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協同組合報vol.58

ポルトガルへ行ってきました

みさと協立病院 玄間 直子

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コインブラの街並み。坂の街で中央に見える時計台がコインブラ大学
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リスボンにあるジェルジモス修道院の回廊。1502年着工
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世界遺産にもなっているポルトの街並み

 ポルトガルってどこにあるの? 何語なの? ほとんどの人に聞かれます。ヨーロッパ大陸の南西、スペインと国境を接し、北海道と四国を合わせたくらいの小さな国です。ガイドブックは大きな書店に行かないと見つからない、今の日本とはなじみが薄くなっている国です。しかし16世紀、ヨーロッパで最初に日本に訪れたのがポルトガル人で、種子島の鉄砲伝来です。西洋との最初の交流はポルトガルだったのです。

 ポルトガル語はもちろん英語もほとんどわからない私たち家族が、個人旅行でポルトガル行きを決行できたのは、昨年10月からポルトガルのコインブラ大学に語学留学している息子がいたからです。留学中に一度は様子を見にいきたいと思っていましたが、比較的長期の休みが取りやすい年末年始のポルトガル行きとなりました。直行便がないため、パリかロンドンで乗り継ぎ、16、7時間から20時間位かかる旅になります。日常会話は、わからないことばが多いと言っていた息子ですが、観光ガイドは何とか務めてくれました。

 コインブラ、ポルト、リスボン3都市を訪れました。街並はそれぞれ特徴がありました。街を歩きながら「すごい」「すばらしい」と感嘆の連続で、すべてを写真に納めたい気分でした。何世紀にも渡って受け継がれている石の文化。歴史の重みを感じさせられた6泊の旅でした。

 休みを取らせてくださった職場の皆さんに感謝です。

戦争の始まり・グラウンドゼロを訪ねたとき

写真代々木歯科 木村和正

 夜景を機上から見ながら到着したニューヨーク。2002年はメモリアルウィークとして、1週間、喪に服すことが決まっていた。
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当時のテレフォンカード
(ワールドトレードセンター)

 地元TVによると、グラウンドゼロを訪ねたこの日、最後に大きな十字架の形の鉄骨が掘り出された日だった。遺体や遺品を掘り出しているようだった。地下鉄はひとつ手前の駅で折り返し運転のため降りたが、鉄格子の向こう側は瓦礫で埋まっていて、立ち入り禁止。地上に出ると、手前の教会のフェンスにはお悔やみや訪ね人の紙が張られていた。警察官と消防士の慰霊の式典が行われており、TV関係者によるインタビューの人ごみを抜けると、半壊した近隣のビルでカフェなどが営業していた。

 自由の女神の爆破予告があったときで、街は警察官がたくさん動員されていた。通りはたばこの吸殻はまったく捨てられておらず、条例に対する違反の取り締まりがきびしいものと推察された。ワールドトレードセンターが崩壊し、これを機に戦争へと発展したが、このときこそ、平和のことを考える、大きな取り組みが必要なときだった。


俳句(第4回)「春夏秋冬」荒川渓舟

ジハードの停まる日問わる冬の夜

空刺して葱立ち並ぶ百里かな
「百里」とは茨城県のある「百里基地」のこと。「パトリオットミサイルが配置されるのでは」と言われている。

「後期高齢者医療制度」中止撤回署名
長生きは罪かと問わる冬の街


リレー連載 釣り紀行(17)

おじさん4人のヒラメ釣り

写真 おじさん3M+K氏の4人で大洗港よりヒラメ釣りに出かけました。

 メンバーはヒラメ釣り初心者のため多少の不安を抱えつつ、午前6時前に出航となりました。

 沖合は多少ウネリがあり、釣り場まで30分以上かかってポイントに着き、開始早々餌を待っていたのか、他の釣人にはヒラメやマトウ鯛等が釣れていましたが、我々には当たりもない状況が続きました。

 最初にヒラメを釣り上げたのは、何と船釣り2回目のM氏です。本人はほとんど当たりがわからないようでした。2匹目も同氏で、残りのメンバーは多少焦りが出てきました。しかし、我々に釣れるのはマトウ鯛、セイゴの外道だけ。

 釣りを開始して約2時間以上経った頃に、私に待望の1匹目が上がりました。今日のヒラメは食い込みが悪く、途中で魚の引き込みが無くなることが多く、集中力も薄れ諦めかけてきた頃、北風が強くなり、大洗沖に移動となりました。ポイントが良かったのかヒラメの当たりが多くなり、沖上がりが間近になった頃、私に大きな当たりがあり、約10分近くかけて釣り上げたのは69cm、5kgのヒラメでした。

 今回の釣行では、2枚がMの3人、外道(オデコ)のみがK氏となりましたが、船中では絶好調メンバーとなりました。

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