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消防団出初式

写真 消防団員はエライと思う。本職の傍ら、地域の災害防止、災害対応のために活動している。災害防止に向けた広報活動や訓練、地域活動は決められた時間帯で行なわれるが、実際の災害の場合には日夜を問わず、起きる時間帯も規模もその時点になって初めて目の当たりにする。それでも彼らは人々の幸せのために、人々が安心して暮らしていけるように、寒い日や真夜中であっても彼らは飛び出し、プライベートな時間を犠牲にしてまで奮闘している。そんな彼らの一番の見せ場が出初式である。

 1月11日(日)午前、小金井市消防団の出初式がJR中央線・武蔵小金井駅南口の交通広場で行なわれた。この地での出初式は今年で3回目。普段は交通広場内を埋めつくす路線バスやコミュニティバスの出入りをこの日だけはご遠慮願い、タクシーも広場内には入らないようにしてもらって執り行なうのである。

 駅前ともなれば、駅を利用する人や近隣の方々の注目を集める。たちまち多くの人々が回りを取り囲み、なかには建物の2階に上がって、絶好のカメラ位置を確保する人も出てくる。来賓席には消防関係者や国会議員、市議会議員などが居並び、市の職員もかたずをのんで見守っている。そんななかで始まった出初式は、一糸乱れぬ部隊操練や通常点検を織りまぜ、最後の一斉放水で無事終了した。回りを取り囲むたくさんの人々からは感激の拍手が鳴り響き、消防団員の顔には笑顔が戻った。

 私が住む貫井南町の坂下地域は、第4分団の活動地域である。第4分団は前原町全域と貫井南町の坂下地域を担当しており、防災や災害時のみならず、地域の大きな行事の際には、交通安全対策に一役かってもらったりしている。その第4分団は現在、2名不足している。2年ごとにやってくる人員改選のたびに15名の定員確保に四苦八苦し、定員が埋まらないままでスタートせざるをえない場合も起きてくるというのが現実である。農家や商工業者などの自営業者が年々、減少していることが背景にある。

 出初式当日、第4分団の団員は朝7時前に分団詰所に集合する。8時30分に出初式会場に到着し、簡単なリハーサル、そして午前10時からの本番を迎える。「服装は?」と聞くと、「厚めのシャツに白ワイシャツ、そして団員の上着を着ています」との答え。つまり、たった3枚しか着ていないということである。ホカロンを使わない人もいるとのこと。「寒いでしょう?」の問いに、「寒いです」との当然の答え。「でも一番厳しいのは、足の先」と言う。交通広場は地面がコンクリート。冷気が爪先から這い上がってくるのである。

 小金井市の消防団は5つの分団からなっている。かつて小金井市では分団が10個の時代もあったが、分団ごとの統合が進み、1957年11月に前原(第6分団)と貫井坂下(第7分団)が統合して「第4分団」を構成。以後、今日に至っている。アベノミクスで大企業のおこぼれがやがては中小零細にも落ちてくると政府は盛んに宣伝するが、「貫井南にはアベノミクスは来ていない」と、地域の酒屋さんは言う。「貫井南どころか、小金井市の入口でアベノミクスは足踏みしている」と述べる人も多い。いずれにしても、地域の自営業者の存立が危ぶまれる今日の社会は、消防団の存立そのものに大きな影響をおよぼしている。今日の政治の在り方が問われていることに、疑いはないところであろう。

(2015年1月15日付)


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