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平和を学ぶ沖縄ツアー 自然豊かな海を埋め立て
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【埼玉土建一般労働組合が主催した「学習交流集会in沖縄」に参加した望月高志議員の手記を紹介します。】

 辺野古新基地建設に反対する「テント村」へ向かいました。テント村に着くなり『民意は基地建設NO!』との大きな看板が目に飛び込んできました。浜のテント村で抗議を続けている方から辺野古新基地についてのレクチャーを受けました。 
 辺野古新基地は、ベトナム戦争中の1960年代にすでに構想が練られていました。弾薬庫を備え、滑走路を整備して、岩礁の低い地点を埋める建てることで、陸海空すべての出撃拠点となる基地ですが、当時の統治国であるアメリカは莫大な費用が掛かる事から断念しました。
 しかし、日本に返還された現在、米軍の基地なのにも関わらず、日本国民の税金で全てを賄い造られようとしています。広大な辺野古新基地の建設費用は、約3500億円、埋め立て工事費だけでも2500億円と言われ、関連費用などを入れると予算は青天井に膨れ上がるとも言われています。
 60年代に構想され、現在造られようとしている事から「普天間基地の代替え施設ではなく新基地だ」と強く訴えていました。
レクチャー後は、辺野古新基地周辺を散策しました。観光客とみられる若い女性が二人、綺麗な海をバックに記念撮影していました。しかしそのすぐ先には、埋め立てられた護岸600メートル以上並んでいます。
 辺野古新基地を仮に狭山市駅を中心に配置すると、北は石心会病院、西は西狭山病院、東は富士見小学校、南は入間基地の中まで達するほどの大きさです。 冷戦時代も終わり、対話が重視される時代なのにも関わらず、ジュゴンやサンゴで自然豊かな海を壊し、莫大な費用がかかり、その上、米軍基地を造る事へ強い憤りを感じました。

 主権なき沖縄

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 普天間基地もフェンス越しに見学しました。そこには前日、嘉数高台公園から見たオスプレイが立ち並んでいました。
 また大学に向かう途中にはヘリモードで並走するオスプレイ2機を目撃するなど、日本とは思えない異様な光景を目の当たりにしました。
 最後の目的地の国際大学は、2004年8月13日に米軍普天間基地所属の大型ヘリコプターが墜落した現場です。乗員3名は負傷しましたが、幸いにも大学関係者や民間人には負傷者が出なかった事故です。
 事故後は、消火活動を終えた宜野湾市消防に対して、米軍は消化現場から立ち退かせ、大学構内なのにも関わらず一方的に占領。その後も事故現場を訪れた警察、消防、行政、大学関係者など一切の立ち入りを認めず、占領時のように米軍の管理下におかれるなど、日米地位協定の理不尽さが露骨に表れた事故でした。
 現在、事故現場は、当時の焼け焦げた木や、ヘリコプターのプロペラで傷ついた壁の一部が保存されています。
 普天間基地周辺は、日常的に米軍機から落下物があり、小学校の体育では米軍機が通るたびに注意しながら授業を行っています。よく普天間基地は世界一危険な基地と言われますが、銃剣を突きつけ、ブルドーザーで有無を言わさず市民から強奪した土地に造られたもので、自ら土地を差し出して出来た基地ではありません。土地を奪われた住民は仕方なく基地の周辺にバラックの家を建て住むしかありませんでした。そうした事からも周辺に住宅が出来た原因は米軍にあります。
 今回、2日間の強行日程でしたが、沖縄が味わってきた屈辱的な歴史の一部を見る事ができました。私が沖縄のためにできる事自体は少ないかもしれませんが、こうして見てきた事実を一人でも多くの方に伝えていき、沖縄の主権を取り戻したいと強く思いました。 (望月高志)

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