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2010原水爆禁止世界大会!��
二度と教え子を戦場に送らない
それでは第五師団の地下室を観に行ってみましょう。
ここには第五師団の作戦本部とともに原爆投下の第一報を伝えた通信施設がありました。
朽ちた木材や瓦礫がそのままに残っています。
何か当時の日本の切羽詰まり感が伝わってくるような地下室でした。一つの軍隊を取り仕切る部屋としてはあまりにも狭い場所でした。
広島城の中にある広島護国神社。関西右翼の聖地です。
日清戦争のときに大本営が広島に作られたことから広島は軍都として栄えていきます。
大本営とは天皇が戦争の指揮を執る場所。当時は国会の場も広島に移されて開かれたそうです。
大本営の跡地に慰霊碑がたっていました。
昭和10年とあります。西暦になおすと1935年。中国への侵略戦争を突っ走っていたさなかです。
よく見ると、記念碑の一番上が何かで塗りつぶされているのがわかります。
ここには「史跡」の二文字があったのですが、これは戦後、政府があえて塗りつぶしたのです。それほど問題のある言葉とは思えませんよね?なぜ塗りつぶしたのでしょうか…
実は、この記念碑を『史跡』として建てた人たちに問題がありました。さて問題です。その人たちとは誰でしょう?
記念碑の横にその答えがあります。またもやなにかが塗りつぶされているわけですが、かろうじてわかりますね。
そう、答えは文部省です。
政府が教育を使って絶対主義的天皇制と侵略戦争を推し進めていた事実…それを国際的に知られてはならないとする行動の一環として塗りつぶしていたのです。
こういう行動の跡一つとっても、当時の政治がいかに“国際的に異常な行動”という認識をもちながら軍国主義政治を進めていたか、白日の下にさらされます。
軍国主義を進める道具とされた教師たちは戦後、“教え子を再び戦場に送るまい”と誓い合いました。その誓いの証でもあった教育基本法が、いま変えられてしまった中、あらためてこうした歴史を振り返る必要があります。
(10.8.27)
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