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協同組合報vol.59

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「実践と自流」を訪ねて

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東京民医労勤医会支部代々木分会


どうすれば組合活動に共感してもらえるか


●半世紀の歴史

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左から嘉瀬さん、大竹さん、菊池さん

 小林多喜二の『蟹工船』が若者の間で共感を呼んでいるという。グッドウィルの違法な日雇い派遣、残業代を払わずに長時間労働をさせる「名ばかり管理職」など、『蟹工船』の奴隷のような労働と現代の労働が重なるとととらえているのだ。こうした中で、一人でも入れる労働組合の「全国ユニオン」は、「どのような働き方でも均等待遇を」を合言葉に春闘をたたかっている。

 「マクドナルド裁判の勝利は快挙でした。声をあげる勇気が道を切り開いていくんですね」。連帯感をもって裁判の行方を見守っていた代々木分会書記長の菊池真(しん)さんは話す。仲間がいず、一人ひとり分断されて、「働き方の多様化」なる言葉のウラで劣悪な労働が行われているのが今の日本の実態だ。

 代々木分会の前身である勤医会労組(東京勤医会労働組合)の歴史は古く、1952年8月に設立された。当時は「代々木病院従業員組合」という名称で、医療労働運動を引っ張る役割を担ってきた。勤医会労組発行の「40年の歩み」(1994年4月)を読むと、「日本の医療を守る労働組合運動を築いていく」ために奮闘する姿と、ストライキ問題など「民主的な医療機関の中での組合活動のあり方」を模索する姿とが伝わってくる。

 半世紀の歴史を全部紹介することはできないので、印象に残っている組合運動を語ってもらうことにした。活動歴22年の菊池さんは、1989年から始まった看護婦闘争が組合運動を続ける確信になっているという。当時菊池さんは、8年間の青年部活動を卒業し、執行委員から書記次長になったばかりだった。

●世の中を動かす

 ことの発端はこうだ。1984年、当時の厚生省は「看護体制検討会報告」を発表、そこには「看護婦の量は足りた、これからは質の時代である」と述べられていた。さらに1989年、「看護婦需給見通し」を発表、「1994年度までに需給が均衡する」とした。

 「冗談じゃない!」と怒りの声がわき起こり、89年7月、東京医労連は闘争を提起。10月6日、日比谷公会堂で大集会を開き、白衣の看護婦1300人が銀座をデモ行進した(P3写真)。これが「看護婦を増やして!」の運動が全国に広がっていく“ナースウェーブ”の始まりである。

 「10・6白衣の大行動」はマスコミが大きく取り上げ、闘争を後押しした。「まず『週間プレイボーイ』が4、5回にわたって連載し、これがきっかけで、マスコミの取材が殺到しました。マスコミを巻き込んだことが成功のカギになったんです」と菊池さん。この運動は「看護婦確保の法律をつくれ」という運動へと発展し、ついに1992年、「看護婦等人材確保の促進に関する法律」が全会一致で採択された。

 「労働組合が提案した法律が初めて国会で成立したんですから、画期的でした。このときの体験から、組合運動は世の中を動かすことができるという自分の確信になっているんです」と菊池さんは話す。

●労使対立が激しかった時期も

 では、民主的な医療機関の中での組合活動の模索という点ではどうだったのだろうか。「40年のあゆみ」の中の「1979年〜1980年」の項にこう書かれている。「この期、労組は『医療労働運動と民医連運動の理念は一致』する、との考えから『経営の近代化』に理解を示し、経営に具体的提案も行える『政策的対置の出来る組合』をめざし、一方で『事前協議の重視』と『労働協約締結・協定重視』の立場を強調しました」。そして、これ以降、「協定に基づく労使関係」が築かれていくことが述べられている。

 この労使関係が対立した一時期があった。1998年の春闘で理事会は「定期昇給のみ、ベアゼロ」と回答し、数回の交渉でもこの主張は変わらず、ついに組合は中央労働委員会に「あっせん」を申請した。翌99年冬の一時金でも交渉がまとまらず、再度「あっせん」申請となった。代々木分会執行委員長であり、勤医会支部の執行委員長でもある嘉瀬秀治さんはこう振り返る。

 「組合側は話し合いで解決したかったんですが、当時の理事会は自分たちの主張を繰り返すだけでした。何回団交をやっても解決の糸口がつかめず、それで心ならずも医労連にも間に入ってもらって、あっせんを申請したわけです。お金の問題というより誠意の問題でした」

 あっせん申請は勤医会労組始まって以来のことだった。この時期は対立が激しく、組合は半日ストライキを打つなど、今では想像できないような強い抗議行動に出ていた。理事会が強行になったのはそれに対抗する意味もあったのだろうと嘉瀬さんは言う。

 中央労働委員会からの和解勧告に基づいて話し合いが行われ、理事会側が折れて、ベアを出し、一時金も若干の増額となった。「その後は理事会側の姿勢も変わり、誠意をもって対応するようになりました」。その背景には、理事会には理事会の言い分があるだろうが、嘉瀬さんたちは組合の闘いがあったからだろうと見ている。

 嘉瀬さんは民医連の中の組合の存在意義をこう語る。「民医連のめざす医療が正しく実践されているか、労働者の権利は守られているか、職員と管理者との間で十分な意思疎通がやれているか。これらをチェックして、経営の正しい発展に組合の側から寄与していくこと。これが組合の役割です」

●あきらめムードを打開する道はないか

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春闘なべパーティー(2008年2月7日)

 書記次長の大竹明雄さんは、最近とみに組合の求心力が弱くなっていると指摘する。渋谷区労連には代々木分会のほかに30余の組合が加盟しているが、代々木分会を含めて大きな組合は三つだけ、あとは活動のための宿泊交通費を自前で出さなければならないような小さな組合ばかりだ。

 「区労連で朝の駅頭宣伝や昼休みのミニ集会・デモ行進をやるんですが、全体で30〜40人、代々木分会からは10人ぐらいの参加しかない状態です。7、8年前までは100人ぐらい集まったんですが」

 なぜ参加が少ないのか。大竹さんは、組合運動に対する無関心という点が大きいが、それだけではないと見ている。「経営が厳しいために現場では職員の数がギリギリに抑えられています。現場を守るだけで精一杯で、以前とは労働環境が様変わりしました」

 組合活動をしたって、どうせ今の状況は簡単には変えられない……こんなあきらめムードを打開する道はないか。2月7日、代々木分会で恒例になりつつある「春闘なべパーティ」を開いた(写真)。違う職種の職員が集まって交流する機会をできるだけつくりたいと考えているのだ。

 「不満はあるけど、それが労働組合に結びついてこない。結びつけるための努力をもっとやっていきたいと考えています。医師・看護師を増やす運動や署名活動など、国民医療を発展させる運動は組合が率先してやっていかないと広がっていきません」と大竹さん。

 どうすれば組合活動に共感する人を増やすことができるか。組合に問いかけられている今日的な課題に3人は立ち向かっている。

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