太良町探訪

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中尾分校と美しい棚田---中尾を訪ねる

2001年10月25日


 天気が良かったので、多良小学校中尾分校まで出かけました。妻も一緒でした。
 中尾分校は1950年代になるでしょうか、私の父が教師として勤務していた分校です。
 私の父は、どういうわけか分校暮らしが長かったようです。まず、現在鹿島市になっていますが、その当時は七浦小学校の分校であった奥山分校。ここに独身時代勤務していました。そこで、先任の教師であった三原モトの長女が私の母です。
 次に大浦小学校のあとが、多良小学校の中山分校です。戦時中から戦後にかけての数年間、勤務していました。小学校に入る前ですが、私も父につれられて山道を通り、中山分校へ行った記憶があります。いまでも 中山地区の古老にあうと父のことを思いだしてくれます。
 その後が、中尾分校でした。わたしの家から歩いて1時間ぐらいかかるでしょうか。帰りは下り道でいいのですが、行きは上り坂で大変だったと思います。
 父よりまだ大変だったのが、本校へ通う小学校5年生から中学校生徒です。わたしの家から小・中学校まで40分ほどかかりましたから、子供たちの通学の苦労は大変なものだったでしょう。中尾へ行くたびにその思いにかられます。

 そんな思いのある中尾分校を訪ねてみることにしました。自動車で分校に乗り付けるのがなんとなく気がひけて、中尾区の入り口に車をおき歩くことにしました。片道20分ほどの道のりでした。
 道の両脇には棚田が広がっています。谷の下から山の上まで整備した棚田、見事なものです。私は、観光案内にも良くのっている石川県・能登半島輪島市の「千枚田」は何回となく見てきましたが、それに劣らぬ見事な棚田だと思いました。
 同じ棚田でも、中山地区の棚田と雰囲気が違います。
 中山地区の棚田は、石垣をがっしり組んだどちらかといえば男性的な棚田です。中尾の棚田は石垣でなく、土手で田を囲んだ棚田で、どちらかと言えば女性的な感じがします。その棚田が谷の底から山の上まで続く光景は芸術的といってもいいほどです。
 山間部でなんとかコメを作ろうと努力した中尾地区の先祖の苦闘をそのままあらわしていると思いました。そして、大変だけども、現在良く管理されているなと思いました。中尾地区の皆さんのご苦労に本当に頭が下がる思いがしました。

 中尾地区と中山地区の棚田の写真をならべてみると違いがよくわかります。
 どちらも、太良町の先輩が築き上げた財産・山村の原風景です。何時までも大切にしたい、この棚田で何時までもコメが作れるようにしたいと思いました。

 中尾分校は、こじんまりした作りでした。私が子供のころ記憶していた面影は全くありません。
 学校へついたのは午後2時頃でしたが、まだ授業が続いていました。
 玄関口で学校のなかを覗きこんでいると男性の先生に「どんなご用ですか」と声をかけられました。名前を名乗り、父が50年前、この分校で教師をしていたこと、懐かしくなってたずねたことを伝えると、教員室に歴代の教師の写真か名前が掲示してあったのでしょうか、「ああ、川上盛雄先生の---」とすぐわかってもらえました。
 外部の方が訪問していただくと子供たちの刺激にもなりますのでという先生の言葉に甘えて、学校を覗かせてもらうことにしました。
 教室が二つと職員室が一室、きれいに整頓された分校でした。4年生2人と3年生1人で1学級、2年生1人で1学級を構成していました。一年生はゼロということです。全部で4人、先生は2人です。
 まず、若い男性の先生が担当する3.4年生のクラスをのぞきました。元気そうな子供たちでした。1.2年生のクラスでは若い女性の先生と2年生の男の子が一対一で国語の勉強をしていました。
 2年生の男の子と「さよなら」と握手して分校をあとにしましたが、いろんな思いにかられました。以前、父が勤務していたころは10人以上はいたとおもいます。現に、私の多良小学校の同級生で中尾分校の出身者は4人ほどいました。一学年で1人の子供----この地域の子供が本当に少なくなったんだな、この子供たちが大きくなったときこの地域の集落が維持できるんだろうかという思いにかられました。
 そういう条件のなかでも子供たちの教育に献身している若い先生方に感謝したいと思います。そして、この地域で頑張っている親たちと力をあわせてこの地域の暮しを守っていかねばとおもいました。

 歩いている途中で畑仕事をしている年輩の女性がいました。「こんにちわ」と声をかけると、私の親戚の親戚、いわゆる「縁者」にあたるOさんでした。
 家に立ちより、腰をおろしてお話をお聞きしました。五人の子供さんはそれぞれ独立して、今は広い家に1人で暮しているとのことでした。近くの市町や太良町内に息子さんや娘さんが住んでいるので、太良病院の通院などには不自由していないとのことでした。

 父が教師を勤めていた中尾分校の地区、父の思いもこめてこの地区の子供たちのために、みなさんと一緒にがんばりたいと思います。

  

土手をつみあげた中尾地区の棚田(2001.5.25))

石垣を積上げた中山地区の棚田(2001.5.25)


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