バス通りの南さん
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| 仲間増やし拡大月間で待合室行動(中野共立診療所にて。右が南さん) |
健友会事務局 塚本晴彦
中野共立友の会の元会長・南すい子さんが2007年1月4日、天空に旅立たれました。享年83歳。告別式では、だれもが、すこし背の曲がった小さな体でゆっくりと自転車をこぐ、バス通りの南さんを偲びました。中野区野方のバス停から環七を横切る一方通行の道の通称が、バス通り。南さんは10年近く友の会の役員をされ、雨の日もカッパを着て中野共立診療所に向け、この道で自転車を走らせました。
南さんは多才でした。日本画、習字、俳句、フラダンスを嗜み、教室も持っていました。南さんのやさしい人柄と才能に惹かれ、南さんが世話役だった野方地域センターや野方高齢者会館での健康班会・食事会はいつも新しい方がみえられました。南さんの指導のもと、みんなで踊るフラダンスは友の会旅行の名物でした。
ボランティア委員会の責任者も務め、新たに立ち上げた外来ボランティアにも率先して立たれ、たくさんの薬を自転車のカゴにのせ、自宅まで患者さんと一緒に歩く時もありました。友の会の発展を願い、体力が続く限り診療所待合室で入会を訴えました。
バス通りは南さんのご自宅とそれぞれの活躍の場を結ぶ道でした。
代々木病院入院中も、まわりの患者さんを気遣いされたと聞きました。人生に悔いはなし、そんな生き方をされた南さんでした。バス通りを自転車通勤していると、いまもふと南さんとすれ違う気がします。
(☆塚本さんは2006年5月までの4年間、事務局長として南さんと中野共立友の会の活動をともにしました。)
診療支援で大田病院に出向してきました
代々木病院 内科医師 小谷博史
2006年8月7日〜12月6日まで、大田病院に診療支援という形で出向していました。
8月に大田病院に通いはじめたころは、仕事を共にする院内の職員の方々と面識が全くなかったこと、診療の仕組みが違うこと、また、小田急線で和泉多摩川〜登戸間で1回、京浜急行線で京急川崎〜六郷土手間で2回、多摩川を越えて通う長距離通勤であったことなどもあり、まさに苦痛、苦痛の1ヶ月間でした。代々木病院に週1度帰ると、会う人ごとに「いやー、大変だよ」とこぼしたものでした。
それから1ヶ月経つと、なによりスタッフの熱いサポートがあったこと、南武線内で読書を始めたこと(宮本武蔵の五輪の書、論語などを解ったつもりで読んだ。ちなみに南武線の乗客の多くは雑誌、新聞ではなく文庫本を読んでいます)、時間があるときに商店街の散策を始めたこと(梅屋敷商店街の温かさを感じられる風情は忘れられません)などにより、通うことが楽しく感じられるようになっていました。
大田病院は住宅街の真ん中にあり、職員の多くは自転車で通勤しており、通勤の途中で挨拶を交わすこともしばしばです。また大田区を中心として広範囲に在宅医療を展開しており、病院から徒歩3分ほどの幹線道路沿いにある診療所には患者さんが活発に訪れます。以上のようなことから、大田病院は地域医療を展開するうえではとても恵まれたフィールドにあると感じました。
支援に当たっては長距離通勤というハンデもあり、4ヶ月という短期間でもあり、果たして期待に応えるだけの仕事ができたかという想いもありましたが、終了時には、職員の皆さんから過分な感謝の言葉を受け、また医局からは抱えきれないほど立派な花束をいただき、嬉しい気持ちでいっぱいでした。いつの間にか、中堅と呼ばれるような年になったこの時期に、全く違う医療を体験できたことは、自分にとって有意義でした。ここで経験したことを活かせるようにこれからも励んでいきたいと思います。
美ら島カレンダー
東京勤医会法人人事部
看護学生担当事務 秋本ヒロミ
石垣島に移住した友人から久々にメールが届いたのは、昨年12月のこと。別に変わったことがあったわけではないけれど、東京に出てくるというので、ちょっと会ってきました。島ではまだ気温が20度以上もあって、海で泳いでいる人もいるとか。信じられない! で、この季節にそれってありなのか、そこは本当に日本なのか、と二人でいろいろ言い合いながら近況報告しました。
別れ際に「コレお土産ね」と言って渡されたのは、ちんすこうと島の風景写真を使った07年の卓上カレンダー。そのときは「カレンダー買わなくてよかったなあ」と漠然と思っていたのですが、年明け、雑然とした職場でしみじみ眺める島の風景の、まあ、なんという美しさ! 新年、職場の机の上に仕事は山積みになっています。でもその机上には真新しいカレンダーも置いてあって、骨にしみるほど美しいのでした。
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