労働総研ニュース:No.238・239 2010年1・2月



目   次

年頭にあたって
労働総研設立20周年記念シンポジウム
記念レセプション開催他




年頭にあたって

変化の「可能性」から、変化を「現実」のものに

──問われる労働者・国民のたたかい──

2010年1月
労働運動総合研究所
代表理事 大木 一訓
代表理事 熊谷 金道
代表理事 牧野 富夫
事務局長 大須 眞治

国民の力が新たな政治情勢を

 昨年夏の総選挙結果はマスコミの予測をも超える民主党の躍進で、自民党・公明党を政権の座から引きずりおろした。しかし、郵政民営化を国民に問うとして05年9月に強行された国会解散・総選挙では、旧来型の利権政治や社会的閉塞感打破への小泉政権への「期待」から与党が圧勝し、民主党は大幅に議席を減らしていた。二つの総選挙に示された国民の投票行動激変の背景には、自公政権が露骨に推し進めた新自由主義的な「構造改革」、規制緩和・民活が労働諸法制や社会保障を連続的に改悪、「貧困と格差」をより深刻に拡大したことへの労働者や国民の不安や不満・怒りが反映していることは間違いない。同時に重要なことは、その背景には郵政選挙で小泉政権に大きな支持を与えた多くの労働者・国民に対して、「構造改革」と規制緩和・民活がいかに労働者・国民犠牲の悪政であるのかを具体的に明らかにし、国民的な大衆行動を粘り強く展開してきた全労連や広範な民主勢力、「自立支援法」に反対する障害者団体、「後期高齢者医療制度」に反対する高齢者等々の運動があったことである。なかでも、一昨年暮れから年明けにかけてマスコミでも大々的に取り上げられ、政府をも揺り動かした「日比谷派遣村」の運動は、派遣労働者を使い捨ての消耗品扱いする自動車・電機など大企業の横暴とこれを可能とする派遣法の改悪を推し進めた自公政権の悪政ぶりを国民の誰の目にも分かりやすく理解できるように可視化させた。労働者・国民のたたかいの力こそが新たな政治状況をつくりだしたのである。

決定的な弱点も内包する民主党

 民主党は、労働者派遣法や雇用保険制度の改正をはじめ、「子ども手当」「高校無償化」「後期高齢者医療制度廃止」「農家への戸別補償制度」等々をマニフェストに掲げて政権を獲得した。それだけに今日の政治情勢は、労働者・国民の切実な要求を前進させるうえでの大きなチャンスともいえる。しかし、民主党はわが国の政治を根本から転換させるうえでの決定的な弱点を内に抱えている。第一の問題は、民主党が日米安保体制を容認、この枠組み重視を前提とした外交路線を基本としていることである。鳩山首相の「米軍基地は抑止力として必要」との発言はその姿勢を明確に示している。これでは沖縄県民の「基地撤去」の切実な願いにこたえられず「普天間基地」問題が迷走するのも当然である。また、民主党は安保体制50年の節目にあたり、同盟関係の「地球規模」での「深化」にむけて「新宣言」を日米政府でだそうとしている。第二の問題は、民主党は財界・大企業の横暴と真正面から対決できないということである。その背景には、労資協調の連合を最大の支持母体に大企業労組出身議員を多く抱え、民主党自身も財界からの政治献金を期待していることがある。政権交代後の税制改革で大企業優遇税制が温存され、財界が反対する労働者派遣法改正のマニフェストより後退した法案化や企業・団体献金禁止法案の国会上程見送りなどにその一端があらわれている。これら二つの問題は、わが国の戦後政治の根幹に位置している問題であり、国政の革新的転換に向けての試金石でもある。

変化を「活かす」国民的運動を

 したがって、民主党政権の誕生という政治的な「変化」を労働者・国民の要求を前進させるチャンスとして「活かす」ためには、全労連をはじめとした自覚的民主勢力の役割が決定的に重要になっている。当面する春闘では、人減らし「合理化」をやめさせ、生活できる賃上げ、労働者派遣法の抜本改正、最低賃金「1000円」を実現することなどが切実な課題となっている。雇用確保や労働時間短縮、賃上げ・下請け単価引き上げなどで大企業の膨大な内部留保を労働者・国民、下請け業者などに還元させること、その重要性を社会的世論として拡大する国民的大運動の展開が不可欠となっている。なかでも、「資本からの独立」を掲げ、「トヨタ総行動」をはじめ大企業の横暴と一貫してたたかってきた全労連の果たすべき役割は重要である。労働総研としても引き続き具体的な政策提言などでサポートすることが求められている。反核・平和の問題でも今年は重要な年になろうとしている。5月のNPT再検討会議で「核兵器廃絶」の具体的展望に近づくことができるのか、5月までに政府見解をまとめるとされている「普天間」問題の解決等々である。その先には参議院選挙が予定され、結果如何では政界再編など更なる政治情勢の激変が起こる可能性がある。

 全労連と労働総研の結成から20年、激動の可能性を含んだ政治状況を労働者・国民を大切にする政治革新の展望につなげるため、労働者・労働組合と研究者が力をあわせて奮闘することが求められている。労働総研は昨年、創立20周年を記念するシンポジウムを「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」と題して実施した。本年はここに示された課題を具体的に実現していく施策の構築に、労働総研として最大限力を注いでいくことを決意する。

労働総研設立20周年記念シンポジウム

 人間的な労働と生活の新たな構築をめざして

2009年12月19日・全労連会館

主催者あいさつ
大須 眞治(労働総研事務局長)

 本日は、お忙しい中、労働総研設立20周年記念シンポジウムに参加いただき、ありがとうございます。労働総研(労働運動総合研究所)は、1989年11月に新しく誕生したナショナルセンターである全国労働組合総連合(全労連)との緊密な共同のもとに、「労働運動の必要に応え、その前進に理論的実践的に役立つ」調査政策活動をすすめるものとして、1989年12月に設立されました。

 設立以来の20年間は、決して平坦な道ではありませんでした。しかし、資金的にも人材的にも充分でない状況の下で研究活動を続けてくることができましたのは、活動の方向を行動で示し、また財政的な支援もいただきました労働組合の皆さん、そして、労働総研のために手弁当で協力いただきました全国の研究者、研究諸団体の方々のおかげであります。本当にありがとうございます。

 さっそく、20周年記念シンポジウム「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」を開催させていただきます。このテーマは、労働総研の研究所プロジェクトとして、この間、研究を積み重ねてきたものですが、今日のシンポジウムを機会にさらに研究を大きく発展させていきたいと考えています。シンポジウムのコーディネーターは、このプロジェクトの責任者である牧野富夫代表理事にお願いします。牧野先生、よろしくお願いいたします。

コーディネーターあいさつ
牧野 富夫(労働総研代表理事)

 このところ毎年餓死で亡くなる人が100人近くに上っています。よその国の話ではありません。この国の話です。また経済生活が原因の自殺者が7000人を超えているという数字もあります。雇用破壊、賃金破壊などという言葉はもういやというほど聞かされています。こうした流れは、1990年代の半ばあたりから強くなり、今世紀に入っての小泉「構造改革」によって拍車がかけられてきました。

 今日のシンポのテーマは「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」です。人間的な労働と生活ができるための最低限の条件を集約すると、次の3つが揃っていないことにはどうしようもないと言えます。1つ目は経済的なゆとり。雇用がちゃんとしていて、賃金も生活できるレベルにあることが必要です。2つ目に、時間的なゆとりです。3つ目は心身の健康です。この3つの条件が3つとも大きく脅かされているのが日本の現状です。

 まず、そうした労働者をめぐる大変な現状を明らかにしなければなりません。この問題を柴田外志明さんにお願いしたい、柴田さんはダイハツを先月リタイヤされ、いまは「ダイハツ雇用問題を考える会」で活躍されています。

 日本の現実との比較のお話となりますが、私たちはヨーロッパの労働条件がどうなっているかは活字で見ることがありますが、日常の生活や働き方がどうなっているのかを知る機会はあまりありません。その点について、ジャニック・マーニュ共立女子大学教授にお話していただきます。マーニュ先生のご専門は演劇論、文化論ですから、日本と比較しながら、フランスの日常の様子をリアルにお話していただきたい。

 次に、日本はなぜ、こうしたいやな社会になったのか、この問題を山家悠紀夫先生に解明していただきます。先生は前神戸大学の教授であられた方です。

 今日のシンポジウムは労働総研主催ですから、この問題を解決するためにはどうしたらいいのかということが3つ目の大きな柱になります。まさに「新たな構築をめざして」に関わるところであります。ここは申すまでもなく全労連の小田川義和事務局長にお話をいただきます。また、山家先生にも、経済学者の視点から、この問題の打開の政策的方向についてもご発言をいただきます。

 パネリストの方には、最初に第1発言をしていただき、これを受けて参加いただいたフロアの方からの感想、意見を出してもらい、パネリストの方の第2発言をしていただくという形で進行したいと思います。ではまず、柴田さんから第1発言をお願いいたします。

トヨタ式労務管理下の労働現場
柴田外志明(ダイハツ雇用問題を考える会)

 ダイハツは大阪の池田市に本社があります。株の52%をトヨタが握っているトヨタの子会社で、トヨタ式生産が染み付いている職場です。私は、自動車生産現場で起こっている実態についてお話しします。

 最初は、ダイハツにおける新たな戦略であるSSC化の問題です。SSCとはシンプル、スリム、コンパクトの頭文字をとったもので、仕事量を変えずに人・物・金の投資を半減化するという狙いを持ったものです。

 昨年からの世界経済危機が、外需依存の高い日本の大企業を直撃しています。

 この経済危機が勃発した直後、当時のトヨタ自動車の渡辺社長は「外部の大変厳しい環境、それはまさに企業を強くする、神が与えてくれた絶好の踊り場という風に考えたいと思っております」といい、ダイハツの社長は今年の年頭挨拶で「昨今の急激な変化を『変革へのチャンス』と捉えていただきたい」と述べています。

 日本の大企業は、世界経済危機をチャンスにして乾いた雑巾をさらに絞るというやり方で一層のスリム化を図り、大もうけをつづけようとしているのだと思います。ダイハツでその象徴として行われているのがこのSSC化です。

 SSC化はまず生産部門で取り組まれました。生産量はこれまでと同じで、生産工場規模や設備投資を1/2にするということを目的した究極の大「合理化」です。ダイハツの子会社・ダイハツ九州の第2工場で最初に具体化されました。すでに稼動しているダイハツ九州の第1工場の生産規模は年間23万台ですが、この第2工場はこれと同じ生産を建屋面積で約50%、設備投資額で約60%に抑えて現在稼動させています。

 ダイハツでは生産の集約化の中で既存の工場もこのSSC化を始めています。本社のある大阪池田市の工場では、現在2つの工場を1つに集約し、余剰になった労働者を非正規切りと正社員の滋賀工場への配転というリストラ攻撃がかけられています。池田工場では09年1月に在籍している労働者約2500人を2010年10月時点で1000人削減する計画です。

 SSC化の手法が、生産部門だけでなく、「企業生き残り」の手段として全労働者に毎日押し付けられています。そのひとつに、09年1月から事務技術部門の残業ゼロ化があります。人員削減の中で個人の仕事量は増えている中での残業ゼロです。労働者を超過密労働、あるいは仕事の持ち帰りなどのサービス残業で労働苦と生活苦に追い詰めているのが実態です。肉体的精神的に疲れ果て職場ではメンタルヘルスが大きな問題になっています。

 さらに、管理職の成績評価の1つに労働者を何人減らしたかを新たに加えて職場の人減らしを加速させています。ある設計部門では仕事量が増える中で、非正規社員を半減するという方針を立てています。総額人件費の徹底した削減です。

 さらに今ダイハツでは「グローバルな低コスト、低燃費化の競争に生き残るため、抜本的なコスト構造改革に向けた調達活動を行う」として、製造原価の大きなウエートを占める購入部品のコスト削減が展開されています。目標は30%のコスト低減です。これまでの下請け単価の切り下げで多くの犠牲を下請け部品メーカーに押し付けてきた大企業の横暴が、今一段とエスカレートしています。

 次に非正規労働者の問題です。ダイハツでは09年春に600人の首切りが行われました。SSC化と経済危機を理由にした大量の非正規切りです。大企業の内部留保は経済危機の下でもそれほど減っていません。ダイハツでもほぼ昨年並みです。非正規切りは、まさに好景気の時には安い賃金で大儲けをし、景気が悪くなると簡単に切り捨てるという、大企業の横暴をしめすものであり、許すことはできません。

 ダイハツで働く非正規労働者は直接雇用の期間社員とパート、それに派遣社員です。事務技術部門では派遣とパートの労働者です。事務技術部門の派遣社員はそのほとんどが派遣法でいう専門業務の人達で期間の定めのない派遣労働者ですが、技術部門では10年以上派遣されている労働者も少なくありません。中には開発プロジェクトの中心的な役割を果たしている派遣社員もいます。正社員になっている人もわずかにいますが、大半は派遣のままで働いています。派遣法では派遣先企業であるダイハツに期間の定めのない派遣労働者でも勤続3年以上の労働者への直接雇用を申し入れる義務が課せられていますが、ダイハツはこの義務を全く果たしていないのが実態です。派遣社員の契約期間は2〜3年前までは大体1年契約でした。しかしここ1年くらいで6ヶ月になり、今では3ヶ月になっています。

 非正規社員の増加がリコール問題の唯一の原因とは考えられませんが、1999年の労働者派遣の原則自由化を決めた派遣法改悪以来、国内の自動車メーカーのリコール台数は増加の傾向にあります。1999年のリコール台数は国全体で162万台、これに対し去年2008年の国産車のリコール台数が507万台ですから約3倍です。

 このリコールの原因は約55%が設計の問題で、製造が原因だと言われるのが約45%だという統計もありますが、この開発段階から製造に至る品質問題は最終的にそこで働く労働者の手に委ねられており、企業が人を育てていくという所以もここにあると思います。リコール問題で企業が支払うお金は、ダイハツだけでも年間約100億円前後になっています。設計部門でも製造部門でも多くの非正規労働者が働いていますが、雇用と生活の不安を抱えながら働く非正規労働では、安心して生産に携わることはできません。だからこそ非正規雇用をなくし、正規雇用にしてこそ問題の本質的な解決が望めるものだと私たちは考えて活動を進めています。

フランスの労働者家庭とその生活
ジャニック・マーニュ(共立女子大学教授)

 私は大学ではフランス語を教えています。またフランスの文化などを教えています。今日はフランスの社会や家族についてお話したいと思います。

 フランスと日本の社会を比べて、一番感じることは、日本よりもフランスの方が家族を大切にするということです。

 毎日の生活を見ても、例えば、毎日家族がそろって食事をします。特に、夕食はお父さんとお母さんと子どもがそろって一緒に食べます。また、日曜日には家族一緒に外出して公園で遊ぶとか、できるだけみんな一緒に行動するようにしています。特に、子どもが小さい時には、家族そろって行動することをとても大事にします。私はちょっとびっくりしましたが、日本ではお父さんたちは夜遅くまで帰ってこないことが多いし、お母さんたちも子どもがいても会社で仕事を遅くまでやっています。フランス人から見ると、それはちょっと寂しいことだと思います。

 フランス人は今、ある問題について情熱的に話をしています。それは日曜日に仕事をするか、しないかということです。最近、フランスの新しい政府は、フランス人も日本やアメリカのようにできるだけ日曜日にも仕事をしてほしいといっています。しかし、反対する人が非常に多い。なぜかと言えば日曜日はやはり家族のための日だからです。日曜日にお店がやっていると、家族と一緒にゆっくり休む時間がなくなるということを心配しているのです。ヨーロッパには、そういう考えの国が多く、例えば、スイスやドイツでも日曜日にはほとんど誰も働きません。土曜日の夜と日曜日は、家族のための時間だから、それを守らなくてはいけないという考えがあるからです。

 フランスでは女性の約6割が働いています。しかし、子どもが幼少期の間は、しばらく仕事をしない方がいいと思うお母さんが最近は増えてきました。それは、保育園や幼稚園が足りないということだけではなく、幼少期の子どもとお母さんは、半年や1年間あるいは2年間は一緒にいた方がいいという考え方が増えてきたからです。ドイツでもそうです。ヨーロッパの他の国では、そうした考え方が多かったのですが、もしかするとEUになってから、他の国にはあることがフランスでも一般的な考え方として広がったのかもしれません。幼稚園や保育に関しては後でもう少しお話します。

 もう1つ、フランスは社会的に日本と大きく違うことがあります。フランスでは離婚が多く、また結婚せずに子どもを産む人もかなりいます。フランスでは結婚していない両親から生まれる子どもの割合は52%です。パリ郊外だともっと高くて75%くらいいます。

 両親が入籍していなくても、結婚したのと同じように暮らして一緒に子どもを育てます。数字で見ると、本当の両親と一緒に暮らしている子どもは75%。離婚して片方の親と一緒に暮らしている子どもが16%で、大体はお母さんと暮らしていますが、たまにお父さんと一緒の子どももいます。親が離婚後に再婚し、一緒に暮らしている子どもは9%います。日本ではちょっと考えられないことです。

 離婚や再婚をしている親が非常に多いので、それも毎日の生活に影響があります。例えば、フランスでは両親が離婚しても、必ずどちらの親も続けて子どもに会います。日本だと離婚すれば子どもは大体お母さんと暮らし、お父さんに会わないことが多い。フランスでは離婚しても、子どもは、週末や休みの期間を利用して、一緒に暮らしていない方の親のところに必ず行きます。だから、フランス人の子どもは日本人の子どもと比べると旅行を多くします。それが子どもには面白いことなのだと思います。とにかくフランスの子どもは自立してよく移動し、旅行をします。

 そしてもう1つ、フランスは日本と全く違うことがあります。フランスの人口は今6300万人位です。今フランスには外国人が360万人います。国籍がフランスではない人です。他に移民として、フランスに来て国籍がフランスになった人が400万人います。全部合わせて760万人で、フランスの人口の12%は外国人、または外国人だった人で占められています。

 ですから、フランスには文化がいろいろあります、宗教もいろいろあります。それぞれの文化を守りながら生活します。だから家族の中での人間関係も違います。例えば北アフリカのイスラム教の家族だと、カトリックのフランス人とは違う考え方で違う生き方をします。しかし、それでもフランスでは、外国人でも、移民ではない100%フランス人でも家族を大事にします。

 フランスにも学校給食がありますが、日本とはやり方が違います。いろいろな宗教のフランス人がいるので、イスラム教では豚肉を食べてはいけないとか、アジアから来る人が信仰する仏教では、ベジタリアンとかお肉を食べてはいけないなどの戒律があります。そういう子どもたちのために食事を作らないといけません。

 2年位前のことですが、私が教えている学生がフランスの学校や保育園について調査し、論文を書きたいというので、一緒にフランスに行って小学校などを見に行きました。その時に子どもたちと一緒に食事をしましたが、私の小学校の時と違うと思ったことがありました。それはフランスの食べ物に慣れていない子どもたちに、慣れるためにできるだけ少しずつ食べさせる。先生は「今日は少しだけ、味見だけでいいですから食べなさい」というように、優しくゆっくり食べ方を教えていました。それはすばらしいことだと思いました。それはいろいろな文化をよく理解することになります。

 他に休みについてもお話したかったのですが、時間がなくなりました。あとで質問がありましたら、その時に答えます。

働くルールの確立と日本経済
山家悠紀夫(暮らしと経済研究室主宰)

 最初に、日本の労働者の生活にかかわるデータをみてみましょう。今マーニュ先生のお話にありましたが、ご参考までに男性がいつ家へ帰るかという日本の統計を見ます。夕方の6時までに家に帰る男性は日本では6.8%、100人のうち7人くらいです。フランスでは33.9%ですから3人に1人は6時に帰ります。これを7時まで拡大しますとフランスは50%を越えます。7時に帰ればご家族で食事ができます。日本は7時まで拡大しても22%です。日本で一番多い帰宅時間帯は8時以降で61%です。そのうち30%は10時以降です。ですから、子どもと一緒に食事をすることができないのも当然です。

 日本の労働環境は戦後ずっと厳しかったのですが、それが悪い方向にさらに動いたのが90年代の半ば以降です。

 この10年で正社員が400万人ほど減り、派遣やパートなどの非正規社員が600万人も増えている。それから低所得の人、ワーキングプアの人が猛然と増えている。年収200万円以下という人がすでに1000万人を超えるという状況が生まれています。また、労働者の平均賃金も10年で1割くらい下がっています。有給休暇の取得率が下がり、取得日数も減っています。そういう大きな変化が起こっています。

 これは構造改革の影響であると私は見ています。1996年に橋本内閣が誕生し、96年から97年にかけて6大改革という構造改革を実施しました。構造改革は、その後2001年からの小泉内閣、それ以降の内閣に引き継がれ、本格的に実施されました。

 構造改革とは何かということですが、4つの特徴があると思います。

 1つ目は、日本でバブルが弾けて景気が非常に悪くなった1990年代半ば頃、「日本経済を良くするためには構造改革が必要だ」と言う人が出てきたという流れがあります。構造改革は、日本経済を活性化する、良くするために必要な政策であるという名目で実施されてきました。

 その「論理」は、「日本経済が長期の低迷を続けているのは構造が悪いためである」「企業が商売をしても儲からない構造になっている、儲からないから企業がやる気をなくしている、だから日本の景気は良くならない」という説明です。「企業が儲かるような経済構造に日本経済を変えていく。そうすれば企業が元気になって活発に活動をし始め日本の景気も良くなる」というのです。

 基本的な認識が間違っています。90年代半ば、企業が儲からなかったのは事実ですが、その理由はバブルの後で需要が落ち込んでいたからです。株や地価も大幅に下がり、バブル期に多くの投資や買い物をしたことの反動があって全体に経済活動が沈んでいた。需要面の対策こそが大切だったのです。ところが、需要でなく、供給の側の企業が問題だ、構造面で儲かるようにしなくてはいけないという政策をとった。結果として企業はとても儲かるようになりました。企業が儲けを働く人から奪う、あるいは大企業が中小企業から奪って自分たちの儲けを増やした。そういう構造をつくり出すことには成功しました。大企業がたくさん儲けてもそれを内部留保という形で残し、日本経済を活性化する方向には使わなかった。それでは日本経済はいっこうに良くならない。暮らしも良くならない。

 2つ目は、1980年代にアメリカのレーガンやイギリスのサッチャー政権のおこなった新自由主義的改革を、そのまままねをして日本でとりいれた政策だということです。新自由主義的改革自体に大きな問題がありますが、1980年代にアメリカやイギリスがやった新自由主義的改革は、インフレに対処するという大きな意味がありました。1980年代はインフレをまず抑えなくてはいけない状況にあったのです。インフレを抑えるために、働く人の賃金を抑えるなど、労働者にしわ寄せをしたという問題はありますが、それでもインフレを抑えるためには一面ではある程度理由のある改革でした。

 ところが1990年代半ばの日本の経済の状態はインフレではなくデフレなのです。物価が上がらなくて困っていた。そのデフレの日本経済にインフレの対処をしたアメリカやイギリスの政策を持ってきた。それによってデフレの下で賃金がさらに下がり、日本経済はとても厳しい状況になった。そういう間違いもありました。

 3つ目は、アメリカの要望を受けての改革だったということです。アメリカは毎年構造改革要望書を日本政府に出しています。アメリカの商品が日本に自由に入ってこられるように、あるいはアメリカの資本が日本にどんどん進出できるように、それにふさわしい経済構造に日本経済を変えてくれというもので、労働市場の規制緩和、金融ビッグバン、郵貯の民営化をはじめとして、100〜200項目くらいの要望を毎年出しています。それを受けて歴代の内閣が実施してきた、そういう構造改革であったと言えるでしょう。

 4つ目に、財界の要望を受けての改革だということです。1996年初め、経団連は、財界戦略・豊田ビジョンを発表しました。当時の経団連会長の豊田さんの名前を取った文書です。これには「政府は日本経済の構造改革をすべきである」として、規制の緩和と小さな政府をめざすべきという方向が打ち出され、それがそのまま構造改革の政策になりました。

 構造改革の政策の大きな柱は規制緩和で、特に労働市場の規制緩和が行われた。労働基準法を3回にわたり改正しました。派遣法も大幅に規制緩和していつでも首を切ることができ、しかも低賃金で雇うことができるという雇用を拡大させる道を開いた。その過程で働く人の生活に非常に厳しい変化が起こりました。

 99年から2000年にかけて、また2002年から2007年くらいまで、ある程度日本の景気が良くなりました。とはいえ、その中身をみると、企業の利益は倍くらいになったが賃金は下がったまま上がらないという状況が生まれ、労働分配率が大きく低下しました。

 賃金が上がらないわけですから、消費が増えなかったのは当然です。この10年ほどの国内の需要総額は1997年のレベルとほとんど変わりません。1997年からいっこうに国内の売上げは増えなかった。国内で商売をしている主に中小企業、小売や宿泊業、飲食業、あるいは運輸や建設業には大変な不景気が延々と続いているという状態になっています。結果として、日本経済は輸出依存型の経済になり、景気が良くなるためには輸出が伸びるしかないという経済に変えてしまった。

 そういう経済構造を10年かけて作り上げてきたところにサブプライムショックです。アメリカ、中国あるいはヨーロッパが日本から物を買わなくなり、日本の輸出が大きく落ち込み、たちまち大変な不景気になってしまったのです。そういう不景気が到来すると、大変な数の非正社員の人達は首を切られる、あるいは首を切られるという不安に毎日脅かされている。また低所得の人は職を失えばたちまち暮らしに困ってしまい、住む家もないということが起こっているのです。

 そういう人たちを救うのが社会保障制度なのですが、10年間の小さな政府政策の下で社会保障はずい分スリムになってしまっていました。年金は当てにならない、医療保険もかつて1割であった負担が構造改革後は3割負担に変わり、失業保険も失業者のわずか2割から3割の人しかカバーできないという状況になっているのです。

 景気を回復させることと、不景気の中で生活に困っている人を助けるということが課題になっていますが、それをするためには構造改革がやってきた政策を一つ一つ丹念に否定していく、構造改革と反対の方向に向けて社会を変えていく必要があります。

 たとえば、構造改革が一番壊したのは労働環境ですから、最低賃金の引き上げ、非正規雇用に対する規制の強化、非正規の正社員化、残業規制の強化など、労働環境を大幅に改善することが必要です。大企業の中にため込まれた内部留保を労働環境を抜本的に改善するために、社会的に活用していくことが、暮らしをよくするためにも日本経済をよくするためにも必要だと思います。

労働組合の課題とたたかいの展望
小田川義和(全労連事務局長)

 取り組みの課題を考えるうえで、1つ目に眼を向けたいのは、構造改革が私たちの労働や生活の改善につながるかのような「ごまかし」が効かなくなってきているのではないか、という変化です。

 例えば労働時間です。1987年に時短元年ということで新前川リポートが出され、労働時間を1800時間にすることが国際公約とされました。1992年には宮沢内閣によって生活大国5ヵ年計画が出され、ここでも1800時間を目標に掲げました。

 その一方で、1987年の労働基準法「改正」で同時に変形労働時間制が導入され、労働時間の弾力化が開始されました。また、2000年の労働基準法改悪では、企画業務への裁量労働制の拡大で労働時間の弾力化が加速されました。この結果、見かけ上の総実労働時間は減ってはいますが、正規労働者での長時間過密労働は深刻化するという二極化が進みました。

 雇用でも、2001年に「骨太方針2001」が出され、5年間で530万人の雇用創出を政府が掲げた直後に規制緩和=弾力化が行われています。有期雇用契約の期間延長、製造業派遣の解禁という内容です。これも契機に、雇用は、正規でなく非正規での流れが加速したことは記憶に新しいところです。

 90年代後半から、少子高齢化による労働力減少に対処する目的も持って、男女雇用機会均等法やパートタイム労働法などの「改正」がおこなわれました。それと軌を一つにして社会保障の改悪が進みました。「福祉から就労へ」は先進国に共通する流れですが、例えば生活保護の母子加算廃止にまで行き着くような社会保障解体の意図をともなっていたことを、いま知るわけです。

 こうしたごまかしの手法も駆使して進められた構造改革が、労働者の雇用、生活を深刻な事態に追いやったことは明らかです。

 この間、私どもは繰り返し警鐘を鳴らし続けてきましたが、残念ながら構造改革の流れを止めることはもとより、その足を緩めさせることにもならず、状況は悪化し続けてきましたが、ごまかしと現状の深刻さに気づいた国民の選択は、09年8月の総選挙での自公政権に厳しい審判となりました。これも契機にした変化が出始めている、私は、ここに「人間的な労働と生活の構築」実現の展望を見出していきたいと思います。

 2つ目は、取り組みの課題ともかかわって、この間、変化をしているものと変化をしていないものがあることに留意したいと思います。

 変化をしていないものは、例えば俗にM字型カーブと言われる女性の就労状況です。1987年の高卒女性の有業率で1番低いところが49.1%でした。2007年には62.8%で改善はしてきていますが、30代後半のところで有業率が低下をするという他の国には見られないような状況は変わっていません。男女の賃金格差が繰り返し言われていますが、2008年の40歳から45歳の所定内賃金を見ますと女性が25万1000円で男性が38万4000円(賃金センサスより)で、大体65対100という状況です。1997年との比較ではその差が2万3000円で約1割程度縮小してはいますが、依然として格差は残っています。また6歳未満のお子さんのいる男女の育児時間を見ますと、女性の家事労働時間が7時間41分、男性は48分で比較にならないほど大きな差があります。

 人間らしい労働と生活をするためには、当然、解決しなければならない課題ですが、前向きの変化どころか悪化しているものがあることを直視する必要があります。

 最も大きな変化は、労働者の貧困化や非正規労働増に見られる働き方の問題です。最近出された厚生労働省の調査による相対貧困率15.7%に示される問題や、働くものの3人に1人が非正規労働ということです。

 労働総研と全労連が協力して、首都圏での最低生計費調査をおこないました。この調査は、原則7割以上の世帯が保有している物を生活するのに最低限必要な必需品として、それを購入するのに必要な費用に公租公課を加えて最低生計費を試算しています。その試算結果での最低生計費は、年収280万円くらいになりました。このくらいないと最低限の暮らし、健康で文化的な生活とは言えないということなのです。

 しかし現実をみると、女性の平均給与は271万円でこれを下回っています。全国民の所得の中央値は228万円ですから、これも試算を下回っています。生活保護は156万円、最低賃金は現行の水準で言えば年間1800時間働いても128万円ということですから遠く及びません。しかも、実際に支払われる給与等は、年々下がっています。

 このように見ますと、変化していないものも、変化しているものも、「人間的な労働と生活」の実現とは逆の方向にむいています。逆方向に向かっているものをどう反転させるか、それが「人間的な労働と生活の構築」にむけた取り組み課題と運動を考える際のポイントではないかと考えます。

 全労連は今、安定した良質な雇用をめざすたたかいということで4つの課題を掲げて運動を進めています。

 第1は雇用の安定です。当面の課題としては、労働者派遣法の抜本的改善や有期雇用の規制であり、非正規労働の規制強化、非正規の正社員化をはかる方向に現状を変えることです。

 第2には、生活できる働き方です。先ほど話しました280万円の水準にどう近づけていくかという問題です。最低賃金の引き上げ、女性と男性の賃金格差の是正、均等待遇の実現などが、その課題です。経済的問題とともに、労働時間の規制、短縮というのも非常に重要な課題だと思っています。

 第3に、昨年来の不況の中で、その不備が明らかになった失業した時の生活の保障、「セーフティネット」の問題です。これをどう整備をしていくか、雇用保険の改善、職業訓練の拡充などの課題が重要になっています。また、高齢化社会を迎える中で、最低保障年金制度をどう実現していくかということも課題です。

 第4が可処分所得の問題とも関わってくるのですが、社会保障、医療、介護、保育、教育などの費用を社会共通の費用として国民全体でどう連帯して負担するのか、企業に応能負担を迫るのかが直面する課題です。

 この4つの課題を統一的一体的にどう取り組んでいくのか、社会的な合意作りに取り組むのかが、「人間的な労働と生活の構築」をめざす全労連としての取り組み課題です。

 そういう運動を進めていく上で、今いくつかの手がかりが見えてきているように思います。政治的な変化は先ほど申し上げました。それが一つです。

 『東洋経済』11月21日号では、国際会計基準の企画を掲載しています。新しい国際会計基準が日本で実行されると、未使用の有給休暇は人件費コストとして計上しなくてはいけなくなるのだそうです。そうなった時に、先ほど出ていたような休暇の取得率の問題はどう変わっていくのか、注目し活用したいと思います。このことに見られるように、国際基準との整合性は、これからの取り組みでも特に意識しなければなりません。企業の多国籍化が進んでいく中で公正な国際競争の条件整理ということは国際社会からも迫られることになりますから、ILO条約やEUの労働者保護規制などの国際基準も手がかりにした運動強化が2つ目の手がかりです。

 3つ目は、たたかう労働組合の影響力拡大です。先般厚生労働省が発表したように34年ぶりに労働組合の組織率が上昇しました。残念ながら全労連は組合員数を少し減らしていますが、全体では1万3000人ほど組織人員が増えました。その中心は非正規の方の加入です。全労連だけでも5000人以上の非正規労働者の加入者を増やしている状況です。労働組合に対する期待が高まっていることの表れだと思います。

 4つ目に、地球の温暖化問題のように大きな課題との関わりです。日本では不要な深夜労働がかなり蔓延している現状や、大量生産・大量消費の産業構造からは変化していかざるをえないと思います。全人類的な課題に政府も企業も、社会全体も対応せざるを得なくなることは確実であり、この点も運動を進めるうえでの手がかりだと思います。

フロアからの質問・意見を受けての討論

 コーディネーター パネリストそれぞれにお話を聞きました。しかし、まだぎょっとするような発言はなかったように思います。これからそういう発言が出されることになります。第1発言を受けて、フロアからの発言をいただいくことにします。

 シンポジウムでは、フロアからの発言を受けて、パネリストとの熱心な意見交換が行われました。ここでは、紙数の制約から、フロアからの発言の趣旨を紹介し、それにかかわるパネリストの発言を紹介することにします。

 最初のフロア発言は、「10年来の構造改革によって、社会保障の基盤が掘り崩されてきた。『人間的な労働と生活の構築』を考える場合、雇用の問題とともに、社会保障の拡充が必要であり、そのためには社会保障の財源、基盤を整備するという政策提起が必要になる」という提起でした。パネリストの山家氏がこれを受けて発言しました。

 山家 構造改革の推進によって、社会保障の基盤が掘り崩されていったというのはおっしゃる通りだと思います。

 では、今後の社会保障をどう考えるか、私は日本の社会保障をせめてドイツとかフランス並みにするというビジョンを持つ必要があると思います。スウェーデンなど北欧はもっと高い水準にありますから、まずはドイツ、フランスくらいの社会保障制度をめざして日本はこれからやっていくべきではないかという風に思います。

 日本の社会保障関係の支出は最近急増していますが、今年度の予算ベースで大体100兆円を支出しています。国民所得に対する比率は、国民所得が360兆円〜370兆円ですから30%以下です。ドイツやフランスでは国民所得に対する比率が40%近いところにあり、日本と10%くらいの開きがあります。ということはドイツ・フランス並みにするためにはあと国民所得の10%、つまり40兆円くらい増やさなくてはいけないということになります。そういう目標を立ててせめてドイツ、フランス並みの社会保障を実現しようということであと40兆円を増やしていけば、今、国民の切実な要求になっている年金の給付水準を引き上げること、医療費をタダにすること、介護の拡充や医療や介護の職場で働く人の大幅賃上げなどができると思います。

 問題は財源です。日本全体には余剰資金があります。2008年末の統計で見ますと225兆円の金が国内で使われずに余っている。将来不安があり、家計部門で1400兆円以上のお金を溜め込んでいるということもあり、国全体では余っているのです。

 その225兆円はどこに行っているかと言えば、大半はアメリカへの投資という形で、アメリカ経済と生活を支えるために貸しているわけです。この225兆円の有効活用をはかるべきでしょう。

 しかし家計でこれを使いなさいと言っても将来の不安がある。病気になった時にお金がかかるなどの理由で家計では使えない。企業に使いなさいと言っても、設備が余っていますから金利がいくら安くても企業が使うこともない。使えるのは政府だけなのです。政府の借金はきわめて多いのですが、それでもさらに借金をさせるだけの余裕が日本経済全体にはあるのです。225兆円を毎年40兆円ずつ使っていけば5年でなくなってしまいます。そこまで大それたことを考えなくて、例えば8年計画で毎年5兆円ずつ社会保障支出を増やしていき充実させていけば、7、8年は持ちます。そういう形で社会保障をどんどん充実させていく、同時にいらない支出を削っていく。軍事費などは全部で5兆円近くあります。周りの国と仲良くして軍事費が要らないという国にすれば5兆円が浮いてくる。それは同時並行的にできると思います。

 その後で何をすればいいのかと言えば、やはり国民負担を求めなくてはいけないのですが、その際には負担能力のあるところに負担してもらう。負担能力があるのは大企業です。内部留保をずい分持っていますし、毎年の利益に対する税金の負担率がどんどん下がっています。10年前の日本の黒字企業の所得合計は40兆円で、法人税は13兆円負担していました。2007年には66兆円の利益があったにもかかわらず、負担している税金は13兆円で10年間ほとんど変わっていない。大企業にきちんと負担してもらうべきでしょう。

 それから高額所得者に相応の負担をしてもらう。住民税所得税の最高税率は20年前が88%、10年前が65%、今は50%です。これをせめて15%上げて65%にすれば1、2兆円の財源が生まれます。それからもう1つは資産所得です。株の売買や配当所得に対する税率も10%というとても安い税金になっています。これをもっと妥当な水準にする。

 そういう形で不公平をならしていって次の財源にする。それでもまだ足らない場合には一般国民、我々の負担の必要があると思うのですが、その際には負担能力は充分に出てくると思います。つまり社会保障が充実してくれば将来の不安が少なくなり、老後は年金で大丈夫だとか、病気になっても金がかからないとなれば、お金を貯めておく必要はないので国民全体としては負担能力が高まっている。貯蓄にもうそんなに回さなくてもいいとなれば、その分を国に預けて、国が社会保障に使うという経済に変えていくことができると思います。そして一般国民から取る場合には所得税という格好で負担能力に応じて負担してもらうということで、社会保障は着実に充実させていけるし、その財政的基盤もあると考えています。

 2番目のフロア発言は、「フランスのように、女性が安心して働き、出生率を上げていくようにするためには、日本ではどうすればいいのか、フランスの女性の取り組みにもふれながら示唆してほしい」という女性の質問でした。マーニュ氏は次のように発言しました。

 マーニュ フランスには子ども手当がたくさんあります。1ユーロを130円で換算します。もっとも基礎的な子ども手当には、子どもの人数に合わせた手当があります。例えば子どもが2人いる場合には毎月1万6000円くらいもらえます。3人いればその倍以上の3万7000円が支給されます。4人以上子どもがいれば、4人目から1人2万円ずつ支給されます。4人だったら5万7000円です。

 これが基礎にあって、そのうえに、子どもの年齢や育児、教育にあわせて、手厚い子ども手当が支給されるようになっているのです。たとえば、子どもが一定の年齢になると、基礎的な子ども手当以外に11歳から16歳までの子どもがいれば毎月1人につき4300円出ます。年齢によって加給されます。16歳から20歳までは1人につき8000円です。これは収入に関係なく、子どもに支給されるお金です。

 そういうふうに子ども手当は重層的になっており、例えば子どもが小さいから1年くらい育児休暇を取りたいと思ったり、仕事をしばらくの間辞めたいと思ったら、その場合も政府から他にお金が出ます。それは子どもの教育のためではなく、お母さんのためのお金です。それは家族や収入によって違うのですが、そういう手当もあります。もし働くとすれば乳母とか手伝える人にお給料を出すためのお金も出ます。それは収入によって違いますが、手当を全部まとめれば子どもがいても生活ができるようになります。

 フランスでは、お母さんになっても、仕事が面白くて、仕事を続けたいと思う人はたくさんいます。そうしても、家庭生活に支障が出るという法律的な問題はありません。お母さんたちは、小さい子どもがいる場合には、できるだけ仕事場から早く家に帰るようにスケジュールを考えます。そういうことができない場合でも、例えば学校の先生や責任のある立場の人には、子どもの面倒を見てくれる乳母などのシステムがあります。フランスでは市役所に行くと街で認められた乳母やベビーシッターのリストがあり、その中から誰かを選ぶ、例えば家が近いなどで選ぶ。そういうお金も全部ではないが出るというシステムがあります。

 フランスにはもちろん保育園もありますが、今は足りない状況だそうです。保育園は日本より朝早くからやっており、大体6時半からやっています。夕方は6時までやっています。それまでに迎えに行けない場合には乳母あるいはベビーシッターに頼むことになります。最近は父親も育児休暇を取ることができますが、それはまだそんなにポピュラーではありません。

 フランスは小学校も中学校も高校もほとんどが国立で無料です、90%くらいの小中高が無料です。子ども手当があれば、学校はお金がかかりません。家族の中で収入が一人だけでも生活できると思います。大学は国立大学ですから、ほとんどお金はかかりません。私の子どもは日本で生まれましたが、大学はフランスに行きました。大学の授業料は1年間3万円でした。日本では信じられないですね。それは学生のための国民保険に加入するためと、図書館やスポーツセンターを使うためのお金です。日本とは全然違います。

 フランスの小中高の教育は6週間くらい勉強してその後2週間くらい休みがあるのです。1年間に4ヶ月休みがあるので、両親が働いているとその間は困ることもあるのですが、そのために日本でいう学童保育みたいなものがあります。日本では学童保育は小学校3年生までが多いですが、フランスでは小学校全てと中学校1年生まで、12歳まで通うことができます。それも非常に安いです。収入によって計算するので無料のこともあります。フランスでは水曜日は学校が休みなので、学童保育は水曜日と学校が終わってから夕方までやっています。学校は4時半まであるのでそれから7時くらいまでやっています。両親共に働いている場合にはとても助かります。パートタイムでも、仕事をしていなくても子どもを通わせることができます。日本だと両親共に働いていないと通わせられないでしょう。

 フランスには、長期のバカンスがあります。両親の収入が低いとか、お父さんかお母さんが失業者だったら、子どもは時間があっても夏休みに家族そろってバカンスには行けない。しかし、健康のために海や山に子どもを行かせたいと考えれば、日本でいうサマーキャンプがあります。サマーキャンプというと、日本のイメージは3日間とか、長くても1週間ですが、フランスは1ヶ月です。この費用が非常に安いのです。私は、日本に住んでいますが、自分の子どもを12、3歳の頃に行かせたことがあります。私はフランスに住んでいないので特別の値段になり一番高かったのですが、それでも1ヶ月4万円でした。音楽や劇などの文化的行事もあり、もちろん食事も全て含めての費用です。フランスではそういうことが当たり前なのです。ですから、親の収入が低くても、失業者でも、子どもをサマーキャンプに行かせることができるのです。

 フロアからは、活気ある発言が次々と寄せられ、「『人間的な労働と生活の構築を』という本日のシンポジウムのテーマにかかわっての労働組合の課題について、労働組合にたいする提言を全労連と労働総研が共同してぜひ出していただきたい」「電機職場でも、派遣切りが引き続き行われており、正規労働者にたいしても広域配転などのリストラ攻撃が加えられている。こうした大企業の横暴にたいして、電機連合の職場で働いている労働者の労働と生活をまもるたたかいどう発展させるかについて、ともに考えていきたい」などの意見がだされました。

 この発言に続いて、フロアから「連合労組のなかでの労働者の雇用と生活を守る取り組みはどうすすめられているのか」「環境問題と深夜労働についての全労連はどう考えているのか」「消費が低迷し、国内需要伸び悩みの背景には預金利息が実質ゼロということがあるのではないか」「全労連が国民春闘を発展させるためには、最低賃金時給1000円という要求を前面に出す必要がある。それはパートで働くお母さん、アルバイトをしている学生の切実な要求だ」などの質問・意見が出されました。

 フロアからの質問をうけて、連合職場での取り組みについて、柴田氏は次のように発言しました。

 柴田 連合職場の中で、私たちが重視していることの1つは、法律違反を許さない、企業は法律を守れという大義にもとづく取り組みをすすめることです。労働者派遣法にもとづく直接雇用申し入れ義務に企業は明白に違反しています。こうした法律違反の是正を求めて職場から要求をする、あるいは宣伝しています。

 派遣社員の正社員化はなかなか難しい問題です。ただ設計などで数年から10年を越えて働いて、そこになくてはならないような存在になっている人を対象に、毎年数人程度を正社員にするようになってきました。私たちは、それにとどまらず、派遣法にもとづいて派遣先が直接雇用を申し入れるべきだということを労働組合に対しても申し入れております。

 この問題では、中国人の派遣労働者の問題でこの間裁判闘争をしてきました。この派遣労働者の方は、中国の吉林で採用試験を受けたのですが、そこでの派遣会社の面接の時にダイハツの社員が同席し一緒になって採用を決めているのです。明確な労働者派遣法違反です。それを暴露し、ビラでも流しました。するとダイハツの役員の一人は「この問題についてはダイハツに責任が全面的にあるから、これはなんとも言い様がない」ということを技術部門の部門長を前に発言しました。

 裁判闘争では、派遣会社が全面的にこちらの要望を受け入れて和解が成立しました。契約途中で解雇された分の賃金を全額保障させました。もう1つ雇用保険に入っていなかったので、遡って雇用保険に入らせて失業手当を保障することになりました。その時にその本人だけでなく、同じ派遣会社から、中国から来ている人が職場に40人ほどいるのですが、この人たち全部に雇用保険をかける、そのお金は全額派遣会社が持つということになりました。これは大きな成果だったと思います。法律違反は企業の責任を免れないという、企業の弱点をつくたたかいです。

 また、昨年4月に成立した改正パート労働法の厳正実施を会社に要求して、「正社員登用試験を実施しろ」ということをかなり強く申し入れてきました。今年4月に登用試験が実施されまして、この試験の結果約10人がパート労働者から正社員に変わりました。私の元の職場の女性労働者も正社員になったのですが、「これで毎年の契約更新の不安がなくなり、毎日安心して働くことができるようになり嬉しいです」と言ってくれました。正社員になったことがものすごく嬉しかったようです。

 私達の「雇用問題を考える会」は、定年後の再雇用をめぐって活動家を差別した問題で裁判闘争をするため2006年5月につくられたのですが、大阪労連の地区協議会、あるいは地域の民主団体と一緒になってこの問題に取り組み、再雇用だけでなく、非正規問題やリストラ問題など活動の領域を広げ、ダイハツの横暴を社会的問題にするようにしています。

 先に報告しました池田工場での非正規切りと正社員の配転問題については今年1月に大阪労連がダイハツ本社に申し入れをする時、応接室に通されました。ダイハツは、日本共産党の国会議員が行っても門前払いするような会社なのですが、初めて応接室に通したのは、そうした運動の成果だと思います。

 これらの取り組みを通じて新たな変化が3つ出ています。1つは職場労働者の変化です。門前でビラを配布する私たちを、多くの職制や管理職はビラを受け取るどころか睨みつけて通っていきます。そういう職制が池田工場の集約問題ではビラを受け取ってくれるようになりました。私たちは、門前宣伝を朝5時半の暗いうちからやっています。12月の宣伝では、最近ビラを受け取るようになった職制の一人が、「寒い中ご苦労さんです」とあいさつし、「これは家で取れたもの。食べてんか」と言って大根を5本くれました。びっくりしましたが、職制を含む多くの労働者と信頼関係ができつつあることを実感しています。

 2つ目の変化は地域の変化です。昨年の派遣村以来、非正規切りが社会的な問題になっています。ダイハツの派遣切りや正社員の配転問題のビラを駅頭や地域でハンドマイク宣伝をしながら配っているのですが、地域の人たちの反応は大きなものがあります。池田市は70周年を迎えるのですが、池田市制施行の1ヶ月後にダイハツの池田工場が建ったのです。だから池田市とダイハツはずっと同じ歴史を歩んできていて、地元の人にとってなじみのある会社なのです。だから、「ダイハツのような大会社が首切りしたらあかん、昔はそんなことなかったよ、頑張ってや」という声をかけてくる人が増えています。今、池田市に全戸配布(4万5千枚)しているビラの裏面には何でも相談の相談場所が書いてあるのですが、早速電話がかかってきています。「家の子どもが派遣切りで困っています」という相談など、大きな社会的反応を呼んできています。私はここに大企業を社会的に包囲する芽が出始めていると感じています。これはわれわれだけではなく全労連・大阪労連・地区協、それからいろいろな民主団体との共同による力だと思っています。

 3つ目は連合労組の変化です。池田工場集約化問題では、ダイハツ労組本部や支部に文書での申し入れ、あるいは面談を何度もやってきましたし、職場でのいろいろな問題をビラで出していくこともしてきました。ダイハツ労組はもちろん連合加盟です。当初は「会社の将来に関わる問題では滋賀工場への配転も止むを得ない」というのが労働組合の立場でした。ダイハツの池田支部でも支部長は、この立場を踏襲していました。私たちは、職場の不満の声を聞いて、それをビラに載せ、多くの労働者が滋賀工場への配転に反対しているということを明らかにして、ビラの中で「どんどん労働組合に相談しに行こう、訴えよう」ということを連打しました。当然、そういう声が労働組合にどんどん寄せられるようになりました。その中で池田支部の支部長や労組役員が労使懇で労働者の声を反映した意見を述べるとか、あるいは会社に無理な配転を止めるように申し入れる、さらに会社と配転対象の労働者との面談の後に、「会社に言えなかったことを話してほしい」と労働組合が配転対象者全員に個別面談を実施し、労働者の要望を会社に申し入れる活動をしました。

 私達はこのダイハツ労組池田支部の取り組みを、ビラにして全工場に配り、他の工場の支部でも池田支部のような取り組みをやろうということを訴えました。このことに対して池田支部の労働組合の役員は非常に好意的に受け取ってくれて、支部長が門前宣伝のわれわれに対して挨拶をするようになり、組合役員もビラをとるようになりました。大きな変化が出てきました。連合労組であっても労組役員は労働者の辛い気持ちはわかるのです。だから一番身近な支部のところから変えていくことは可能だと思っています。

 その結果12月現在の情報では、滋賀工場に行けと言われた2百数十人の池田工場の配転対象者のうち実際に滋賀やダイハツ九州に行くのはたったの4人です。この4人は全て希望者です。その他の人は池田工場やその近辺で仕事に取り組むことになったのです。これは今までにない画期的な成果だと思っています。今後さらに工場集約化問題は出てくると思いますので、これからもこういう取り組みを教訓に、たたかいを進めていきたいと思っています。

 コーディネーター フロアからの発言に対し、本来ならばパネリストあと2人に言及してもらいたいのですが、時間の都合がありますので第2発言の中でそれを踏まえてお話いただくことにいたします。では2回目の発言ということで順番は逆にしてまいります、まず小田川さんにお願いします。最近労働組合が元気になってきていますね、春闘を迎えて何か秘密兵器でもあれば、ここで秘密兵器を言ってしまったのではまずいのでしょうが、そういうことも含めて先ほどのフロアのご発言にも言及しながら、お願いいたします。

2回目の発言

小田川義和

 フロアから環境問題とかかわって質問が出されました。全労連の昨年の大会方針では「環境にやさしい働き方」というのを打ち出し、当面の焦点を夜勤問題に当てています。

 ご承知のように2000年代に入って百貨店やスーパーなどの深夜営業が増えるなど、無駄と思える深夜労働が、環境にも社会にも労働者にも負荷をかけている状況があります。全労連傘下の職場で言えば、郵政の深夜勤務とか医療の現場での深夜労働、製造現場、生協など深夜労働が強制されている実態があります。この間、何回かシンポジウムをおこなったりしていますが、当面は営業の規制、労働時間の規制、それからヨーロッパ型の議論でいけば休憩時間の確保などによる規制を議論しています。

 最低賃金の引き上げとかかわって、2007年に最低賃金法が改正されて生活保護との均衡が求められるようになりました。しかし、これでは時給1000円にはなかなか届かない、使用者の抵抗を打ち破れない、ということがだいぶわかってきました。先の総選挙では自民党を除く各政党が、最低賃金時給1000円ではそれなりに足並みを揃えている状況もあります。この条件をいかして、2010年春闘では最低賃金1000円実現の法改正を迫っていくという署名を大規模に取り組むことにしています。

 最低賃金時給1000円実現には、最賃法の改正だけでなく、とりわけ中小零細企業、中小零細業者に対する補助金や税の減免など様々な対策をとらなくてはいけないと思います。一般化して考えても、そういう積極的な改善措置、仕組みを底上げや格差の是正を制度的に迫る際には、取り込んでいかなくてはならないと強く思っています。

 次に、今後の労働組合運動をどう発展させていくのか、その政策方向、運動方向をどう考えるのかという問題とかかわりって、これまでは、どちらかといえば「改悪反対」とか「これはやめろ」という運動スタイルであったものを、これからは「こう作ってほしい」という提案型の運動にわれわれが変えていかなくてはいけないと思うのです。その時の新しい運動のスタイルをどう作り上げていくのかも重要な課題だと考えています。

 コーディネーター 先ほど山家先生からは構造改革についてずい分詳しくうかがいました。その構造改革もいろいろな矛盾が出てきて、財界では言葉さえ使わなくなってきたという面があります。しかし本当に止めたかと言えばとんでもない。司令塔である政権が変わったわけですが、そうした新しい局面のもとで、構造改革の行方をどうみるのかというあたりも含めてお話をお願いしたいと思います。

山家悠紀夫

 最初に、フロアから質問のありました、預金金利ゼロの影響とその背景について簡単にお話します。

 10年前に比べて家計の利子所得、1400兆円くらいの資産から生まれる所得が1997年度は30兆円以上あったのですが、2007年度は20兆円くらいに減っています。12兆円くらいの所得がなくなっている。

 それがどこに行っているかと言えば、そのうち3兆円は政府を助けている。国債などの金利支払いが少なくなっています。残り10兆円近くは借りている企業を助けている。

 なぜそれだけ長期の低金利が続けられたか。銀行が好んでそうしているわけではありません。日本銀行がゼロに近い金利でどんどん銀行に金を貸しますから、預金金利に1%や2%の金利をつけて取る必要がなくなっている。そういう市場原理が働いているのです。だから預金金利が低いのは日本銀行の政策に責任があるのです。

 日本銀行はゼロ金利政策をとるようになったのは、最初はある程度合理的な理由があった。日本の経済状態が非常に悪いから金利を安くして企業活動を活発にしようという理由でした。しかし、そうでない状態になってもずっと低金利を続けている。

 2つ理由があります。1つは、金融を締めたら景気が悪くなるという考えがあるからです。ゼロの金利を1%に上げて別にそんなに締めるわけではないのですが、そうしたら大変だという意見が強いということです。

 もう1つは橋本内閣の構造改革以来、貯蓄から投資へという政策を政府はとってきました。皆さんの預貯金を、株とか投資信託に移した方が日本経済は成長する、だからそれを変えなくてはいけないという考えがありました。だから預金に意地悪している。金利を低くしているわけです。一方で株式投資などは優遇しているわけです。例えば株では税金を10%しか取らない。預金利子は20%取られます。預金を低金利にして、またそういう税制にして、みなさんのお金が銀行預金から投資信託とか株に向かうような政策をとっている。

 民主党内閣になってもこれはかわりません。先ほどのご質問への答えです。

 次に牧野さんがおっしゃった点についてです。構造改革政策が悪いというのは大体世論になってきた。しかしまだなかなか直らない。財界は正面切っては言いませんが、例えば雇用の規制強化とか最低賃金の引き上げの要求が出てくると、最低賃金を引き上げると企業経営が成り立たなくなるとか、あるいは雇用正規化を強制すると失業者が増えると言う。

 では、本当にそうなのかと言えば、例えば最低賃金です。1000円に上げようというのが今大方の労働組合の要求です。これがなかなか踏み出せない。民主党も「将来景気が良くなれば」という曖昧な言い方をしていて、とりあえず実現しそうにない。

 1000円になれば中小企業の経営が成り立たなくなる、また国際競争に負けてしまうという言い方がされています。私はそんなことはないと思います。

 中小企業の経営が成り立たないという考え方は、今の売値を前提にして、最低賃金を上げる、そうすると人件費が増え、利益がなくなるという考え方なのでしょう。

 これは静態的な捉え方と思うのです。経済というのは動いている。賃金を上げてコストが上がると、売値を上げざるをえない。1つの企業だけではそれができませんが、みなの企業が同じ状況になるわけですから、値上げは通る。新しい条件の下で新しい価格体系ができる。そうすれば中小企業が潰れるわけはない。みんな潰れて誰も提供しなくなったら国民全部が困るわけですからそんなことはありえない。動態的に考えれば中小企業経営はやっていける、そう思います。

 国際競争で負けるというのも全くの嘘です。大企業は膨大な内部留保をもっているし、収益にしても2008年度の利益を見れば、史上最高の利益を上げていた前年に比べると3割から4割減ですが、10年前に比べると高い利益を出している。配当にしても10年前の2倍くらいの配当をおこなっているという現実がありますから、企業経営は充分耐えることができる。最低賃金が上がれば国際競争に負けるということは現実には起こりえません。

 ヨーロッパの企業は日本の最低賃金以上の賃金を払っています。フランスでは8.63ユーロ、130円で換算しますと1,121円という数字です。日本は東京でも790円くらいです。それを日本で1000円にしたら負けてしまうというようなことは、日本の企業はそれほどだめな企業なのかということになります。そんなことはありえないと思います。

 今までの状況を変えようとすると、それはできない、困ることが起こってしまう、例えば国際競争で負けるとか、企業が海外に逃げていくとか、内部留保は取り崩せないというような議論が出てくると思います。労働総研にお願いしたいのは、そういうだめな、変な議論に現実と理論でもってきちんと反論してもらいたいということです。

 民主党政権は、どっちに行くかわからないような姿勢ですから、いい方向に行かせるためには外からちゃんとした意見を与える、あるいは圧力を加えていかなくてはいけない。そのためにも、労働総研とともに、労働組合には益々頑張ってもらいたい。そうした取り組みが、これからの日本をいい方向に向ける力を持っているのだということです。

 コーディネーター 次はマーニュ先生ですが、先ほどフランスではいろいろな子ども手当などがあり子どもを生みたくなるような雰囲気があるというお話をされました。そうした社会はどのようにつくられたのか、またいつ頃のことなのか、その辺を含めて第2発言をお願いします。

ジャニック・マーニュ

 先ほど子ども手当や家族手当の話はしました。その手当は第二次世界大戦のすぐ後に始まりました。ドゴール大統領の時のことです。第二次世界大戦では、ナチスドイツにたいする反ファシズムの統一戦線運動であるレジスタントの運動があり、それは社会的に大きな意義と力を持っていたのです。戦争が終わってから、人民戦線政府ができて、どういう社会を作ろうとか、そういうことについて深く考えた。そのなかで、子ども手当も決められたのです。保育園や幼稚園のシステムも戦争のすぐ後にたくさん作り、無料で子どもを通わせるようにしました。他のヨーロッパ、世界の他の国と比べるとフランスの考え方はとても進んでいました。

 しかし、フランスの今の状況をみると、残念ながらこれからどうなるかわかりません。今のサルコジ大統領は、こういう仕組みをいろいろ変えたいと思っているので、どうなるのか、試練の時期に来ていると思います。サルコジがなぜ、変えようとしているのか、それは、家族手当や子ども手当のお金はどこから出るのかということと関連しています。フランスには奨学金も多い、高校生や大学生のための奨学金、補助金がある。そのお金はフランスの国民が払う税金とともに、大企業が負担しています。フランスの大企業は、自治体に税金をたくさん払い、その税金のおかげで、いろいろな補助金やいろいろな手伝いが出来るようになりました。保育園や幼稚園はほとんど無料です。保育園は場合によってすこしお金のかかることもありますが、幼稚園は無料です。大企業のお金のおかげです。

 サルコジ大統領は、その税金をなくそうとしているのです。しかし、サルコジ大統領の与党UMPの中でも、この問題のサルコジ大統領のやり方に反対している人も非常に多いです。これからどうなるのかわかりませんが、もし大企業がそういった税金を払わないようになればとても大変になります。絶対に許してはならないことです。

 コーディネーター 次は柴田さんにお願いしますが、全労連への期待、注文、場合によっては批判、その辺を入れてお願いします。

柴田外志明

 連合はだめだと頭から決めてかかってやりますと、運動は前進できませんし、労働者の要求も実現できません。だから、組合員の要求を労働組合にどう反映させていくかということが重要になります。先ほどの池田工場集約問題に関する配転問題の話で、少しきっかけが現われたと言いましたが、正社員の配転がわずか4人ですんだというのは労働組合が動いたからなのです。ここが鍵になっていると思います。

 そのために、組合の一員として節度ある批判と道理ある説得をおこない、労働組合としての本来の役割を果たすような労働組合にしていく、一致できることはこちらから積極的にやるべきです。非正規社員の雇用を守る問題など、連合はスローガン的に挙げても途中で尻すぼみするということが多くあるのですが、その時にそれを許さないで手を引っ張って、ぐっと表に引き出す、そういう取り組みが非常に大事になってくると思います。

 日本の政権史上初めて労働組合のナショナルセンター・連合の意向が反映しうる政権が生まれたということは重大な変化だと私は考えています。だから大企業の連合の職場から労働者が立ち上がって、雇用と生活を守る運動を進める、その中で連合労組の体質を根本から変革する、本来の労働組合の姿を取り戻していくという取り組みを進めていくことが重要な課題になっているのではないかと思います。そのためにも全労連の皆さんに大きな力を注いでほしいと思っています。今後とも労働者の雇用と暮らしを守るために頑張っていきたいと思っています。

 コーディネーター パネリストとして最後の発言で、小田川全労連事務局長に春闘に向けて、すこしご発言をいただきたいと思います。

小田川義和

 昨年から続いている不況が深刻な影を落とす中で2010年春闘をたたかうことになります。労働者、国民の皆さんの期待は、外需依存の経済から内需中心に、であり、そういう意味でも構造改革からの転換を迫る運動への期待があると思っています。その期待にこたえる運動を前進させるためにも、賃金底上げや雇用を守れといったたたかいでの労働組合の奮闘が重要であり、その世論作りと大企業の横暴への批判を組織していくことが全労連的な運動の課題・役割だと思います。

 今こそ賃金引上げが必要だという社会的な世論を地域からどう作っていくのかということとかかわって、商店街のみなさん、あるいは全労連以外の組合のみなさんにもお願いをしてポスターを貼ってもらい、「今年こそ賃上げを」とか「雇用を守れ」、あるいは「内需拡大のために賃上げを」といった声を地域から高める運動に取り組むこととしています。

 09年春闘もそうでしたが、連合では、個別企業の中に閉じこもり、企業の収益状況に左右されて、賃上げ要求すらかかげない組合も多くなっているようです。ナショナルセンター・連合としての春闘がみえない中で、地域で目に見える行動、「春闘では赤旗がたなびく」というような状況とまでは行かなくても、すこしは見えるような状況を、全労連がどうつくり出すのかが問われていると思います。3月に全国統一行動を設定し、組合員の3人に1人くらいが行動に立ち上がるような行動の具体化を呼びかけています。

 厳しい情勢だからこそ賃上げの必要性を大いに訴えると同時に、「賃上げも雇用確保も」を世論化していくということが、全労連に課せられている今日的な全労連的な役割であることを肝に銘じてたたかっていきたいと考えています。

 コーディネーター 最後にどうしてこういうテーマで今日シンポジウムを開いたのかということを申し上げたいと思います。

 1つは1995年に日経連の「新時代の日本的経営」などが出されて、1990年代のある時期から労働も生活も破壊されていくような状況が進行していき、今世紀になってからそれがひどい、特にここ2、3年は、派遣村に示されるように、人間の尊厳、命さえ脅かされる展開があります。労働総研として、研究所プロジェクトということで、「人間的な労働と生活の構築」というテーマで取り組もうということになった理由もそこにあります。

 そういうことで昨年の夏あたりからこのテーマで追求を始めたわけですが、08年12月に、この大きなテーマにどうアプローチすればいいのかということで、もっと小さな規模のシンポジウムを開きました。

 そのなかで、人間的な労働と生活をする上で何が必要か、わかりやすく表現すると、どうなるのか。それには、3つの条件が必要だということで、冒頭に申しあげたように、経済的ゆとりが1つ目、2つめに時間的ゆとり、3つめに、心身の健康ということになりました。

 最初の経済的ゆとりという括りの中身については労働総研でも、雇用問題、賃金問題、最低賃金も含めて、これまでいろいろなプロジェクトで研究を深めてきていたわけです。そうした研究の蓄積を、そういう3つの括りの中でもう一度まとめていく、そして深めるという課題が08年12月のシンポジウムで提起されました。

 2つ目が時間的なゆとりという表現なのですが、労働時間が大事なことはもちろんですが、シェアはむしろ生活というところに力点を置いて、まともな生活をするためには労働時間はどうあるべきなのかということで、この時は生活経済論の領域の方にパネリストになっていただきご発言をいただきました。3つ目の心身の健康については、これは1つ目2つ目と非常に関係が深いと思いますが、ここについては医療の研究者にパネリストになっていただき議論をしたということが昨年の12月にありました。

 このシンポを土台にして、その後この問題をさらに深めていくということで、予定では来年夏の労働総研の総会あたりをめどにまとめていきたいということになっています。そのためにはシンポジウムなども開いて、いろいろな方々のご意見も聞いてやっていこうということで、今日は労働総研の20周年記念行事という形で、このテーマについていろいろなパネリストからもご意見をいただきました。おそらくフランスのお話を聞くなどということはこれまでめったになかったと思います。それもフランスの人々が普通に生活をしている様子ということでこういう企画をしたわけであります。

 フロアからの発言で提言を早く出せという注文もありました。このプロジェクトとしてはそういう日程でまいります。今日のシンポジウムでは、たくさんのご意見、またどう考えたらいいのかという論点も出していただきましたので、それも力にして、20周年を契機にした研究所プロジェクトを成功させるために、研究活動を続けていきたいということを最後に申し上げて、今日のシンポジウムを閉じたいと思います。

 本日は90人の方々にご参加をいただきました。お忙しいなか、本当にありがとうございました。

労働総研設立20周年記念シンポジウム

および記念レセプションを開催

 労働総研設立20周年記念シンポジウムおよび記念レセプションが、2009年12月19日、全労連会館2階ホールにて開催されました。

 本号掲載の記念シンポジウムにひきつづき開かれた記念レセプションは、大須眞治事務局長の司会で行われました。

 最初に牧野富夫代表理事が主催者あいさつをおこない、つづいて、大黒作治全労連議長と小池晃日本共産党参議院議員が来賓のあいさつをおこないました。

 熊谷金道代表理事の音頭で乾杯し、なごやかな懇談がおこなわれ、参加団体紹介をはさんで、五十嵐仁大原社研所長、宮垣忠国公労連委員長、本原康雄千葉労連事務局長、村上英吾日本大准教授・労働総研理事がスピーチをおこないました。

2009年度第3回常任理事会報告

 労働総研2009年度第3回常任理事会は、全労連会館で、2010年1月30日午後1時半〜5時まで、大木一訓代表理事の司会で行われた。

I 報告事項

 大須眞治事務局長より、1)20周年記念事業として12月19日に開催した記念シンポジウム・レセプションについて、2)「地域政策検討」プロジェクトなどの共同プロジェクトの進行状況、および1月14日に開催した労働組合トップフォーラム(「鳩山政権下の連合と2010春闘」鹿田勝一会員報告)について、3)2月10日に開催する全労連・労働総研共催公開学習会について、4)産別記念・労働図書資料室について、5)出版・広報事業についてなどが報告され、討議の結果、了承された。

II 協議事項

1) 事務局長より、入会の申請が報告され、承認された。
2) 事務局長より、今年度のプロジェクト・研究部会代表者会議の日程(3月27日)および内容(基調報告など)について提案され、討議の上、承認された。
3) 事務局長より、20周年記念労働総研奨励賞の応募・募金状況、選考の段取り等について報告され、承認された。
4) 事務局長より、2010年度定例総会にむけた人事委員会の発足について提案され、承認された。人事委員会は、企画委員会がつとめることとした。
5) 「労働総研クォータリー」について、藤田宏編集委員から第2回編集委員会の報告がされ、承認された。

12・1月の研究活動

12月1日 賃金・最賃問題検討部会
17日 国際労働研究部会
19日

労働総研設立20周年記念シンポジウム
若手研究者研究会

24日

女性労働研究部会
労働時間・健康問題研究部会

1月10日 「地域政策検討」プロジェクト
14日 労働組合トップフォーラム
27日 中小企業問題研究部会(公開)
29日 労働時間・健康問題研究部会

12・1月の事務局日誌

12月4日 事務局会議
11日 儀我壮一郎理事葬儀
12日

第2回編集委員会
建設政策研究所設立20周年記念レセプション

18日 三田クラブ懇談会
19日 労働総研設立20周年記念レセプション
1月6日 東京地評旗びらき
9日 埼労連20周年記念祝賀会・旗びらき
13日

全労連旗びらき
事務局会議

14日 第3回企画委員会
17日 東京靴工組合旗びらき
21日 派遣法抜本改正シンポジウム
30日 第3回常任理事会