東京は、ついに長い出稼ぎの地以上にはならない感じがどこかにあって、退職後は故郷である群馬の山奥で暮らしたい、という思いが胸の片隅にずっとあった。
小正月に母の顔を見に行ったら、そんな甘っちょろい思いは吹っ飛ばされた。最近、毎晩のように米軍機らしき爆音に悩まされているというのだ。自分の故郷を「穢された」怒りがムラムラとわいた。
1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁において米国は水爆実験を行った。静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被災してから今年は55年になる。ところが、米国はいまだに故・久保山愛吉さん(元無線長)の死亡原因を「血清肝炎単独犯」としているそうだ。
久保山さんの死因は「放射能性肝病変」であり、「歴史始まって以来の新しい病変」と2月22日の「3.1ビキニ事件記念のつどい」で批判した聞間元医師(全日本民医連被ばく問題委員会委員長)は、3・1ビキニデー全体集会でもそのことを強く訴えた。
広島、長崎、ビキニで被爆した人々を、米国はモルモットのような扱いで調べ続けている。許せない。
ビキニ被災当時、いち早く焼津に医療班として駆けつけた故・佐藤猛夫元代々木病院長、千駄ヶ谷地域で医療費負担に苦しむ被爆者に寄り添って闘いに立ち上がった職員の奮闘ぶりが「一点の火から」に記録されている。改めて学ぼう。
3月1日は日曜日で、久保山さんの墓参行進が通りすぎたあとの焼津港は静かだった。1隻の船が化粧直しのため、陸に上がっていた。突然、東京夢の島に繋がれている第五福竜丸は、1日も早く焼津港に戻りたいと思っているに違いないと思った。
【写真と文】
代々木病院 組織広報室 橘田淑子
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