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2008年 原水爆禁止世界大会 IN 広島��
右翼の聖地?
原水禁大会報告なのに何故、右翼の街宣車?と思うでしょうがちゃんと関係があります。
まずこの神社ですが広島城の一角にある広島護国神社といいます。爆心地に近く、敷地内で最も近くて400m、遠くて1000mでした。ですので国宝だった天守は原爆投下によって一瞬にして吹き飛びました。広島城は今でこそ木造丸出しのいかにも由緒ありそうな天守閣を見せていますが、戦後の復元なのです(中身は鉄筋コンクリート)。
日清戦争中は大本営が移された重要な軍事拠点でした。つまり明治天皇がここで日本軍に指令を出していたのです。帝国議会も広島城で開かれたとか。
第二次世界大戦中も陸軍第五師団という軍隊が常駐した重要な軍事基地でした。
広島では右翼も核廃絶を叫ぶ
つまり、天皇や日本の戦争との関わりが深い神社というわけで、ここら辺の右翼は毎年この時期参拝するのです。
面白いのはこの参拝の後の街宣。「核兵器廃絶」や「原爆犠牲者慰霊追悼」をスローガンにして行われるのですね。
まあ、「過ちは繰り返しませぬから」と誓った平和公園の慰霊碑碑文にケチをつける問題性もありますがね。
さ、この日は8月5日、大会二日目です。この日は分科会形式となっており、全国からの参加者が好きな分科会を選んで学び、体験する日です。
私は「青年の広場」という分科会に参加。被爆者の証言を聞きに一班10人の青年が広島市内を訪ねるというものです。私はその班のリーダーとなって白島という地域を訪ねました。
いや、証言は驚くべきものでした。
従来の、被爆直後の体験を聞くというよりは被爆者の内心に触れる証言でした。
この地域で証言された方は4人いたのですが、ある被爆者は
『私がこんなところでしゃべっているのを知ったら、あのとき死んだ人たちに怒られる』
といったのです。
多くの被爆者は実は被爆体験を話したがりません。それは被爆者に対する“放射能汚染された身体”という偏見・差別のために話したがらないのもあるでしょうが、大きくは、この証言者が言っていた
「お前は生き残ったのだから良いじゃないか」
という心理からです。
この「青年の広場」は広島の青年達がこうした被爆者心理に真正面から向き合い、「それでもみなさんの体験をこれからの若者に語ってほしい」と訴えて企画されています。ですから初証言の方もたくさんいらっしゃるんですね。
今回、地元の人も初めて聞いたという話をしてくれた方は、なんとあの広島城の基地で働き、被爆したという方でした…
爆心地から700mの被爆。一万人が死傷した陸軍第五師団の生き残りの一人です。
彼女の証言は印象的でした。彼女は被爆後、嘔吐や下痢、吐血、脱力、脱毛といった放射線による急性障害を発症せず、「ぴんぴんしていた」というのです。
あまり証言が少ないせいなのかもしれませんが、市内の悲惨な様子はあまり語られません。
「私はたいしたことなかった」
しかし、よくよく聞くと顔の半分にガラスが無数に刺さり、血だらけになったといいます。近くにいた人は即死だったといいます。20代前半の女性がそんな状態になってどうして“私はたいしたことなかった”といえるのか。
「お前は生き残ったんだから良いじゃないか」
…この言葉が何か被爆者の証言を後の世代に引き継がせない装置のように働いていると感じました…。
被爆者の証言を聞けば無条件に「核兵器はいけない」、「戦争はいけない」という言葉が若者の胸に刻まれます。この「青年の広場」に参加した青年は全体でなんと70班近く、800名ほど。広島の青年が集めてくれた証言者も100名を越えました。
被爆者のみなさん、その貴重な証言を「継承」し「発信」することをここに誓います。
写真はその夜の原爆ドーム。明日はいよいよ原爆祈念日です。
(08/08/14)
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