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協同組合報vol.102
2011年9月号

インフォメーション3

宮城石巻復興支援に参加して

〜生きること、生きていくことに思いを寄せて〜

  健友会 小林はるみ


●遠路石巻を目指して

 8月24日、西南ブロックのチーム小林家(はるみ・翔太・弾)と&谷岸ゆたか診療所事務次長は大田病院という大きなステッカーが貼ってあるワゴンに乗って、遠路宮城県石巻市を目指しました。近づくにつれてドキドキしてきました。あの光景を直視できるだろうか…と。しかし、市内にスムーズに入ることができ、町は静かでした。(まだ最大被害地に入っていなかったのです。)

 「焼き鳥とんこ」という、その地域の方が災対連に事務所と宿泊場所を提供してくれている所で「被害の概要」を話してもらいました。「日和山公園から全貌できるから」と、焼き鳥屋のおじさんが車を出して案内してくれました。

●「家は沈んだままだ」

写真 だんだん異変に気がついていきます。信号がない、家に人が住んでいない、中はがれきが詰まっている。道路は瓦礫こそないけれどガタガタ。「もうこの町(10年前に新興住宅地として3,000件の家が建てられた。今は10数件)は住めないんだよ」とのこと。日和山公園からは、海抜マイナスメートル地帯と土嚢で覆われた川が広がります。「家は沈んだままだ」「津波で何もなくなった」とおじさん。そして、がれきはうず高く積まれたまま。復興というより災害の後片付けもまだ途中なんだ、と強く感じました。

 夜は交流会。いろいろな人たちがここから復興支援に出ていき、延べ6,000人を超えたそうです。何度も来ている若者や中堅、公務員に労組の面々。居ついて事務局のアルバイトとして復興支援を延々と続けている若者。もちろん民医連からも。チームになって目標を達成していく力に、久しぶりに「人のつながり」を実感しました。

●復興支援は「墓掃除」

写真 さて、復興支援は「墓掃除」です。門脇小学校(津波の後の延焼で3日間焼け続けた学校)は、被災地というより戦火のあとのようでした。子どもたちは全員無事だったのですが、下駄箱やランドセル、3年3組の表示版など、3月11日までの営みが無残に残っていました。

 そのそばにあるお墓へ。近くのパルプ工場が全壊しパルプが流れついたそうで、掘っても掘ってもパルプと砂と泥…。それに混じって靴や台所の品々、子どものおもちゃ、CD、それにお骨…。匂いもさることながら、そこにあった生活がこんな無残に破壊されて…という思いも重なり、胸が詰まってきます。この地で4,000人を超える人々が津波に流され、行き場を失い火事に襲われ亡くなりました。

 墓を一つずつ掃除していきます。とうとう砂利が出てきたときは「やったー!」。自然に手を合わせていました。

 夕方、コインランドリーで、仮設の住人でしょうか、若いママと子どもたちを見かけました。騒いでいる子どもを叱る母親。洗濯物をたたむ手を止めず、沈んだままの顔と声がいまだに耳に残っています。復興にまだ至っていないことをつくづく感じ、具体的復興の手立てを打ち出せない政府に怒り沸騰でした。

 私達民医連は、いのちの平等を掲げ、最も困っている方々に寄り添い最後の砦となるよう頑張っています。しかし、もっともっと手を広げなくてはいけない、つなげる手は沢山あると思いました。そして、このピンチを日本を変えていくチャンスにしていけるか、私達一人ひとりに問われていることを実感しました。

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