昨年暮れの12月26日に四谷司法書士会館で、野宿の人たち、派遣切りにあったりして住まいを失った人たちの相談会が行われました。地下では弁護士らによる法律相談が、階上では、医療相談会が行われました。
おっちゃんを見つむまなざしあたたかく
これまで気づくことのなけれど
「今、この社会を生きているもの同士、せっかくの出会いを大切にしようよ。初めて出逢ったおっちゃんたち(野宿の人たち)と仲間になって一緒に生きていこうよ。楽しくやろうよ」という主催者の若い男性のあいさつで「明るい年末年始を過ごそう 年越し大相談会」は始まりました。
もちろん、医療相談の主体は「隅田川医療相談会」のボランティアの人たち。毎月、隅田川で相談活動を行っている彼らの熱いマインドが私たちにも伝わります。
多くの民医連の職員が自主的に参加しましたが、みんなすっかりおっちゃんたちと溶けこんだのです。
女医居りてたくましきかな細指が
み足の膿に触れるその時
医療相談で、民医連病院に紹介したのは13人。翌日、代々木病院に来た3名のおっちゃんたちは、ボランティアスタッフとSWの奮闘で、全員医療費については生保支給が認められました。しかし、福祉事務所の対応はとても冷たく、2000円の現金だけ渡され「さようなら」という感じだったそうです。
それでも、ボランティア医師の今川さんが診察した足に蜂窩織炎(ほうかしきえん)のある方は、なんとか入寮はできたとのこと。しかし、その寮というのも、すし詰め状態で環境も良くないらしく、すぐに出て行く人もいるとか。この問題をどう解決するのか、今の私にはわからないのです。
余談を入れますが、ボランティア医師たちはマスク、手袋無しの無防備。感染対策委員会が聞いたら目を剥いて怒りそうですが、隅田川や現場(ここ)は病院では無く、戦場であり交流の場なのです。
車座(くるまざ)で野宿の人に教え乞う
飯場タコ部屋流れき人生(ひとよ)
おっちゃんたちには、教えてもらうことがとても多いのです。飯場での生活、タコ部屋の実態、駅地下から冷たい外に追い出されるときの心境。貧困ビジネスの実態には驚きました。わずかなお金を除いて生保給付費のほとんどを「施設」に巻き上げられ、1日の生活はその「施設」の掃除だけ。門限が早いので普通の仕事には就けないしくみです。NPOを語っていても実態は右翼団体が経営しているらしい。そこの生活が嫌になって出て行くと、生活保護が打ち切られてしまうのです。
他にも、日雇い労働の手配師を仕切る暴力団の勢力図など、病院にいたら、けっして知ることのないことを学びました。そういう人生にあっても、今を生きているおっちゃんたちのたくましさに拍手。
年の瀬に逢いし野宿の人々の
今の身想う大寒の夜
隅田川ボランティアの若者のエネルギーには頭が下がります。当日はとても寒い日で、私たちは室内にいましたが、駅から会場に案内する人、レントゲン車に誘導する人たちは凍えながら1日頑張っていました。医療系ではない女子学生たちも多く、とても美しくありました(若干余談)。しかも、当日だけでなくその後のフォローも粘り強く続けているようです。福祉事務所との粘り強い交渉、宿泊施設への現地訪問、相談者との継続した関わりを続けているのです。何年間も隅田川相談会の経験を積んでいる彼ら彼女らのおそるべきパワーにはとてもかないません。
それにしても、あの日出会ったおっちゃんたちはどうしているのでしょう。飲食店から出る残飯の善し悪しの見分け方を教えてくれた60歳過ぎのおっちゃん(歯が1本もなかったっけ)はしっかり生きているのだろうか、大寒の帰路の夜道で想うことしかできない私です。
道はさみ救世軍の社会鍋
紅き我らに喇叭(らっぱ)も届く
そして、別な団体(全労連等)の主催ですが、12月28日には新宿駅頭での「年越し相談会」がありました。道を挟んだ正面には救世軍が喇叭を吹きながら社会鍋活動をしています。急逝された救世軍ブース記念病院前院長と面識があったので、救世軍のボランティアの皆さんと会話をしました。「立場は違っても、困っている人たちのためがんばろう」とエール交換もしました。
私も民医連も、多面的に多くの人たちとつながっていく活動に進化していかなければならないと考えた年の瀬でした。