はじめに
最近の奥田財界は、あまりにも慢心が過ぎるのではなかろうか。『文藝春秋』の本年1月号に、奥田碩「死に物狂いで成長を実現せよ」が掲載されているが、それを読むと、奥田氏はまるで小泉内閣を後見し国民に教訓をたれる「専制君主」のようである。国民の批判にさらされている小泉総理や日本経団連を擁護しようとするのはよいとしても、「消費税増税反対」や「医療費患者負担の軽減」を主張する人々を「異星人」呼ばわりし、全国の企業経営者に対してばかりか公務員や国民に対しても、財界の言う「民間主導の改革」に従って経済成長を「死に物狂いで実現せよ」と命ずる人物を、われわれは専制者と呼ばずして何と呼ぶべきであろうか。そこには、民意を尊重しようとする謙虚さや民主主義的感覚は微塵も感じられない。残業不払い、脱税、国家試験問題漏洩などで、自らも不祥事を引き起こしてきている責任や反省は、どこ吹く風である。こうした傲慢さで、消費税を一日も早く引き上げよ、年金保険料引き上げの厚生省案には絶対反対だ、年金未納者には健康保険証取り上げなどのペナルティを課せ、中国企業に負けない技術革新に全力をあげよ、産業空洞化を恐れず「MADE“BY”JAPAN」に発想転換せよ、「政界と財界との間に一つの道をつくる」政治献金は21世紀の日本のために必要だ、等々といった自己主張を、国民が公認し実現すべき責務として列挙するのであるから、その厚顔さにはあぜんとするほかない。
実は、2002年5月に経団連と日経連が「統合」して日本経団連が発足し、その初代会長にトヨタ会長の奥田氏が就任した当初から、奥田財界が民意を顧みない専制的な影響力行使に走るのではないか、という危惧があった。一つは、「統合」直前の2002年春闘で、日経連が、労働組合の存在を無視するような、一方的な賃金・労働条件の決定に踏み出したことである。高収益企業をもふくめ、全産業にわたって賃上げゼロ回答を労働者に押しつけたばかりでなく、電機に見られたように、春闘での妥結協定を実質的に反古にする、賃金・労働条件の一方的切り下げを妥結後に強行したのである。それを指導したのが当時日経連会長の奥田氏であった。二つに、「経営者よ、リストラするなら腹を切れ」との一文を発表し(『文芸春秋』1999年10月号)、「人間の顔」をして華々しく財界にデビューした奥田氏は、実際には規制緩和・国家的リストラ推進の先頭に立ち、自らの二枚舌に何の痛痒も感じない言動を展開していた。事実、日本経団連は、発足総会の翌日には政府に72項目の規制緩和を要求している。そして、財界総理となった奥田氏は、小泉首相に直属する経済財政諮問会議の中心的「議員」として直接政権に参画し、政界にも大きな影響力を行使するようになるが、彼の言動は当初から、経営者・産業界全体を代表するというよりも、これまで以上に一部巨大企業=多国籍企業の利益を代弁するものとなっていたからである。
奥田財界は、専制的な政治支配推進の下に、多国籍企業の利益を公然と国民の利益の上に置こうとするのではないか。この危惧は、いまや現実のものとなった。「二大政党」買収作戦だけではない。そのことは、日本経団連が昨年12月16日に発表した「2004年版経営労働政策委員会報告」(以下、「経労委報告」という)を見ても歴然としている。この「報告」は、日本経団連が2003年元旦に打ち出した新ビジョン「活力と魅力溢れる日本をめざして」(俗に「奥田ビジョン」と言われる)を下敷きにし、その後の日本経団連の一連の報告(「産業力強化の課題と展望」2003年4月22日、「アジア地域における労使関係」2003年7月22日、「外国人受け入れ問題に関する中間報告」2003年11月、など)の内容をも組み込んで、「経営労働政策」にかかわる財界戦略を提示したものであるが、そこでは、多国籍企業本位の驚くべき日本社会改造政策が、労使一体で取り組むべき課題として提唱されているのである。
1 「04経労委報告」の異常な賃金切り下げ政策
「2004年国民春闘共闘委員会」の「春闘方針」は、「経労委報告」を特徴づけて、こう述べている。その内容は「『春闘終焉』『労働法制の全面改悪』『賃金切り下げと総額人件費削減』などを叫び、『ベースダウンも労使の話し合いの対象になる。定昇廃止・見直し、降給もありうる』などと従来の労使関係をつぶし、労働者の切実な要求に真っ向から挑戦するものである。そればかりか、教育、社会保障、税制など『構造改革』路線を全面的に推進する財界の姿勢をむきだしに示したものとなっている」と。たしかに、その通りである。賃下げや賃金制度見直しについても、春闘や労働組合の変質を迫る攻撃についても、さらには労働法制の改悪についても、今年の「経労委報告」が昨年の場合よりも一段と踏み込んだを労働者・労働組合攻撃を展開していることについては、誰もが認めるところであろう。
問題は、今年の「攻撃」が、昨年までの攻撃をその延長線上でさらに強化したという範囲のものなのか、それとも従来にない重要な質的変化をむ含むものなのか、という点である。もし前者なら、「春闘連敗」で鍛えられている労働組合の幹部・活動家にとっては、とりたてて問題にすべきほどの事ではない、ということになるかも知れない。だが、事態ははるかに重大であるように思われる。
今年の「経労委報告」が提唱している政策内容をつぶさに検討していくと、それらが論理的な整合性も経済の合法則性も社会的公正も無視した、一連の異常な政策提起となっていることに気付く。たとえば、賃金政策をとってみると、(1)「付加価値生産性上昇率」に連動した賃金水準決定を主張し、上昇率がマイナスのときは賃下げが当然と言いながら、それがプラスの時は、なるべく投資や株主への還元にまわし、やむを得ず賃上げの場合も一時金・賞与で処理せよ、として、なにがなんでも賃金水準の上昇を回避する政策を主張している、(2)個別企業ごとの賃金決定や労働者個々人ごとの賃金決定に固執して、労働市場を通じての企業横断的な賃金決定(賃金相場)や労使の団体交渉による集団的賃金決定を認めようとしない、(3)パートの賃金は「企業へのトータルな貢献度を個別に評価」すれば低いはずだと、理解不能な理由をあげてパートの均等待遇に反対し、不正規労働者の低賃金改善を認めようとしない、(4)従来のリストラではなお不十分だとして、「賃金水準の適正化と年功型賃金からの脱却」、「複線的賃金管理」の導入、退職金にまで及ぶ「成果主義の徹底した適用」などによって、人件費のさらなる大幅削減を強行しようとしている、といった具合である。一方で「経労委報告」は、日本経済がようやく景気回復に向かっていること、また企業収益の大幅改善がすすみ、史上最高益を出す企業が増加していることも認めているのであるから、そのガムシャラな賃金切り下げ政策の異常さはいっそう際立つのである。
この異常さの背後には何があるのか。それを、一般的な日本資本主義の貪欲さや弱体化した労働組合運動を前にした大企業の増長などに帰するだけでは説明できないであろう。それらの条件が、ここ一年ばかりの間に急変したとは言えないからである。全労連・春闘共闘の運動に即していえば、リストラ反対、不払い残業一掃、未組織の組織化、地域経済再興などのたたかいで、運動はむしろ前進しはじめているからである。
今年の「経労委報告」を、先に挙げた「奥田ビジョン」をはじめとする日本経団連の最近の提言・報告と合わせて検討してみると、背後にあるのは、次のような2025年を目標とする財界戦略であることがわかる。個々の労働政策も、それとの関連で見るとき、はじめてそのもつ意味の重大さが浮かび上がってくるのである。
2 奥田財界による「労働と生活」の大改造計画
「04経労委報告」から読みとることのできる財界戦略の「骨格」は、次のようなものである。
(1)日本社会の「自由経済圏」への統合
第一に、日本社会を、多国籍企業の経済論理が全面的に作用するような「自由経済圏」へと、早急に再編・統合していこうと言う政策である。具体的には、(1)「Made
in Japan」から「Made by Japan」への発想の転換、あるいは「貿易立国」から「交易立国」への転換によって、また、(2)「東アジア自由経済圏」の確立と日本の「内なる国際化」の推進によって、カネ、モノ、人、情報が自由にアジアと日本を行き来するような社会づくりを、早急にすすめていくべきだ、というのである。
「Made by Japan」とか「交易立国」というのは(英語としても日本語としても問題のある使い方だが)、「日本の技術や資本を海外に投入し、世界各国の富の創造に貢献し、あわせてそこで得られた利益を国内にも還元し、次なるイノベーションを生むための資金とする」(国民生活の向上に役立てる、とは言わない−筆者)ことであり、「輸出のみならず、輸入や対外・対内直接投資を一層促進すること」だ、と説明されている。「東アジア自由経済圏」の確立は、WTOを通じた自由貿易推進とともに、ASEAN諸国やNIESとの間でFTA(自由貿易協定)締結をすすめることで、貿易・投資の自由化を加速させていこうとするものである。そして、「内なる国際化」とは、「外国からの直接投資の促進、さらには人の移動の自由化を進め、ヒト、モノ、カネをふくめた多様な経営資源を日本に受け入れる体制の構築」「外国企業、外国人が事業を行いやすい環境の整備」を急務としてすすめることである、という。
要するにそれらは、多国籍企業の活動にたいする規制を全面的に撤廃せよ、中小企業・小零細業者は裸で海外企業とも巨大企業とも競争せよ、労働者も国の内外で直接アジアの労働者たちと競争せよ、という政策である。それにともなう農業・中小企業の切り捨てや、国内産業や地域経済の破壊・空洞化を甘受せよ、大量失業の発生や低賃金・貧困層の急膨張も避けられない「痛み」として受け入れよ、外資による国内企業・産業の買収・支配を容認せよ、という含意である。こうした政策は、内容的にはすでに「小泉構造改革」として実施に移されてきているものであるが、国際的にも国内的にも、多国籍企業支配の経済システムを一つの社会体制として確立してしまおうとする点で、その破壊的影響力はケタ違いのものとならざるをえない。
企業会計不正疑惑が広がるなか、国際社会が多国籍企業に対する監視・規制強化に乗り出しているときに、奥田財界は、逆に従来以上の、全面的な規制緩和と貿易・投資の自由化に乗り出していこうというのである。昨年発表の「新ビジョン」にくらべ、今次「経労委報告」では、その政策展開をいっそう性急に、前倒しで進めようとしていると言ってよい。
(2)賃金・労働条件のアジア並み切り下げ
第二は、上記の「自由経済圏」づくりとそれへの日本社会の再編・統合に対応して、労働者の賃金・労働条件や国民の生活水準をアジア並みに平準化させ、調整していこうとする政策である。この政策を、「高付加価値化」を実現するうえで不可欠な、当面の緊要な課題として提起しているところが重要である。
「アジア並み平準化」というのは筆者の表現であって、もちろん「経労委報告」にはそのままの文言は出てこない。しかし、内容的にはまさにそうした政策を提唱しているのであって、そのことは、次のような政策を提唱していることからも明らかである。
(1) |
日本社会の「アジア自由経済圏」への統合のもとで、労働力についても自由な国際的移動を促進していく。 |
(2) |
海外労働力の本格的導入をすすめ、専門的・技術的分野をふくめ、職業能力のある外国人が日本でその能力を発揮できるよう条件整備をすすめる。 |
(3) |
個別企業の労務管理においても、内外にわたる「本社・グループ企業を含めた人事制度一体化」をすすめる。 |
(4) |
「アジア自由経済圏」に参加できるように、日本の賃金・物価水準は切り下げられねばならない。 |
「自由化」の進行にともなう平準化には、もちろんアジア諸国の賃金・所得水準の上昇による平準化という側面があり、アジア経済全体の実際の動向としては、むしろこの側面が主流である。だが「経労委報告」は、「世界的なデフレ」がアジアをもおおっているかのような欺瞞をふりまきながら、平準化は、アジアの低賃金・低所得が今後も持続することを前提に、主としてわが国賃金・生活水準の切り下げによってなされる他ない、と主張するのである。このようなアジア的水準への「調整」として行われる賃金・所得の切り下げは、現行為替水準を前提とするかぎり、少なくとも平均水準の3〜4割にもおよぶ相当大幅なものとならざるをえないであろう。ドル安にともなう円高が進行すれば、なおさらのことである。
(3)不安定・無権利・低所得労働の飛躍的拡大
第三は、「多様性人材立国」などという、訳の分からない「日本語」で提起されている、「雇用・就業形態の多様化」推進という形での、不安定無権利低所得労働の思い切った拡大策である。水準の切り下げは、思い切った労働力構成の組み替えと表裏一体をなして進められるのである。
具体的には、(1)「ダイバーシティ・マネージメント」とか「自社型雇用ポートフォリオの高度化」とか称して、女性、高齢者、外国人をふくむ多様な非正規雇用を一段と活用すること、(2)雇用形態の多様化だけでなく、請負、委任、ボランティアなど、労働法制による規制対象とならない就業形態も、多様に開発・活用すること、(3)企業に雇用を守らせる政策から、積極的に企業からの離職・労働移動を促進する政策へと転換し、企業の労働力構成をたえずもっとも安上がりで効率的な状態に維持すること、(4)民営職業紹介や労働者派遣事業の規制緩和をいっそうすすめ、公共職業安定所を縮小・廃止して、労働市場の公正な枠組みを破壊すること、(5)高失業に対しては、実効のない「新規産業育成」策や若年層のインターンシップなどを掲げるだけで、特段の有効策をとらず、基本的に放任すること、といった諸政策である。
これらの政策は、無権利な未組織労働者・就業者を大量に創出することを前提としている。また、職場でも地域でも、労働者階級の中に、外国人労働者をもふくむいくつもの大きな階層格差をつくりだすことを意図している。それは、これまでのわが国の労働市場や労働法制を成り立たせてきた社会的な基盤や枠組みを、根底から瓦解させてしまう政策だと言わねばならない。
(4)労働者・国民の生活内容のリストラ
第四は、労働者・国民の生活内容にまで立ち入って「家計リストラ」を推進し、労働力の再生産費を削減して、賃金・所得水準切り下げの円滑な実現をはかるとともに、その過程で新たな国民収奪の機会をつくり出そうという政策である。
具体的には、(1)「自分らしい生き方・暮らし方」につながる「消費支出のあり方の模索」とか「家計消費の選択肢と自由度の拡大」とか称して、労働者・国民の個人的な生活内容にまで介入し、生活の階層化をはかりながら、全体として安上がりな生活内容の開発・普及をすすめる、(2)「わが国の家計は、特に住宅ローンと教育費の負担が重いことが特徴」だとし、その負担軽減のために「安価な住宅ストックの形成と流通を促進する一連の施策」や「教育現場への健全な競争原理の導入」をすすめる、(3)社会保障制度全体にわたって「給付の削減と負担の引き上げ」という改革を断行し、輸出企業に還付される逆進的な高率消費税を導入する。それによって、企業の支払う間接賃金や税負担を軽減するとともに、国民を社会保障の活用から遠ざけて「自助努力」を強めさせ、社会保障費の削減をはかる、(4)年金、医療、介護保険等の「改革」過程では、私的年金への支援策拡充、株式会社などの医療分野への参入、施設介護サービスへの民間事業者参入などにより、新たな需要創出の場をつくりだす、といった政策である。
平たく言えば、これは、持ち家をやめさせ、進学率を低下させ、医者にはかかれなくさせて、「年収300万円でも生活できる社会」(森永卓郎『年収300万円時代を生き抜く経済学』2003年3月、光文社、参照)をつくり出そうということであり、そうした国民の生活改造を、借家、塾、私的年金、民間営利医療などへの需要拡大につなげて、新たな高収益確保の草刈り場をつくろう、という策略である。ここにはもはや、国民の生活と文化をゆたかに発展させようと言う人間的な意欲はまったく感じられない。存在するのは、あらゆるものの犠牲のうえに、ただただ高収益を追い求める巨大企業の貪欲さだけである。
以上のような「労働と生活」の大改造計画は、昨年冒頭発表の「奥田ビジョン」ではまだ明らかにされていなかった。すでに「Made by Japan」戦略の推進とか「東アジア自由経済圏」の実現という課題は提起されていたが、それらは一般的抽象的な政策方向として個々に提起されていたにすぎず、「交易立国」という一つの社会体制にまとめられ、当面の現実的課題として提起されるものではなかった。また、それらの政策が国民にどういう「労働と生活」をもたらすことになるのかも、明らかにされてはいなかった。その点、今年の「経労委報告」は(もちろん財界文書の常で、さまざまな粉飾やデマゴギーで真意を覆い隠してはいるものの)奥田氏の慢心に助けられてか、かなり率直にその意図するところを明らかにしている。
それにしても、そこから見えてくる日本の未来とは、NAFTA(北米自由貿易協定)のもとで「強者の論理」の貫徹に苦しむメキシコ経済を想起させるものではないだろうか。たしかに多国籍企業と化した日本の巨大企業は、アメリカを中心とする国際独占との従属的提携のもとに、自由な国際資本投資とこれまで以上に徹底した「世界最適地生産」を実践し、大幅なコストダウンを実現して、史上最高の高収益記録を更新しつづけるかも知れない。しかし、そこでは疑いもなく、国民生活は荒涼たる貧困の淵に追いやられ、国民経済の存立基盤が回復困難なまでに破壊されていくことになろう。そうした「絶対的貧困化」と国民経済崩壊の過程を、財界の売国行為を、日本の労働者・国民が、労働運動が、黙って受け入れることはありえない。
3 労使関係の抜本的再編と労働法制のさらなる改悪
財界も、労働者・国民の抵抗とたたかいを予想しているのであろう。「労働と生活」の改造とならんで、「経労委報告」がいま一つ大きなねらいとしているのは、労使関係の抜本的改変と労働法制のさらなる改悪をテコとして、労働者・労働組合の抵抗やたたかいを挫き押さえ込むような諸政策の推進である。
労使関係については、(1)春闘を「春討」あるいは「春季労使協議」へと変え、今次「春討」は、企業存続についての危機意識醸成と中期的話し合いの出発点にする、として、実質的に団体交渉を拒否する、(2)団体交渉の代替物としての「労使協議制」を広め制度化する、(3)非正規従業員の比重が高い職場では、ノン・ユニオンの「新たな労使関係」構築する、 (4)「労使一体」の企業別組合をいっそう重視し、その協力を得て労働者の抵抗や組織化への動きを押さえ込む、といった政策が打ち出されている。
「経労委報告」が認めるのは、会社派組合のもとでの「労使一体」的な労使関係だけであり、実質的には労働組合も団交権も否定する立場に立っている。「自由経済圏」のもとでは、ノンユニオンの労使関係を構築していかねばならない、というのが奥田財界の政策だと言ってよいであろう。
労働法制については、(1)裁量労働制のさらなる要件緩和や、ホワイトカラーへの労働基準法適用を排除する「エグゼンプション」制導入など、労働者の基本的諸権利を剥奪する、(2)民営職業紹介や労働者派遣事業のいっそうの規制緩和、労災保険の民営化など、職業生活にかかわる社会的規制や公的制度を縮小・廃止していく、(3)パートの均衡処遇、定年年齢延長、障害者雇用未達成企業名の公開、などへの反対に見るように、公正な社会的規制に対しても個別企業の経営権や「労使自治」を持ち出して反対する、といった政策が示されている。(さらに、文面には出てこないが、(4)すでに政府は財界の要請をうけて、労働基準法や労働組合法の見直し検討を開始したと伝えられていること、(5)また、国労・JR不採用事件での最高裁敗訴や労働審判制創設への動きともかかわって、労働委員会制度の再編問題が浮上していることにも留意する必要がある。)
奥田財界は、前述の「労働と生活」大改造をにらんで、労働法制の全面的な見直し・再構成を考えている、と見てよい。その点で参考になるのは、奥田氏の日本経団連会長への就任に際して作成された、愛知経営者協会「今後の労使関係のあり方検討委員会」の報告書『変革の時代における労使関係』(2002年5月)である。そこでは、従業員の圧倒的多数が非正規=未組織労働者や個人就業者となり、労働組合には一部の正規従業員が加入するにすぎなくなる状況のもとでの、労働基準法、労働組合法、団交および労使協議制度、苦情処理制度などのあり方が検討されている。労働法制の前提や構造は一変することになると想定されているのであるが、変化のベクトルは、本質的に21世紀ではなく19世紀を向いている、と言わねばならないものとなっている。「経労委報告」の内容にも、われわれはそれと共通のベクトルを看取するのである。
4 財界流「社会改造」策の弱点と労働運動の課題
エンゲルスにならって言えば、社会のありようは労働者階級の状態によって基本的に決まってくる。賃金・労働条件は国民生活の内容や水準を規定する最大要因であるし、民主的な労働組合や労使関係の存在いかんは、一国の民主主義の成熟度を決定的に左右する。その意味では、「経労委報告」が検討対象としている諸政策は、まさに日本社会改造政策だと言わねばならないものである。
しかし、今回、「経労委報告」をはじめとする一連の財界文書を読んでみて痛感するのは、そのあまりの教養の無さ、指導的人物の手になるとは思えない思想の貧しさと志の低さである。それは、社会改造という、歴史的にも社会的にも広い視野のもとに論じられるべき論議などには、とうていなりえない代物であった。巨大企業の「サバイバル」と収益拡大にしか関心をもたない人物、庶民と共に夢を語れない人物に、社会改造を語る資格などはじめから無いのである。
「経労委報告」はたんなる提言ではない。それは、バックに巨大資本の力を擁する、人々に指示し命令する力をもった文書である。それは現実を反映しているし、巨大資本による実際の戦略展開には、すでに財界提言の先を行っているものも少なくない。だから、「経労委報告」を軽視することは許されないし、労働組合は財界の意図するところを十分視野にいれながら運動をすすめる必要があるが、同時に、それが致命的な弱点をもっていることもわれわれは忘れてはならないと思う。つまり、財界文書、とくに今回の「経労委報告」は、その内容が正確に伝われば伝わるほど、国内においても国際社会においても、反発され孤立するしかない政策提言だということである。(奥田氏は、たとえば、この文書をILOにもっていって紹介したら、どんな反応が返ってくるか、想像してみたことがあるだろうか。)
ここ数年、労働組合は、好業績のもとでも賃上げゼロ回答を押しつけられ、さらには定昇ストップや一方的な賃金・労働条件の切り下げを強行されてきた。業績が改善しても繰り返しリストラが強行され、正規労働の非正規への切り替えで、賃金水準の切り下げは歯止めもないままに猛烈に進行している。いまや企業収益の増加と賃金・労働条件向上との間には何のつながりもない。あるとすれば、むしろ反比例の関係である。少なくとも大企業については、「パイの理論」も「トリックル理論」も通用しなくなっているという事実を、多くの労働者・労働組合が臍をかむ思いで肝に銘じているのが、今日の実態である。そうした労働者・労働組合に、今回の「経労委報告」は、儲かっても賃金への「分配」などありえない、と念を押すように宣言しているのであるから、奥田氏が「死に物狂いで成長を実現せよ」と絶叫しても、だれもそれについて行くお人好しなどいないのである。実際、「経労委報告」に対しては、全労連・春闘共闘はもちろん、連合も金属労協も強く反対せざるをえなかった。いまではますます多くの労働者が、局面を打開できるのはたたかいだけだ、大衆運動だけだと自覚するようになってきているのである。
奥田財界戦略は、非正規労働者がますます膨張し、しかも未組織無権利な労働者にとどまっていてくれることを前提にしている。また、アジア諸国が将来も低賃金未組織労働者を大量に供給しつづけてくれるものと期待している。さらには、労働組合の多くが「労使一体」の会社派組合として、労働者・労働組合の権利を骨抜きにする「労働改革」に協力してくれることを当てにしている。しかし、最近の情勢のなかでは、これらの前提や期待が次々に覆されてきている。非正規労働者の間での組合結成機運の高まり、アジアでの労働組合運動の発展と日本多国籍企業に対する批判の高まり、全労連・春闘共闘運動の影響力の広がり、など、最近の運動動向の特徴を見ても、財界戦略の前途は多難である。
労働運動が、財界に取って代わって、ゆたかな日本への現実的な社会改造プランを示し、非正規労働者の組織化を推進力に、労働者各層、国民各層の間の統一と共同を発展させるならば、財界戦略は絵に描いた餅となってしまうだろう。いま労働運動に求められているのは、自らと仲間への信頼である。
(本稿は、1月15日に開催された国民春闘・単産地方代表者会議での講演記録を整理・加筆したものです。)
(労働総研代表理事・日本福祉大学教授)
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