戸島よし子 私のあゆみ
助け合ってくらした子ども時代
私は1951年、福島県下郷町で生まれました。旅館を切り盛りする母、教師だった父は教え子に慕われ、貧しい家庭でしたがみんなで協力しあって暮らしていました。母は私に戦争の話をしてくれ、「2度と戦争をしてはいけない」と子どもながらに思っていました。
教師の道が絶たれても 日本共産党との出会い
父のように教師になりたいと、福島大学教育学部に入学。沖縄返還や安保闘争が高揚する中、自分はどんな教師をめざすのか―真剣に考えていたころ、先輩から誘われ、「民
主的な教師になりたい」と入党を決意。ところが、子どもの頃に失明した右目の視力を理由に、何度採用試験を受けても採用されず、教師の道を絶たれてしまいました。
学童の子どもたちとの出会い
子どもたちと一緒にという思いは捨てきれず、学童保育の指導員の道を選びました。学童保育指導員としての18年間、たくさんのすばらしい子どもたち、父母に出会いました。子どもたちの成長にかけた情熱で、安心して社会的に弱いものが大切にされるさいたま市へ、全力をあげています。
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