労働政策審議会労働条件分科会に
提出された「報告案」についての見解

2006年12月19日
労働運動総合研究所
代表理事 牧野 富夫
常任理事 萬井 隆令

 検討が進められてきた労働契約法制定および労働基準法改正について、厚生労働省は11月10日、21日、28日に、「今後の労働時間法制について検討すべき具体的論点」および「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点」を公表し、12月8日に「今後の労働契約法制及び労働時間法制の在り方について」(以下、一括して「報告案」という)を労働政策審議会労働条件分科会に提出した。従来からの労働組合の強い反対や多くの研究者の疑問を無視し、財界の思惑を優先させて、法改正の強行を試みるものである。

 1.基本理念について

 「報告案」は、労働時間法制については働き方の多様化、自由度の高い働き方、仕事と生活のバランスといった言葉、労働契約法制については契約内容の自主的決定、労働契約の円滑な継続といった言葉を羅列する。「働き方の多様化」は、企業が契約形態として有期契約を多用し、派遣や業務請負を利用した結果で、様々な不安定就業形態が増加している事態に他ならない。「自由度の高い働き方」は、裁量労働制やホワイトカラー・エグゼンプションを合理化する脈絡で使われることが多いが、後者は「仕事と生活のバランス」を崩すものである。「契約内容の自主的決定」といいながら企業が一方的に制定・改廃し得る就業規則によって労働条件を決定することを認めるよう法改正するというのは矛盾も甚だしい。
 要するに、法改正の基本理念を公然と説得力を持って語り得ないところに、今回の法改正作業の本質が露呈している。それは、労働者の実態と問題の所在を正確に把握・分析することなく、したがって、ひたすら財界の要望に応じようとするだけのものに終わっている。

 2. 労働時間法制とホワイトカラー・エグゼンプション

 「報告案」は、欠陥が多い現行の労働時間法制を放置しながら、労働時間制度をいっそう悪くするホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようとしている。

 (1) 欠陥が多い労働時間法制の放置について
 現行の労働時間法制には欠陥が多い。36協定を結び、25%と低い割増し賃金を払えば法定労働時間を超える時間外労働が認められ、厚生労働省告示に基づき法律的な拘束力のない目安が示されるだけで、実効的な上限規制は存在しない。さらに幾種類もの弾力的労働時間制や専門業務型および企画業務型裁量労働制が容認されている。その結果、長時間労働と労働者の健康破壊が指摘されている。
 しかし、それらについての是正策はまともには検討されていない。時間外労働の制限にキャンペーン月間設定が提言されるが、「労使自治」に委ねられるようでは到底効果は期待できない。また、「一定時間を超える」場合にのみ「現行より高い割増賃金」の支払いが提言されるが、具体的な率は示されない。結局、現行法制は放置される。

 (2) ホワイトカラー・エグゼンプション制度の創設について
 アメリカをモデルに、「自律的労働にふさわしい」「自律的な働き方を可能とする」などと呼称に工夫を凝らしながら検討が進められてきたが、最終的に「自由度の高い働き方にふさわしい制度の創設」として提案された。要するに、一定範囲の労働者について労働時間に関する規定の適用を除外する制度である。
 対象となる労働者は、「労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事」し、「業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位」にあって、「業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者」で、「年収が相当程度高い者」であり、労使委員会で、週休2日相当以上の休日の確保、休日の特定、「健康・福祉確保措置」を定め、「労働者の同意」を要することとしている。
 「報告案」は、業務の内容や量、仕事完成の期限など重要なことはすべて使用者が決定し、指示する、という最も重大な問題点を隠している。現実に対象となるのは「管理監督者」の下位に位置する労働者であって、使用者の指示を拒んだり、その変更(業務の軽減)を求めることができるとは考え難い。「自由度の高い働き方」など望むべくもなく、指示された業務をやり遂げようとすれば、事実上、無定量の労働が義務付けられる事態を招くことになるのは必至である。
 それは、過労状態を招き、健康を破壊し、今以上の業務上の疾病や過労死、過労自殺を引起こすことは不可避である。しかも他方で、労働時間制の適用が排除され、時間外労働に対して一切手当てを支払わなくても済むから、企業にとっては支払う手当ての節減となるが、労働者の収入は激減する。われわれの試算によれば、労働者一人当たり年114万円、対象となる労働者は1.013万人で総額11.6兆円もの超勤手当てが不払いとなる。それが国民全体の生活水準の低下をもたらすことは間違いない。
 さらに、「管理監督者」として労働時間制の適用除外の対象となる範囲をスタッフ職に拡大しようとしている。現在、「管理監督者」と扱われて労働時間制の適用を排除されながら、実際には、経営者と一体で就労するわけでもなく、出勤退勤の時間を自由に調整できるわけでもない下級管理職者が数多く存在する。むしろ、その実態把握と「管理監督者」制度の見直しが先決である。

 3. 就業規則による労働条件の一方的不利益変更の制度化

 現行の就業規則の作成・変更の手続きの欠陥を正すことなく、「合理的な労働条件…を定めた就業規則」が存在し得るかのように標榜しつつ、就業規則による労働条件の一方的不利益変更を認めようとしている。

 (1) 就業規則作成・変更制度の欠陥について
 現行法上、過半数労働者の代表の「意見を聞く」という手続きをとれば、あとはすべて使用者の判断によって就業規則を制定・改廃することができる。「報告案」では、労働者代表の意見を尊重するとか、配慮することさえ求められてはいない。
 しかし、「報告案」の基礎となった労働契約法制の在り方研究会でも、過半数労働者代表の民主的選出の方法について何ら検討されていない。また、民主的に労働者代表が選出されたとしても、その役割を果たすためには、多くの労働者の実情や要望や職場の問題点などを把握し、解決の方向を検討し、必要があれば法律的な知識を得、会社の経営状態を資料に即して分析することなどが不可欠であり、そのような能力をつける必要がある。だが、「報告案」はそのための調査、分析、研修等について労働者代表に時間的経済的な保障を行うことについては一切言及していない。したがって、過半数労働者代表は、個人の識見だけを頼りに使用者に対し意見を述べるに終わらざるを得ない。
 就業規則に何らかの法的効力を与えようとするのであれば、少なくともそのような手続きや条件の整備が先決である。そのような問題をなんら改善せず、現行の就業規則制定手続きのままでは、使用者が労基法を遵守したとしても、労働者保護にとって真に意義のある就業規則が存立することは期待し得べくもない。

 (2) 就業規則による労働条件の一方的不利益変更の制度化について
 「報告案」はそのような欠陥を放置したまま、「合理的な労働条件」を定めた就業規則がある場合には「就業規則に定める労働条件が、労働契約の内容となるものとする」、「変更が合理的なものであるときは、労働契約の内容は、変更後の就業規則に定めるところによる」という。かつては、就業規則による旨の「合意が成立しているものと推定する」等としていたが、今や、反証の余地がある「推定」でさえなく、法律によって合意を擬制してしまおうとするのである。
 現在の判例では、裁判所が合理性の有無を判断する。過半数の労働者を組織する労働組合が合意している場合であっても、「不利益性の程度や内容を勘案」して就業規則による労働条件の変更について合理性を否定する判例も存在するが(みちのく銀行事件・最高裁平成12年9月7日判決)、「報告案」は判断要素を「労使の協議の状況」に曖昧化しており、そのような判例さえも否定しかねない。いずれにしても「報告案」は、自らも述べた、「労働契約は、労働者及び使用者の合意によって」成立・改廃されるし、労働条件は労使が共同決定する、という本来の在り方に反するものである。

 4. 解雇の金銭的解決制度

 解雇の金銭的解決制度は、今回は見送り、検討課題として残されるようであるが、同制度は裁判において無効と判断された解雇であるにもかかわらず、一定額の金銭によって労働者を職場から排除することを容認する。労働者にとっては、今でも、解雇無効・原職復帰を求めないで職場を去りつつ、解雇を不法行為として訴え、損害賠償を請求するという金銭的解決の方法は存在する。したがって、「報告案」は「労使が納得できる解決方法」というが、労働者にとっては無用のことであり、もっぱら、企業のために創設するものに他ならない。
 同制度は労働者の原職復帰が困難な場合を想定しているが、その状態は使用者が創り出しているものであって、当該使用者がそれを理由とすることは公平ではない。加えて、解雇無効判決後、労働者が原職に復帰している例は40%程度あるが、復帰困難を安易に認定することは労働組合の活動などを阻害することになる。
 また現実の裁判では、使用者が主張する解雇理由を労働者は否認し、真実の理由は差別ないし権利行使だと主張する例は多いが、その判断は難しく、かえって裁判が長期化し、紛争の早期解決に資するものでもない。

 5. 有期労働契約

 「報告案」は、期間の定めのある労働契約については、「不必要に短期の有期労働契約を反復更新すること」の制約を提言するに止めている。
 有期契約そのものが不安定就業をもたらすものであるし、企業は有期契約を反復更新しながら、いつでも更新拒否によって雇用の調整弁とする。更新を期待して権利行使を控える労働者もある等、弊害も少なくない。
 本来、継続的な仕事に就かせる労働者は契約としては期間の定めのない労働契約によるという常用雇用が原則であって、有期契約は期間の定めをする合理的理由がある場合にのみ認められるべきものである。その基本点を踏まえた法改正への検討でなければならない。

 6. おわりに

 「報告案」は、以上に述べるように、ホワイトカラー・エグゼンプション、就業規則による労働条件の一方的不利益変更、有期契約の規制などについて多くの問題点を含んでいる。他方で、採用差別の禁止、同一労働同一賃金の原則、労働時間の上限規制や使用者の安全配慮義務など、本来、改正されるべき、あるいは新たに立法による規制が試みられるべき問題は検討の対象にされることもないまま放置されている。そのような状況の下で、「報告案」の内容が法制化されるならば、今後、使用者による一方的な労働条件の改悪に途を開き、今以上の労働者の過労死や過労自殺を招きかねず、また国民全体の生活水準の低下をもたらすことになるものであって、到底、容認できない。
 本研究所は、「報告案」の内容を全面的に見直し、労働法本来の労働者保護の理念を踏まえて、労使の実質的な対等を実現することに資する法制の検討に向けて、真摯に取り組むよう要請する。

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