評論・佐賀と太良

多様な太良町の自然環境、人々の暮し

全部の区をまわって実感

2001年10月8日


 9月末から10月はじめの約10日間をかけて太良町内の全部の行政区・55区をまわってきました。新しく「太良町探訪」シリーズをはじめるにあたって、まず、ひととおりまわってみようと思ったからです。
 三里など中学校のとき以来40数年ぶりという区もありました。中学校区が違うということもあって、大浦地区の山間部ははじめてのところが大部分でした。
 とにかく、ひととおりまわってみようということで、自動車に乗っての駈け足訪問でしたが、それでも行った先々で農作業中の人の話を聞き、狂牛病問題もあって畜産農家を訪問したり、多くの町民の方にふれることができました。
 中尾や中山では、「川内の川上です」と自己紹介すると、年輩の方は「ああ、川上先生の---」とすぐに中尾分校や中山分校につとめていた父親のことを思い出してくれ、うちとけた話が出来ました。
 また、久しく会わない中学校の同級生の消息を聞くことも出来ました。

 駈け足でしたが、感じたことをポイント的にまとめてみたいと思います。

 町内の全部の区をまわってみて、あらためて太良町の多様性--多良岳山系を中心とした山岳地帯、風早などの高原地帯、丘陵と山麓、有明海沿岸という立地条件の多様性、そして多様な立地条件が生み出した林業、畜産、ミカン、野菜、コメ、漁業などという農林漁業の多様性を実感することが出来ました。

 「農林漁業」という第一次産業の場があること、現に多くの町民が農林漁業で生計をたてていること---ここにズバリ太良町の特徴があると思います。自治省は全国の市町村を人口や産業構造でいくつかの「類似団体」に分類しています。太良町は人口でいえば8,000人〜13,000人の「類型V」、産業構造でいえば第2次・3次産業に就業する人口が65%未満の(逆にいえば第一次産業に就業する人口がが35%以上だということ)の「類型0」になります。全国の町村のうち、人口8,000人〜13,000人の「類型V」は598町村ですがそのうち第2次・3次産業の就業人口が65%未満の「類型0」はわずかに27町村で、4.52%です。人口1万人前後の規模の町村としては特異な存在だと思います。

 次に、平地が狭く大部分は山岳と高原、丘陵という条件のなかで集落を作り、農林漁業を育ててきた先人達の努力と労苦に頭が下がりました。
 中山や中尾の見事な棚田、丘陵地帯をどこまでもつづくミカン畑とその中を走る道路網をみるとその思いがおおきくなります。
 ところが、「グローバル化」「国際化」の美名のもとにそのような労苦が一挙に押し流されているのが現実です。間伐や手入れが不十分なままの一部の森林、耕作放棄された山間部の田畑、ミカン畑などがそれを示していました。若い人が土地を去り、年よりだけが残され、やがて人がすまなくなる---山間部や高原地帯で人が住まなくなった家をいくつも見ることが出来ました。一人残されたお年よりは、買い物はどうしているのだろうか、病気になったときどうしているのだろうか。そんな思いも広がります。
 

 太良町では、55の区が山間部、高原地帯、丘陵地をとわず点在しています。そこに、先祖伝来の土地を守って人々が働き、住んでいます。
 この現実が出発点だと思いました。
 それだけに、町づくりの基本を「町民が町内のどこに住んでいても医療、福祉などのサービスをうけ、雇用と所得を得ることができ、教育や文化、情報に接することができ、商店での買い物や役場の用事を果たすことが出来、家族や親戚、友人、地域の人々との交流を深め、災害や事故、犯罪に心配することのない生活をおくることができる町作り」におくことが大切だと痛感しました。
 たとえば、地元で雇用と所得を増やそうとする町民の試みを積極的に支援することです。
 区と区をつなぐ道路網を整備し、危険個所の安全対策をたてることです。
 お年よりの世帯にたいして、日常の生活の支援体制を作ることです。

 課題はいっぱいありますが、町民の協力と努力で太良町を文字どおり「ゆたたりの里」にする可能性と展望はあると確信しました。
 そのために、自分がこれまで蓄積してきたすべての知識と経験をつぎこみたいと思います。   


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