業に新たな負担や規制を課す政策は、受け入れられない。逐次報告の記述にそって検証する。

 1)第2章の〈1.雇用問題に対する政労使の対応〉は、悪化の一途をたどる雇用情勢を認めながら、〈企業が雇用確保に最大限努力し〉た結果、〈危機的状況は少なからず緩和〉され、失業率も〈相対的に低位にとどまっている4〉という(p13)。揚げ足をとるわけではないが、すでに〈最大限の努力〉をしているというのだから“これ以上、企業にできることはない”といっているわけである。実際〈1〉の〈(2)企業の雇用確保に向けた取り組み〉で提起されているのは、「日本型ワークシェアリング」であるが、そのポイントは〈賃金減額の効果を持つ〉ところにある(p66)。それでも〈なお、経営環境が混迷を深める中、やむを得ず雇用調整に踏み切らざるを得ない〉状況を予測する(p15)。「雇用安定」どころか「リストラ」の予告である。

 2)〈1〉の〈(4)政府に求められる取り組み〉および〈2.労働市場の基盤整備〉をみると、報告のいう〈雇用の安定・創出〉が政府頼み・責任逃れにとどまらず、「新時代の『日本的経営』」政策の柱である雇用の多様化政策の一層の促進を求めるものであることが明らかになる。報告が政府の役割としてあげるのは、セーフティーネットの強化(雇用保険の見直しなど)、雇用維持支援(雇用調整助成金)の強化、需給のマッチング(労働移動の円滑化)機能の強化の三つ(p20 図表10)であり、国民の税金(結局は消費税増税―筆者の注記。次も同じ)に頼り、雇用の多様化(正規労働の非正規による置き換え)路線に沿った政策に限られる。報告が政府に求める政策・措置のなかには、この間の「派遣村」や非正規労働者やワーキングプアの保護、生活・就労支援を求める運動の反映として支持できるものもあるが、問題なのは、雇用・賃金・生活破壊に最大の責任を負う大企業が、自らの負担において社会的責任を果たすという視点がまったくないことである。

 改定最低賃金法に基づく最低賃金の大幅引き上げや決定方式の改革、労働者派遣法の抜本改正など、大企業に新たな負担や規制を求める政策には、かたくなに拒否の態度を示す。労働者派遣法の改正では、3党合意から大きく後退して大穴を認めた労政審答申の尊重を隠れ蓑に5、登録型派遣、製造業派遣の実質容認を求め、期間制限を越え、法に違反した場合の「みなし雇用」に強く抵抗している。さらに悪名高いホワイトカラーエグゼンプションの導入をさえ、表現を変えて要求している(p27〜28、30)最低賃金の引上げに対しては、中小企業の経営困難(だれのせいか!)を引き合いに反対し、〈現行方式は極めて合理的〉と改正法の骨抜きに躍起であり、産業別最賃の早急な廃止を求めている(p32〜34)。

 非正規労働の保護・規制においても、最低賃金の水準においても、労働時間・休暇の法制度・実態においても、日本は国際的にみて例外的に劣悪であり、国際競争を理由に抜本改善を拒む根拠には全くない。

 3)「盗人猛々しい」と言いたくなる報告の記述だが、それでも「モノ扱い」6 の非正規労働を利用して大もうけを上げる大企業に厳しい世論が気になるのだろう。トリックを使い詭弁を弄して弁解に躍起である。かっこ内に注記を添えてその一端を示す。(1)非正規労働の増加率を上げて規制緩和と非正規労働の蔓延の関連を否定し(労働者数の停滞、正規労働の減少は隠す)7、(2)非正規労働の増加を産業構造の変化や労働力の女性化・高齢化と関係づけて正当化し(女性や高齢者なら非正規でよいという理屈は成り立たない。また近年の特徴は非正規労働が家計の主な支え手に及んでいるところにある)、あるいは〈労働力の需給双方のニーズが一致〉したものだという(間接・有期雇用への労働側ニーズは基本的には誤解以外にあり得ない。短時間雇用へのニーズはありうる。均等待遇原則とパート、フルの労働者による選択が前提)。最大の欺瞞は、非正規労働の非人間的で劣悪な処遇に触れようとしないことだ(一部の悪徳業者の問題に矮小化)。

 4)〈経済のグローバル化〉が〈基準を一つの方向に収れんさせる傾向〉は認めながらも、“日本の強みを阻害するな”と、ヨーロッパ並みのルールづくりが進むことに抵抗している(p35)。ヨーロッパでは、産業別協約とその拡張適用や法制度により労働条件の基本が社会的横断的に決まる。そのため人件費コストは基本的に企業間競争の要素とならない。日本的強みと称して人件費コスト削減という安易な、長期的には人的資源を衰弱させる手段に頼っていては、市場や製品の開発という基本面で後れをとり、結局は競争力を失うことになる。


3 派遣村に国民の耳目が集中した09年報告にも特に「雇用の安定」をテーマとした章はない。
4 就職困難による求職活動の断念=非労働力化「失業率」を低め、非正規雇用の増大による雇用の劣化は、失業率には表現されない。
5 一昨年の派遣村報道の中で後退を余儀なくされた財界は水面下で巻き返しを図る。松下プラズマ(最高裁)、INAXメンテナンス(東京高裁)、ビクターアフターサービス(東京地裁)などで、従来の決定をひっくり返す反動判決が連続している。派遣法改正での労政審答申もその一例と見たい。
6 これは比喩ではない。非正規を扱うのは本社の人事ではなく、工場の外注や資材部門である
7 99年を100とし07年を比較すると、労働者数104、正規雇用92に対し非正規雇用は140である。

4.「賃金より雇用重視」は賃金抑制・削減、差別雇用の温存・維持がねらい

 1)第4章の「春闘指針」では、冒頭〈1.総額人件費管理の徹底〉が経営側の賃金政策の基本として強調される。〈中期的な費用と収益の予想を立て、自社の労務構成〉や〈必要となる人員〉を勘案し、〈支給可能な総額人件費を算出〉せよという。端的にいえば、人件費の変動費化、賃下げ・人減らしが自由にできる雇用・賃金制度でつねに利益を出せるようにするということだ。所定内給与の水準や決め方、子ども手当の支給、協会けんぽ保険料の引上げ、時間外割増賃金率の引上げなど、人件費の固定化、増大・削減に関わる要素をこまごまと数え上げる。賃下げ(家族手当の廃止など)を押し付ける布石としたいのだろう。

 2)〈2.労使交渉・協議に向けた基本的考え方〉では、まず〈賃金より雇用重視〉が提起されるが、歯切れ悪く弁解から始まる。〈リーマン・ショック発生の当初は、雇用調整のスピードの速さを問題視する声があったが〉、09年版の労働経済白書も、今回は、過去に比べ雇用維持の努力がみられ、労働投入量の削減を労働時間の短縮で進める動きが顕著だったと分析していると書く(p65)。しかし、すぐその後にある〈正規労働者では抑制されているものの、非正規労働者においては集中的に表れており、非正規労働者も含めた雇用維持の取組が期待される〉との白書の指摘には触れようとしない。電機、自動車などの名だたる大企業が、売り上げ減の予測とともに、競うようにして多数の非正規労働者を年末の寒空に住居をも奪って放り出した事実は消しようがない(09年5月時点で21万6千余人。その半数近くは契約期間内の違法解雇)。報告は、モノ扱いの非正規労働者など眼中にないようである。

 3)弁解に続き、報告は、〈企業が雇用を大切にする〉ことの重要性を一般論として説くが、それを打ち消すようにこう指摘する。〈需要の大幅な回復がないなかで雇用確保を長期に継続することは、企業競争力の低下をもたらしかねない。これまでも多くの企業が時間外労働の削減・抑制、一時帰休、無給の休日などの措置を実施してきたが、…賃金減額の効果を持つ、これらの措置をさらに活用していくことも検討に値〉すると(p65、66)。需要の低迷に賃下げ=需要削減で対処すればデフレスパイラルは深刻化する。

 4)報告は、「減少した労働時間をもとの長時間労働に戻さないよう」求める動きに、それは〈あくまでも生産性の向上を前提にした〉話だと水をさす。また、非正規労働の正規労働者との均等待遇確立は世界の流れだが、報告は、これを回避しようと、雇用形態による差別を禁じた「同一価値労働・同一賃金」「同一労働・同一賃金」原則に対する特異な解釈を持ち出す。報告によれば、同一価値労働とは〈将来的な人材活用の要素も考慮して、企業に同一価値をもたらすことが期待できる労働(中長期的に判断されるもの)〉である。また〈外見上同じように見える職務内容〉でも〈人によって熟練度や責任、見込まれる役割〉が違うから〈同一賃金〉ではかえって不公正だという(p67)。こんな主観的恣意的定義が国際社会で認められるはずはない。しかも、〈自社の実態に即した〉〈あくまでも総額人件費管理〉の観点でという二重のハードルを置く。〈同一価値労働・同一賃金〉を認めるように装いながら実は全面拒否するに等しい。

 5)以上をふまえて、報告は、〈今次労使交渉・協議ではベース・アップは困難と判断する企業が多いものと見込まれる〉と、自己の責任を回避する表現でベアを否定し、〈賃金カーブを維持するかどうかについても、実態に応じた話し合いを行う必要がある〉と賃下げに踏み込む(p68)。生活費の大きな部分を占める一時金についても、昨年同様の厳しい結果を予測する。「賃金より雇用重視」の看板が、賃金水準の維持や非正規労働者の賃金底上げという控えめな要求さえ拒否し、所定内給与の水準、定昇や賃金カーブの見直し(賃下げ)をも合理化する口実であることは明らかである。

 「賃上げも雇用も」の要求を実現する原資(巨額の内部留保)は十分にある。報告は内部留保とは〈会計上の概念〉で〈現金・預金などの形で手元に保有されているわけでは〉ないとして、内部留保の社会への還元を求める要求に反論する。しかし、有価証券への投資など換金性の内部留保だけでも巨額になる。株主配当の維持には内部留保をあてても、労働者の賃金や雇用にあてないという姿勢が問題なのである。

 6)賃労働において賃金と雇用は切り離せない。人並みの生活ができる賃金が支払われる安定した雇用こそが「雇用」の名に値する。それは、憲法25条の「健康で文化的な生活」、労基法第1条の「人たるに値する生活の必要」に明らかな労働者・国民の権利である。それはまた、ILOが21世紀の戦略課題とするディーセントワークの要件8でもある。しかし日本では、雇用の場があれば「生計を維持できず、いつ解雇されるかわからない」ものでもないよりはましという雇用観がまだある。「賃金より雇用」という考え方は、現実には、こうした人間の尊厳を欠落させた雇用観の許容によって、成り立つのだということを押さえておきたい。

 欧州の労働運動では「賃上げも雇用も」は議論の余地のない原則である。EU労連の今次協約闘争の共同要求は、〈(1)工場閉鎖と解雇の回避と安定雇用、(2)実質賃金の大幅引き上げと所得援助を目的とした積極的な賃金政策。安定した所得によってのみEU域内需要は安定、デフレの危険を除去できる〉を掲げる(以下4項目を略)。ドイツ最大の公務員労組委員長は「日本が1990年代に経験した失敗(賃金水準が何年にもわたり下降を続け、デフレ危機に陥る)を避けねばならない」と強調している(前出『経済』p10〜11)。


8 厚労省もこう解説する。〈ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)とは、人々が働きながら生活している間に抱く願望、すなわち、/(1)働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること/(2)労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること/(3)家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティーネットが確保され、自己の鍛錬もできること/(4)公正な扱い、男女平等な扱いを受けること〉。JMIUがたたかいの中から生み出した「雇用保障」は次の4つを要件とする。(1)一方的に解雇されない、(2)知識、経験、技能・技術が生かされる雇用、(3)家庭や地域生活との両立、(4)労働条件の向上努力義務。

5.経労委報告の処方に従えば、日本経済も企業経営も破綻する

 1)報告は〈第3章 将来の成長に向けた取り組み〉で、〈1.人材力の強化〉〈2.中小企業の競争力の強化〉〈3.地域経済の活性化と域内連携〉を重視する。いずれもテーマそれ自体は賛同できるものである。個々にはもっともな指摘もあるが、90年台半ば以降の「新時代の『日本的経営』」政策が企業のトップから管理監督層、第一線の現場労働者に至るまでの「ヒトの力」を衰弱させ、企業の活力を破壊してきたこと、〈国際競争に勝つために〉と〈輸出型大企業〉の強化・支援に特化して、日本経済の宝である中小企業をいためつけ、農林漁業や地域経済の衰退をもとらしたこと、この根本にメスを入れるという姿勢は全くみられない。

 2)同じ経労委報告でも、以前には、ある程度踏み込んだ指摘もあった。04年版は、〈ここ1年間…工場での大規模な事故が頻発している〉とし、これを〈「現場力」、すなわち現場の人材力の低下の反映〉ととらえた。そのうえで〈一連の事故は、高度な技能や知的熟練をもつ現場の人材の減少、過度の成果志向による従業員への圧力が原因〉との指摘や、〈長期雇用慣行や雇用維持…努力が乏しい〉との批判を想起して、〈現場力を高めるには、報酬や懲罰では不十分であり、経営幹部の意識改革なしには、問題の根本的解決はありえない〉〈雇用と労働条件に対する安心感、仕事に対する充実感や組織に対する帰属意識を涵養すること〉などが必要だと書いた。1年後の05年版は、〈今日においても状況は改善されているとはいい難い〉と嘆き、原因として(1)関係者間のコミュニケーション不足、(2)若年採用の減少や有期雇用の増加などによる技能移転の停滞、(3)高い技能や知的熟練をもった人材の定年や人員削減による減少に触れた。また〈日本の企業の競争力を支えているのは現場の従業員である。…従業員は職場での経験を通じて技術・技能を高めていくが、この知的熟練の向上を支えるのは、マニュアル化するには困難な、いわばアナログ的な能力、もしくは暗黙知である〉〈「現場力」は一朝一夕に成るものではない。雇用と労働条件を長期的に安定させてこそ、安心して、時間をかけて、能力・意欲の向上にとりくむことができる〉と反省の弁を記した。

 3)この種の指摘は、06年版の報告あたりからトーンを低め、最近ではほとんど見られなくなった。状況はいまも改善されていない。むしろ悪化している。財界トップにおける、統治・支配層としての資質の衰弱・放棄の表れをそこに見たい。破局に向かいつつあることを感知しながら、その現実からあえて目をふさぎ、目先の利益に心を奪われ、「あとは野となれ山となれ」と破局に突き進む。それが資本の本性なのだろう。牧野氏の指摘を借りて結びとする。

 〈では、どうするか。団結した労働者の力で財界・大企業を動かすしかない。これが日本経済を回復させる方途であり、こうした運動には国民的な支持を得られる必然性がある。政権交代という新たな情勢も生かし運動を強め、2010年春闘を大きく前進させようではないか〉(「しんぶん赤旗」10.1.27)。

(こばやし ひろやす・常任理事)