2001年2月1日(通巻131号)



目   次
巻頭言

 新しい「社会的弱者」との“連帯の拡大を”…………松林和夫

論 文

 日経連の「2001年版労問研報告」にみる
 21世紀戦略の展開と矛盾の拡大 …………………金田 豊 




新しい「社会的弱者」との
“連帯の拡大を”

松林和夫

 約10年ほど前から、日本では障害者の権利保障に誰も本格的に取り組んでいないのは、問題なのではないか、と感じはじめた。最近アメリカでは1990年にADA(The Americans with Disabilites Act)が制定されたが、その一大拠点がカリホルニアのバークレーだと言われていた。そこで4月からカリホルニア大学のバークレー校(法学部)に約半年Visting Scholarとして留学した。バークレーは1960年代初めに障害者運動が起こり、今では全米各地にあるCenter for Independent Livingが早くからあり、ADA制定の拠点であり、役員は障害者でかためられている。私も訪ねてみたが、盲目の副所長が対応してくれた。所長もケンタッキー大のロー・スクールを卒業し弁護士資格をもつ車椅子の女性であった。
 ADAの制定によって一挙に障害者の雇用問題が解決したかというと、そうではなく、大変立派な法律にもかかわらず、司法はADAに抵抗を示している、というのが研究者の見方である。障害者運動の方もADAによって一挙に問題が片付くとは思っておらず、障害者(児)と健常者(児)との"統合教育(職業訓練を含む)"などの雇用以外の「幅広い」平等問題に取り組んでいる。
 1983年にILOにより「障害者の職業リハビリテーションおよび雇用に関する」条約(159号)が採択された折、カナダ政府はいち早く、それまでの人種、性、カラー、民族的出身に加えて、障害を理由とする差別禁止に人種法を改正した。しかし、日本は身体障害者等雇用促進法で、等と付け加え知的障害者も雇用率の対象としただけで、精神障害者は立法上排除したままである(これはすべての障害者を対象とする前掲のILO条約違反である)。
 日本では、障害者は社会的弱者の底辺にある。人間は皆平等に高齢化し、障害者になる。社会的弱者の代表者である労働組合−それも典型的な労組から排除された人々が加入している一般的労働組合(General Union)に近い労組が、障害者や高齢者に連帯感を示すことを試みてもよいのではないか。今や、古典的資本主義とは異なり資本の支配が多面的・多層的に及ぶ現代資本主義の時代である。被支配者にもそれにふさわしい連帯(団結)のあり方があっても良いのではないか。

(会員・岡山大学法学部教授)




日経連の「2001年版労問研報告」にみる
21世紀戦略の展開と矛盾の拡大

金田 豊 


(1)「2001年版日経連労働問題研究委員会報告」の特徴と狙い

 日経連の「2001年版労働問題研究委員会報告」(以下「報告」とする)は、そのタイトルを「多様な選択肢をもった経済社会の実現を」とした。昨年の労問研報告のタイトルは、「人間の顔をした市場経済をめざして」であり、その理念は「企業で働く人が働きがい、生きがいを実感できるよう『多様な選択肢』を用意することによって実現することができる」とした。今年は理念の実現の方法を表題として強調したわけである。「理念」自体よりも、それを「徹底・具体化することによって、この閉塞状態から抜け出る」方法が重視されたことであり、それだけ個別企業の利益への奉仕を、労働者の自己責任として求める人事管理の推進となって、労働者への攻撃が一層厳しいものとなったと言えよう。また、それだけに矛盾も深めることとなっている。
 「報告」の内容が提起する人事管理上の主要な点を、まず挙げておこう。
 経済成長の鈍化、産業構造の激変と企業業績格差の拡大の中で、賃金・労働条件横並び決定の時代ではないとする。統一闘争による賃上げ拒否・春闘解体・否定である。総額人件費削減を課題に、賃金だけでなく退職金制度や福利厚生制度の見直し切り捨て、国際競争力強化の構造改革・人減らしリストラ「合理化」の推進、パート、アルバイト、派遣、契約社員など多様な雇用形態と就労形態の組み合わせによる経営効率と雇用コストの軽減が強調される。処遇は従業員個々人の生産性に見合ったものとし、業績・成果の評価による成果主義賃金の徹底が求められる。企業の「経営目標」に即した個々人の目標設定と、その達成度評価に処遇を結び付ける目標管理の徹底、したがって、賃金と生計費は全く切り離される。賃金より雇用を重視する姿勢に立ち、労働者は自分の責任で雇用が確保されるように、いつもエンプロイヤビリテイ=雇用され得る能力の向上に、努力を傾注することが課題だとされる。このような人事管理に対応する労働者づくりが求められ、自己のキャリア形成計画をもち、自助努力によって職務遂行能力を高める労働者となること、そのために、自己責任で成果主義管理に対応する労働者に育つような人間形成をめざす教育制度の改革が強調される。
 成果主義による個別管理の徹底のために、労使関係でも労働組合との集団的労使関係から、企業と従業員個々人との個別的労使関係の重視の時代への転換が提起される。団結権・労働基本権への挑戦である。それが「社会の安定帯」としての労使関係の再構築を求めることにつながっている。
 その上で、中小企業の選別整理、大企業の利益のための大型公共事業による財政破綻を、勤労国民の負担で処理しようとする社会保障改悪・消費税など増税の推進、成果主義のための教育・訓練制度の再編などが提起され、大企業の利益本位の横暴と社会的責任の放棄を進めるものとなっている。

(2)「労問研報告」にみる変化

 日経連の経営戦略がどのように展開されようとしているのかを、「労問研報告」とその具体的展開としての「2001年版春季労使交渉の手引き」(以下「手引き」)とを合わせて、幾つかの点について、これまでの「報告」との変化を含めて検討しておこう。

a.「人間の顔をした市場経済」が意味するもの
 日経連は昨年の「労問研報告」で「人間の顔をした市場経済」を21世紀にめざすべき社会理念として提起した。そこでは、自由な市場経済での競争が経済社会を活性化させるが、競争が行き過ぎれば、人間の生活、ひいては生存をすら脅かすことになることの反省に立って、「資本も技術もすべては人間の生活をより良くするために用いられるものだという、ごく当たり前の『人間尊重』という理念を大切にすること」を前提に、具体的には次の4点が提起されていた(「平成12年版報告」5〜6頁)。
 @長期雇用を基本に雇用安定を重視すること。
 A個々人のニーズに即した多様な働き方の仕組みを企業が提供し、経営効率を高めていくこと。
 B賃金制度、人事・労務管理制度を、市場メカニズムを活かして業績・貢献が反映される方向に改めていくこと。
 C労働力の流動化がさけられない時代だから、労働市場を整備し、転職の不利益を解消する仕組みを作ること。
 今年の「労問研報告」では、「人間の顔をした市場経済」とは、「人間が自由な市場での競争を通じ、自己の能力を十分に発揮することによって生きがい・働きがいをもてる社会」だから、政労使が協力して、勤労者個々人のニーズに応じた多様な選択肢を用意し、機会の均等を確保することであり、処遇は成果に従い、結果の責任は自己で負うということが強調され、それが社会の公正な仕組みだとされる。ここには競争の行き過ぎの弊害に対する反省の観点は消失している。昨年の「報告」では、企業が大幅な雇用調整のリストラが、株式市場で評価され、株価が上がることを「奇妙な事態」と批判したのに、この1年、大量の人員整理を強行し、労働者の犠牲によるコスト削減で、企業収益が大幅に改善される中で、こうした反省はなくなったのである。したがって、企業倫理の保持が企業統治の最重要課題だといっても、それは資本市場、株主、顧客からの要請によるもので、その視点が労働市場にも通用するものだと、経営の立場が優先されることになっている。
 「99年版報告」では「経営者は市場万能主義を排し、『市場』と『道義』及び『秩序』を三位一体化させる努力を続けなければならない……コーポレートガバナンスについても、単に資本市場のみならず、労働市場においても魅力ある企業、選択される企業という視点が必要になる」(同書42頁)としていたことと比べて、2年間で大幅な後退である。この間に、効率化、利益本位の人減らしリストラ「合理化」の強行が、多くの人命に関わる重大事故を引き起こし、国民生活を脅かすに至った大企業のモラル・ハザードに全く口を閉ざしている。

b.雇用の流動化、多様化について
 雇用の維持を「労使の最重要課題」とすることはこれまでと変わらないが、昨年の「報告」にあった「転職が不利益にならない仕組みを作ること」という課題は、今年の「報告」では、労働者が自助努力でエンプロイヤビリテイ(雇用され得る能力)の向上を図り、何時離職となっても新たな職場で仕事に付ける能力をもつことだと、自己責任にされてくる。経営側は能力養成のメニューさえ用意すれば、あとは労働移動(出向・転籍・配転など)の自由を手にできるという欺瞞的な仕組みに転化されて、「転職が不利益にならない仕組み」という表現も「報告」からなくなった。経営者側の雇用責任は希薄化され、労働者の努力に転嫁されることで、人員整理を自由に操れる方向を強めることとなった。
 雇用の多様化・流動化による人件費削減のなかでの雇用の確保を、ワークシェアリング、仕事の分かち合いで図ることを、日経連は99年の「報告」で提起し、そのために、賃金分割、例えば1人分の賃金を2人の雇用者で分け合う発想をもった導入が掲げられた。ここでは労働時間による賃金の分割の減収はあっても、まだ、時間当たり賃金の引き下げまでは明確ではなかった。これが翌2000年「報告」では、「柔軟なワークシェアリング」の提起となって、雇用、賃金、労働時間の多様かつ適切な配分によること、正規従業員についても、時間給賃金とする発想も求め、基幹労働者とパートなど短時間労働者との賃金管理の区分の見直しを提起し、時間当たり賃金引き下げのワークシェアリングを示唆するものとなったした。今年の「報告」では、「雇用維持のためのワークシェアリングという発想を超え、さらなる多様化をもう一歩踏み込んで具体化したいと考え、新たな問題提起を行なった」とする。すなわち、「中長期の課題として、従来なかったような働き方、例えば『雇用期間の定めは正社員と同様にないが、毎日の午前中だけとか、週3日だけ働く』とか、『在宅勤務で自由な時間に働き、仕事の指示や進行管理はネットワークで行なう』、あるいは『在宅勤務を基本に、働く時間の自由度を高めるために数人のグループで仕事量を調整しながら働く』など、さまざまな働き方を、働く人と企業の実情・ニーズに応じて検討していく」と言うのである(同書30頁)。正規従業員であっても、不安定雇用と同じ働き方が求められるわけで、賃金も成果主義管理で不安定雇用と結び付けられることになるであろう。雇用の流動化・多様化と成果主義のもとで、時間管理、賃金管理も資本の側に握られて、企業利益に従属したコスト管理のもとで極めて不安定なものとされ、労働者の権利が侵害される方向が一層強められることが示されているのである。

c.賃金管理の変化
 日経連は70年代から、右肩あがりの年功賃金からの脱却を人件費削減の課題とし、そのために職能資格制度と職能給化を方針としてきた。しかし、今年の「報告」による「春季労使交渉の手引き」を見ると、企業競争力を高める人事制度の再構築に向けて、職能資格制度を成果型にすることを提起している。職能資格制度は「運用が年功的」「発揮能力に応じた昇・降給が柔軟にできない」「高資格化が進み、人件費が高止まりしている」からだとする。そして「職務給と成果給の活用」を提起している(「手引き」89頁)。
 日経連は、95年の「新時代の『日本的経営』」の提起で、終身雇用、年功賃金打破をめざして職能・業績主義賃金の推進を方針としてきた。このなかで、職務給が対応するとされたのは、社会的な相場で賃金が決まる臨時、パート、派遣、契約社員などの雇用柔軟型グループの低賃金不安定雇用層に対してであった。しかし、職能・業績主義賃金では、年功賃金管理を払拭しきれないから、21世紀に向けて、これを職務・成果給へ変えようというのである。賃金管理の個別化で、労働者の移動と賃金の引き下げを自由に行なえるようにするには、労働者が、職場での研修訓練と経験習熟で長期勤続のなかで、身に付けてきた能力によって決められた賃金では対応しにくいから、賃金を職務と成果の評価にリンクさせ、能力から切り離す方が、賃下げに都合がよいというのである。賃下げ・コスト削減のための身勝手な方針変更である。
 能力主義の職能給では、能力開発に企業側も努力し、それに対応して能力を高めたと評価されたものが昇格・昇給するシステム、潜在能力も評価要素としたシステムであることが、評価の主観性、恣意性があるとしても、表向きの建て前であった。それを成果給と職務給にし、結果だけを評価することで、経営者は労働者に対する能力開発への取り組み、職業教育・訓練の負担を回避することができる。労働者が自己責任で能力を養い、経営側は仕事に対応する業績をどれだけ挙げたかを評価すればよいというのである。能力開発訓練は外部機関にまかせ、しかもその費用は政府の雇用対策の各種助成給付を利用すればよく、企業側はコストダウンにつながる一方で、労働者側には負担が増えるという仕組みになる。
 職務給について見れば、1960年代に日経連が年功賃金打破をめざした賃金政策として、鉄鋼、電機などの大企業に導入され、職務分析・職務評価による職務の格付けに賃金が対応するものとして、これこそ仕事が同じなら賃金も同じだから、同一労働同一賃金だと、労働者側の差別賃金反対の要求をごまかそうとした。しかし、いま、職務給を言っても、日経連に同一労働同一賃金の主張は全くない。成果主義は仕事が同じでも、努力と成果で賃金は違うものだからである。職務給と成果給は本来結び付かないものであり、この賃金制度は矛盾を深めざるをえない。これをごまかすために、「コンピテンシーの活用」が提起される。つまり、「職務や役割で優秀な成果を発揮する行動特性」、高い成果をもたらす従業員の能力・行動の特性をモデル化し、それを基準とすることで、他の従業員が最大もしくは大きな成果・結果を出しうる可能性が高まると言うのである。企業にとって貢献度の高い特定のエリートを基準にして、他の労働者を選別査定し、格差拡大で賃金水準を引き下げることが、「成果給と職務給の活用」によって狙われているのである。
 成果主義管理の徹底は、日経連が賃金管理の基本とした「生産性基準原理」の適用でも矛盾を広げるものとなっている。生産性基準原理は、賃上げを実質国民総生産の伸び率の範囲内に抑えるマクロレベルの基準であり、個別企業では自社の支払能力のなかで、つまり従業員1人当たりの総額人件費上昇率を、名目付加価値生産性上昇率の範囲内にし、労使がその適正配分を決めることだとされた。成果主義による個別賃金管理の徹底を求める今年の「報告」では、「従業員個々人の生産性に見合った処遇が徹底されなければならない」とする(同書31頁)。賃上げは企業の生産性を越えて、個々の労働者の生産性にリンクさせられる。しかし、集団的な業務遂行によって経営が成り立っているなかで、個別労働者の生産性を測定することは困難である。だから従来からの人事考課も、労働者の働きぶりに対する総合的な評価が行われ、能力業績重視のなかで、意欲を持って仕事にとりくんだかの情意考課のウエイトも高まった。しかし、それは成果主義に対応しない。個別成果の測定も困難という条件のなかで、それを合理化するために、各人が設定した目標の達成度による評価という方法が採られる。自己の意思で作った目標による管理と結び付くことで、「個の尊重」「人間中心の経営」だということになる。それを企業の生産性に結び付けることで辻褄を合わせようとすれば、各人の目標設定を企業の経営計画の遂行を組み込ませることである。
 「企業目標に連動した目標管理、個々人を適切に評価し得る人事システムへの転換などが課題となろう」(「報告」33頁)、「企業の経営目標に即した個々人の達成度を評価するモノサシを設け、その評価に処遇を結び付ける目標管理の手法が望まれる。目標達成度を評価する過程で、従業員との面接などを行えば、評価に対する納得性を高めることにもなる」(「報告」32頁)。こうして成果主義管理は、経営政策への従属を自己の意思とする労働者の創出を狙うものであることが明らかとなる。日経連の「個の尊重」を唱えた成果主義は、経営政策への「個の埋没」、「個の軽視」でしかないことが、ますます鮮明になってきた。

(3)深まる矛盾と広がる闘いの共同の条件

 日経連の効率化と競争力強化を追う「ルールなき資本主義の横暴」が、強まれば強まるほど矛盾は随所に吹き出し、闘いの分断の狙いと裏腹に、職場・地域から闘いの共同の条件を広げることにならざるをえない。
 リストラと雇用の流動化・多様化による未組織低賃金不安定雇用労働者の増加、成果主義管理の強化による個別管理の強化は、それをもたらした基礎にある労資協調労組と職制の職場支配の体制の存在をさえ動揺させるものとなってきている。リストラの犠牲にされ、自らの雇用が脅かされるに至った中間管理職が、労働者の闘いに期待をもつ状況も生じてきたり、未組織不安雇用が基幹的部分まで増加し、組織率が低下する状況では、労資協調で職場管理の一翼を担った正規従業員の企業内労組も、これまで通りでは、その交渉力と賃金決定への影響力を維持することができず、組合への結集が弱まらざるをえない。だから連合も賃金抑制の基礎にあるパートなど、低賃金不安定雇用の賃上げと組織化を、春闘要求の柱の一つに掲げ、地域からの賃金底上げを課題とすることとなった。この課題をすでに中心において取り組んできた全労連、地方労連と地域の取り組みで共通の課題が広がる条件を作り出してきた。賃上げでも、連合は企業の個別管理に対し、組合の影響力を社会的に強められるように、標準労働者の社会的な賃金水準を要求として提起して、その実現へ、個別管理による分断と対立する企業を超えた取り組みを重視する側面を強調するようになってきた。日経連の政策の強行が、パートナーとしたものとの矛盾を作り出したことである。
 成果主義管理の根幹は考課査定にある。しかし、考課査定の恣意性・主観性は、差別の増大となって、職場に不満を広げ、競争の強まりで職場を暗くし、仕事のスムースな流れを妨げ、効率化をかえって阻害することにもなっている。
 また、競争のために評価のよい先端技術に傾斜して、基盤技術が軽視され、技術・技能が継承されなくなる。人減らし過密労働は過労死と健康破壊を多発させ、職場からの権利破壊と裁量労働は違法なサービス残業の増加となっている。人手不足と効率化優先は、基盤技術軽視とあいまっては重大災害・事故の多発となり、経営基盤を掘り崩す危険も指摘されるようになってきた。
 このような成果主義管理に対し、職場労働者の怒りと要求は、組織の違いを超えて広がり、大企業の横暴に対し中小業者を含めて社会的に共同の課題を広げる要素となっている。
 査定の不合理性と差別賃金の矛盾が広がるなかで、査定導入反対と共に、すでにある査定から差別と主観性、恣意性をもつ要素の排除を求めたり、査定基準の明示、査定結果の開示、異議申し立てと協議の仕組みの整備、目標管理の欺瞞性の追及が課題となる。こうした状況に対して、日経連の「交渉の手引き」でも、評価基準の公開、客観性、公平性、透明性を高めること、結果の本人への説明などを、欺瞞的にもしろ言わざるを得なくなっている(「手引き」89頁)。
 労働の質と量、熟練度や専門性の尊重と公的職業資格に対する処遇の社会的基準をめざす取り組み、それらの基礎にあり、不安定雇用による賃金ダウンに歯止めを掛ける地域最低賃金、産業別最低賃金への取り組みが、全労連、連合など組織の違いを超えた共同の課題となりつつある。また、日経連の労働者への犠牲強要に対して、労働時間・休日休暇、安全衛生など職場からの権利の点検と確立、違法なサービス残業根絶と裁量労働の規制、過密労働規制と雇用確保、解雇規制法も広範な労働者の共通に求めるものとなっている。
 日経連は成果主義による個別管理の徹底に対応して、集団的労使関係から個別的労使関係の時代へとする一節を「報告」に置いた(同書51頁)。そして「改革の方向を産業、地域やナショナルセンターレベルにおいて労使が話し合い、社会的合意を形成して、政治や行政に対処を迫るべきである」(同書5頁)とした。日経連が「社会の安定帯」としてきた職場の労資協調組合との関係の上に立った労働者支配から、資本の直接の個別管理による支配の下に掌握したなかで、さらに国の財政・制度、社会システムを資本の利益に奉仕させようとする時、「社会の安定帯」の再編成が必要になったことである。95年の「新時代の日本的経営」におけるこれからの労使関係では、ナショナルセンターでは「連合」が、地方レベルで「地方連合」が手を組む相手とされていた(同書59〜60頁)が、今年の「報告」では「連合」「地方連合」の名は見えない。すでにみてきたように、地域やナショナル・センターレベルでは、財界・大企業のルールなき労働者・勤労諸階層への犠牲強要によって、階級的・民主的ナショナルセンター・全労連の社会的影響、連合の取り組みの変化と多様な共同のひろがりなど、日経連の意図する「社会的合意」の条件は変化してきている。
 日経連の労働者支配強化の21世紀戦略がもたらす多様な差別と矛盾、労働者の権利への侵害が、新しい闘いの共同を進める条件を生み出すものとなっているのことを、「報告」から読み取ることが、いま求められている。

(注)この論文は、2001年1月19日、東京・北区の北とぴあで開催した研究例会での報告に討論内容を反映する形で整理したものです。



 1月の研究活動
1月12日  地域政策研究プロジェクト=フィールド調査の検討
  15日  賃金最賃問題研究部会=最賃問題の取り組みについて報告・討論
  26日  女性労働問題研究部会=報告・討議/「男女共同参画基本計画」について
  27日  関西圏産業労働研究会=報告・討論/スウェーデン企業・ボルボの賃金体系をめぐって



 1月の事務局日誌
1月11日 2000年度教育研究全国集会へメッセージ
  13日 第3回常任理事会
  19日 研究例会(北とぴあ)=2001年版日経連労働問題研究委員会報告と成果主義賃金──その現状と矛盾(報告者・金田豊、コメンテーター・川辺平八郎、コーディネーター・牧野富夫)
  20日 第2回編集委員会
  31日 大槻健前理事死去にあたり弔電