1998年3月1日(通巻96号)

目   次
巻頭言能力主義賃金と青年労働者…金田 豊
論 文大学教員任期制法成立後の大学の動き…浜林正夫
寄贈・入手図書資料コーナー、2月の研究活動など

能力主義賃金と青年労働者

金田 豊

 能力・業績主義賃金の提案が拡っています。

 企業側は、能力アップにはげみ仕事の成果をあげれば、それを評価して賃金も上る制度だから、努力が報われる仕組みであり、年齢や勤続で抑えられていた若年層の賃金改善に希望のもてる賃金システムだとし、また、年功賃金で能力と仕事に対応しない年配層の高い賃金が問題だから、これを抑えて、青年層の賃金をあげればよいと世代間の対立もあおって、青年層を能力主義管理にまきこもうとしてきました。

 しかし、現実はその逆で、高年層の賃金を抑えた上で、若年層の賃金も引き下げられ、現在もまた将来的にも、最も被害をうけるのが青年労働者であることが明らかになってきました。総務庁の家計調査をみると、賃金収入と消費支出で、最も落ち込みの大きいのが20〜24歳層で、92年と96年をくらべて、勤め先収入は、一時金こみの名目額で9.8%の低下、従って消費支出も10.0%の低下です。その次に生活低下の大きいのは50〜54歳層で、勤め先収入は1.45%微増にとどまり、消費支出は3.92%の減少です。

 この若年層の賃金低下は、日経連の初任給抑制・凍結政策と結びついています。高失業率を理由に初任給を出来るだけ抑えておけば、賃金引上げへの期待は大きくなるから、それにこたえる形で能力主義賃金を導入するのに都合がよい。しかも定昇なしで賃上げが傾向的に下っているなかでは、新しく入った人の賃金は前任者のその年齢の賃金より低くならざるをえない。初任給凍結企業の割合は、95年40.8%、96年37.9%、97年30%と高い(日経連調べ)。これに引っ張られて初任給上昇率は95年以降0.7〜0.6%と低い。低い初任給はもともと、年功賃金と結びついたものでした。賃金抑制につながるものなら、能力主義と異質なものでも握って離さないという日経連のあつかましさが表れています。

 考課査定についても、チャレンジ型目標管理と結びついた能力主義管理で、意欲をもってやる態度などが重視されるようになる程、考課者の主観に依存するものとなってきます。  この主観的な査定によって、年を経る毎に格差が拡大し、低位に滞留する者が増えてきました。能力主義賃金の最大の被害者だと掴めば、青年が闘いの中心になるでしょう。

(理事・労働問題研究者)


大学教員任期制法成立後の大学の動き

浜林正夫

T 任期制導入は4大学

 昨年6月に、多くの大学関係者の反対を押しきって、大学教員の任期制についての法律が成立してから、1年近くになる。この間、いくつかの大学で早々と任期制導入の動きがあらわれたが、それほど急速にひろまったわけでもなく、全体としては模様ながめの感じだが、しかし表にはあらわれないけれども、全体としてはすこしずつ任期制うけいれの雰囲気がつくられつつあるように思われる。

 まずはじめに、任期制導入を決めたいくつかの大学の事例を紹介しておこう。全体を正確につかんでいるわけではないが、私の知るかぎでは、任期制導入をきめた大学は国立3、私立1の4大学のみである。その内容はつぎのとおり。

 任期制法にもっとも忠実に、全面的に任期制導入をきめたのは鈴鹿医療科学技術大学である。これは1990年に設置されたばかりの新しい私立大学で、医療技術者の養成を主目的としている。ここで昨年9月に「任期に関する規程」が定められ、本年4月から実施されることとなったが、規程によると、教員を採用するさい、学校法人と労働契約が結ばれることになるが、この労働契約で任期を5年以内とし、契約更新がないかぎり、任期満了をもって退職することとなっている。教員の側は労働契約締結日から1年以内は退職できないとなっているけれども、1年をこえれば5年以内でも退職できるし、逆にいえば5年以内でも解雇はありうるということのようである。契約更新があればもちろん再任されるし、再任は何回までときめているわけではないから、契約更新をくりかえしていくことも可能であろう。なお、実施は平成10年4月よりとなっているものの、平成7年3月31日以前に採用された教員についても適用できるとしているから、法律制定以前にさかのぼって適用されるという奇妙なことになりかねない。

 詳しい事情は不明だが、私立大学の場合には現に在職している教員についても、本人の同意があれば途中で任期をもうけることもできるというのが、大学審議会の意見なので、この大学ではあらかじめこういう規程をもうけ、いちいち同意をとりつけなくても途中から任期をつけることがでるようにしたのであろう。任期制の教員の待遇や退職金などについては国会の審議でもいろいろ議論があったのだが、この規程ではすべて「理事長が内規として定める」となっている。いちばん重要な再任審査の方法については、なにもきめられていない。

 国立大学で任期制の全面的な導入をきめたのは北陸先端科学技術大学院大学である。これも1990年に設置された新設の大学で、学部をもたず、大学院だけをもつ新構想の大学である。ここでは教授は任期10年で再任を妨げないとなっているから、教授の場合は再任をくり返せば定年までは在職可能である。助教授の場合は、任期はやはり10年であるが、再任の場合は任期3年となり、再々任はみとめられないので、最長で13年までしか在職することはできない。助手は研究科によって異なり、任期は5年または7年で、再任の場合は任期3年とされ、やはり再々任はみとめられないから、最長で8年ないし10年までしか在職はできない。審査については教育活動、研究活動のほかに、「本学の管理運営、地域社会への貢献等」が審査項目にはいっており、これがどのように運用されるのか注目される。実施時期については情報科学研究科と材料科学研究科については平成10年4月1日より、知識科学研究科については平成15年4月1日よりとなっていて、5年の差があるが、その理由は不明である。

 部分的に任期制の導入をきめたのは東京外国語大学である。ここでは大学院のうちの地域文化研究科のうちの国際文化講座についてだけ任期制をとりいれることをきめた。任期は教授5年、助教授1年、助手3年ときわめて短かく、しかも教授は1回だけ再任可(したがって最長で10年)、助教授と助手は再任不可となっているから、助教授は1年間でいやおうなしに退職させられ、助手は3年間で退職となる。これではまるで非常勤なみで、こういう条件で教員を採用できるのかという疑問もあるが、とにかく1年だけでも専任になりたいという希望者がいるのかもしれない。しかも再任不可であるから、業績審査もなく、したがって、研究や教育についての刺激にもならない。1年間で次々と助教授をとりかえていくことに、大学としてどういうメリットがあるのだろうか。

 もうひとつは東京医科歯科大学の難治疾患研究所のプロジェクト研究である。これはプロジェクトを公募し、採用されたプロジェクトに研究助手をつけるというものだが、プロジェクトは原則として3年であるから、助手も任期は3年ということになる。こういう形の任期つきの助手採用は、これまでも紳士協定にもとづいておこなわれており、この医科歯科大のケースが紳士協定なのか、それとも大学教員任期制法にもとづくものなのかは不明であるが、もし紳士協定であれば弾力的運用が可能であるけれども、法律にもとづくものであれば、そうはいかないということになる。

U 国大協と行革会議の動き

 もうひとつ、群馬大学では昨年9月に学長から任期制を導入したいという提案があり、医学部では非公式にその内容についての説明会がもたれた。それは任期を6年とし、5年目に業績評価をおこなう、任期制を適用される教員には学長裁量経費から研究費を優先配分するというものであった。しかしこれにたいしては教職員組合がただちに反撃し、医学部のつぎに予定されていた工学部の説明会を中止させ、10月末の学長選挙では任期制の導入に慎重な態度をとる新学長を当選させた。これで任期制導入問題はいったんストップすることになったが、完全に火種が消えたわけではなく、医学部を中心にくすぶりつづけている。

 任期制導入賛成派がもちだした論拠のひとつは、国立大学協会も任期制導入に積極的だということである。昨年11月12、13日に第101回の国大協総会がひらかれているが、そのさい、任期制の導入について決議がおこなわれたという。それがどういう内容の決議であったのかと、日本共産党の文教委員会から問いあわせたところ、それは内部の申しあわせのようなもので、外部へは公表しないという回答であったが、衆議院文教委員の石井いく子議員が国大協を訪れ、その内容を問いただしたところ、つぎようなものであることが判明した。

 「大学において教育、研究を活発化し、若手研究者を育成するため、教員任期制の導入をふくめ、教員採用の方法の刷新を図る。さしあたり任期制を実施できる組織あるいは単位から実施する」(赤旗、97年12月3日づけ)。

 これは群馬大学のなかで流されたような、任期制導入促進決議というようなものではなく、「あくまで大学の判断を尊重する」(国大協事務局長談)ものではあるけれども、しかし任期制法案が提出される以前に、大学審議会の中間答申がでた段階での国大協見解(1995年11月)にくらべると、導入推進にかなり傾いている。

 この間、任期制法案に賛成するように、また法案成立後は、任期制を導入するようにという、文部省から国大協への圧力は相当なものだったらしい。それは圧力をとおりこして、ほとんど恫喝といってもよいほどのものといわれるが、その手段として用いられたのが国立大学の民営化あるいは独立行政法人化である。つまり、任期制を導入しなければ民営化あるいは独立行政法人化されるという脅しである。

 国立大学の設置形態の見直しということは、すでに1971年の中教審答申でいわれていたが、その当時はあまり問題とされず、わずかに1983年に特殊法人という新しい形の放送大学が設置されただけであった。80年代初頭の臨調行革でもいちおうとりあげられたが具体化せず、今回の行政改革会議でようやく正式の議題となったのは昨年10月である。その間に、自民党が国大協の幹部を呼んで民営化についての意見をきいたり、国大協の特別委員会が民営化あるいは独立行政法人化に反対する見解を公表したりするなど、さまざまな動きがあったが、昨年12月の行革会議の最終報告ではつぎのように、結論を先送りしている。

 「国立大学については、上記のとおり高等教育行政の見直しも含めた組織、運営の在り方の改革を早急に推進する必要がある。さらに、独立行政法人化は、大学改革方策の一つの選択肢となり得る可能性を有しているが、これについては、大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべきである。また、大学の機能に応じた改組・転換についても、併せて積極的に検討する必要がある。」

V 大学改革の流れ

 以上のように国立大学の民営化ないしは独立行政法人化の可能性はいちおう遠のいたのであるが、しかしこの行革会議の最終報告がのべているように、大学改革への圧力はいっそうつよまってくるに違いない。

 1987年に臨時教育審議会が解散したあとをうけて大学審議会が発足してから、全国の大学は国公私立を問わず、「改革」にふりまわされているといってよい。もちろん、それ以前から「改革」ははじまっており、さかのぼればそれは、やはり1971年中教審答申を起点とするといってもよいのだが、それが加速してきたのは大学審の発足いらいであり、とくに1991年の大学設置基準の大綱化いらいである。全国の大学は「改革」に追われ、なんのために、どこをどう改革するのかもあいまいなままで、いっせいに走りだしている。それは「改革」というよりは「混迷」というべき状況なのである。

 なぜ、いま大学改革なのか。ひとつの要因は大学の大衆化であって、71年中教審答申も60年代高度成長のなかでの大学進学率の急上昇をうけて高等教育機関の拡充整備を提案したものであった。ただその場合に大学全体の教育研究条件の充実を目ざすのではなく、大学の多様化を主張し、重点的な投資をめざしたところに、根本的な誤りがあり、今日の「混迷」のもとがあったということができよう。こういう大衆化をうけて大学は量的には拡充されていったが質的には充実されず、これに加えて18歳人口の減少がはじまったので、大学への進学は、一部のエリート大学を除いては、ますます容易になり、それだけ大学生の質的低下を招いた。マークシート方式による大学入試や、偏差値教育も、こういう大学生の学力低下には責任があり、まったく奇妙な話だけれども、幼稚園あるいはそれ以前からはじまる世界に例を見ないほどの猛烈な受験勉強も、大学生の学力向上にはなにも役立っておらず、受験競争が激化すればするほど、大学生の学力は低下するという珍現象が生じているのである。とにかく、いまや英語はもちろんのこと、日本語の読み書きも満足にできない大学生を相手に、どうやって授業をなりたたせるのかということに苦労している大学は、けっして少なくない。どうやれば学生に力をつけることができるのか、これが大学改革のひとつの要因である。

 もうひとつの要因は大学にたいする社会的要請である。これは「社会的」要請とふつういっているけれども、はっきりいってしまえば財界の要請であって、1990年ごろから、つまりバブル崩壊期から、大学改革についての財界の提言が急増してくる。その内容は橋本行革の基本目標がしめしているように、「大競争に勝ち残る強靱な経済の形成」のために、大学の研究機能を強化してほしいということであり、あるいは経団連『魅力ある日本』(1996年)がいっているように、「フロントランナーの一員として新たな研究開発体制の確立」をいそいでほしいということである。それはたんに創造的な技術の開発にとどまらず、これからの日本を背負って立つ幅広い教養と国際的視野と独創性をもつ人材を育ててほしいということもふくむのであるが、しかし財界はこういう人材は少数で十分であり、多数のものはスペシャリストとしてそれぞれの分野をうけもってもらえばよいという。これが日経連のいわゆる「新時代の『日本的経営』」の労働力政策に対応するものであることはいうまでもないが、ここでもまた研究中心の大学への重点投資と、教育中心の大学の放置との格差政策があらわれていることに注目しておきたい。民営化あるいは独立行政法人化の対象として念頭にあるのは、この後者の方であって、一方では国費を重点的に投入して研究開発体制の強化をはかりつつ、他方では大衆化した大学では受益者負担によって自前で労働力育成をはかれというのが、今日の大学改革の底流にある考え方である。

W 21世紀の大学像

 このような流れをうけて昨年10月末、町村文相は大学審議会にたいして、新たな諮問をおこなった。これは任期制法成立後の新たな大学政策の方向をしめしたものとして注意しておく必要がある。

 諮問の内容は4つである。第1は21世紀の大学像と高等教育の規模についてであって、これはさらに4点に分れる。(イ)きびしい財政状況のなかで質の高い教育研究をどう実現していくか、(ロ)大学院を拡充する一方で学部の規模はもっと縮小してもよいのではないか、(ハ)大学院は2010年までに在学生30万人(現在は17万人)にまで拡充してはどうか、(ニ)国公私立大学の役割分担(現在は私立が大学生の8割をうけもつ)はこれでよいのか。

 第2は大学院の改革であって、これはひとことでいえば大学院の多様化である。つまり、大学院のなかでも高度のレベルのところにさらに重点投資をおこない、その一方で1年制の高度職業人養成のための大学院や通信制や社会人むけの大学院をつくるという考え方である。

 第3は学部教育の改善である。これについては、すでに以前の諮問をうけて大学教育部会で審議をかさねており、その答申が昨年12月にだされたのであるが、それを待たずに重ねて諮問されるという変則的な形となった。12月にだされた答申では授業改善のためのさまざまな方策を提案し、また3年制の短大から編入した学生については、単位の習得状況に応じて在学1年で卒業させてもよいとした(これとは別に高校2年から大学へ入学できる飛び級制度もみとめられている)。新しい諮問では高校と大学、学部と大学院との科目の連携をつよめること、および学部に大学院進学コースをもうけ、3年修了で大学院へすすめるようにしてはどうか、ということがふくまれている。  第4が大学の組織運営システムの改革である。ここでは(イ)学長、学部長のリーダーシップの確立、(ロ)評議会、教授会の審議事項の明確化、(ハ)学外の有職者の助言をとりいれるためのしくみ(大学運営協議会のような機関の設置)が提案されている。ほかにも事務手続きの効率化、大学評価システムの確立、情報公開の促進などがいわれているけれども、重要なのは上記の3点である。(イ)の学長、学部長のリーダーシップの確立というのは、ようするにトップ・ダウン方式をつよめよということであって、学内民主主義の否定につうずる。(ロ)の評議会、教授会の審議事項の明確化も同じ狙いであって、現在のように、なんでもかんでも教授会にかけているやり方を改め、こまかいことは事務的にどんどん処理していけということである。諮問のなかでは「国立大学における経営的視点の導入」という言葉もあるが、たしかに企業経営に馴れている財界人から見ると、大学の運営はきわめて非能率に見えるであろう。とくに、複数の学部からなりたっている大学では、全学部の教授会の意見がそろわないと学部代表のあつまりである評議会では決定できないという慣習がある。これを改めたいというのが諮問の趣旨で、教授会の権限を縮小し、評議会の決定権を拡大しようということである。(ハ)の学外者の参加は、新制大学の発足いらい文部省がいいつづけてきたことで、1973年に設置された筑波大学で国立大学としてははじめて、学外者が参加する参与会という制度がもうけられたが、その後もこの制度はあまりひろがらなかった。なんとか、これをひろげたいというのが文部省の悲願であり、財界人のなかにも大学へのりこんで、直接にいろいろ注文をつけたいと思っている人もいるようである。

X 世界の大勢に逆行する大学改革

 こうして見ると、政府・財界の考える21世紀の大学像がおおよそうかび上ってくる。

 その特徴はまず第1に、学部を縮小し大学院を拡充する頭デッカチ型に変えていくということである。これまでは大学は「学術の中心」(学校教育法第52条)として位置づけられていたが、「学術の中心」は大学院へうつし(すでに大学院大学でそういう傾向がでている)、学部は高校の延長程度のスペシャリスト養成機関とする(一般教育の軽視)。ただし大学院もすべてをこれまでのような研究中心とするのではなく、多様化して研究中心の大学院と職業人養成ないし社会人再教育との大学院とに分ける。したがって一見頭デッカチに見えるが、頭の部分がまたピラミッド型となる。

 第2は管理体制の強化で、教授会自治も否定してトップ・ダウン方式に改める。これは現在でも、とくに私学ではそういうところが少なくない。なかには教授会がひらかれていないところもあり、ひらかれていても人事や予算がまったく権限外とされているところも多い。国立大学ではいちおう教授会自治は守られているようだが、なかには教授会をとおさずに文部省からの天下り人事がきまったところもある。

 第3は新たな産学共同の推進である。これは従来の委託研究とか寄付講座とかというレベルをこえて、人材交流へすすんできている。任期制のひとつの狙いもここにある。大学から企業へ、企業から大学へという交流がすすめば、産学共同どころか、産学一体化ともいうべき状況が生まれるであろう。すでに一部にはそういう状況が生じているのである。それは研究開発のことだけでなく、学生の教育においても「会社人間」がつくられていくことになるであろう。

 第4にネガティヴな特徴としては文教予算の削減がある。国立大学の民営化も独立行政法人化も、文教予算の削減、受益者負担の増大のためのものである。ある試算によれば国立大学を民営化するためには、授業料を現行の3倍ないし5倍(150万円から250万円)に引上げる必要があるという。

 アメリカでもイギリスでもフランスでも、これからの政策の中心は教育の充実におかれている。日本はこれに逆行し、教育を手抜きしながら「創造的技術」だけをひろいあげようとしている。これも「ルールなき資本主義」のひとつのあらわれであろうが、そのツケは赤字国債の乱発より、はるかに大きいであろう。

(理事、一橋大学名誉教授)


日本的労使関係研究プロジェクト

「『日本的経営』の変遷と労資関係」刊行

 労働総研「日本的労使関係研究プロジェクト」は、この程、「動揺する『日本的労使関係』」に引き続いて、研究成果を牧野富夫監修・労働運動総合研究所編「『日本的経営』の変遷と労資関係」のタイトルで新日本出版社から刊行した。それは下記の構成となっている(244ページ・定価2600円)。

序 章 「日本的経営」の展開と労働者状態
 はじめに
 第1節 「日本的経営」とはなにか
 第2節 「日本的経営」の展開
 第3節 90年代の「日本的経営」と労働者状態
 おわりに−「日本的経営」崩壊の契機・条件
第1章 「プレ高度成長」期の日本の労資関係
 第1節 戦前・戦時の労資関係
 第2節 敗戦直後の労資関係
 第3節 反共「冷戦」激化、占領政策の転換、「合理化」攻撃、労働運動の分裂と後退
 第4節 単独講和・日米安保体制と総評労働組合運動の形成
第2章 「日本的経営」の展開と労資関係
 はじめに
 第1節 高度経済成長期の日本的経営
 第2節 能力主義、実力本位への志向
 第3節 減量経営期の能力主義管理の登場
 おわりに
第3章 「日本的経営」の再編と「日本的労使関係」
 第1節 石油ショックと「減量経営」の展開
 第2節 終身雇用の「広域化」と「能力開発主義化」
 第3節 年功賃金の「修正」と新職能的資格制度
 第4節 日本型企業社会の深化・拡延と社会的批判
第4章 独占の21世紀戦略と労資関係
 第1節 崩壊する「日本的経営」?
 第2節 バブル崩壊と21世紀戦略の台頭
 第3節 「経営ソフトリストラ」に揺れる終身雇用
 第4節 能力・業績主義管理の台頭
 第5節 21世紀戦略と労働組合運動
第5章 レギュラシオン理論と「日本的労使関係」
 第1節 レギュラシオン理論とフォーディズム
 第2節 ポスト・フォーディズムと「日本的労使関係」
 第3節 バブル経済の崩壊とレギュラシオン学派の新論調
 第4節 「日本的労使関係」とフレキシビリティ
第6章 「日本的経営」の展開における女性労働
 第1節 戦後再建期−「戦後改革」と労組婦人部
 第2節 高度成長期−「日本的経営」の形成と性別管理
 第3節 低成長期以降−「日本的経営」の再編と性差別の構造的再編
 第4節 21世紀に向かう「新・日本的経営」と女性労働
 まとめに代えて−「日本的経営」のもとで、女性労働者の運動
あとがき
 ──執筆者(<>内は担当部分)──
 牧野富夫 日本大学教授<監修、序章>
 相澤與一 福島大学教授<第1章>
 平沼 高 明治大学教授<第2章>
 青山茂樹 静岡大学教授<第3章>
 平澤克彦 日本大学助教授<第4章>
 黒田兼一 明治大学教授<第5章>
 川口和子 中央大学非常勤講師<第6章>

CGT/ISERES主催国際シンポジウム

「グローバリゼーションと労働法」に

労働総研、全労連が出席

 2月5〜6日、パリで表題の国際シンポジウムがCGT(フランス労働総同盟)とISERES(フランス経済社会調査研究所)主催で開催され、労働総研・労働法制研究部会から松尾邦之会員(香川大学助教授)と全労連本部から寺間誠治・行革・労働法制局長が出席しました。25ヵ国から300人が参加し、2人はそれぞれ日本の状況をふまえて発言しました。また松尾会員はISERESと労働総研との資料・情報の交換について話し合い行いました。この国際シンポジウムについての報告は、「労働総研クォータリー」などに掲載を予定しています。

2月の研究活動

2月17日 社会保障研究部会=報告・討論「地域調査に見る住民生活−社会保障の視点から−」
  18日 国際労働研究部会=「98年版/世界の労働者のたたかい」の内容検討
  20日 女性労働研究部会=安行政からみた労働法制改悪について」

寄贈・入手図書資料コーナー

2月の事務局日誌

2月3日国公労連第42回臨時大会へメッセージ
山一証券を通じて考える−金融ビッグバン・シンポジウム(加藤常任理事、宇和川)
5日東京労連大企業懇・98春闘学習会(草島)
12日全労働結成40周年記念レセプション(加藤常任理事)
13日湘南地方労連・98春闘学習会(草島)
14日〜15日 山形県医労連・98春闘幹部研修会(宇和川)
17日次期役員選出作業委員会(責任者・内山常任理事他3人)
23日全運輸第38回中央委員会へメッセージ
25日国民大運動実行委員会・98年度予算学習会(草島)
26日全日本民主医療機関連合会第33回定期総会へメッセージ